第20話 乱反射

「あ、ちょっと待ってください。村長が見つからないように、千影さまを連れてこいって仰せで」


 参道から堂々と境内に入ろうとした千影を明里は引き留めた。拝殿の前、村の男がふたり話し込んでいた。物陰から耳を澄ますと「村長はどこだ」とか「村の外れで明里を見かけたが大丈夫か」とか慌てる声が聞こえてきた。


「‥‥贄の儀式が失敗したのはもう知れ渡っていて、普段なら何事もないことでも、災厄ではないかと怯えているんです。そのたびに、村長や長老が治めています。今日はこれからどうするか話し合いたくてお呼びしました。巫女さまと清治と一緒に、村長と宮司さんも社務所で待っています」


 今この場で隣の神様の姿を見たときの村人の反応は想像に難くない。なるべく騒ぎは避けたいところだ。

 声をひそめて、明里は息をついた。


「……ごめんなさい。どうしても一度、行きたいところがあって。村外れまで行ったら、やっぱり騒ぎになってしまいましたね」


 もうずっと、贄に選ばれてからは明里は針の筵だ。どこへ行くにもなにをするでも村の目がついて回る。


「そうまでして、千冬の埋葬地に行きたかったのか」


 ぎくり、と明里が肩をすくます。そうだった。この神様は死の気配に敏感だったのだ。あからさまに嫌そうな顔をした。


「まだ死に惹かれるのか。お前は」

「そうじゃなくて、あなたのことを話す前に一度、整理をつけたかったんです」


 ふぅん、と千影が目を細めた。


「それで、整理はついたのか?」

「……いいえ」


 隠しても仕方がないので明里は素直に認めた。なんだか、千冬のところに行っていたという事実を知られるのが気まずい。前よりずっと、後ろめたい。それでも千冬の死すら受け入れなければ、何も始まりはしない。


「そんな簡単に割り切れていたら、神様まで巻き込んでいません。でも、おかげでほんの少しだけ区切りはつきました」


 俯く明里を見て、千影は息を吐いた。


「──まあ、いいが」


 村人に視線を向けながら、明里の腰を抱いた。


「とりあえず誰にも見つからず、社務所まで行けばいいんだな」


 突然、ぐっと引き寄せられて驚く間もなく、足が浮く。


「え、わっ」


 千影は明里を横抱きにしたまま空高く跳躍した。衣を翻し、宙を舞う。境内のイチョウの葉が風に揺られて落ちた。明里は慌てて千影の首にしがみつく。男たちの頭上をあっという間に超えて、社務所の裏手、死角になる場所に降り立つ。

 着地した衝撃で、じゃり、と玉砂利が飛び散り、千影はわずかばかり眉をひそめた。


「重い」

「え、あ、ごめんなさ……」

「身体が重い」


 やっぱり、前のように高くは飛べん、と明里を下ろす。地に足がつき、ほっとしたが、千影は不満そうだった。


「ずいぶん身体が重い気がしたが、ここまでとは。気配どころか足音すら消せん」

「足音‥‥?」


 千影の足元で、また玉砂利が擦れる音がした。そういえば今の神様は足音がする。以前の神様にそんなものあっただろうか。新たな器の弊害か? 不安になる明里だったが、玉砂利を踏む別の足音がして、それどころではなくなった。


「なんだ、誰かいるのか? あ、明里!? ……て、幻神さ……」


 社務所の近く、村人はもうひとりいたらしい。千影は驚きもせず、距離を詰めると「これもどこまで効くかは分からんが」と、人差し指と中指を男の額に当て、軽く弾いた。途端に男はくらくらと酩酊する。その場に尻餅をついて、目を回してしまった。

 明里は焦る。男を見ると焦点があっていなかった。


「……幻術ですか?」

「単なる目眩ましだ。そう長く迷いはしない」


 大丈夫だろうか、と男の顔を覗き込んでいると、先を急かすように手を引かれた。


「これ以上姿を晒したくない。中に入るぞ。もともとこの村の住人は幻術にかかりにくい。──お前が全然惑わされないから」


 ちらり、と千影は目線だけを明里によこした。


「お前、贄じゃなくて、実は神殺しの娘なのではないか」


 その言葉の意味は、明里にはよく分からなかった。



***


「やっと来たか。明里、好き勝手出歩いていい気なものよ」


 じろりと村長に睨まれて、明里は身をすくめた。社務所の座敷。清治と巫女、そして年役の中からまき村長と水縄みずなわ宮司が円座を組んでいた。


 贄の儀式の失敗、幻神の写し身の破壊、『名前』を使った結び直し。


 あらましの説明はしてあった。首の皮一枚で繋がる村の安否。災厄が起きていないのはもはや奇跡である。当然村長がいい顔をするわけがなく、苦々しく明里を睨めつける。それでも、その隣にいる幻神の「明里に手を出すな」という一言のせいで、うかつに手出しもできなかったのだから、憤りは凄まじかった。


