第5話 情報収集は進む

 佐々木がサンドイッチを食べきり、飲み物に手を伸ばしたところで話を切り出す。


「それで、アパートでの騒音についてなんだが」

「ああ、あれね。半田はんださんと木村さんがめっちゃ言い合ってるやつ。大家さんも大変っすよね」

「半田さん……」

「二階の端の人。木村さんと空室挟んで隣っす」

「半田さんね……」


 先ほどの木村の話では名前が出てこなかったと、メモを取りながら頷く。


「大家さんは心霊現象だとか言っているようだけど」

「そうらしいっすね。空室のとこ、元々住んでたおじいさんが、孤独死したんで。それまでは、大家さん夫婦がなにかと面倒を見てたんですけど、ちょうどその頃奥さんが体調崩して入院して忙しくしてたから、気づくの遅れたんですよ。結局、通報したの俺っす」

「そうなのか……」


 木村は自責の念がどうとか言っていたが、客観的に考えると、大家に責められる点はない気がする。むしろ独居老人の面倒を見ていたのは、褒められてしかるべきだ。

 佐々木も智輝と同じ思いなのか、大家を気の毒がる口調だ。


「普通、隣人の方が先に気づくと思うんですけどね。木村さん、ほとんど家にいるんすよ。なにしてる人なのか分かんないけど」

「……まあ、色々あるんだろう」


 智輝の手元には、木村の情報もきちんとあった。それによれば、木村は生活保護をもらって生活している無職だ。


「音について、君は気にならなかったということか?」

「あんまり。俺、バイトと勉強で忙しくて、アパートには寝に帰るだけなんで。今日はたまたまバイト先が臨時休業になった上に、レポートとかもなかったから、引っ越しの準備でもしようかと思って早く帰ってきただけなんすよ」

「あー、そうか。気にしないで寝られる程度の音……と」


 メモに書いて、他に聞くことを考える。佐々木に聞くのが、アパートの住人の中で一番客観的な意見をもらえる気がした。


「――勇二くんも、音は空室から聞こえると思う?」


 不意に葵が口を開いた。事情聴取は警察の仕事と判断しているのか、葵は木村の時はずっとだんまりだったが、なにか気になることがあったらしい。

 佐々木が葵を見てから、初めて難しそうに顔を顰めた。


「……みんな、あの部屋が原因だって言うんで、俺がこう言うのも気が引けるんですけど……。俺、あの音はただの建物の悲鳴だと思うんですよね」

「悲鳴?」


 意外なことを言い出した佐々木を見つめる。苦笑した佐々木が、飲み物で口を潤してから話を続けた。


「あのアパート古いじゃないっすか。俺の実家も古いんでよく分かるんすけど、木造の家って経年劣化できしむんですよね。鉄もびて凄い音するし。水道管とか色々、あのアパートは劣化が酷いんだと思います。見たまんまですけど」

「確かにあの建物古すぎるよね」


 葵が同意すると、佐々木がホッとした様子で表情を和らげた。


「正直、ちょっとした地震で倒れそうっす」

「うん、危ない。あれは、近隣の人もどうにかしてくれって思っていそう」

「あー、そういうの聞いたことあります。耐震基準? っていうの、満たしてないから危ないって、ご近所の奥さんが話してました。台風の時とか、屋根が飛んできたらどうすんだって怒ってるおじさんもいましたね」


