第22話 反照


 仮初めの祝言は、社でしめやかに行われた。


 村人に公表するのが目的なので、棚機たなばたの時とは違い、村の一部の人間だけ招くのではなく、誰でも自由に出入りさせた。神様からの祝福という名目で、蔵を開放し、供物を返すと言われれば否が応でも村人は足を運ぶ。そうでなくても、棚機以来、姿を隠していた神様と村娘がようやく顔を出すというなら、充分に興味を引くものであった。


 事情は宮司や村長から告げられた。下手に隠し立てしても疑念を深めるだけなので、事実と虚構を混ぜた説明がされた。

 

 棚機の夜、確かに儀式は失敗したと。

 千冬恋しさに明里は身投げしたと。

 そのせいで、幻神さまはお怒りになり、神木のクスノキを割られるまでに至った。寛大なお心のおかげで災厄はまぬがれたが、恩恵は賜ることはできない。その代わりに明里が嫁ぐことで気を静められた。婚姻し、土地をお守りくださる、とか……云云うんぬんかんぬん。いろいろ弁解していたが、とにかく言いたいのは「心配しないで、普段通り生活を営め」ただ、これだけだった。


 ***


 社務所で、明里は二度目の花嫁装束に身を包む。白無垢は泥だらけになってしまったので、今回身にまとうのは母方から受け継がれている紅梅色の打掛だった。白無垢より質素で色あせた色打掛であったが、何世代も受け継がれて来た布地はずっと身に馴染んだ。おしろいを差し、紅をひく。棚機の晩から幾日も経ていないのに、不思議な気持ちだった。ぼんやりしていると、元結もとゆいを結んでくれた娘が声をかけた。


「明里ちゃん、大丈夫なの?」

「……ふきこそ、大変な時にごめんね」


 蕗という娘は明里より一つ下の従姉妹だった。また、蕗は身重でもあった。ふっくらとした腹も、だいぶ目立ちつつある。それでも、身支度に協力してくれるのは、明里が身投げしたと聞かされたからだろう。


 幻神がこの地に降り立つ、ほんの少し前、千冬の一周忌のあとの六月。この娘の祝言の身支度に使ったおしろいと紅を返そうとして明里は幻神と出くわした。


 明里の唯一の身内である母方の従姉妹。八人家族の中、女手は叔母とこの従姉妹のみだったので、今度は明里の身支度を買って出てくれた。支度が終わり、叔母が席を外すと、声をひそめて話しかけれた。下り眉に餅のような頬、柔和な娘であった。


「最初の頃よりつわりは落ち着いているから。それより、今は明里ちゃんが心配だよ」


 祝言を拒否して身投げした娘が間もおかず、同じ相手に嫁ごうというのだ。村のために強制されていると見るのは当たり前だった。


「千冬さんのことがあって、落ち込んでたのに。それなのに、無理やり祝言なんてひどいよね」


 蕗は悔いているように目を潤ませた。明里はどういえばいいか分からず、目線を彷徨わせた。身投げは事故であるし、仮初めの祝言を上げるはめになったのは、どちらかといえば明里のせいだ。もちろん言えるはずもないけれど。


「えっと……川に落ちたあと幻神さまが助けてくれて、いろいろお話した、から……今は大丈夫」


 蕗の顔が疑惑に満ちる。嘘ではないが、どう聞いても取り繕っているようにしか見えないだろう。 


「……手籠めにされたの?」

「ち、ちが」


 ぎょっとして目を見張る明里の肩を、蕗は掴んだ。 


「あたしは今こんな身体だから式には出られないけど。逃げたいなら、できることはするよ?」


 蕗の顔は真剣だった。──なんだか脅迫めいているとすら、感じるほど。


「なにかあれば、あたしに言ってね?」


 驚いた。従姉妹とはいえ疎遠だった親族。明里自身もずっと、この家族とは馴染まぬものと思っていた。きっと、それは相手も同じであるはずなのに。只ならぬものを感じ、明里が口を開きかけたとき。


「遅い」


 ぱん、と障子戸が開き、千影が入ってきた。衣装は棚機と同じ、狩衣かりぎぬから指貫さしぬきにいたるまで真っ白な浄衣姿じょうえすがた。清浄を形にしたような神様は、座している二人を見下ろした。後ろに控えた巫女が、額を抑える。聞かれていただろうか。