 宮司は村長と同じ年のころの初老の男性で、年役たちの中では温厚な質だったが、他の年役に押されてあまり発言権はなさそうだった。今ここにいるのだって、面と向かって神様と相対するのを押し付けられたからにすぎなかった。


 そんな重苦しい空気を割るように、清治が声をかける。


「とりあえず座れよ。二人とも。茶でも飲むか? カミサマも無事でよかったな。なんか外が騒がしかったけど、大丈夫か?」

「問題ない。聞き耳を立てていた男なら酩酊させた」


 明里が驚いて外を見る。けろりと千影が答えて、清治は「今、村中疑心暗鬼だからなあ」と、苦笑した。事情が隠されていることが何より一番、人を不安にさせる。幻術を使った事実を聞いて、宮司は一瞬身を強張らせた。


「人払いをしたいなら、“この部屋には誰もいない”くらいの暗示はかけられる。敷居や境界があったほうが幻術は効きやすいからな」

「……それには及びません。幻神さま。あまり気が迷うものが出ては、さらに村人が怯えましょう」


 宮司の咎める口調に、慌てて明里は付け加えた。


「あ、申し訳ありません。私がなるべく見つからないようにと。ち、……幻神さまにお願いしたから……」


 明里が? と宮司は驚く。千影は目を合わせずさっさと腰を下ろした。


「いいから話とはなんだ。手短に話せ。俺はまだこの器に慣れていないから、人の色や声が煩くて疲れる」


 一度迷うような間のあと、宮司と巫女、それに村長も姿勢を正した。


「まずはお詫びを。贄が儀式を拒否したにも関わらず、ご容赦いただきありがとうございます。また当村の娘が御身の器を傷つけたとのこと、心よりお詫び申し上げます」


 清治すらも頭を下げたので明里は目を瞬く。興味もなさそうに千影は「よい」とだけ一言呟いた。顔を上げた村長は謝罪の受け入れを聞いて、安堵したようだった。


「お許し頂けるなら、再度の輿入れを。明里ももはや拒絶はしまい?」


 当然とばかりに水を向けられて、明里は声を上げた。


「あの、ちょっ、ちょっと待ってください」

「なんだ。まさか、まだこの後に及んで嫌だと抜かすわけではあるまいな」


 村長は鼻息荒く、明里に詰め寄った。その顔色には色濃い焦り浮かんでいた。


「危うく村は滅びるところであったのだぞ。そうでなくとも、村からの供物は幻神さまにすべて捧げてある。あとはお前の輿入れだけだ。我儘を言うのはいい加減にしろ」


 早口で声を荒げられ、言葉に詰まった。それでも明里はぎゅ、と胸に手を当て、深呼吸する。千冬の墓前で誓ったことをなかったことにしないように。


「もちろん、私ひとりの事とは思っていません。でも、棚機の時の私はただ思考放棄していて、伴侶になるとか贄になるとか口だけで言っていただけです。その結果が、村を災厄の危機に陥らせて、神様まで追い込みました」 


 明里は村長をはじめとした面々に深々頭を下げた。


「だから、ちゃんと千冬のことも幻神さまのことも整理をつける時間をください。ちゃんと考えますから。ちゃんと見ますから。答えを出させて欲しいんです」


 それはあまりにも、甘く、なんの保証もない懇願だった。純粋で道理のない願い。千影はただその背中を見ていた。無論、そんな小娘の甘えた願いが届くはずもなく。村長は激高した。


「そ、そんな戯言が通るわけなかろう! この上でまだ待てとは。考えてどうするんだ。それでやっぱりだめでしたで済むと思っているのか!」


 村長、と宮司は諫めたが聞く耳を持たなかった。


「お前のせいで今村は大変なのだぞ。両親がいないお前を不憫に思って面倒見てやったのに。なにも取柄もない小娘が。千冬との祝言まで取り計らってやったというのに」


 その言葉は胸を抉った。明里は唇を噛む。立場は違えど、千冬の立場を思い知る。千冬はきっとなにも言い返すことも、口答えすることもなくこうして祝言を受け入れた。だから、明里が拒否する道理もないかもしれない。それでも、明里は何も言わずに黙って頭を下げた。


「──俺が許すと、言っているんだが」


 それは千冬と同じ声でありながら、まったく違うモノの声。地の底から響くような音だった。明里に気を取られていた面々は顔を上げた。ザワザワと、目の前の千影の姿がぶれて映る。目に見える青年の後ろに“なにか”いる気配。


