第33話
二日後。
智輝は、いじめの被害者である
「――今さら、警察がなんのようですか……? 蒼汰が亡くなったときも、刑事事件にできないと断ったのに……」
通されたリビングで、お茶を出した
巴は蒼汰の母親で、蒼汰が亡くなった際に警察に捜査を依頼していた記録が警視庁に残っていた。その依頼が速水議員の圧力を受けて握りつぶされたことも、智輝は把握している。
それゆえ、巴の恨み言に智輝は返す言葉を迷った。
「お母様は今でも、息子さんを追い詰めた人に罰を受けてほしいと思っていますか?」
智輝に同行を希望した葵が、静かな口調で問い掛ける。
その透明な響きに虚をつかれたのか、巴が一瞬目を丸くした。だが、すぐに頬を強張らせて葵を睨み付ける。
「当然です! 蒼汰を殺した人が、悠々と生きるのを見過ごせるものですか!」
悲鳴のような声だと思った。
蒼汰が亡くなってから、既に数年が過ぎている。その時間は、巴の悲しみや憤りを癒すには、全く足りなかったのだろう。
今も血を流し続ける傷に、智輝たちは爪を立てたようなものだ。
「呪ってまでも?」
「……のろい?」
葵が間髪入れずに問い掛けた言葉を、巴が呆気にとられたように反復した。
なにを言われたのか分からないという様子に、智輝は内心でホッと息をついた。この反応で巴が呪いを掛けた者ではないと察したのだ。
それは葵も同様だったのか、僅かに表情を和らげていた。
「不躾なことを申し上げ、誠に申し訳ありません。お母様の悲しみ、お察しするなんて軽く言うこともできません」
「息子さんのことは本当に痛ましく思っています。ですが、今回、私たちが澤口さんをお訪ねしましたのは、
葵に続いて訪問の理由を話し出した智輝を、巴が鋭い眼差しで見据えた。
「警察は、いじめの対応はしないのに、呪いなんて意味の分からないことは調べるんですか。あいつが議員の息子だから?」
「僕はあいつを呪いから救いたいなんて思ってここにいるのではありません。地獄に落ちるなら勝手に落ちればいいと思っています」
「……え?」
「葵さん……」
あまりにも明け透けに速水を扱き下ろした葵に、智輝は今度は天を仰ぎたい気分になった。
一応、葵は警察の協力者だと紹介しているのだ。いくらその感情に智輝も同意できるとはいえ、立場上言ってはならないこともあった。
だが、葵の物言いは、巴の感情を宥めるのに一定の効力があったらしい。僅かに表情を和らげた巴が、訝しげに首を傾げる。
「では、何故呪いの捜査なんて……?」
「人を呪わば穴二つ、と昔から言われている通り、呪うことで呪った者もまた被害を受けるからです。憎い相手を害するために、命を損なう行いをしていたら、蒼汰さんが悲しまれると思いまして」
「……本気で呪いがあると思っているのですか」
いよいよ巴の眼差しに困惑が混じり始めた。当たり前に呪いを話されることに戸惑うのは、智輝も心から共感できることだ。
そこで、一から怪異現象対策課についてや今回の案件についての説明をする。
「怪異現象対策……警視庁にそんな仕事が……?」
説明したところで困惑はあまり変わらなかったようだが、話を進めることはできそうだ。
「今回、速水さんに呪いの手紙が届き、その後から不可思議な被害を受け始めたということで捜査をしています。そして、その呪いの手紙の送り主は、蒼汰さんに近い方ではないかと思い、お訪ね申し上げた次第です」
「……呪いの手紙」
巴がポツリと呟いた。半信半疑な口調ながら、なにかを思い出すように目を細める。
「高校時代の同級生などに聞き込みをしましたが、蒼汰さんの親しい友人などの名前は挙がりませんでした。澤口さんに、心当たりはありませんでしょうか」
あまりにも悲しい蒼汰の交友関係を思い出しながら、巴に問い掛ける。
蒼汰の短い生涯のほとんどは、孤独と共にあった。幼い頃から速水と同じ学校であったことが、その原因だろう。小中高一貫校は、問題があってもその環境から逃れるのが難しいというデメリットがあるのだ。
「……呪いの手紙を送るのは、なにか罰を受けるようなことなのですか?」
巴は質問を返してきた。
それは、送り主に心当たりがあると言っているようなものだと、智輝は内心で嘆息する。
巴は先ほどまでと違った眼差しだ。なにかを守るために、智輝たちに攻撃的な表情をしているように見える。
「刑事罰に問うとすれば、脅迫罪などにあたる可能性はあります。ですが、立件自体が難しく、おそらく罰を受けることはないでしょう」
「そうですか……」
ホッと吐息をつくのは、安堵したからだろう。それだけ、巴が思い当たった人物に、心を寄せているのだと思う。
だが、巴がその名前を申告する様子はない。罪に問われないと分かってもなお。
「――先ほども言いましたが」
沈黙を破ったのは葵だった。真摯な眼差しを巴に向け、なにかを案じるような口調で語り始める。
「人を呪えば、必ず罰を受けます。それは法のように、目に見える規則ではありません。ですが、呪いに関する知識を持たない者が、安易に手を出していいものではないのです。呪いは生命力を損ない、命を奪うこともあります。僕は、そのような被害を防ぎたい。蒼汰さんへの思いから、命を投げ捨てるような真似をするのはやめてほしい。なにより、蒼汰さんがそのようなことは望んでいないのですから」
「……あなたが、蒼汰のなにを知っていると言うのです?」
巴が俯いて呟いた。葵の言葉はきちんと届いているのだろう。それでも、口を閉ざしたい理由が、巴にはあるのだ。
「なにを? ……そうですね。蒼汰さんはとても家族を愛していた。いじめを受けていても、相談できなかったのはそれが理由でしょう。あなた方を悲しませたくなかった。せっかく苦労していれてもらった学校を、やめるなんて言えなかった」
巴が目を見開き葵を凝視する。その唇がなにか言いたげに小さく震えていた。
「死んだ後も、蒼汰さんは当然いじめの犯人を恨んでいましたが、それ以上にあなたたちの苦しみに悲しんだ。死んだことを後悔するほどに。だから、ずっとあなた方の傍に囚われた。おそらく手紙の送り主の傍にも寄り添っていたのでしょう。そのせいで呪いに巻き込まれることになっても、蒼汰さんは不満を持たなかった。でも、知ってしまったんです――」
葵の言葉が途切れた。呑まれるように話に集中していた巴が、ゆっくりと瞬きをして、乾いた唇を動かす。
「……蒼汰はなにを知ったのですか?」
葵が悲しみに沈んだ目を巴に向けた。そして痛ましげに語る。
「呪いが効力を発揮する度に、呪いを掛けた側にも害が降り注ぐことに」
「っ……害? あの子に、なにかあったのですか!? 私は聞いてない! つい、二週間前は元気そうでっ! ……ぁ」
巴が口を両手で押さえた。隠しごとを思わず口走ってしまったことに後悔しているようだ。
智輝はそれを見ながら目を細めた。
巴は葵の言葉を一切疑っていないように見える。本来なら信じることができないような、死後の話を当たり前に受け入れていた。
それは葵の語り口が真に迫っていたからだろうか。……詐欺師ならば一流だ。
そのように考える自分に吐き気がしたが、葵を疑うこともまた智輝の仕事だった。
「あの子とは、どなたのことですか?」
静かに問い掛けると、巴の目が迷いを示すように揺れた。
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