26.それは、だめだ

 チャーム・ティアドロップが魔装グリモローブに乗り込み、モニターが点灯するまで外の視界を失っている数瞬の間に、黒木真織は黒い扉を現出させ、魔装グリモローブディモスに乗り込んだのだった。

「えぇ、マオちゃん? 乗ってるのマオちゃんなの!?」

 己の存在を示すかのように声を放つディモスに、チャームは驚きを隠せない。グラキエース島にディモスが現れた話は聞いていた。しかし、その乗り手たる魔法使いメイガスの情報は不足していたのだ。

 そういえばルイズ・ココの、彼女に対する態度が少し変だった気がする。きっとこの事に気づいていたが、チャームには教えたくなかったのではないか。

「……ルイズちゃんにはあとで罰ゲームだねぇ」

『なるほど、グラキエース魔法学園の生徒が、ディモスを――虚無の魔導書グリモアを持つ魔法使いメイガスだった訳ですか』

 そうチャームに告げたアラネア・ニウェウスの声は、楽しそうに弾んでいる。彼女の乗った白き魔装グリモローブカイルスは、一歩、二歩とチャームのネメシスより前に出て、左手でディモスを指差す。

「話を聞いたときから、お手合わせ願いたいと思っていたんですよ」

 操縦席でアラネアはそう語るが、それは通信で繋がっているチャームにしか聴こえていない。

 そして、だむ、と鈍い音と共に、その指先から球状の魔弾が放たれる。ディモスは右足を一歩下げるようにして半身になり、その魔弾を回避するが、掠めた胸部装甲の一部が削り取られるように『消失』した。


「ええ……何今の、虚無の魔弾に似てるけど……」

 己の力を知らせるように放たれた魔弾に、真織は目を丸くしていた。その当たった部位が消失するという性質が、とても覚えの在るものだったからだ。

 すかさずイヴが解説に入る。

『今のは裂空の魔弾ですね』

「れっくうのまだん?」

『性質は虚無の魔弾とよく似ていて、魔弾そのものが空間の裂け目という事です。繋がっている先が虚無の領域ではなく、同じ魔法世界マナリアのどこか、という違いはありますが』

「そんなのが出来る魔導書グリモアがあるんだ。虚無の魔導書グリモア以外に」

『ええ、それに指先だけであの変換効率。恐らくは――』

 表示板に映る白い魔装グリモローブを見るイヴの表情は、どこか忌々しげだ。

『空間の魔導書グリモア原書オリジナルの所持者でしょう』


 再び放たれた裂空の魔弾をディモスは飛び退いて回避。そして続く三発目はディモスが出現させた虚無領域への穴に吸い込まれた。

 性質が同じなら、障壁シールド系の魔法はその構成神秘マナごと他の空間に飛ばされてしまうので、穴を開けられてしまう筈。

そこで真織は咄嗟に大穴を開け吸い込ませたが、同じ魔導書グリモアによる魔法は同時には使えないから、タイミングによっては使える手段ではなかった。

「何が効くのか、ちょっと読めないけど――」

 業を煮やして真織はディモスの五指を白い魔装カイルスに向ける。

「ハインリッヒの指!」

 それは真織の得意技。五指の先端を順に魔法の発動点とする事で、溜めの時間を作らずに放たれる虚無の魔弾の高速連射。

 やはり初見でこれに対応するのは難しいらしく、どうにか横に跳んで避けようとしたカイルスは致命傷は免れたものの、右肩の装甲が砕かれ、爆ぜた。

「へぇ、面白い使い方しますね。……でも!」

 カイルスが、五指をディモスに向けた。まさか、と真織が思った刹那、裂空の魔弾が暴風雨の如くディモスに向けて叩きつけられる。

 慌てて飛び退いて距離をとるが、それでも数発、二の腕と脚部の側面を掠め、装甲がえぐり取られてしまう。

 やむなくディモスが着地点からもう一度跳んで後退する。これでおおよそ有効射程の外の筈だ。

「なるほど、私に出来る事は――」

「――私にも出来るんですよ!」

 お互いの言葉の聞こえない操縦席でほぼ同時に、真織が悔しげに呟き、アラネアが勝ち誇る。

 真織が次の手を迷ったその時。

「っ……ぁあっ!!」

 真織の身体に激痛が走った。機体には破損も衝撃も無い。

 黄色い魔装ネメシス弓杖ボウロッドから放った赤黒い魔法の矢が、弾道を無視してディモスを追跡し、操縦席を貫いたのだ。

『マオ、大丈夫ですか』

「……っ、なに、コレ……めちゃくちゃ痛い……」

 意図せず溢れてくる涙を上着の袖で拭い、イヴと共に視線をネメシスに向けると、既に二の矢をつがえている。

『怨恨の魔弾……呪詛の魔導書グリモアですね。対象をどこまでも追尾し、物理的な破壊ではなく苦痛を与える。その威力は対象への恨みの大きさに比例するとか』

「ティアさんに……恨まれる心当たり、あるなぁ……」

 しょっぱい鼻水を啜りながら、この痛みに込められた恨みを推測する。彼女が殺人者だと看破したのは真織なのだから、恨まれているだろうと思った。

『場合によっては一撃でショック死に至ったり、長く痛みが続いたりするそうですよ。なので、まだ『めちゃくちゃ痛い』程度で済んでいる、とも考えられます』

「気休め、どうもっ」

 しかし魔法なのであれば、あの矢も変換された神秘マナで出来ているはず。

 裂空の魔弾であれ怨恨の魔弾であれ、とにかく出力の高い魔法をぶつければ相殺できると踏んで、地面に黒い穴を開け、そこから長杖スタッフを取り出した。

 その杖の頭を二機の魔装に向けて構えた時、真織の魔法通信端末マナフォンが、鳴った。


 アイラとエウルは、行く先からの振動やら騒音やらを察知すると、急いでそこへ駆けつけた。

 するとディモスの姿が見えた。その上二機の魔装グリモローブ、それもどう見ても特殊機体スペシャルと戦闘しているものだから、訳が分からない。

 とは言えディモスと戦闘になっている事から見て友好的ではない相手だろう。ディモスが注意を惹いているうちに、急ぎ巨木の太い幹に駆け寄り、地面より隆起した太い根と根の間に身を隠す。

