第21話 幽光


「仮の夫婦、ですか」


 明里は訝し気に呟いた。輿入れしろ、とか祝言をあげろ、とかなにが違うのかと巫女を見る。


「もちろん“仮の”という部分は村人には伏せて、正式の夫婦として公表します。形式上でも夫婦として扱ってしまえば、明里が逃げる意図がないと、贄の儀式を受け入れたものと建前でも示せるのが大きいのですが」


 巫女は真面目に続けた。


「明里、夫婦というのは、何も肉体的な繋がりばかりではないのです」

「……繋がり?」

「そうですね……例えば明里、不慮の事故であなたが命の危機に瀕したとき、周りの人間は“誰”に一番に連絡すると思いますか?」


 突然すぎる質問に明里は困惑する。答えを待たず、巫女は続ける。

 親や子、血の繋がりよりもっと、優先されるべきもの。


「──配偶者です。本人の次に本人に関わる重要な人物、立場の人ということです。そういう関係の示し。繋がり。他にもありますね。ご本人に代わり、ある程度の了承、代行、許可、確認、その権限を持つのも配偶者なのです。夫のことは妻が、妻のことは夫がある程度は制限できるでしょう? 婚姻とは、結納とはそういうものです。夫婦になるというのはご本人たちの気持ちも大事ですが、周りに深く結びついた相手であると示す。これも重要なのです」


「……ええと、だから幻神さまと仮の夫婦になれと? それで村人は安心できるのですか?」


 こくり、と巫女は頷いた。


「……もっと簡単に言えば、“この人になにかあったとき、なにかしでかした場合は一番に私に伝えてください”と堂々と宣言するということですね。幻神さまご本人には直接言えなくても、あなたがいる。代行できる立場のあなたが。それだけで、きっと村人は安心できます」


「なるほど、確かに贄と神様っていう立場より、夫婦のほうが力関係は平等に聞こえるな。関係の名前が変わるだけかもしれないけど、そういう分かりやすいのって大事だぞ」


 清治がさらりと口添えする。


「お見受けしたところ、幻神さまは新しい器を得てかなり不安定にも見えます。そういう意味でも猶予、時間は必要でしょう」


 千影はなんの反応も示さず、巫女の言葉を聞いていた。


「仮でかまいません。明里、いまだ人の世に不慣れな幻神さまの配偶者に。神と人を繋ぐ、伴侶になってください」

「……そ、そんなこと私にできるでしょうか」


 あら、と巫女は口元を緩めた。


「今しがた行っていました。行き過ぎた幻神さまの言動をあなたは諫めてくださいました。それに幻神さまも、村長からあなたをかばってくださいました。夫婦の基本はできているのでは? そんなに難しいことではありません。それこそあなたが、さきほど言っていた通り」


 そこで言葉を区切り、もう一度巫女は二人を見た。


「よく見て、よく考えて、“彼”と人を繋げてください。村に受け入れてもらえるように」


 明里は真横にいる千影をまじまじ眺めた。千影は何も言わなかったがその顔に異論はないようだった。想い人の面影を持つ、全然別の人。よく分からない神様と仮初めの夫婦。それでも、出会った時のような拒否感はない。それくらいには、この神様のことを知れたのか。


「して、期間はどうなんだ」


 まとまりかけた結論になおも村長は口をはさむ。


「仮の夫婦はいい。それなら村人の懸念もある程度おさまるだろう。でもいつまで? そして、結局、明里の“答え”とやらが否だった場合、また村は災厄の危機に陥るのか?」


 切羽詰まった口調は真に迫っていた。明里は押し黙る。期間……猶予をもらう──その先の保証。


「年明けまでだ」


 千影が唐突に呟いた。


「神が贄を娶るまでの猶予は、神が贄を目星にしてから、新しい年を越すまで。今は八月だからあと四か月あまりだな」


 ああ、そんなこと言ってたな、と清治がぼそりと独りごちる。


「そのぎりぎりの期間内で明里が俺を受け入れるなら、贄の儀式は成立する。贄を捧げる信仰の力を得て、村に恩恵を与える。もし、受け入れられないのであれば──」


 全員言葉を呑む。千影は明里を指差した。


「俺が災厄を起こす前に、明里はいつでも俺を殺せる。その術をもう知っているはずだ」


 明里は目を見開く。心臓が脈打つ。千影は言った。一度破られた幻術は明里には効かないと。であるなら、神様はもう明里に小細工はできない。愛しい相手だと、強制的に惑わすことができない。神様本人が、その立場を勝ち取らないかぎり。