 怯えたように、蕗が呟く。


「花嫁の準備は時間がかかるんです……」

「支度が済んだと報告してきたのはお前の母だぞ。明里に話があるなら、終わってからにしてくれ」


 明里は慌てて、蕗に頭を下げた。蕗の様子は気にかかったが、確かにもう刻限だ。座敷をあとにし、縁側を歩く。


「あの、蕗が……私の従姉妹がなにか勘違いして、失礼なことを言ってすみません」


 千影を息を吐いて声をひそめた。


「身投げした娘が、嬉々として俺に嫁いでいるほうがおかしいだろう。力づくだと思わせておけ」

「そうですね。蕗は女衆に顔が利きますし、そういう事情だとむしろ広めて頂いたほうが都合がいいかもしれません」


 千影と巫女にあっさりとあしらわれる。

 でも、と明里は戸惑ったが、もう社務所の玄関だった。「では拝殿まで、お二人とも気を引き締めて」と巫女が戸を開く。一気に言葉を無くした。


 社務所の外は晴天で、ちょうど日が真上に来ていたから、その場にいる者たちの顔もよく見えた。

 見知った顔、あまり馴染ない顔、境内にいる数十人の村人の目が一斉にこちらを向いていた。視線の多さに明里は身を強張らせる。

 「明里」と巫女に促され、慌てて我に返る。草履を履き、打掛のつまを持って千影の隣に並ぶ。巫女が先導し、拝殿に続く石畳を踏み出した。小さな社なので社務所から拝殿までは、猫の額ほどの距離しかない。なのに、果てしないくらい長く感じた。誰もがこちらを見ていた。わざわざ社務所から姿を現したのは、二人が並んでいる姿を見せることが目的なので、当たり前なのだが。この視線は贄になってからずっと、明里を苛んできた。


 興味、憐憫、同情、恐怖、侮蔑、疑念、様々なものが、混ぜ込まれた視線の渦。


(慣れたと、思ったけど)


 そんなわけなかった。

 見られるということは、一挙一動、縛られるような気持ちだった。明里のなんの意味もない行動すら、なにか裏があるのではと意味づけされてしまう。着慣れない打掛と相まって、足元はふらふらした。ひそひそと声がする。内容は聞こえないのに心臓を絞られるような負の声。こわい。


 けれど、明里はいつものように俯きはしなかった。


 ──顔をあげられていたのは、自分だけではなく、もうひとり、その視線を受け止めるものがいたからだ。


 千影の所作は完璧だった。

 月白色つきしろいろの衣は晴天の下にあっても、冷えるような清浄さを孕んでいた。足音を気にかけていたのが嘘だと思うほど、静かな足さばき。それでも踏み込みは重く、厳か。指先一つに至るまで、隙がなかった。覚束ない足取りの明里に苦も無く歩調を合わせ、堂々と姿勢を正していた。その瞳は瞬きひとつ、しないのではないかというほどの、強い眼差しを携えて。


 村人の目の色が少しずつ変わるのが分かる。興味から、羨望。恐怖から、畏敬。

 捧げられること。敬られること。畏れられること。それらに一切の気後れがない。ただ当然として受け止めている──そういう、神様だった。


 千冬に見えない。

 千冬の面影を今は少しも感じない。


 明里は唐突に気づく。

 言葉ひとつで、カタチが割れてしまうほどもろい神様は、それほどまでに傷がつかないよう、穢されないよう、大切にされてきた。この國に水が湧き出たときから、ずっと。連綿とカタチを変えて。


(神殺し、なんて)


 そんな力があったとして、そんな『存在』を果たして殺せるのか。力を持つことすら明里は震えあがる。


 自分が今、嫁ごうとしているのは“誰”なのか。いったいなんなのか。

 別のモノだと分かっていた。分かっていたのに、今やっとその事の重大さを理解できた。いつの間にか、あれほど恐れていたはずの村の目は少しも怖くなかった。ただ、隣に連れ立つ神様ばかりを、見ていた。


 拝殿にたどり着いてから、小難しい儀式が続く。ただの庶民の祝言で、ここまで重々しい神事はしない。祓い、清め、祝詞。言われるがままの所作を終えて、目の前に朱塗あかぬりの三つのさかずきが置かれた。これだけは、分かる。庶民の質素な土間ですら、行われる。だからこそ、その意味の重さも理解できる。結納の証。誓いの盃。──三々九度。


 巫女が銚子ちょうしを手に持ち、ひとつめの盃に神酒を注いだ。受け取った千影は盃を両手に持つと、三回に分けて口をつけた。その所作すら見惚れるほど優美であった。千影から盃を受け取り、巫女がまた神酒を注ぐ。同じ器。神様が口をつけた盃。この國は決して他人と同じ食器を共有したりしない。だから、同じ器を使い、同じものを食すことは何より強い結びを示す行為。


