第4話 隣人の事情
「早く解決してちょうだいねっ!」
「鋭意努力します」
追い出されるようにして木村の部屋を出た智輝たちは、隣の大学生の部屋を目指した。まだ部屋から出た音はしなかったので、在宅のはずだ。
「彼女、なにか隠し――」
「隣にも話を聞こう」
葵の言葉を遮り、目で木村の部屋の扉を示した。そのすぐ近くに人の気配が留まっていることを、智輝は把握していた。まるで監視されているようだ。
無言で頷いた葵が、そっと隣の部屋の呼び鈴を鳴らす。
木村に聞かれている状態で、どれだけ情報を引き出せるか。そもそもこの部屋の大学生は、どれほど今の状態を把握しているのだろうか。
「――はい」
チェーンが掛かったままドアが開けられた。ボロいアパートに住んでいるにしては、防犯意識が高い若者だ。……智輝とそう年齢は変わらないだろうが。
「警察です。このアパートの騒音トラブルについて捜査しています。少しお聞きしたいことがあるのですが、ご協力願えますか?」
「……ああ、はい、いいんですけど――」
大学生の目が隣に向けられた。木村の様子を窺っているようだ。
「――俺、これからバイトなんで、移動しながらでもいいっすか」
「もちろん、ご迷惑はお掛けしませんので」
大学生が
智輝は密かに葵に目配せした。微かに頷いた葵が、大学生に向かってにこやかに話し掛ける。
「彼に車で送ってもらう感じでもいい? 幸いなことに、パトカーじゃなくて、普通の車の見た目だから目立たないよ」
「……パトカーの方が、珍しい体験で面白かったかもしれないっすね」
葵の柔らかな雰囲気は、大学生の躊躇いを和らげたらしい。
冗談にのる感じで笑うと、「すぐに準備してくるので待っていてください」と言って部屋の中に消えた。
「……よく分かったな」
目配せの意味に気づいてくれた葵に、感謝を伝えるつもりで
そんな智輝に笑った葵が、耳元に口を近づけてきた。
「智輝、
「……なあ、知ってるか。あの子と言うが、俺たち、彼とあまり歳は違わないはずなんだよ」
智輝が窺い見た葵の表情は、恐ろしいほどに真顔だった。
「――こうやって、僕たちはおじさんになっていくんだね」
「さすがにそれはまだ早い。……そうあってほしい」
十代の子から見たら、二十代は十分おじさんなのかもしれないと気づいて、自然と語調が弱まった。
「……まあ、あれだ。学生と社会人の差」
「それだ。その差は大きいね」
なんとか心を
◇◆◇
「――二十代はおじさんじゃないと思いますよ?」
「ぶふっ」
車に乗り込んだ途端言われて、智輝は思わずハンドルに突っ伏した。横目で窺った葵は、恥ずかしそうに両手に顔を
「聞こえていたんですね……」
「バッチリと。あのアパート、マジで壁薄いんで。防音性能ゼロに近いっすよ」
アパートから離れた大学生は、先ほどまでが嘘だったように
アパートの窓から、木村が智輝たちの車を見ていた。
滑らかに車を発進させた後は、しばらく流れに合わせて進める。大学生はさほどバイトに急いでいるわけではなさそうだった。
「俺、
「あまりからかわないでほしいですね」
「あ、敬語いらないっす。なんか年上のお兄さん的印象になったんで。警察って考えると、ちょっとおっかなかったんですけどね」
「……褒め言葉として受け取っておこう。俺は神田智輝。こっちは榊本葵」
二度目の敬語抜き要求は、今回は相手が年下だったこともあり、すんなりと受け入れられた。一度目の相手にも、既に慣れてきた気がするが。
「バイト先はどこ?」
とりあえず聞いた智輝に、佐々木がまさかの答えを返す。
「いや、今日バイトないっす」
「……は?」
「へぇ……嘘ついて出てくるくらい、あそこで話したくなかった?」
