第10話 覚悟

 これは悪夢か何かだろうか。


 突如首都の防護結界を突破し現れた漆黒の竜。遠目に見ても、異様だった。


 一人の兵士——クラウスはただ呆然としていた。

 黒竜が突如として現れ、防護結界が破られた。その事実を脳が理解できない。


「は?」


 ——音が消えた。同時に、景色が赤一色に染まる。体中、特に顔に猛烈な痛みが走り、思考を埋め尽くす。


 何が? そんな疑問は変形している兜と目の前に広がる炎によって掻き消えた。


 あの漆黒の竜が炎を放ったのだ。


 周りを見渡せば黒焦げの塊が幾つも転がっている。気付きたくない。考えたくない。


 これが——先ほどまで笑いながら街中を歩いていた善良な市民だなんて。


 クラウスは兵士だ。他種族との戦時中であるため、鉄製の甲冑で身を固め警戒にあたっていた。

 一般市民と違い、魔力を体に纏い防御する技術も会得している。


 そのクラウスですらこの大火傷。竜が降りてきた付近にいる人の悲鳴が聞こえてこない。


 逃げるか? ……否! 緊急事態であることは既に陛下の耳に入っているだろう。報告も必要ない。


 兵士の役目は国家の守護。一秒でも時間を稼ぐ。これ以上侵攻させるわけにはいかない!


「ッ!? 雨……、宮廷魔法士様たちがやってくれたか」


 魔法の反応と共に発生した豪雨によって炎が鎮火していく。

 後数分でザイテン王国軍に所属する魔法士の頂点——宮廷魔法士たちが救援に来るはずだ。


「俺は兵士……覚悟はできてる」


 土砂降りの雨の中、火傷からくる痛みで悲鳴をあげる体に鞭を打って一心不乱に走る。


 黒い塊を飛び越え、溶解している建物を横目に見ながら竜が降り立った場所へと向かい——着いた。

 舗装ほそうされた地面は溶けて不安定になっており、周囲の建物は軒並み吹き飛んでいる。


 その中心。悠然と佇む漆黒の竜を睨みつける。


 自分の目の光は失われていないだろうか?


 そんな疑問が不意にクラウスの頭をよぎる。

奮い立たせなければならない。自らの退路を立ち、命を賭すのだ。


「布告もなしに市民を無差別に攻撃……よくもやってくれたな!」


  叫ぶ。竜に人語が理解できるかは重要ではない。これは自らの心を燃やすためのものだ。


 左腰に吊るしていた剣を鞘から抜き、構えながらジリジリと竜に接近する。黒き竜は微動だにしない。


 鞘に収めていたおかげで剣の方は、無傷とはいかないまでも剣の形は保っている。切れ味などこの際関係ない。

 無論勝つもりだが、それがどれほど厳しいことなのかぐらいは理解している。


 ——あくまで時間を稼ぐ。


 死地の中、早鐘を打つ心臓を落ち着かせ、激情を目に宿し、剣の柄を握る手に力を込め——

 

「……は? しょう……じょ?」


 戦意が霧散した。クラウスは激情を宿した目を見開き、漆黒の竜の隣に立つ少女を見つめる。


 少女? 終焉の炎をあの至近距離で受けて無傷なわけが……。

 違う。少女は、人族ではない。


 竜の体と同色である黒色の二本のツノ。側頭部あたりから生えるそれらは、少女が魔族であることを表していた。


「まさか、あの竜を使役している……のか? あんな少女が……」


 雨はすでに止んでいた。水滴がポタポタと少女の髪から地面へと落ちる。


 少女は透き通るような銀髪を腰まで伸ばし、両耳の少し上から二本の黒いツノを上方向に向けて伸ばしている。

 宝石のような碧眼と可愛らしい整った顔は、成長すればさぞ美しい女性になることを想像させる。


 思わず守りたくなるような、庇護欲を刺激する儚げな雰囲気。紛うことなき、兵士として守るべき少女だ。


 ——だが、少女は死に満ちていた。触れれば壊れてしまいそうな印象からはとても考えられない。

 共存することなど決してない二つの気配だ。


 手が震える。少女を目の前にして怖気付く兵士などいるだろうか? 


 兵士としての理性は少女に攻撃することを拒み、生物としての本能は一刻も早く少女から逃げるように訴えかけてくる。


「なぜ、君は、こんなことを……?」


 思わず口から漏れた疑問。弱々しい声で紡がれたクラウスの言葉に、少女ははっきりとした口調ので答えた。


「私は竜神、アムネ・セネスライト。人族に復讐するために来た」


 竜神と名乗り、竜を使役している。人族が殺した竜王と関係があるのか?


 それにアムネ・セネスライトという人名。クラウスには聞き覚えがあった。

 四魔天、氷河のベイルと同じ名字。上司でもあるライアンさんが討伐隊に参加した際の標的だったはずだ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 息が荒くなる。


 本能に従い、今すぐにでも逃げ出したい。だが、兵士としてこれ以上被害を増やすわけにはいかない。かといって少女に剣を向けるのか?


 ——違う! 今は少女など関係ない。


 クラウスは目を見開く。時が経過するごとに死の恐怖が強まっていく。


 今ならまだ兵士として死ねる。


 気づけばクラウスは足に力を込め、地面を蹴っていた。加速し、迷いなく少女の首に向けて銀閃を走らす。


 ——が、剣が来ない。振るったはずの剣が少女の首へと走らない。


 何が起こったのか? クラウスはいつのまにか少女が手に持っている美しい剣と、何か重い物が落ちる音を聞き、理解した。


 理解したと同時に焼けるような激しい痛みに襲われる。


「俺の……うで、が……?」


 左胸に衝撃が走った。何事かと視線を落とすと、黒い尻尾のようなものが左胸に突き刺さっていた。

 漆黒の竜が持つものよりもずっと細い、だが圧倒的な力を感じる。


「ハハッ」


 クラウスは笑う。

 あまりに現実離れしているからだ。


 少女の背中からはドス黒い両翼が生え、腰辺りから生える、翼と同色の尻尾はクラウスの左胸を貫いている。


 魔族と竜の二つの特徴を併せ持つ少女——否、化け物が目の前にいた。


 左胸から尻尾が抜かれてクラウスは力無く倒れた。意識が遠のく。視界が霞んでいく。音が消える。


 ————人族に、栄光あれ。


 


 


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