第3話 相談ごとのあらまし
葵との初対面をなんとかこなした智輝は、次の日、相談者のアパートに向かっていた。
相談者に直接話を聞きたいと連絡したところ、「じゃあ明日!」と強く言われたのだ。早期の解決を望むほど、精神的に参ってしまっている様子が窺えた。
「――ここが
車の運転席から降りながら、葵に伝える。智輝では持ち得ない視点でアパートを見てもらうため、葵にも一緒に来てもらっていた。……霊能者の能力とか、心霊現象というものを信じたわけではないが。
原稿の締め切りを終えて、睡眠不足も解消されたらしい葵は、軽い足取りで車を降りると、腕を組んでアパートを眺めている。
「へぇ……なんというか、
「ただボロいだけだと思う」
なんとか表現を和らげようとしたのだろうが、アパートに対する評価は智輝の方が適切だった。
アパートは木造二階建て。外に階段がある造りで、錆びついた階段がいかにも危なげだ。それに、防犯のぼの字もなさそうな様子である。
「土地はそれなりにいいんだけどねぇ」
葵が周囲を見渡して呟く。
綺麗で大きな家が建ち並び、適度に自然があるこの地域は、智輝から見ても、確かに余裕がある者向けの
「……こんなおんぼろで、地価が高いと大変だな。固定資産税がバカにならない」
「それはあるね。多分昔からここに土地を持っていたんだろうけど……。これなら建物を壊して土地を売った方が、遥かにいい収入になるだろうな」
葵の言いように智輝は肩をすくめる。
そう分かっていてもできないしがらみが、人には
そんな智輝の思いは口に出さずとも伝わったのか、葵が口元に苦笑を刻んで言葉を続けた。
「ま、僕が言っても仕方がないことなのは分かっているよ。……それに、僕が言ったいい土地っていうのは、そういう意味じゃないしね」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
曖昧な言葉を聞き咎めて尋ねると、葵が困ったように首を傾げる。
「……きっと智輝が信じない話だよ」
視線が
協力者についての資料では、榊本葵の霊能者としての能力は、霊を見て、聞いて、
それは霊能者として当然なのではと智輝は思っていたが、一口に霊能者といっても能力は様々らしい。見えても祓えない者もいると聞いた時は、その能力がなんの役に立つのかと首を傾げてしまった。
また、その資料では、榊本葵は思念を読み取る能力を持っているとも注記してあった。それは他の協力者にはない能力らしい。
それはどういうものなのかと、智輝は首を傾げるしかなかった。早い内に把握しておきたいものだ。
さて、そんな霊能者として優れているらしい葵だが、その発言の全てを智輝が信じることはできない。木宮からも信頼しすぎるなと釘を刺されていた。
結局、霊能者の感覚によって認識される世界は、智輝が認識している世界とは違うのだから、と。
「……なにが見える?」
だが、智輝は追求した。驚いた顔で振り返った葵の胸に、指を突きつける。
「俺は警察官で、問題を解決させたいと思って、今ここに来ている。葵さんが察しているように、正直、霊とか怪異とか、そういう俺の目に見えないことは簡単には信じられない。だからといって、それがあるかもしれないという可能性から目を逸らすのは違うだろ。その可能性を追求することが、問題の解決に繫がるならば、俺は警察官としてそれを全うするだけだ。……俺の、警察官としての
なんだか無駄に熱く語ってしまった気がして、おずおずと指を下ろした。それでも、葵を
目を見開いていた葵が、不意に笑みを浮かべる。
「――本当に、変わらない……」
「え……?」
小さな声だった。どこか
そのような目を向けられる心当たりがなかった智輝は、当然戸惑いで首を傾げた。
「どこかで、会ったことでも……?」
「いや、なんでもないよ。……ここになにが見えるかだったね」
誤魔化された。そう悟ったが、葵の表情がそれ以上この件について聞くなと言っているように見えて、諦めて話の続きを待つ。