「そうっすね。監視されてるみたいに感じるんで」
それは智輝が抱いた印象と同じだった。つい、思い浮かんだままに感想を漏らす。
「……正直、よくあそこに住んでられるなと思う」
「安いからっすよ。って言っても、バイト代貯まってきたんで、そろそろ出るつもりですけど」
「それは良かったね。あそこ、君には合ってないと思うよ」
「家に合う合わないがあるんすか? 榊本さん、面白いっすね」
「あ、僕のことは葵と呼んで」
「じゃ、俺は勇二で」
意気投合した様子の二人の気配を窺う。きちんと話をするためにも、どこかに車を停めたいと探したら、カフェチェーン店の傍に駐車場があった。
会話を楽しむ二人に声を掛けず、運良く空いていた所に駐車する。
「ここで話すの?」
「いや、そこのカフェに入ろう」
「奢りっすか?」
「ふふ、僕がいくらでも
「葵さん、太っ腹~」
「結構お腹は引き締まっている方だよ?」
「そうじゃないだろ」
思わず会話に割り込んでしまった。
確かに葵は引き締まった体躯だと思うが、筋肉質というよりは単に痩せ型なだけだ。いかにもインドアな雰囲気が漂っている。
「冗談だよ。あ、奢るのは本当ね」
「俺が払う」
「経費で落ちなくない?」
「落ち……なくも、ないはず……」
「やっぱり僕が払うべきだ。ここは年上に任せなさい」
こんなときばかり年上を主張する葵を、横目でジロリと睨む。
コーヒーを奢るくらい、いくら薄給と言われる警察官だって問題ないのだが。
そんなやり取りをしている智輝たちを、佐々木が面白そうに見比べていた。
「葵さんのが年上なんですね。意外っす」
「なに、僕の方が若いって? 智輝、ちょっと雰囲気が堅いもんね」
「うるさい」
からかう葵の口をふさいで、智輝は佐々木をカフェへと促した。
呪文のような飲み物を注文した佐々木は、大層機嫌が良さそうだった。どうやらずっと飲みたいと思っていた物だったらしい。大振りのサンドイッチも奢ってもらい、席に着いた途端かぶりついている。
「普段外食とかしないんで、マジ嬉しいっす」
「いつもはなに食べてるの?」
「基本賄いっすね。朝のバイトの時に朝飯もらうし、なんなら昼飯を弁当箱に詰めてもらうこともあります。夜も当然賄い。だから、食費ほとんどかからないっす」
「飯は食えても休みが無さすぎないか?」
明るく言う佐々木だが、懐事情は厳しいらしい。朝も夜も働き、昼は大学に行くとなれば、体に負担が大きそうだった。
「仕方ないっすよ。金ないんすもん。ほら、若い時の苦労は買ってもせよとか言うっしょ?」
「……仕送り、ないんだったな」
「木村さんから聞きました? あのアパート、電話で話したこととか、マジで筒抜けですからね。しかも、あの人聞き耳立ててるっぽいし」
「ストーカーじゃないか」
「立証が難しいっすよ。そもそもアパートの構造の問題があるんで。なんか機械とか使って盗聴してたら訴えられますけどね」
なかなか難しい問題だ。思わず葵と視線を交わして顔を顰めた。そんな智輝たちに対して、佐々木は軽く言い放つ。
「だから、引っ越すんですって。バイト先の人が、知り合いのとこ安くで紹介してくれたんすよ」
「そうか、それなら良かった。もし迷惑行為が続くようなら、相談してくれてかまわない」
テーブルに名刺を滑らせる。
相談なら交番なり警察署なりに直接赴くのがいいのだが、男性のストーカー被害というのは、なかなか相談しにくい場合が多いようなのだ。
佐々木は物珍しそうに智輝の名刺を見つめた後、おしぼりで指を拭い、大切そうに持ち上げて財布に仕舞った。
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