第21話 沈黙のワケ

 押収品として保管されているものの引き取りには、少々面倒な手続きが必要である。捜査終了前の押収品は、それが事件に関係ないと証明して返却を求めなければならないからだ。

 だが、今回のぬいぐるみは、一応事件現場から押収されたものの、拾得物に似た扱いを受けていた。置き忘れた経緯を説明し、所有権の証明さえできれば問題ないはずだ。


「――というわけで、できれば紗世ちゃんとぬいぐるみが一緒に写っている写真があるといいのですが」

「写真……少々お待ちくださいね」


 これから警視庁に行くと決めた本村に、手続きの方法を尋ねられた智輝はそう答えた。

 そして現在、写真を探す間を外で待たせるのは忍びないと言われ、リビングに通されている。

 ぬいぐるみの写真を握りしめた紗世は、少々焦れったい様子だ。だが、これが必要な作業だと分かっているためか、じっとソファで待っていた。


「紗世ちゃん」

「なんですか?」


 葵が声を掛けると、紗世が目を輝かせて答える。

 ここでも容姿が効力を発揮したのかと思えるが、おそらく紗世にとっては葵が理解者であるという部分が重要なのだろう。

 智輝ではこうはいかなかったのは確かだった。


「今日は学校は休み? 体調が悪かったりするのかな?」

「……ちょっと気分が悪かったんです。でも、きっと、うーちゃんが帰ってきたら、大丈夫……」


 紗世が写真を見つめて俯く。その姿には不安が溢れているように見えた。

 ライナスの毛布と言えるぬいぐるみが手元にないというだけで、これほどに不安を感じるものなのだろうか。幼い頃でも、そういったものを持っていた記憶がない智輝には、あまり理解できなかった。


「本当かなぁ? 紗世ちゃん、なにを怖がっているの?」

「……怖がってないですよ」

「なにが怖いのかなぁ。……公園で見たもの? ……あぁ、それもあるね。だけど――」


 葵の言葉に紗世が体を震わせた。

 公園で見たもの。

 その言葉に反応するということは、やはり紗世は犯行を目撃したのか。

 犯人の特徴などを聞きたいが、相手が未成年となると、少年課の職員の協力が必要かもしれない。大人に対してと同様の事情聴取はできないのだ。


 今後とるべき手を考えていた智輝の耳に、葵の言葉が滑り込む。


「――気にしているのはママの反応か」


 紗世の手が跳ねて、葵の袖を掴んだ。俯いたままの紗世の表情は窺えず、それでなにを伝えようとしているのか智輝には分からなかった。

 だが、葵は正確に読み取ったのだろう。宥めるように頭を撫でながら、優しく囁く。


「君は、見たものをちゃんと話さないといけないと分かっていた。でも、それはできなかった。……ママとの約束を破ったからだね。事件が起きたのは早朝。ようやく明るくなってきた頃で、子どもが一人で出歩くには早すぎる」

「……っ、うーちゃんがいなくて、寝られなかったのっ。だから、早く迎えに行こうと思って――」

「うん。こっそり家を出たんだね。でも、それはママとの約束を破ることだった。出掛けるときには声を掛けること。暗い時間に外に出てはいけないこと」


 紗世はぬいぐるみがないと気づいて迷っただろう。その時、外はもう暗くなっていた。だから、探しに行くのをなんとか我慢した。

 でも、寝られず朝まで起きていた。そして、少し明るくなった空を見て思ったのだ。もう暗くないから外に出てもいい。探しに行ってもいいのだ、と。

 だが、寝静まった家の中で、熟睡中の親に声を掛けることはできなかった。声を掛けたとしても止められると分かってもいた。

 そして、一人で静かに外に出た。

 その先で恐ろしい光景を目の当たりにするとも思わず。


「紗世ちゃんが抱えているのは、犯人への恐怖心と、ママとの約束を破った罪悪感。見たものを話せていないというのも心に引っ掛かっている。……辛かったね。よく一人で抱えていたね。でもね――」


