第37話

 翌日の警視庁で、智輝は葵から聞き取った内容を報告書にまとめていた。


「――やあ、ようやく片がついたのかい?」


 パソコンに向かう智輝の肩がポンと叩かれる。慌てて振り返り立ち上がろうとしたら、それを押さえるように力をかけられた。

 仕方なくそのまま相手を見上げる。課長の木宮だった。

 先ほどまで姿が見えなかったのに、いつの間に来ていたのか。集中しすぎていたことを反省する。


「木宮課長、お疲れさまです。呪い事件に関しては、昨日というか深夜に片づけまして、榊本葵からの情報も整理しています。今日の午後にでも、速水の方にも報告するつもりです」

「そう。つつがなく終わった?」

「……まあ、常識を疑うようなことはありましたが」

「ふふ、ようやく葵くんの真価に触れたか」


 木宮が面白そうに呟く。

 これまでの葵が関わった資料を確認して、ある程度の能力は智輝も把握しているつもりだった。だが、資料でみるのと実際に目の当たりにするのとでは、まるで重みが違った。

 まるで魔法のような出来事。ファンタジー世界に飛び込んだようである。


「……課長は榊本葵をどう判断しているのですか? 私に引き継ぐまで、ずっと課長が対応していたんですよね?」

「うーん、まあ……不思議な子だよね。なんと言っていいか分からないけど……特別な存在なんだろうなって思うよ」

「特別な存在……」


 木宮の言葉を咀嚼する。

 確かに葵は特別な存在だろう。葵のような能力者が世界にどれほどいるものか。おそらく片手の指で足りる程度だと思う。


「――海外では、超能力が捜査に認められていることもあるんですよね」


 以前、生活安全課の三田と話したことだ。その後、智輝は気になって、世界における超能力の認知や価値について調べた。超能力に証拠能力を認めている国はそう多くない。だが、確かに存在してはいるのだ。


「そうだね」

「……日本でも、その可能性はあるんですか」


 智輝は木宮を見上げて問い掛けた。

 怪異現象対策課が警視庁に置かれた意味を考えると、その可能性もなくはないと思う。


 葵が友里奈たちとの話の中で語っていた以前の呪い事件について、智輝はすぐに報告書を確認していた。

 それは表向き、大して捜査もされずに終わったものだ。同日に亡くなった、病死した者とおぞましいほどの死に様をさらした者が、憎しみ合う関係だったというだけの話。

 だが、葵が関わり残された報告書には、使われた呪いや、その呪いを齎した黒幕の存在がしっかりと書かれていた。

 一番最後にあったのは、木宮の署名と『現在、黒幕の存在を捜査中』という文字。


 葵を智輝に引き継いだ後、木宮がいったいどんな仕事をしているのか気になっていたが、それが答えだった。

 他の面子への仕事を割り振るのは、木宮の本来の仕事のついで。木宮は全ての相談ごとに目を通し、黒幕が関与する事件がないか探っているのだろう。

 生活安全課が作成した調書だけでなく、もしかしたら刑事事件の調書までも調べているのかもしれない。


 だが、黒幕を見つけたらどうするのかという疑問に、智輝は答えを持たなかった。

 日本の現在の法律において、呪いの道具を渡したということが、どれほどの罪に問えるというのか。

 怪異現象対策課が大手を振って認められるような状況にならない限り、木宮の捜査は大した意味を持たないものになる。


「――ないよ」


 智輝の思考を木宮の冷たい声が遮る。透徹した目が智輝を見下ろしていた。

 木宮は呆然とする智輝から視線を逸らしたかと思うと、静かに窓辺に寄っていく。


「超能力や霊能力が、日本において公的に表立って認められることなんてない。少なくとも、僕が生きている間は変わらないだろう。僕たちの捜査は、公的に意味を持たないものだ。税金泥棒と言われても仕方ない」


 木宮は自嘲するように言うと、じっと外を眺めていた。その後ろ姿を、智輝は息を飲んで見つめる。


「でもね、意義はあるんだよ。この世には、科学では証明できない方法で、命を落とす者がいる。罪にならぬと笑って、遊びのように命を刈り取る者がいる。……僕たちの仕事は、ひとつでもそうした事件を防ぎ、解決し、なくすことだ。誰に評価されることもなく、粛々とね」

