3章:風をいたみ

「天? どうしたんだ、こんな所で……」

 月読が事務所から出ると、すぐ傍の街路に天照が佇んでいた。それも、特に何をするでもなく、ぼんやりと空を見上げて。

 霧夜と一緒に帰ったとばかり思っていたが。

「ああ、月読か。いや、ちょっとな……」

 そう言いながら、天照はまた空を見上げる。

 いつも騒がしい彼にしては珍しい。月読も釣られて空を見上げ――

「こいつは……」

 空がどんよりと曇っていた。曇り空自体は珍しくはないが、その陰り方は少しおかしかった。雷雲を含んだ雲が集合しているわけではない。ただ暗いのだ。禍々しく、穢れた何かが集まっているように思える。

 そしてその曇り空は東京全体を包み込むように、都内の空のみに広がっているように見える。特に、渋谷と池袋あたりに集中している――そんな気がした。

「前よりも濃くなってきたな。何かの前触れみたいに……」

 天照は視線は空に向けたまま、零すように言った。

「なあ、月読。これって、俺のせいじゃないよな? 俺が『神返り』として太陽の神様の力、奪っちまったから……」

「まったく……普段はなんも考えてねえくせに、余計な事ばかり考えやがる」

 月読は大袈裟にため息を吐く。そして、扇子で天照の背中をパシンと叩いた。

「……ってえ! 何すんでえ」

「何って、喝を入れてやっただけだろ?」

「……!」

 不満そうに振り返った天照は、月読の目を見ると、途端に目を見開いた。

「何が、『俺のせいか?』だよ。一体、この街にどれだけの『神返り』やら陰陽師やらが紛れていると思っているんだ。何が起きても、お前一人のせいにはならねえよ。大体、『神返り』は先祖が神の加護を受けて力が使えるだけで、別に神の力そのものが使えるわけじゃねえ。神様だって、二割引きで力をレンタルしてやるか程度のノリかも知れねえだろ。だから……お前は、そのままでいいんだよ」

 その先は言わずとも、天照には伝わったようで――やがて彼は太陽のように豪快に笑った。

「ははっ、そうだったな。悪いな、月読」

 月読は何も言わず、フッと零すように笑むと――天照の隣に立つ。

「それじゃあ、行くか」

「行くって何処にだ?」

「さあ、何処だろうな。お前は、何処がいい? ちなみに、わなみのおすすめはカフェだ」

「お前……本当に太るぞ」

 天照がそう言った直後、タイミングを見計らったように、月読のイヤーカフ型、天照がベルトにつけている無線が同時に鳴った。


『至急! 至急! ……発生、ランクA……既に……現場、直行せよ……場所は、渋谷……宇良町うらまち、3丁目の……」


「この近くじゃねえか! 月読、早く……」

 天照が今まさに駆け出そうとした時、月読は「まあ待て」と彼の襟を掴んで強引に止めた。案の定、首が軽く締まったようだが、天照なら大丈夫だろう。

「見ろよ。どうやらわなみ達、やっこさんの目の前にいるみてえだぜ」

 月読は空を見上げながら言った。天照はその視線を辿るように空を見上げると、ちょうど背の高いビルの上に、巨大な影があった。

「あれは……『怨魔えんま』か!? でも、さっきまでは何の気配も……」

 天照は驚きながら、建物の屋上にいる異形を影を見つめる。

 白装束の着物に、黒い肌。正確には肌が黒いのではなく、肌全体に墨で書かれたような文字が浮かんでいるため、そう見える。

 そして額には四つの角。長い黒髪は床につく程に伸びきり、自身の影と同化している。

「だいぶ進行しているな。和歌との同調率が高かったのかね」

 月読がのんびりとした態度で言うと、今度は天照の襟を掴まれた。

「呑気に観察している場合か! 行くぞ! あのまま心終しんじゅうが成功したら、鬼になっちまうぞ!」

 心終しんじゅう――『怨魔えんま』化した状態で、好いた相手を食らった時、その人物は本当の意味で鬼と化す。人としての心を捨てて、鬼となる。ゆえに、心終しんじゅうと呼ばれている。

 建物の屋上に佇む『怨魔えんま』は異形の腕で、制服を着た女子高生を掴んでいる。

「女同士!?」

「別に珍しい事じゃないさ。それに、同調さえすれば、人は歌に囚われる。それが、どんな形の愛であれ、そこに込められた想いが本当は恋ではなくてもね」

 驚く天照とは逆に、月読は落ち着いたまま答えた。

「どういう意味だ?」

「お前は分からなくていいよ。ただ、恋に……一心に想い続けた気持ちが踏みにじられて、哀しんでいる子がいる。それだけさ」

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