第4話 アンタの事情に巻き込まないで!

▼▼▼


「……知らないわよ」


 ポツリと答えたサクラの言葉は、ここまでの苦労になんら見合わぬものなのだった。


「はぁぁ⁉ 知らないってどういう……ことだよ」


 つい反射的に語気を荒げてしまいそうになるのを、語尾の辺りで辛うじて抑え込む。


 ここでまた荒ぶってガチャガチャし始めたらなら、再びフリダシに戻ってしまう。


(それじゃ、『阿呆といっしょ』だ)


 阿呆といっしょは嫌なので、俺は咳ばらいを一つ、そして極めて穏やかな感じにあろうと気持ちを落ち着かせ、改めてサクラに向き直って言った。


「いやねぇ、サクラさん」


 加えて、まだ玄関口にへたり込んだままの彼女に『お立ちになりませんか?』とばかりに手を差す。


「……」


 サクラは俺の手を忌まわし気に一瞥しただけで、それを取ろうとはせず、自力でその場に立ち上がった。


 俺は無視され所在を無くしたマイ右手を自らの頭頂部に乗せ、低姿勢さを演出させる役割にシフトチェンジさせつつ言葉を続けた。 


「ホラ。何かあるんじゃないかなぁ? あると思うんですよねぇ。ちょっとした、あの、気付いた事とかで良いんですよ。ね?」


 ついでに声音も猫を撫でる感じにチェンジしてみたら、何故だか揉み手してご機嫌を伺う胡散臭いセールスマンのようになってしまった。が、そこはもう気にしたら負けだ。


(とにかく何でも良いから情報を引き出さなくちゃ始まらねぇ)


 下手に出ることで問題解決の糸口を掴めるのなら、それくらいお安い御用である。揉み手でも営業スマイルでも、惜しみなく繰り出そうというものだ。


「頑張って思い出してみましょうよ。ね? 何か、『コレ』ってのが、あったりしたでしょ?」


「……だから、何も知らないって」


 しかしせっかくの努力は奏功せず、むしろ急激に変わった俺の態度に訝しむような眼差しを向け、素っ気なく同じ答えを口にするサクラ。


(おのれ……人が下手に出てやってるというのに!)


 営業スマイルに固定した頬が、ピクッ、と引きつるのを感じたが、それでもなお諦めず低姿勢を維持する。


「でも、でもさすがに『何も』って事はないでしょ?」


「『何も』、だってば」


 更に頬が鋭くピクッ。


「いやいや、何かちょっとぐらいあったり……」


「ちょっとも、ない」


 眉のあたりもピククッ。


「ホ、ホントーに?」


「ホントーに!」


 ピクッ、が、ビキッ、に進化。


「嘘で、なくぅうう?」


「嘘でなく!」


 ビキビキビキッ。


「でも」


「ミキト、しつこい!」


 パリンッ。

 軽やかな音を立てて営業スマイルが割れた。


「イヤイヤイヤイヤ! お前さぁ!」


 俺のここまでの頑張りを返せと言いたい。 

 結局、低姿勢は無駄死にかい。

 

「少しは頭使えってんだよ! 思い出す素振りとかしろよ!」


 怒鳴るとまではいかないが、それなりに声を張る。


「だって知らないものは知らない! そんなの、何も無いのにやっても無駄じゃない!」


 しかし先程までとは打って変わり、それに怯むことなく、サクラは強気な態度でこちらをキッと睨み返してくる。


『弱メンタルから浮上した直後は、やや強くなる』


 それもまたメンタル弱い系女子の特徴だ。

 どこぞの戦闘民族じゃあるまいし。

 普通に会話が成り立つ分、マヒ状態よりは全然マシだが、正直ちょっとイラッとする。


 しかしどうやら、ただ『思い出せ』と言っても、サクラの脳細胞は活性化しないようなので、もう少し具体的な質問に変えてみることにする。 


「先に起きてたんだろ? 変な音とか、人の話し声とか、ドア向こうでゴソゴソやってる気配を感じた、とかさ。そういうのないのかよ?」


 その問い掛けに対し、今度はほんの少しだけ考える素振りを見せ、ややあってからサクラは答えるく。


「……ない。ミキト起こす10分くらい前に、私が起きて、それですぐに出て行こうとした。でも、そしたらもうドアが動かなくなってた。ただそれだけ。何か、なんて何も知らない。音も、話し声も聴いてない。気付くことなんて何も無かったよ」


 結局、返ってきた答えはそれまでと大差ないものだった。


 そして言うだけ言って、そっぽを向くサクラ。


 おいおいおい、どういうつもり?

 それで終いですかい?

