第34話

「――あの子の名前は吉永よしなが友理奈ゆりなといいます」


 巴が話し始めたのは、長い沈黙の後だった。

自分が話すことが友理奈を傷つけないかと恐れ、ずっと迷っていたのだろう。それでも、呪いの害が友理奈に及んでいる可能性を示唆され、黙り続けることができなかった。

 それは巴が友理奈に深い愛情を抱いていたからだ。


「友理奈ちゃんは、蒼汰の唯一の友達でした。幼稚園からの付き合いで……たぶん、恋人といってもいいのでしょう」

「……調査では出てきませんでしたが」

「ええ。友理奈ちゃんは幼い頃速水のいじめの標的でした。それを庇ったのが蒼汰です。結果、蒼汰の方が標的になり、友理奈ちゃんは解放されました。私がそれを知ったのは、蒼汰が亡くなってからです。友理奈ちゃんは泣きながら私に謝罪しに来ました」

「それは……」


 巴も友理奈も、どちらも辛かっただろうと思うと、智輝は続く言葉を失った。

 苦い笑みを浮かべた巴が視線を宙に投げる。そこに蒼汰が見えているかのように。


「友理奈ちゃんは蒼汰から、表立って関わらないよう言い含められていたようです。またいじめの標的になるといけないからと。蒼汰は友理奈ちゃんを守りたかったんでしょうね。友理奈ちゃんは、速水が怖くて蒼汰を守ることができなかったと泣いていましたが、私は蒼汰の思いを尊重してくれたと礼を伝えました」


 巴の手が震えていた。

その内心には複雑な思いが渦巻いているのだろう。それでも、その思いを友理奈にぶつけることはできなかった。蒼汰が友理奈を守ろうとしていたことを、咎めたくなかったからだ。


「……守りたかったならっ、生き続けてほしかったっ……学校なんて、やめてよかったのにっ……相談してくれたらっ……」


 吐露された思いに智輝は目を伏せた。

 遺された者がどれほど嘆いても、過去には戻れない。死んだ者が蘇ることはないのだ。それゆえ、悲しみは癒されない。


「――蒼汰さんが亡くなってから、あなたは友理奈ちゃんとの付き合いを続けたのですね?」


 葵が巴を宥めるように、柔らかな声で話を促した。ティッシュで目元を押さえた巴が小さく頷く。


「……友理奈ちゃんは、蒼汰が命に代えても守りたいと思った子です。彼女は家族とも上手くいっていないようでした。だから、私は彼女の逃げ場になろうと思って、声を掛け続けました。傷の舐め合いかと思われるでしょうが、私たちには必要な関係だったのです」

「ええ。そうでしょう。友理奈ちゃんと付き合うことで、あなたも確かに救われていたのでしょうから。……それで、友理奈ちゃんが手紙の送り主だと思った理由はなんですか?」


 葵の言葉に、巴の顔が歪んだ。躊躇うように戦慄わななく唇が、途切れがちに言葉を紡ぐ。


「友理奈ちゃん、三週間前に、凄く落ち込んだ表情でした。速水を、街で見掛けたと、言うんです。なんの苦しみも抱かず、周囲に不幸を振り撒いて、生きているようだと。……憎しみが、伝わって来るようでした……」

「その後、どうなったのですか?」

「……二週間ほど前に会った時、表情が一変していました。明るい表情で、『罪深い者は地獄に落ちるべきです。そろそろこの憎しみから解放されましょう』と言っていました……」

「呪いの手紙が送られた時期と一致しますね」


 智輝が巴の言葉を補強する。状況から考えても、呪いの手紙の送り主は友理奈で間違いなさそうだ。


「悪い子じゃないんですっ! あいつが悪いんです! 呪っても仕方ない! でも、友理奈ちゃんが苦しむなんて、そんなのはダメです……! 友理奈ちゃんを、助けてっ……!」


 巴が両手で顔を覆って泣き出した。悲しみと憎しみと、そして友理奈への愛情が溢れた叫びだ。

 智輝は葵を見つめた。

 葵は呪い主になんらかの害が生じていることを知っているようだった。呪い主を救うために、情報を得ようと智輝について来たのだろう。それならば、友理奈を救う術を持っているはずだ。


「――友理奈さんと連絡を取っていただけますか? 僕が必ず、友理奈さんを呪いから解放します」

「……はい、分かりましたっ……お願いします……!」


 泣き濡れた目を上げた巴が、くしゃりと顔を歪ませて葵に頭を下げた。



 ◇◆◇



 巴に呼ばれてやって来た友理奈は、どこか陰鬱な雰囲気を纏った女性だった。現在、都内のアパートで独り暮らしをしつつ、アルバイトで生計を立てているらしい。家族とは成人を機に縁を切ったのだと巴が教えてくれた。