「……もし誰かを呪殺した者がいたとして、どう対処するのですか? 逮捕はできませんよね」


 今更な問いだっただろう。だが、今回呪いというものに触れて、それが確かに誰かの命を奪いうるものだと知って、その疑問が芽生えたのだ。


「法に則っては対処できないね」


 呟いた木宮が智輝を振り返る。逆光でその表情を窺えなかったが、智輝は背筋に冷たいものが走った気がした。


「――だから、そこでも協力者が活躍するんだよ」

「え……」

「目には目を、歯には歯を……だね」

「それは――」


 智輝は続く言葉をどうしても言えなかった。あまりにも恐ろしく傲慢な話だと思って、どうにもしようがない苦い感情が胸を占める。

 智輝はそれら全てから目を逸らした。直視するには、まだ覚悟が足りなかったのだ。



 ◇◆◇



 いくつか案件を片付け、新たな案件を探しに資料室に向かっていた智輝の足が、ふと止まった。

 傍にある休憩室から、職員の潜められた声が聞こえてくる。


「――え、本当に? 自損事故で亡くなった速水って人、この間『呪いだー!』って相談に来てたの?」

「そうそう。だから、呪いで死んだんじゃないかって、もう話題よー」

「ほんと、凄い死に方だったみたいよ。事故の実況見分を担当した子、暫く顔色悪かったもん」

「呪われて死んだならねぇ。あー、私の担当じゃなくてよかった――」


 速水。呪いの相談に来た速水とは、速水行宏のことだろう。

 智輝は血の気が引いていく思いで踵を返した。


「――呪い? 呪いは葵さんが解除したはず。……ただの事故か?」


 飛び込んだのは、警視庁内のデータを一括で検索できる部屋。特別な許可を得ないと使えない場所だ。


「……事故……速水……」


 報告書はすぐに見つかった。

 レンタルした車で山に向かった速水は、そのままガードレールを突き破り落下した。炎上までしたので、身元の判明に時間がかかったらしい。

 何故速水が一人で山に向かったのか。何故見通しがよく、十分に道幅もあったところから落下したのか。

 全ては明らかにならないまま、既に捜査は終了している。速水議員からの捜査打ち切りの要求があったからのようだ。


「……友里奈さんは大丈夫か?」


 不安に駆られて、友里奈へ連絡を取る。葵と同様に、今後も友里奈がなんらかの害を受ける可能性を考えて、智輝も定期的に連絡を取ることにしていた。

 ショートメールを送って暫く。バイブ音が聞こえると同時に確認する。


「無事なのか。……速水が死んだことは葵さんから連絡が……?」


 葵が何故それを知っているのか。

 智輝の震える手からスマホが滑り落ちる。


「――いや、冷静に考えろ。大きな事故だったみたいだし、ニュースになってたのかも。最近、忙しくてチェックしてなかったから。それに木宮課長とかから聞いたかもしれないし……」


 なんとか納得できる答えを探して心を落ち着ける。

 その時、智輝の背後で扉が開く音がした。勢いよく振り返ると、そこには見慣れた顔がある。


「……御堂課長」

「久しぶりだね、神田。凄い顔でここに飛び込むのを見て、思わず追いかけてしまったよ。……減点だ。隠密行動の徹底がなっていない」

「……申し訳ありません」


 御堂が咎めるように目を鋭くした。智輝は立ち上がって頭を下げる。


「……まあ、いい。君はまだ新人だから。それで、ついでだから聞くけど、怪異現象対策課はどう?」

「……不審点はなにも」

「ふーん」


 御堂は智輝の本来の上司だ。

 交番勤務の後に智輝が配属になったのは、公安部だった。そこから、怪異現象対策課の内偵が命じられたのだ。


「――榊本葵は?」

「……それについても、不審点はなにも」


 智輝は、今知ったばかりのことを報告するのを躊躇い、公的に報告している以上のことはないと告げた。

 全てを見透かすような御堂の目をじっと見つめる。偽りを悟られるほど智輝は子どもではない。


「……そうか」


 御堂が踵を返す。思わず安堵の息をつきそうになった智輝は、鋭い目が振り返り立ち止まるのに気づいて一瞬息を止めた。


「――報告は余さずに。速水行宏のことはこちらでも把握している。速水議員も困ったものだ。警察を我が物顔で扱おうとは……いつか痛い目を見てもらわなければね」

「……はい」

「君には期待しているんだ。この内偵に疑問もあろうが、不審点の洗い出しは正確に頼むよ。なんといっても、君に情報を渡すと、榊本葵に全てを悟られてしまうかもしれないからね。……あの能力は、不可思議で厄介だ」


 再び歩き出し、扉の向こうに消えていく御堂を見送って、智輝は激しく主張する心臓を押さえた。力なく椅子に座り込む。


「――いったいなんなんだ。御堂課長はどんな報告を求めてるって言うんだ……」


 とてつもなく厄介なことに巻き込まれている自分を再認識して、智輝は深いため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クライエラの幽微なる日常 ~怪異現象対策課捜査File~ ゆるり @yururi-_-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