「――ここは、古くから自然がある土地だ。まだ、土地の力が生きている。こういうところはね、悪いモノは留まりにくいんだよ。土地自体に浄化の作用があると言えばいいかな」
「浄化の作用……」
葵の視線を追う。智輝の目には、どこにでもあるような普通の住宅街にしか見えなかった。
「ということはだね、ここで起きる心霊現象とやらが真実か、ひどく怪しい」
「……なるほど、それは興味深い意見だ」
霊能者が心霊現象を否定することもあるのかと、智輝は新鮮に感じた。メディアで見る霊能者という者は、なんでもない場所でも霊だ呪いだと騒ぎ立てるものだと思っていた。
真面目に頷いて受け入れた智輝を、葵が笑みをたたえた顔で眺める。
「……なんだ?」
「いや、面白いな、と思ってね。智輝は非常に理性的だ。感情を優先することはある?」
「俺をなんだと思っているんだ……」
思わず憮然としてしまう。葵が控えめな笑い声を上げた。
◇◆◇
「ずっと、変な音がするのよ」
生活安全部に相談してきた
二階にある四室の内の一室。キッチンと風呂場と
今年四十歳になるという木村は、ここに住んで五年になるらしい。
「……その音はいつから聞こえるようになりましたか?」
「半年……いや、もう一年くらい経つかもしれない」
あまり清潔とは言い難い部屋の惨状に、顔を
基本的なことは最初の相談時に聞き取った調書があったが、智輝が実際に聞いた情報ではない。事件を捜査する上で、情報の
そんな智輝を興味深げに見る葵は、いささか現在の状況に不満を抱いているようだ。
「……汚いなぁ」
小声の文句を視線で
その様子を横目で確認しながら、智輝は質問を重ねる。
「音はどんな音ですか?」
「どんな? ガリガリとか、ギシッとか、ジーとか……とにかく不快な音よ!」
「今もその音がしますか?」
「……してないでしょ! あなたもここにいるんだから、そんなこと聞かなくても分からないのっ!?」
「すみません、確認ですので」
「まったく……これだから、警察は……」
メモに『不快な音』『幻聴、耳鳴りの可能性?』と書き込む。
「その音を聞くのは、あなただけですか?」
「空室を挟んだ向こうの男も聞いてるわよ。あいつ、毎回私が立てる音じゃないかって文句言ってくるんだから! ほんと迷惑!」
「そうですか。……その方は、いつ頃ご在宅か分かりますか?」
「大体二十時頃には帰ってくるんじゃないの。朝は七時前には部屋を出てると思う。土日はどっかに出掛けていることが多いはずよ」
「なるほど」
不意に外廊下を人が歩く音がした。続いて隣の部屋の扉が開く音。
このアパートは智輝の予想以上に壁が薄い。全ての生活音が丸聞こえになっているようだ。
音が聞こえた方を指さしながら、木村に聞いてみる。
「……こちら側のお隣は何も言っていないのですか?」
「ああ、今日は珍しく早く帰ってきたようだけど、彼、大学生なのよ。しかも、仕送りなし。学費と生活費のためにバイトをたくさんしてるみたいで、ほとんどこのアパートにいない感じね。帰ってきてもすぐ寝てるみたいだから、音には気づいてないかも」
「なるほど」
苦学生というものだろう。ちょうどいいタイミングで在宅のようなので、話を聞いてみたい。
そのために智輝は質問の締めに入った。
「――では、大家には心霊現象だからと対処を断られたそうですが、大家が騒音を心霊現象と言った理由に心当たりは?」
尋ねた途端、木村が気まずそうに顔を
「……一年前に隣のじいさんが死んだの。その最期の頃を面倒見たのが大家たちだったから、自責の念でもあるんじゃないの」
「自責……」
「結局、孤独死だったから。面倒見きれなかった自分が恨まれてるとでも思ってるのかも」
木村はなにかを隠しているように感じる。そのなにかが分からず、智輝は眉を
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