第3話 仲直りの方法

▼▼▼


「なぁ、サクラ。仲直りしようぜ」


 ――これはさすがに、どうだろう?


 いや、なにが? って、サクラの反応がどうだろう? ってハナシじゃなくて、俺の言葉のチョイス、そのセンスがどうだろう? ってハナシである。


 まさか言うに事欠いて出てきた言葉が『仲直り』とか。

 

 いやいやいや、もう仲直りなんて出来ないくらいに『仲が壊れた』から、つい数時間前に別れる終わると決めたのじゃなかったか。もっと言えばこの1年間ずっと仲直り出来なかったからこそ、別れる以外の選択肢が無くなったんだというのに。


「……んふ」


 さすがに自分で言ってて自分で嗤い出しそうになる。かろうじて鼻から一息漏らす程度にとどめたけれど。


『仲直りしよう』


 うん。

 我ながら絶妙に気持ちが悪い言葉だ。

 言う側でこれなのだから、言われるサクラは俺の比じゃないほどに気持ち悪かろう。ぶっちゃけ、生理的にもうムリッ! レベルまであってもおかしくない。


『愛も情も、枯れ果てたよ、もう……』


 とまで最後の方は言ってた彼女で、言われた俺だ。

 今も更、更々の更、更果ての更に更果ての地に至って、関係修復を指し示す言葉なんざ、ブリスゴッキーの群れで満ち満ちた浴槽のその中に、ゴッキー湯の中に『湯加減どうかしら?』と片手をつけるかの如くにおぞましいものだろうオフッ。


 だけど、いや、だからこそ。

 そうさだからこそ俺はそれで攻めてゆく。

 生理的嫌悪、大いに結構。


 つまり先程の『どうだろう』の自問に対する自答は『大正解!! やっちゃえ! 俺』の一択だ。そういうわけで自問自答に背を押されサクラの生理的嫌悪を増大させるべくアプローチを続ける。


 具体的には、肩に置いていた右手をスススとスライドさせ、サクラの頬にピタッと触れる。無遠慮に。でも、そう、なんかちょっと優し気に。恋人がやるあの感じで。


 するとどうだろう?

 効果覿面、反応アリである。サクラはのろのろと緩慢に、しかし確実に嫌そうに、俺の掌から逃れるため顔を背けようとした。


(さすが生理的嫌悪パイセン、パネェっす!)

(そして分かってたけどやっぱりショック!)


 俺の中で歓喜と落胆の声が同時にあがる。


 しかし、狙ってやって思惑通りに行ったのに、それでちょっとガッカリする……って、我ながら面倒くさいメンタリティだと思う。

 思うがしかし、この『喜びながらも拗ねる』という俺の面倒臭メンタルは、その奥に隠れている『嗜虐心』へと繋がっており、それが揺さぶられることで滾り、そして俺を『ドSモード』へと変貌させるのだ。


 ……唐突過ぎて言ってる意味が分からないかも知れない。


 だが、このようなメンタル状態、実はけっこう誰にでもありうるものでしょ? ってハナシで。まぁ喩えて言えば『イジッちゃいけないものをついイジリ倒してしまう』あの感じ。


『このカサブタを掻いて剝いたら絶対に血が出ると分かっている、だのに、ああ、どうしても止められない! カリカリカリ、ガリッ。痛っ! ああん、またやっちゃった。でもでも、どうしても剥いてみたかったんだもの……』みたいな、そういうアレ。


 ある種の知的欲求。探求心。かつイライラ鎮静作用。そして集中。果ての忘我。つまりは、どこまでも一途に目の前の対象へ『愛を注いでいる』という状態。サディスティックとはそういうことだ。


 ……結局、意味は分からないかも知れない。


 分かってもらえずとも伝わらずとも自分の中で整理はついたのでヨシとする。他人に分かってもらえずとも、俺は俺を納得させられた。それではカサブタを剥がしにかかろう。なに、心配無い。どうせ剥くのは、自分のじゃなくて相手のカサブタだ。


「逃げるな」


 俺はもう一方の手も使って、逃げたサクラの顔をグッと挟み込む。今度は少々荒っぽく、だ。痛いというほどじゃないだろうが、そこはかとなく暴力性を感じざるを得ない程度には強く。反射で彼女が身体を強張らせたのが分かる。意識はトンでても反射は起こる。そしてその反射は手掛かりになる。


 だからすかさず問い掛ける。

  

「サクラ。聞こえてるんだろ?」


「…………」


「おい。コッチ見ろ」


 サクラは顔を動かせない。だから無理やりにでも目を合わさせる事が出来る。だけど全くと言って良いほど互いの視線が絡まない。脳が何も『見よう』としていないからだ。まるで目と脳の接続を切っているかのように、網膜に映った像を脳に届ける気が感じられなかった。


 でも、俺はそれを許さない。

 そして、どうすれば良いかも知っている。

 

 ズイズイのズイッと、俺の顔をサクラの顔へと寄せる。それこそ2人の唇と唇が触れ合いそうな距離にまで詰める。そうして強制的に彼女の網膜に俺の顔だけを映り込ませた。


「サクラ」


 もう一度、名を呼ぶ。

 息の掛かる距離で。

 良い低音で。

 あたかも愛を囁くように。


「………………。」


 一瞬、目に微かな変化。

 脳との接続が僅かな時間だが回復したのだろう。

 それによって、心や意識はまだでも、彼女の脳は、いま自分が置かれている状況を把握したはずだ。それが証拠に、サクラの身体が小さく震え出すのが頬にあてた両の掌ごしに伝わってきた。