 なかなか、大家を取り巻く環境は厳しそうだ。整備するにも、家賃が低いようだから難しいのだろうが。


「……建物の劣化が原因の可能性、と」


 メモをとりながら思考を巡らせる。

 大家は心霊現象だと言う。木村はよく分からないが対処しろと言う。佐々木は建物の問題でどうしようもないと言う。


「ここで一番疑問なのは、大家の心霊現象発言だよなぁ」


 ペン先でメモを叩きながら呟く。


「だよね。……霊がいないわけではなさそうだけど」

「……え?」

「おお? もしや葵さんって、そういう感じの人?」


 佐々木が面白いと言うように身を乗り出した。それに対して肩をすくめた葵が「言うほどのものじゃないけどね」と返す。


「そうなんすね。あそこ、どんな霊がいるんすか?」


 佐々木は霊能者などに偏見がないのか、葵の発言をすぐに受け入れたようだ。


「さてね。いる気はするけど、まだ姿は見ていないから」

「へぇ……おじいさんじゃないといいなぁ」

「なんでだ?」


 意外な言葉に聞こえて問うと、佐々木が肩をすくめて苦笑した。


「だって、独りで寂しく死んだ上に、死んでからも独りで誰にも見てもらえないんでしょ? 可哀想じゃないですか。あのおじいさん、葬式してくれる人もいなかったみたいだし」

「それじゃあ、火葬だけ?」

「そうっす。一応、火葬場には大家夫婦が同行したらしいですけどね」

「……面倒見がいい人たちなんだな」


 今時、そこまでしてくれる人もそういないだろう。大家たちの優しさが、もしかしたら自責の念を生んでいるのかもしれない。


「大家さんの奥さんも半年くらい前に亡くなってますけどね」

「あ……そうなのか。そういえば、入院がどうとか言ってたな」


 新たな情報がもたらされて、再びメモをとる。


「その入院の頃に、がんの告知があったって聞きました。奥さん、余命宣告されてたらしくて、最後はアパートでって言って、戻ってきたらしいですけど」

「君は奥さんと仲良かったのか?」

「そうですね。凄くいい人で、ご飯とかお菓子とか、食べなさいってよくくれてました。困ったことがあったら、気軽に相談してくれていいんだからねって、凄く親身で」


 佐々木が寂しそうに言う。独居老人とはさほど繫がりがなかったのか、亡くなったと話した際も淡白な言い方だったが、この時は違った。


「そうか……」


 少し場がしんみりとしたところで、どこかからスマホが鳴る音がした。胸元を確認したが、智輝のものではない。


「――あっ、と……。編集くんだ。ちょっと抜けるね」


 葵がスマホを片手に席を立った。なんとはなしに、その姿を目で追う。

 外で見ても、葵は周りから浮くような美人だった。


「……編集? 葵さんは警察じゃないんすか?」

「ああ、悪い、言ってなかったな。協力してもらってる小説家なんだ」


 葵は小説家として別名で仕事をしているようだから、言っても問題はなかろうと判断した。

 佐々木が興味深そうに目を輝かせて、葵の姿に目を向ける。


「なんかイケメンだし、雰囲気が浮いてるっていうか、地に足がついてない感じで、警察っぽくないなって思ってたんですけど。……そっかぁ、小説家かぁ、すげぇなぁ」


 感嘆のような言葉に内心で同意する。智輝も初対面で同じことを思った。


「あ、神田さんもイケメンっすよ。硬派な感じですけど」

「別に俺を持ち上げようとしなくていいんだぞ?」

「いや、嘘じゃないっすよ! 最初に見た時、ドラマの撮影かなってちょっと思いましたもん」

「それはどう考えても言いすぎだ」


 お世辞がすぎる言葉に苦笑しながら、戻ってきた葵を迎えた。少々厳しい表情に見える。なにかトラブルがあったのかもしれない。


「中座しちゃってごめんね」

「いや、大丈夫だが……葵さんの方こそ大丈夫なのか?」

「う~ん、大丈夫と言えば大丈夫。ちょっと、書き直し食らっただけだから」

「……全然大丈夫じゃないだろ。帰るか?」

「帰らない。やりたくない。するつもりない」

「夏休み明け目前の子どもか」

「……ちゃんと、締め切りには間に合わせるよ。大丈夫。編集くん、僕のことよく分かっているから。伝えてくる締め切りに余裕があること知っているし」

「編集者泣かせだな」


 呆れて呟いた。

 夏休みの宿題を計画的にこなしていたタイプの智輝には、よく分からない感覚だ。


「お二人、面白いっすね」


 佐々木がケラケラと笑って、グラスの中身を飲み干した。

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