「明里は詫びを示した。なににも代えがたい“名”を俺に献上した。それで? 贄の責というなら、贄を育んだこの土地の長、お前にも責はある。なにを俺に差し出す。“名“という希少なものに並ぶものを、お前は差し出せるとでも?」


 座敷の敷居内、すぐ障子に手をかければ、外に出られるというのに、重い牢の中に閉じ込められたような窮屈さ。


 冷ややかに、神様は言い放つ。


「何故、俺の前で贄を罵倒する。同じ土地から生まれ、育まれたものをどうして侮蔑する。理解ができない。贄は土地の代表、目星。その贄が取るに足らないものならこの土地に住まうものも皆大差なかろう。だったら、恩恵を与える必要もない。やはり災厄で潰して、一から作り直させたほうがよかったか?」


 神様の瞳の色が点滅する。蒼、金、蒼、金。警告のように何度も色が変わる。


「それに俺に捧げた供物なぞ、ほとんど長者と村長が蔵に隠し持っているだろう。棚機の晩、俺が明里を娶って天界に行ってしまえば供物の行方はうやむやになるからな。神の恩恵だけでは心配とは恐れ入る。──だが、確かに贄を娶れない以上、恩恵は与えられない。供物は返さねばならない。道理だ」


 神様は緩く微笑んだ。張り付いたような笑みだった。


「村長から返せないのであれば、俺が供物を八つ裂きにして雨とともに村に降らせてやろうか」


 部屋が狭い。広さに対して十分な空間があるのに、ぎちぎちに水が詰め込まれたような息苦しさ。全員が押し黙ってしまう。口を開いたら、残った酸素すら、奪われてしまいそうで。


「──ち、千影さま」


 けれども、その『名前』で、ふっつり、と部屋の中の栓は抜けた。


「それじゃ脅迫です……」

「……どう見ても、脅迫されていたのはお前だが」


 怯えた明里を見て、威圧感も重圧感も瞬く間に霧散する。千影の背後にいたはずの“なにか”は鳴りを潜めて、今は見た目だけは普通の青年しかいなかった。それを目の当たりにした宮司は息を吐いた。


「これはもう仕方ないでしょう。村長」


 固まったままだった村長は話しかけられて、やっと呼吸の仕方を思い出したように、肩を跳ねさせた。


「今、明里がいなければ我々は潰されていましたよ。明里は立派に贄の役目を果たしているように見えます。それに恩恵というなら、幻神さまがこの村にいる、という事実だけで、充分な祝福でもあります」


 もちろん供物は普通に村人に返して頂くとして、と宮司は続けた。


「神の住まう土地にわざわざ野盗や追剥など出ません。都もうかうか手出しできない。清浄も不浄も真反対のようで、結局は同じ“無闇に手を出すな”という警告ですから。神のいる地はそれだけで強い」

「しかし……」


 最初の勢いをすっかりなくした村長に宮司は畳みかける。


「幻神さまのおっしゃる通り、明里が幻神さまに名を与えて引き止めたのも僥倖でした。災厄が起きないにしても、十二柱のひと柱を消したとなれば、村は忌地いみちになってしまいます。恩恵を賜るより前に、まず村が潰されないことを気に留めるべきです。それには明里の協力はどうしても必要でしょう。明里の意見も多少聞いたらどうですか?」


 言葉を区切り、宮司は目配せした。


「……幻神さまはいたく明里をお気に召していらっしゃるようですし」


 明里は反応に困った。千影は何も言わなかった。


「し、しかし村人にはどう説明するというんだ……」


 焦燥と憤りが取りさらわれた村長の最後の心配は、村人のことだった。


「不安というのは、人の中で伝染し、増長するものだ。供物を返したとて、それで安心しきれるわけではない。村に神がいるというのは常に災厄に怯えるということ。これまでは棚機には明里が輿入れすると信じていたから皆それで納得していたが、これからはそうは行かない。やっぱり、保証はないのだから」


 明里は村長が急に小さく見えた。村の年役で、いつも威張っていて怖かったが、その実は村をまとめる責務に押しつぶされそうになっている小さな老人だった。今はただ、雨に怯え、風に怯え、晴天にすら怯える村民を心配していた。これがおそらく村長の本音であり、本質でもあるのだろう。


「……それなのですが」


 それまでずっと黙っていた巫女が口を開いた。


「確かに村の目というのも、大事です。儀式が失敗したのは隠しようもありません。こんな狭い村ですから、棚機の晩、明里が川から助け出されたのを見た者もいます。明里がまた千冬恋しさに身投げするかもしれないと、疑う者も出ましょう」


 だから、と巫女は明里と千影、並んだふたりを交互に見比べた。


「明里がちゃんと答えを出すまで猶予が欲しいというのなら、村の者が安心して暮らせるよう──お二人には仮の夫婦として、過ごして頂けませんでしょうか」

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