第5話 テレビ事変

▼▼▼


 チャラララ、チャラチャチャ、チャ~ン♪


 爽やかな、しかしカタカナで表してみると間抜けとしか思えない感じのメロディ。


 ニュース番組の始まりを告げる音楽。

 どうやらちょうど7時になったらしい。


 いま居る玄関から、ダイニングキッチンを通り過ぎたその奥、リビングとして使っている部屋。そこにテレビがあるのだが、すりガラスの扉ごしに、その音と光が伝わってくる。


 でも、なぜ勝手にテレビの電源が入ったのか……? 


「……サクラ。お前がテレビのタイマーを……」


「するわけないでしょ」


「……だよな」


 突然に起こった、些末だけどもそれなりに不可解で不気味な出来事を処理すべく、脊髄反射的に自分で納得出来そうな理由を想い浮かべて口にしてみたけれど、全部言い終える前に否定されてしまった。


 まぁ当然っちゃ当然である。


 サクラがそんな事をする理由がコレっぽっちも無いのは、少し考えりゃ分かることだ。


『おはようございます。〇月×日。午前7時になりました。ニュースをお伝えします。ロシアによるウクライナへの侵攻を受け、日本政府は……』


 この場の雰囲気に全くそぐわない、緊迫した国際情勢に関するニュースが、淡々とした男性アナウンサーの声によって届けられる。


 今日も世界は大変だ!


 その『大変さ』は、いまこの俺たち2人の前と間に横たわる問題の比ではない。いや、もはや比べること自体がおこがましいほどに深刻で壮大だと言えるだろう。


 アナウンサーのテクニカルに淡々とした口調が、その『大変さ』をより強調して伝えてくる。

 

(平和ボケしきった日本の片隅で、こんな男女の矮小な問題&ドアが開くとか開かないとかいう、くっだらない理由で揉め倒してて、ホントすいません!)


 誰にともなく、そう詫びたい気持ちにさせられるほどに。

 

 さしあたっては、淡々としたアナウンサーに「すみません」と、頭を下げたくなるほどに。


 だけど。

 ああ、だけど。

  

『でも、こっちはこっちで、それなりに大変なんですよ!』


 と、いっそ逆ギレてもやりたくなる。

 

 なんなら淡々としたアナウンサーに詰め寄って、そのネクタイを掴み、横っ面の一発も引っ叩いてやりたいとすら思う。


 そっちも規模の大きい『生きるの死ぬの』やってんだろうけど、こっちだって等身大の俺たちサイズで『生きるの死ぬの』やってんだぞ! と。


 規模も理由も違うけど、それでも同じ命でしょ! そっちも人権だけど、こっちも人権なんだぞ! と。

 

『澄まし顔で淡々としやがって!』


 最後にはそんな暴言の一つも吐き捨ててやりたい。


『受信料、もっと安くしろよ!』


 どさくさに紛れて物申してみたりもしたい。


 途端にスタジオ内は騒然となり、頬を張られた司会アナは泣き崩れ、アシスタントの女子アナは取り乱し金切り声をあげ、スタッフは俺を取り押さえようと飛び掛かってきてそれを迎え撃っての大立ち回りで……。


「音、うるさ……」


 そのサクラの一言で、瞬時に俺は現実へと引き戻された。


「……おお」


 思わずハッとしてしまう。

 

 先刻のメンヘラ理解勢との妄想押し問答じゃないが、俺はどうやらまた僅かな時間の間に、『自分の脳内世界』にトリップしていたようであった。


(あぶねーあぶねー。いや、マジでシャレになってないな)


 我ながら少々困った癖だと思う。


 この妄想癖。

 または、ある種の現実逃避。


 俺の幼い頃からの悪癖で、これまでもコイツのお陰で何度となく失敗をやらかしてきたのだ。


 だが今はそのことを思い悩んでいても仕方がない。気持ちを切り替えて目の前の事に対処しよう。なにしろ、さっきから問題は何一つ解決していないのだから。

 

 ドア事変に続いて、今度はテレビ事変。


(まったく今朝は何だってんだ……)


 どうしてこうも立て続けに訳の分からないことが続くのか? ただでさえ昨晩というかほんの数時間前までサクラとやり合って、身も心も疲弊しきっているというのに。


 そして見れば、相変わらずと言うか、やっぱりサクラは動かない。


 音の大きさにも文句を垂れただけで、それを自分でどうこうしようという気はまるでないらしい。テレビについても『アンタのテレビ』理論で押し通すつもりなのだろう。


 そんな彼女の動かなさに呆れていると、まじまじと見られていると思ったのか、『なに?』とばかりに険しい目つきで見え返してくる。


(なに? じゃねぇよ、ちったぁ自分で動けボケが)


 しかし俺は大人なので、そんな思いを3割ほどしか顔には出さず、残り7割は肩をすくめてやり過ごし、そしてサクラから視線を引き上げ、テレビのある方へと向き直った。

 

 それにしても随分テレビの音量が大きい。

 

 音量30、いや40くらいまでいっているのか。

 普段は音量15くらいで、ここまで大きな音に設定などしていないのに、どうしてこんなに大きいのか? 

 

 (テレビが壊れた? それともまさか、俺が気付かない間に、誰かが部屋に忍び入ってたとか?)