「――警察が、私になんの用でしょうか」


 友理奈の警戒心が籠められた目が、智輝と葵の間を彷徨う。恐らく、智輝たちの用件を察しているのだろう。それでも、語るつもりはないと言いたげに、口が引き結ばれていた。


「速水行宏さんに呪いの手紙を送ったのはあなたですね?」

「……巴さん、なにか話したのですか?」


 智輝の質問に答えることなく、友理奈の目が巴に向けられた。そこに咎める意思はなく、裏切られたというような僅かな悲しみの思いが感じられた。


「っ、友理奈ちゃん、私はあなたを守りたいの! 体調を崩してたりしない? なにか嫌なことはなかったっ?」


 巴が友理奈の肩を掴んだ。心配そうに見つめる巴に、友理奈の頑なだった目が揺れる。その手が腹部を押さえるように服を握りしめた。


「……呪いって、怖いんですね」


 長い沈黙の末に、顔を俯けた友理奈がぽつりと呟く。後悔が滲んだ口調だった。


「――手紙以外にも、呪いに手を出したようだね?」

「……はい」


 葵の問い掛けに、友理奈が悄然と頷いた。

巴の愛情と心配が伝わって、真実を告げる覚悟を決めたらしい。そもそも、ごく普通に生きている女性は、警察と対面して黙秘を続けられるほど強くないのだ。それに、友理奈も救いを求めていたように感じられた。


「それはどんなもの?」

「……ヒトガタという紙にあいつの名前を書いて、深夜に釘で打ち付けました。近所の神社の木です」


 器物損壊罪。瞬時に頭に浮かんだ言葉を、智輝は見なかったことにした。だが、後でヒトガタは確認して来ようと思う。友里奈が住む地域の警察署にそのような訴えは上がっていなかったはずだから、まだ見つかっていないか、もしくは暗黙のうちに処理されている可能性が高い。


「……ヒトガタでの呪いは、効果が現れる可能性が低いんじゃなかったか?」

「そうだね。……友理奈さんがヒトガタを用意していたなら、ね」

「他人がヒトガタを用意できるのか……?」


 葵に問い掛けながら、友理奈に視線を向けた。小さく頷くのを見て、智輝は目を細める。話が更にきな臭くなった気がした。


「……呪いの手紙を送っても、あいつに応えた様子がなかったから、ネットで違う呪いを探していたんです。そうしたら、SNSにダイレクトメールが来て――」


 説明しながら、友理奈がスマホを取り出した。送られてきたというダイレクトメールを示す。


「『呪いをお探しですか? 絶対に効果が出る呪いをご紹介します。住所を教えていただければ、呪いに必要な道具も無料でお送りしますよ』って、怪しすぎる……」


 文章を読んでいる内に、半眼になってしまった。今時子どもでも引っ掛からない詐欺のように思えたのだ。

 智輝の考えを察したのか、友理奈が目を逸らしてスマホを伏せる。


「……馬鹿だとお思いでしょう。それでも、私にとっては救いの手だったのです。どうしても、あいつに罰を与えたかった……っ!」

「友理奈さん……」


 智輝は、友理奈の思いを聞いてなにも言えなくなった。

 だが、目を伏せて考え込んでいた葵が、不意に友理奈の手を掴んだことで空気が一変する。突然のその動きに、友理奈が驚いたように震えた。


「――ああ、住所は教えなかったんですね。私書箱とは上手い手です。でも、元々あなたの身元は向こうに判明していたでしょうから、できれば引っ越しをおすすめします。必要でしたら、僕の方で物件をお探ししますよ。その方面に伝手があるので、お安いところを――」

「葵さん! 友理奈さんが混乱してる。まずは手を離して、ちゃんと説明を」


 友理奈から引き離した葵をじっと見つめる。おそらく、手を掴むことで友理奈からなんらかの情報を得たのだろうが、それを察することができない人にとっては、葵はただのおかしな人に過ぎない。悲しみ混乱している友理奈たちを、これ以上苦しめることは見過ごせなかった。


「……ああ、ごめん、配慮が欠けていた。……友理奈さん。あなたを救うために、僕の話を聞いてくれますか?」


 真摯に見つめた葵に、友理奈が戸惑いながら頷いた。

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