「ここまでの担保があれば、村長、明里の願いを飲む気になったか?」


 神様の殺し方なんて簡単。偽物の“千冬”を言葉で否定したように、今度は『千影』本人の否定。言霊による破壊をすればいいだけだった。


 ──神殺しの娘。その言葉の意味が今理解できて、ひたひた耳に纏わりついた。


***


 そこまで言われてようやく、村長は巫女の案を受け入れた。さっそく宮司とともに他の年役と再度の祝言の準備に取り掛かる。明里も連れていかれた。大方直接明里の口から、釈明させられるのだろう。おいそれと村人に姿を見せられない千影は黙って待っていた。清治は境内で酩酊させられた男の様子を見に行った。残されたのは巫女と千影だけになる。


「幻神さま」


 白湯を差し出し、声をかけた。千影は壁にもたれかっていた。口をつけず、巫女を胡乱げに見やる。明里が即席で作った器との馴染みはやはり、悪いらしい。本来自然現象に近い神々はその存在の大きさの割に“死にたくない”、“消えたくない”という概念は希薄だった。それなのに、こうまでして人の世に留まろうとする意味が巫女には分からなかった。


「ずいぶん滅多なことをなさいました。名前を得るなんて」


 はあと巫女は呆れたような溜息をついた。


「『千影』ですか。私はその名前はお呼びいたしません。──あまり、意味がないかもしれませんが」

「……まあそうだろうな。律儀なことだ」


 すっと巫女は千影を見据えた。


「神性は、以前の半分といったところでしょうか」


 巫女は目がよかった。おそらく宮司よりも神秘や魔性を捉える目を持っていた。だから、直会なおらいで明里と幻神が結びついていく様も手に取るように分かったし、今の神様がどれだけ危ういかも分かった。


 神とは軽く、無限である。

 それを人間の型になんぞ当てはめてしまったら。無が有になってしまったら、神秘も神性も落ちるに決まっている。


「むしろよく、そこまで保てたものです」


 ああ、と千影は笑った。


「それは明里が何も考えずそのまま名付けたからな。幸いにして畏怖の念も、感謝の念も持ち合わせた状態だった。運がよかったな」


 明里が見つけた幻神の自己とは、このたった二か月のやり取りの中で探したもの。たくさんの写し身を経て、少しずつ生まれた神様自身の自己の欠片。それだけを支えに、神様は器を保たせていた。


「あの娘、交渉が下手すぎてつい口を出してしまった。許すなどと、俺を殺せるなどど、言うつもりもなかったのだが」

「……本当に、ご自身のの宣言までするとは思いませんでした。せめてそれだけは秘匿しておくべきだったのでは」

「……お前は明里に肩入れしているように見えたが、そうでもないのか」


 痛いところを突かれて、巫女は言葉を噛む。


「それでも、私は神職に就いた身です。主は幻神さま、あなたです。あなた様が消えていいはずありません。明里は、まだ千冬のことが好きなのですよ」

「そうなんだ。千冬のことを全然忘れていないのに、俺のことを引き留めてしまった」


 千影は笑っていた。その笑みにどういう感情があるのか巫女にもよく見えなかった。 


「ひどい話だな。本当に腹立たしい」


 その言葉とは裏腹に、声に怒気はなかった。むしろ。


「でも、縋ったのは俺だ。俺はあの子供のような道理のない懇願が、嬉しかったのだから」


 厄介事でしかない、幽鬼のような神様を引き留めて、よく見ると、知りたいと、そう言った明里を思い浮かべて、神様はなんの後悔もなさそうだった。


「ただ、あの娘ともう少しだけ、一緒にいたかった。それだけだ」


 巫女はひそかに息を呑む。


 愛おしげに揺れる瞳は、間違いなく、人間の色をしていた。

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