「……?」


 巫女が不審げにこちらを窺う。受け取った盃を前に明里は固まっていた。明里は焦る。早くしないと境内からこちらを窺う村人を不安がらせる。なのに、手が震えて動いてくれない。今更。そう今更『神様』という存在に明里は慄いていた。神様と結ぶことも。結んだあとに生かすも殺すも、自分次第だということも。


「……飲むふりでもかまわないぞ」


 ぼそり、と千影が呟いた。弾かれたように顔を上げる。その横顔は、拗ねている──ように見えた。この神様は、やっぱり無表情のほうが、存外分かりやすい。ふと肩の力が抜けた。


 棚機の夜。

 明里は輿入れするというより、捧げられる数ある供物の順番待ちをしているような気持ちだった。それほど遠く、なにも分からなかったその人は今ちゃんとカタチを得て、名前を得て、感情を、得て。明里の隣にいた。神様だけれど、存在の大きさは人間とは違うかもしれないけれど、少なくとも得体の知れない相手ではない。飲むふりでかまわないのは、神様とて同じ。でも、千影は飲んだ。確かに、口をつけた。神様からしたら不合理にもほどがある仮初めの結びを。


 明里は深呼吸したあと、──高く、盃をあおった。


 千影が、思わず目を瞬かせるほど。作法とか所作とか分からないから、袖がめくれて、細い腕が露わになるのもかまわず、全部流し込む。不安も気後れも葛藤もすべて、飲み干した。

 水と違って、熱くてとろりとした感覚が喉を通り、胃に落ちた。身体に染み渡る。盃の中は、空っぽになる。足元はふらふら、胸はどきどき。でも、ひとごこちはついた。


「……なにも、全部飲むことないだろ」


 千影が声をひそめて、喉を震わせていた。その頬は本当にわずかに──かすかに朱に染まっていた。立っているのも、やっとな明里は気がつかなかったけれど。

 三回目。再び同じ盃に注がれた神酒を、千影もまた、一滴残らず、飲み干した。




 式を終え、明里の従姉妹家族や境内にいる村人にも酒はふるまわれた。晴れやかな祝いは久々に村人の心を上向かせた。土地を結び、神様を結び、人を結ぶ。結納。仮初めでも確かに意味はあった。

 社務所まで戻った明里は座敷にたどり着くなり、へたり込んでしまった。三つの盃で交互にふるまわれる神酒を合計四回も飲み干し、簡単に言えば酔っていた。


「まさかそんなに酒が弱いとは。何故、全部飲んだりしたんだ」


 同じく社務所まで戻った千影が呆れたように言った。


「千影さまが、全部飲んだからです」

「飲むふりでいいと言っただろう。手元なぞ他の人間の目には見えん」


 座敷には二人しかいなかった。蕗も姿を見せず、宮司や巫女は境内にとどまり、年役たちは供物を返していた。だから、緊張の糸が切れたのも相まって、明里の気は抜けてしまった。


「こわいからです」


 酔いが回って、思考がうまくできない。口からそのまま言葉が出る。


「神様の伴侶なんて、こわいから。私に神様と村の人を結ぶなんてできるか分からないから、こわいです」


 千影は黙って明里の支離滅裂な弱音を聞いていた。


「……でも、今日私が顔をあげられていたのは、隣にあなたがいたから、です」

「……」

「結ぶの意味は、よく分からないけど、夫婦の意味は、そういうことなのかなって。だから、全部飲みました」


 今までずっと針の筵にいるような気分だった。でも、今日は隣にいる神様も、同じ目的で立ってくれていた。仮初めでも、期間があったとしても。


「何を怖がることがあるのか」


 視界がぼやけた明里に、その表情はよく汲み取れなかった。


「俺のほうがよほど、お前に心臓を掴まれているのに。困ったら、お前は言葉ひとつで俺を殺せるのだぞ。村人もお前においそれと手出しできるわけないだろう」

「……それも、こわいです」


 相手から急所を告げられて、刃物を持たされて、殺せと言われても。そんなの怖いに決まっている。ただの普通の、人間であるなら。


「結果的にはそうなってしまった、だけで。わたし、あなたを殺すために、引き留めたわけじゃありません」


 にじむ視界に千影を捉える。


「消えてほしくなかったから、いて、ほしかったから、です」


 千影は目を見開いた。そのあと、頭を抱えた。なにかに耐えるように押し黙る千影を不思議そうに明里は眺めた。


「お前本当に、……」

「……?」

「もういい。とっとと寝てしまえ」


 よく顔を見ようとしたら、手で目を塞がれてしまった。うつらうつらとしていたこと、ばれていたのか。暗闇の中、明里は微睡む。

 その手がなんだかとても熱かったので、神様だって酔っていたのではないかと思った。


─────


作中、未成年の飲酒表現がありますが、この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

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