 手応えを感じた俺は自然と目尻を下げ口の端を吊り上げた。つまりは微笑んだ。もしかすると『にんまり』という音がしたかも知れない。


「………………!」


 そんな俺のアルカイック・スマイルを強制的に映し込まされ、かつ脳へと無言の圧力を送られ続け、身体の震えは徐々に大きく、そして何も見ようとしていなかったサクラの瞳にみるみると『色』が戻っていく。ただしその色は、喜びだとか安堵だとか、そういった感情とは真逆のものだろう。


 さぁ、ここまで来れば、後もうひと押しだ。

 更に強めの刺激を与えてやれば、一気に覚醒するだろう。

 

(どんな風にしてやろうか? ……よし)


 俺は素早く思考を巡らし、今この状態で出来る、最大限にサクラの生理的嫌悪を引き起こさせるであろう行為に目算をつけ、そして即座に実行に移した。


「さぁ。仲直りの印だ」


 言うが早いか、俺はサクラの華奢な身体を抱きしめた。


「……あ」


 彼女の口から呻くような声が漏れる。それと同時に身体の震えがもっと大きくなる。俺はそれを抑えつけるようにして、でも更に煽り立つようにと、ギュッと両腕に力を込めた。


(……トドメだ!)


 俺は抱きついた姿勢のまま、噛みつく様にしてサクラの首筋に『キス』をした。


「あ、……あああ……」


 舌先にサクラの首の味。

 鼻先にはサクラの髪の匂い。

 そんな場合でも趣旨でも無いのに、思わず男として滾るものを感じてしまう。

 

「ああああああ……」


 だから少しサービス過剰になった。

 俺は彼女の首筋を舐め上げ、そして辿り着いた左耳の耳朶を食んでしまったのだった。 


「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 サクラは嫌悪の叫びを上げた。

 

 ちと最後のがダメ押しに過ぎたかもしれないが、とにかく強制的覚醒の成功である。


「イヤァッ!! 放してっ!! 放してぇえええっ!!」


 そして、覚醒、即、半狂乱。

 おいでなすったな……の感に堪えない。

 これもまたメンタル弱い系女子の『得意技』の一つだ。慣れたくなんか無かったが、もう慣れっこである。つまりこれも想定の範囲内だ。


 しかし腕の中で暴れ叫び続けるサクラのこの姿。

 自分がやったことを棚上げして言うのもなんだが、見事なほどに『安い狂女っぷり』である。思わず吹き出しそうになるくらいに。なんならスマホでビデオ録画して動画投稿サイトにUPして再生回数を稼ぎたいくらいに。まぁ、さすがにそれはやらないけど。でもそう思わずにはいられない程度には滑稽で喜劇的だ。一緒に居る俺の姿も含めてだけど。


「放してっ!! 放しっ……ああああああああああっ!!」


 さて見た目ほとんど喜劇ではあるがあるのだがサクラのメンタルが覚醒はしたもののデス・フィーバー状態なのは間違いないわけで、ゆえにこのまま放置すれば、せっかくの苦労が水の泡、今度は狂乱戦士状態に陥って意思疎通不可になってしまう。


 それは困るので、とにかく落ち着く様にと声を掛け続ける。全くもって、アッチへコッチへと忙しなく手間の掛かる女であることよ。これだからメンタル弱い系女子って奴は……。


「おいサクラ。落ち着け。サクラって」


 叫び、力いっぱい両腕を突っ張り胸を押し暴れるサクラと、そんな彼女を腕の中から逃がさぬようにと力を込めて抱きなおす俺。叫び暴れられてはそれを抱き直す。その繰り返し。


 ――5分程もそうしていたのだろうか。


 やがてサクラの方が、先に暴れ疲れてくる。

 そもそもが華奢で小柄な彼女は体力が無い。

 だから5分、長くて10分耐えれば勝ちである。

 

 それでも狂女モードの時は「貴様っ、その小さな身体のどこにそんな力を隠していたんだ!?」と思わず悪役台詞を吐きたくなる程なのでけして油断は出来ないのだが。しかも、こっちが反撃出来ないのを分かってて、髪を凄い力で引き抜こうとしたり、爪で目を狙ってきたりもするし。クソが。


 とにかく、ようやっと落ち着いて来た頃、俺はもう大丈夫だろうとあたりをつけ、ゆっくりと腕の力を弛め、彼女を放して距離をとる。


 ハァハァと苦しそうに息を荒げているサクラ。だが、どうやら意識はハッキリと戻っているようだ。これでようやく意思疎通が出来るようになったわけである。


「落ち着いたか?」


 いけしゃあしゃあと問うてみる。サクラは睨むような上目遣いで返答をよこしてきた。


「……ええ、お陰様でね」


 良かった良かった。

 言葉が通じるって素晴らしい。


「礼はいらないよ」


「はっ……よく言う」


「で?」


「……え?」


「いや、だからドア。いつから、こんなんなんだよ?」


 そうである。

 ドアなのである。

 

 忘れていた訳ではない。随分と時間を掛け、相当な苦労をしてわざわざサクラの正気を取り戻させたのは、ドアの事を聴きたいがためだったのだから。


 しかし。

 ああしかし。


「……知らないわよ」


 ポツリと答えたサクラの言葉は、ここまでの苦労になんら見合わぬものなのであった。

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