 それこそ『まさか』だと瞬時に思い直し、でも少し薄気味悪く思いながらも、俺はキッチン前を通ってすりガラスの戸を開け、テレビの置いてある部屋へと足を踏み入れた。


 かくしてそこには、刃渡りの長い牛刀を右手に提げ、左手で忙しなくテレビのリモコンをカチャカチャいわせている背の高い男が、ニタニタとイヤラシイ笑みを浮かべ佇んで……は、居なかった。

 

 そりゃそうである。


 ドア、テレビと続いて、これで部屋に見知らぬ男でも居ようものなら、完全にサイコホラーだ。


 そして仮にサイコホラーであったなら、俺はおそらく第1被害者として犯人にその身を供されるポジションであったろう。


 それは実に勘弁願いたいところであって、結果としてシリアルキラーがテレビ前に佇みつつ、リモコンをカチャカチャやっていなかったことに心底安堵する。


(ヒッチコックとか、マジで怖いから)


 などと古い映画に思いを馳せつつ、俺はローテーブルの上にあったリモコンを手に取り、電源を消そうとスイッチを押した。


 しかし、リモコンが作動しない。


 ん? と思い、2度3度電源ボタンを押したがダメ。

 それならせめて音量をと思い、音の「小」ボタンを押すが、そちらも反応なし。

 

 さすがにおかしいと思いって他のボタンを押したり、リモコンの裏蓋を外して電池をコロコロしてみたが結果は同じだった。


「昨日までは動いてたのに……」


 舌打ちまじりにそう口にした時。

 またも唐突に、テレビ画面に変化が生じた。

 

 画像が、淡々としたアナウンサーの姿から切り替わり、あの色見本のような深夜帯に見掛ける画面、いわゆる『試験放送の画面』というやつになり、そして音も掻き消えた。


「へ?」

 

 そして、おやと思った次の瞬間には丸に囲まれた「5」という文字が現れる。ついで「4」、「3」、と表示されてゆき、これはカウントダウンなのだと理解する。

 

 ではその先に何が映し出されるのか……と身構え、事の成り行きを見守っていたら、今度は音も無く、画面がブラックアウトしてしまった。


「……なんだよ、それ」


 肩透かしを食らったようで、思わずツッコミを入れてしまう。

 

(今頃になって電源が切れた? いやでも……)


 ディスプレイの下部、電源ランプは『入り』を示す緑のまま。つまり画面は真っ黒ではあるが、相変わらず電源は入っているわけだ。


 そしてその『真っ黒』には、何だか違和感があった。


 ディスプレイが無信号状態でただ点いているだけ、という、あのレコーダーなど外部機器の電源を入れた直後にタイムラグで起こる『何も映し出さないテラテラした布っぽい黒』状態なのとは違って。


 画面の向こうにあるであろうカメラは、たしかに『何か』を映し出しているのだ。ゆらぎと言おうか空気感というべきか、とにかくそういったものが画面から感じられるのが、その証拠だろう。


 画面いっぱいに映し出された、何か『真っ黒い』もの。


(なんだ? 何が映ってるんだ?)


 いつの間にか俺はテレビの前に膝を付き、食い入るようにして画面を見詰めていた。


 30秒?

 1分? 

 もっと長かったかも知れない。


 とにかくジッと画面を見つめ続けていると、少しずつ、本当に少しずつだけ、カメラがズームアウトしていっている事に気付いた。


(お。もうちょっとすれば、もしかして変化が……)


 果たして、画面に変化が訪れる時がやってきた。


 黒の次に、白が映し出された。


 より正確には、黒い正円の円周を、細い白線が縁取っている図形が見えたのである。それから更にすぐ、画面上部に茶色、下部にまた黒が、正円を挟むようにして加わった。


 そして、その状態でまた画面のズームアウトが静止する。


(え? なにコレ? どっかの国旗とか……?)


 いくつか知っている国の国旗を思い浮かべてみるが、そのどれにも該当しない。いや、そもそもマイナー国の国旗なんて知りもしないのだが。


(スマホは……布団か)


 とりあえず気になった事はすぐにググってみようの精神で、スマホを取りに布団のある部屋へ戻ろうとした。


 ――そのとき。


「おっっっはよぉおおおおおお、ございまぁああああああああああああああああああああっっっす!!」


 鼓膜を破るような、大音量かつ甲高いアニメ声での朝の挨拶が、部屋中に響き渡ったのである。

 

 思わずビクリと身を縮め、テレビの方へと振り返る。


 すると、さっきまでの動きが嘘だったかのように、急速なスピードでもってカメラがズームアウトする。

 

 果たしてそこに、映し出されたもの目にして、俺は唖然とした。


「す、すずめ……?」


 思わずマヌケな声で呟いてしまった。

 

 なぜなら画面に映し出されたものが、マヌケな声でしか表現できないような存在であったからだ。


 映し出されたのは、教育番組で使われるような、なんと言えばいいのか、そう、おそらくは『着ぐるみ』だ。


「すずめ……の、着ぐるみ?」


 そのすずめと思しき『着ぐるみ』のキャラクターは、ブンブンと嬉しそうい手(いや翼か?)を上下に振りながら、俺の言葉に呼応するように「ちゅんっ!」と、一声鳴いたのであった。

 

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