2章:宵町案内所
二
東京都渋谷区
渋谷――
東京三大都市、新宿・池袋に並ぶ、大都市。
特に渋谷駅付近はオフィス街があり、昨夜その内の一つである高層ビルがガスの爆発事故があったにも関わらず、変わった様子はない。
――が、渋谷駅のちょうど裏側にある宇良町は、そういった都市の雰囲気とは真逆である。
時代が一気に令和から昭和に逆戻りしたような寂れた風景が多く、駅からも遠く離れていて、利便性は悪い。
そのせいか、町内にあるのは昔からそこにある古い店や、同じく古い歴史を持つ住宅がある程度だ。
『宵町案内所』も、その内の一つ。
周囲は切れかけの電球が点滅する散髪屋や一年前から「閉店売り尽くし」の旗を掲げている靴屋、今にも壊れそうな駄菓子屋――と、老舗が多く並ぶ。
その中の、一階が床屋の事務所。
何をする事務所かというと、読んで字の如く「案内」をする場所だ。迷子の保護や旅行者の案内、時には荷物の一時預かりなど。この街を訪れ、或いは迷い込んで困っている人達を目的地に導くのが案内所の仕事である。表向きは、だが。
「きょえええええええええええええええええええ」
幼さの残った声で、この世のものとは思えない悲鳴が響いた。
「うわーん、どうしよう、どうしよう。やばいよ、やばいよっ……これ、絶対、警察から多額の請求くるよー! もう所長のバカ、バカ、バカ―!」
「やれやれのやれだね。少しは落ち着いたらどうだい? 事務員どの」
部屋の奥にある席に座りながら、手前の席で頭を抱える少女に声をかけた。
彼女の名前は、
ここ宵町案内所で、わけあって事務員として雇っている。無論、学生なのでアルバイト。ちなみに、時給は――結構いいとだけ言っておこう。
見た目や名前とは裏腹に、全然お姫様ではない。
栗色のゆるいウェーブのかかったセミロングの髪に、くりっと大きな瞳。服は制服で出入りされると、近所の目が怖いため、普段着である清楚なワンピース姿。
黙っていれば、名前の効果もあり、お嬢様のように見えなくもないが、性格はとにかく忙しなく、はっきり言えばうるさい。同じ言葉を三度繰り返す癖があるせいで、より煩さが目立つ。
「だけど、所長、所長、所長! 高層ビルの屋上が大破したんですよ!? 大破ですよ? 大破なんですよ!?」
「いつも言っているだろう。あっちだって、多少壊れる事は承知の上で、
「大アリですよ! 大アリなんですよ! 大のアリなんですよ!」
本当に煩い。
「きっと、物凄い額の賠償金を請求されちゃうんだ。そんでもって、事務所は潰れて、潰れちゃって、潰されちゃって……そうなったら、所長は……」
姫乃は青ざめた顔で言った後、突然、頬を赤らめた。
「いいんです、気にしないでください。それは言わない約束です……私がちゃんと、所長の事は養って……」
「君は、ほんと幸せそうでいいな」
そう月読が言った時。
荒々しい足音が階段を駆け上ぼる音が響いた。
――足音は二人分。一つは、こりゃあ天のもんだな。となると、もう一つは……
「宵町!」
勢いよく開いた扉から、予想通りの顔が現れた。
ちなみに、姫乃は驚きのあまり机の下に隠れた。
「貴様、どういうつもりだ!?」
「やれやれのやれだね。そいつは、こっちの台詞ですよ。次期警視長とお噂される、エリートポリスメン様が、こんな寂れた事務所に、何の用ですかい?」
「きっさまっ……!」
月読の挑発に、案の定、彼はのってきた。分かりやすい男だ。
名前は、
規則に従って整えられた、短い前髪。天照よりもがたいが良い上に背が高く、その上、目つきが鋭く強面のせいで、よく子どもに泣かれ、マフィアをひと睨みで泣かせた事もある。
歳は二十六歳の若者だが、警視総監の父親を持つ、エリート警察一家の三男であり、将来を約束された若造である。
ちなみに、彼は人間だ。多少、違う所もあるが。
彼は「犬神筋」と呼ばれる、所謂憑神がついている一族だ。他にも「蛇神筋」、「猿神筋」と呼ばれる憑神の家系が存在する。
そういった理由からか、彼は人間でありながらも『アヤシ課』の監視役として、『
そして彼は――
「大体、宵町! 全て、お前が悪い!」
――何故か、
「お叱りなら、君の師匠にしっかり受けたと思うが?」
「怒られただけで終わると思うな! そんなガキみたいな言い訳、通じるとも思っているのか? ただでさえ、『
――ただの愚痴、いや八つ当たりじゃねえか。
人間の事情は知らないが、彼ら警察は『
――まあ、止めない
ちょっとした嫌がらせで、わざと派手に戦闘している事は黙っておこう。
「待ってくれ、霧夜」
その時、後ろで困り顔になっていた天照が止めに入った。
「昨夜の件は、大体俺が悪いし。破壊の限りを尽くしたのは俺なんだ」
全くその通りなのだが、言い方!