 葵が紗世の頬に手を添えた。優しい仕草で紗世の顔を上げ、微笑みかける。


「もう抱えなくていいんだよ。ママには僕も一緒に謝ろう。きっと許してくれるよ。優しいママだもんね」

「……ぅ……ぁ……ああぁあっ……!」


 感情が洪水のように溢れだした。きっと限界ギリギリのところまで来ていたのだろう。

 胸に縋りつき泣く紗世を、葵が優しく抱きしめ撫でた。

 その姿を智輝は本村と共にじっと見つめる。話の途中から、本村が写真を手に戻ってきていたのだ。声を掛けようとするのを止めたのは智輝である。

 葵と一対一で話している方が、紗世が自分の心を吐き出しやすいだろうと思ったのだ。身近な人よりも、他人の理解者の方が必要な時もある。


「……私、紗世が、事件を、見たなんて、知らなくて……っ……」

「様子がおかしいことは分かっていたのでしょう。だから、学校を休むことを認めていた。相談してくれるのを待っていた。紗世さんは、その気遣いで十分救われていたと思いますよ」


 震える声で呟きながら紗世を見つめる本村を、智輝は宥めた。衝撃を受けているのは本村も同じなのだ。

 だが、更なる衝撃を与えると分かっていても、智輝は言わなければならないことがあった。それを申し訳なく思う。


 脳裏に朝の光景が蘇る。

 登校する子どもたちを確認していた男。彼が紗世を見つけたとき、なにが起こるかは想像に難くない。それは、警察として、一人の人間として、絶対に防がなければならない事態だ。


「……ご相談があります」

「なん、でしょう……?」

「ぬいぐるみを引き取りに行って、警察に目撃したことを話し、保護を願うのはどうでしょうか。――犯人が、紗世さんを狙う可能性があります」

「っ……!」


 本村が呆然と立ち尽くし、目を見開いた。智輝はその手から滑り落ちた写真を拾う。

 家族三人の写真だった。真ん中にいる紗世が、ぬいぐるみを抱いて幸せそうに笑っている。


「……警察は、助けて、くださいますか……っ。紗世は……紗世は、大切な娘なんですっ! 失いたくない……! 助けてくださいっ……!」

「全力でお守りします」

「お願いします……! お願いします……!」


 土下座するようにして声を張り上げる本村を支える。

 そこまで頼む必要はないのだ。警察が市民の命を守るのは当然の職務なのだから。


「ママ……黙っていて、ごめんねっ……!」


 紗世が泣きながら母親に抱きついた。


「いいのっ! あなたが無事なら、それでいいの……! でもね、もう黙って出掛けたりしたら嫌よ……? ママ、紗世が言うなら、一緒に探しに行くからっ……! なんでも、相談してほしいのっ……!」

「うんっ……ママ、ごめんねっ……ぅ……ぁああっ……!」


 抱き合う母子を見て、智輝は気合いを入れ直して立ち上がった。

 この命は絶対に守り抜かなければならない。


「――葵さん、ありがとう。俺だったら、こういうふうにできなかったと思う」


 傍に寄ってきた葵に囁く。心から感謝していた。

 そんな智輝に、葵は肩をすくめて微笑んだ。


「そうかな? 智輝なら、僕がなにかしなくても、結局同じようにしていたと思うけどね。それに、これから頑張るのは智輝の方でしょ。――彼女たちを、守らないと。その身も、心も」

「……ああ、そうだな。……捜査一課に怒られるんだろうなぁ」

「それは捜査一課の人間性が疑われるね」

「……あそこはプライドが高い人が多いんだ。俺、ペーペーだぞ……」


 智輝の冗談めかした泣き言に、葵が苦笑を漏らす。


「頑張りなよ、新人さん。出世街道からは遠ざかるかもね。今の部署の時点で、既に遠のいている気もするけど」

「……もともと出世するつもりはない。ほんとは、交番勤務を続けたかったんだ」

「それは初耳だよ! 智輝、交番勤務していたの? あ、警察って、みんな交番勤務から始まるんだっけ? 智輝の制服姿、見たかったなぁ。写真ないの?」

「あったような……なかったような……」

「曖昧すぎる! 絶対にあるでしょう? 実家に押し掛けてでも、写真見てやるからね。絶対、親御さんは持っているはずだもの!」


 騒ぐ葵の要求をいなしながら、智輝は母子を眺めた。二人が泣き止むまでには、もう暫く時間が必要そうだ。

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