 私は言うだけ言って、ターンエンド!

 次はミキトのターン! 

 さぁ、さっさと問題を解決して!

 ってか?

 ふざけるんじゃないよ。


 使える情報持ってないんだから、その分もっと申し訳なさそうにしろよ。むしろ逆にもっと頑張れっつうんだよ。


「いや、でもさぁ……」


「とにかく私は何も知らない!」


 尚も問い質そうとした俺の言葉をサクラが声を張ることで遮る。そして勢いのままに捲し立てた。


「もう私は関係ない! だからこれ以上は聴いてこないで! それから、さっさとドア開けて。……もう、これ以上巻き込まないでよ。私を、アンタの事情に巻き込まないで!」


「アンタの事情って……」


「アンタの事情でしょ。だって、『ココ』は『アンタ』の、『アンタの部屋』なんだから。私は関係ない」


 念押しするように『ココ』と『アンタ』で、それぞれ部屋と俺とを指さし、吐き捨てるような調子で言うサクラ。


 その言いっぷり、開き直りっぷりに思わず絶句してしまう。


「お前……」


 マジで何なの、その態度。

 しかも言うに事欠いて『アンタの部屋』ってか。


 そもそもこの部屋は同棲生活を始めた3年前に2人で選んだ部屋だろうが。そこを勝手に何もかも放り出して出てったのはお前だろうが。金だって全部俺が1人で払い続けてんだぞ。そういう意味では俺の部屋? ああ、そうでしょうよ。名義も俺よ。高い家賃も払ってますよ。男1人が住み暮らすには広すぎる2DKを持て余して、でもそれでもココから出て行かずに維持してたのは、いつかお前が戻ってくると思ってたからで……あ、やめよう。


 これ以上考えると、またぞろ『虫』が這い出てきかねない。

 いくら何でも1日に2回、しかもこんな短時間の内に連続してはマズイ。


 俺はまた自分でも気付かぬ内に息を詰めていたらしく、強張りかけていた全身から、意識して力を抜いた。


 そしてこれら諸々のサクラに対する『怒り』『納得のいかなさ』『やるせなさ』を一言に圧縮凝縮し、その詰めていた息と共に解放してやることにした。 


「……使えねぇええええええええええええええええええええええええええええ…………」


 かすれ声で解放した言葉は、我ながら亡者の呻きのようだった。いや、ひょっとすると俺の喉は言葉のエネルギーを圧縮させ過ぎた副作用で、本当に奥の方で地獄と繋がったのかも知れない。


 とにかく、それくらい重苦しい響きとなった。

 しかし。

   

「はぁ? 使えないのはミキトだって一緒でしょ。文句言うだけで、何も出来ないんだから」


 それを聞き咎めたサクラが、即、返す刀でもって、かつ軽やかな感じで斬り付けてくる。


 ぴしゃっ。


 目には見えない言葉の刃に切り裂かれ、俺の頬から血が迸ったように思えた。


 見事な抜き打ち。

 見事な軽さ。

 そして、なにこの見事なほどの非対称さ。

 

 俺とサクラの『重み』の差がエグイよ……。


 ぴしゃり。


 軽く打つようにして、俺は自分の頬に手を当てる。

 

 すると当てた手に、ヌルッ、とした感触があったので、まさか本当に血が……と思い手を見たが、当然ながらそれは血じゃなく、ただの汗だった。


 いつの間にか、結構な量の嫌な汗をかいていたらしい。


(この卑怯女がよぉ……)


 汗の不快さも加わり、ついまた、こちらからも斬り返したくなるが、そこはもうグッと堪える。これ以上言い合ったところで本当にムダなだけだ。


 だからもう何も言い返しはしない。


 それでも目を細め、ひと睨みすることでサクラへコチラの不快さを伝えることは忘れずやっておく。サクラはフンと鼻を鳴らして再びそっぽを向いた。


 ……さて。


 サクラがまるで当てにならないと分かった以上、結局のところはフリダシで、この『開かないドア』を、俺一人の力でどうにかしなくちゃならないわけである。


「あーぁ。どうしようかねぇ、コレ……」


 仕切り直す気持ちでそう呟き、もう何度目か分からないくらいにガチャガチャいわせたドアレバーに向け、改めて手を伸ばしかけた時だった。


 ――だしぬけに、テレビの電源が入る気配がした。


「「え?」」


 不意の事に、俺たち2人は思わず声をハモらせ振り返る。


 誰も居ないはずの奥の部屋。

 

 その電灯の消えた薄暗い部屋の中で、テレビ画面の煌々とした明りが、まるで『2人ともこっちへおいで……』と、手招きしているかのような不気味さだった。

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