「貴方はいいんです。どうせ人のいい貴方の事だ。この胡散臭い男の口車に乗って、やらされたんでしょう」
――ひでえ言われようだな、おい。
何でこう権力者はみんな天照を可愛がるのか。天照が持つ、天性の人たらしのなせる業なのか。どちらにしても解せん、と月読は思った。
――こいつの説教、長いんだよな。ここは話題を変えさせてもらうか。
「そういえば、先生もそんな事言っていたな。最近『
「ああ、そうなんだ。さっきも、二件ほど発生して……」
真面目な霧夜はすぐに頭を切り替えて月読の会話にのった。
――よし、勝った。
「たしか、場所は新宿だったから、君達の担当地区ではなかったが」
「新宿っていうと、先生の所か」
「あぁ……昨夜、渋谷で起きたばかりというのに、こうも早いとは」
「まあ、絵巻の餌は恋に破れた乙女だ。欲にまみれた、この土地じゃ、一日に何人の乙女がフラれているか、分かりゃしねえな。結ばれる縁があれば、その影ではどろどろに嫉妬や憎悪に黒く塗り潰されて腐り落ちる縁もあり、か」
月読は椅子に座りながら、窓の外を覗き見る。
賑わっている駅とは離れた場所にあるせいか、通行人はごく少数だが、その彼らですら何かに悩み、もがき――そして誰かを憎んでいる。
「難儀だね」
月読は目をすっと細くして呟いた。
散々文句を言うだけ言った後、霧夜と天照は去っていった。正確には霧夜を宥めるために天照が連れ出してくれたわけだが。
「い、行きました?」
二人が去ってからしばらくすると、隠れていた姫乃がおそるおそる顔を出した。
「行ったって、天の事かい?」
「は、はい……その、悪い人じゃないって事は分かっているんですが、やっぱり私には『あの気』は強すぎるっていうか」
――忘れる所だった。この娘、霊感が強かったんだ。
『
――それで納得出来るのも、逆にすげえな。
そして霊感が強く、禍々しいものに敏感な彼女にとって、天照の放つ気は強力らしく、いつも彼が現れると何処かへ行ってしまう。
そもそも月読はともかく、周りは神の加護を受けたり、憑き物筋だったりと、普通とはかけ離れた家系の輩ばかりだ。霊感が強い彼女からしたら、人ならざる気配しかしないのだろう。
「まあ、これも縁ってやつか」
「え?」
「いや、何でもねえよ」
月読は誤魔化すように立ち上がると、羽織を右肩にかける。
「ちと出てくるから、留守番頼んだよ。もし何かあったら、教えてくれ」
「は、はい。でも、出かけるってどちらに?」
「そりゃあ、ここは『案内所』だからな。依頼人を……この街で、迷子になっている奴を探しにいくんだよ」
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