第22話 葵と彼ら

 本村親子を連れて警視庁に戻った智輝は、捜査一課からの刺すような視線から目を逸らしていた。


「――娘は公園にぬいぐるみを取りに行こうとして、犯行を目撃してしまったのです。犯人に見られたかもしれません! どうか、娘を守ってください……!」

「もちろんですよ、お母様。警察が必ず紗世さんを守ります。……紗世さん、よく証言をしてくれましたね。とても助かりました」


 少年課の職員も呼んで本村親子の事情聴取が行われ、目撃者が見つかっていなかった事件捜査に、大きな進展が生まれていた。

 それには、智輝が提出した男の写真も役立っている。

 本村家に向かう途中で不審な男を目撃したと言い添えて、智輝が提出した写真。それを見て、紗世が「犯人はこの人だった!」と叫んだからだ。

 その瞬間の刑事たちの智輝に向ける視線は、今思い出しても震えるほどの鋭さだった。

 事件捜査に関わらない、しかも怪異現象対策課という窓際部署の新人が、難航していた事件捜査で最も功績を上げたといえるのだ。彼らの高いプライドを大いに傷つけたことだろう。


「いや~、よくやってくれたね、神田くん。なんとも清々しいくらい、彼らの鼻っ柱をへし折ってくれちゃって!」

「……勘弁してくださいよ」


 騒ぎに気づいてやって来た課長の木宮きのみやが、鼻歌を歌いそうなほど上機嫌で智輝を褒め、労うように肩を叩いてくる。

 それは更に刑事たちの悪感情を煽っているようで、智輝はげっそりと項垂れた。


「……葵さん、私、この後どうすればいいんですか?」

「そうだねぇ。警察は今忙しいみたいだし、暫くここで待つしかないかも。お腹空いてない? なにか買ってこようか?」

「ううん、大丈夫。……うーちゃん、早く洗ってあげたいです」

「うーちゃんは、紗世ちゃんと再会できて、十分嬉しいみたいだから、もう少し待っていてね」

「うん」


 あらかた証言は聞き終えたと、紗世たちは事情聴取から解放されていた。今は壁際のベンチで、警察の対応を待っているところである。

 紗世は返してもらったうーちゃんを手に、不安が晴れた様子で周囲をキョロキョロと見渡していた。

 紗世の母は、警察とのやり取りに疲れたように脱力している。


「葵さん、まるで保護者みたいだな」


 智輝も壁際に寄り、葵に話し掛けた。

 鋭い視線から逃げたわけではない。単純に、忙しく動き回る職員たちの中で、部署が違う智輝は身の置き所がなかっただけだ。


「全然誰何すいかされないんだけど、僕、紗世ちゃんのお父さんだと思われているのかな? 喜ぶべき? 悲しむべき?」

「葵さんがパパなら嬉しいですよ!」

「……本当のパパが悲しむから、止めてあげよう」


 複雑な表情を見せた葵に、紗世が喜びを全面に出して反応する。隣の母親が苦笑しているのも見えていないようだ。智輝の方が気を遣って、紗世の言葉を諌めてしまった。


「――おや、葵くんじゃないか。久しぶりだね。神田くんと上手くいっているようでなによりだよ」

「……お久しぶりです。木宮さんも、相変わらず捜査一課がお嫌いなようで、お元気そうでなによりですよ」


 一瞬、ピリッと空気が張りつめた気がした。

 親しげに声を掛ける木宮に対し、葵の態度は少々硬い上にトゲがある。

 思わず二人を見比べる智輝の前で、チグハグな態度の会話が続いた。


「君は僕の息子のようなものなのだから、いつでもうちに遊びに来てくれていいんだよ? 妻も喜ぶ」

涼香りょうかさんには度々連絡していますよ。この間いただいたきんぴらごぼうは美味しかったです」

「……それは僕の好物だ。僕には出されてない。何故だ……」

「さあ、どうしてでしょうね?」


 葵は木宮から息子のように思われて、家族ぐるみの付き合いがあるらしい。いったい、どういう関係なのか不思議だ。


「ああ、そうだ。君も関係あるから伝えようと思うが、上本かみもと朔也さくやにまた捜査が――」

「興味ありません」

「――相変わらずだね……」


 木宮の言葉を葵が冷たい表情で遮った。苦笑する木宮はその反応を予想していたようで、肩をすくめて話を止める。


「上本朔也……?」

「智輝が気にする必要はないよ」


 反復した智輝にまで冷たい視線が向けられ、思わず目を逸らし口を噤んだ。その名前は、葵の逆鱗に触れるものであるらしい。

 だが、智輝は何度もその名前を脳内で反芻した。どこかで聞いた覚えがある気がしたのだ。


「――そこの新人!」

「……え……は、はい!」


 不意に飛んだ声。辺りを見回すと、ちらちらと視線を感じ、呼び掛けられたのが智輝だと分かる。慌てて声の主を見て返事をした。

 捜査一課の古株、原西警視が厳しい表情で智輝を睨んでいる。


「こっちに来い!」

「はい――」

「ちょっと、原西、彼はうちの子なんだから、偉そうに指示出さないでよ」

「落ちこぼれたあんたに指図されるいわれはない!」


 素直に動こうとした智輝の腕を木宮が掴み、原西に言い返す。それに対して原西が更に怒鳴るので、場の空気がシンと静まった。

 智輝も二人の間に挟まれて、どうしたらいいか分からず視線を彷徨わせる。


「……市民がここにいること、忘れているのかな」


 静かになっていたからこそ、その声は大きく響いた。

 智輝はギョッとして葵を振り返る。氷柱のような目が原西に向けられていた。


「――詐欺師もどきは黙ってろ」

「ふふ、警察の体面も保てない人がなにか言っているなぁ。これは騒音としか言えないよ」


 怯えた様子の紗世を抱きしめ頭を撫でながら、葵が喧嘩を売るように呟いた。

 木宮に負けず劣らず、原西と仲が悪そうだ。葵が捜査一課の刑事と知り合いだとは知らなかった。


「……新人、刑事部は今手が足りん。お前が彼女たちを警護しろ。御大層な能力を借りて手柄を立てたようだし、お前でもそれくらいはできるよな? 暇だろ?」


 原西は木宮と葵を無視することにしたのか、智輝に指示した後はすぐに身を翻して捜査に戻った。

 捜査一課に木宮ほど悪感情がなかった智輝でさえ苛立ちを抱く態度だ。

 なによりも、警護対象がいる場でそのような態度をとるのが気に入らない。犯人を逮捕するのが一番重要で、その他のことは二の次三の次と言っているように感じた。


「あの……」


 原西が立ち去ることで次第に部屋は騒がしさを取り戻した。その中で、本村が躊躇いがちに智輝を見上げる。

 その顔には不安が色濃く浮かんでいた。彼女にも、原西の思いは伝わってしまったのだろう。

 智輝は心から申し訳なくなりながら、頭を下げた。


「騒がしくて申し訳ありません。警護は私が引き受けることになりました。ご不安もおありでしょうが、この命に代えても紗世さんをお守りします」

「……いえ、あなたが傍にいてくださるのが、一番安心です。だって、紗世が一番頼りにしているのはあなたたちですし、私たちのことを一番心配してくださっているのも、あなたたちなんですから」


 思わず本村を凝視した。

 本村は、葵に付き添われて落ち着いた紗世を見て表情を和らげたが、周囲を見渡すと不機嫌そうに顔を背ける。

 気まずそうな職員がそそくさと立ち去った。誰もが原西に同意しているわけではないのだが、どうしても上司に逆らえないのが、警察という上下関係の厳しい組織の悲しいところだ。

 智輝はそれについてはなんとも言えず、ただ頷いて本村に帰宅を促した。


「木宮課長、そういうことなので、暫く本来の職務から離れます」

「……まあ、仕方ないね。まったく、あいつはいつまでも経っても横暴で……事件さえ解決できればいいとか思ってるんだから、本当に気に食わない……」


 一応の報告をした智輝に、ため息混じりに呟いた木宮が、原西が去った方を睨む。

 木宮の捜査一課嫌いは、どうやら原西の在り方に理由がありそうだが、いったいどういう繋がりなのか。


「智輝ー、早く帰るよー」

「葵さんの家じゃないけどな!」


 紗世と手を繋ぐ葵から朗らかに促され、慌てて追いかける。

 警護は智輝しかいないのだから、あまり離れて行動しないでもらいたい。まだ警視庁内だから問題ないが、こういうところから気をつけておいてもらわないと、いざというときにミスが起こる可能性が高まるのだ。


「葵さん――」

「なぁに?」

「――いや、なんでもない」


 横を歩きながら声を掛ける。いつもと変わらない表情で見上げてきた葵に、智輝はなにも言えなくなった。

 この短時間で気になることばかりが増えたが、一番気になったのが葵のことだ。木宮との関係も、上本朔也への嫌悪感も、原西とのいがみ合いも。どれも智輝が知らなかった葵の姿だ。

 智輝がまだ知らない真実が、そこにはたくさん隠れていそうだった。

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