 そこでアイラは、真織の端末に連絡を入れてみたのである。

『あー、もしもし?』

「マオ、ちょっと状況分からないけど……大丈夫? 怪我はない?」

 アイラのその問いに、ちらりとディモスの目が巨木の根本アイラ達を見た。そして少し間を置いて、真織が息で笑ったような、そんな声が聞こえた気がした。

『……うん、今のところ大丈夫。それより、出来たらあの子たちより先に、木の上の魔装グリモローブ魔導書グリモアを確保して』

魔装グリモローブ?」

 その時、ディモスの目の前に”白い”穴が開いて、そこから飛び出した白い魔装カイルス勢いのまま、剣杖ソードロッドで刺突を仕掛ける。

 自身の付近とディモス付近の空間を繋げ、一瞬で距離を詰めたのだ。

 真織は予測していたのか構えた長杖スタッフで何とか相手の切っ先を打ち落とすが、近接戦闘への苦手意識があってか、翼状の飛翔外套フライトクロークを展開し、空中に逃れる。

「……! 空間の魔導書グリモア!」

『そうみたい。それで、この白いのは知らないけど……向こうの黄色いのは、ティアさんが乗ってる』

 虚無の魔弾と裂空の魔弾が空中で衝突し、相殺される。魔法の強度は同程度という事のようだ。その直後にカイルスも飛翔外套フライトクロークを広げ、ディモスに追い縋った。

 魔弾の打ち合いをしながら、白と黒の魔装は空中に戦場を移していく。

 真織の言葉で、アイラは大体の事情を呑み込む事が出来た。送り手が原書オリジナルを狙っている。チャーム・ティアドロップを取り逃がしたのだから、充分に考えられた事だ。

「チャームさんに、原書オリジナルを渡すわけにはいかないわね」

『……大丈夫だよぉ』

 その通話に、間延びした声が割り込んだ。見れば、アイラの顔の横でアーチェがにこにこ笑っている。

『ここまで来れたからねぇ。エウルが協力してくれたら、大丈夫』

『……え、誰?』

「ぁ、ええ、と、終わったら話すから、マオは敵機に集中してて!」

 ぴしゃりと言って通話を切る。

「えっと、今のって、どういう……」

 通話を横で聞いていたエウルが、おずおずとアーチェに疑問を投げかける。

『この巨木はねぇ……木の上にあるタイタニアの魔導書庫アーカイヴと繋がってるんだよ』

「タイ、タニア……」 

『トキ・アニージアの魔装グリモローブだよぉ。今はこの木と繋がってて、その根を通じて、森中がタイタニアの影響下にある。この森自体が、生命の魔導書グリモアを守る結界なんだぁ』

「……大体わかったわ。あなたが森の妖精だなんて、嘘っぱちってことね?」

 アイラ・グラキエースは彼女アーチェの正体に感づいて意地の悪い言い方をしてみると、アーチェはちろりと小さな舌を出してから、答えた。

『へへー♪ でも今はこの森イコールタイタニアの魔導書庫アーカイヴとも言えるんだから、その魔導書庫アーカイヴ管理妖精のボクは、森の妖精で良いと思うんだけどなぁ?』

「ええええ!? イヴちゃんの同族って事?」

 アーチェの言葉に驚いたのは、その場においてエウルだけだった。そのエウルの鼻先に近づくと、アーチェはふんわりと優しい眼差しを、眼鏡の奥に向ける。

『さ、エウル。その根に手を触れて。君の願いを、祈りを、神秘マナに乗せて。生命の魔導書グリモアに送るんだ。そうすれば――』

 エウルは、導かれるように手を伸ばす。アーチェは道を開くように、そして彼女に付き添うように、エウルの隣を飛ぶ。

 そうしてゆっくりと足を運ぶとやがて、指の先が巨木の根の樹皮に触れた。

『――魔導書グリモアはきっと、応えてくれる』


 カイルスが時折空間転移で幾度も間合いを詰め接近戦を仕掛けてくるが、しかしその度にディモスは距離を離し、魔弾での反撃を試みる。

 空中での機動のみであれば、ディモスの方が優位のように見える。しかしそれは機体の性能によるものではなかった。

『大したものです、マオ。空中でこうも動けるとは』

「マイアさん達のお陰かな。このスピードなら、まだ余裕あるよ」

 感心するイヴに、真織は得意げに応えた。

 銀星隊と共闘した時、ディモスはシンフォニアの上に乗っていただけだったが、それでも真織は周囲の状況から目を離さずに居た。その速度への慣れや、彼女らの機動を見たそのイメージが、ここへ来て活きているのだ。

 対してカイルスの乗り手アラネアは、速度に慣れておらず、制御できる自信のある速度までしか出せていない。間合いについては空間転移に依存しているフシすらあったから、空中で彼女の追撃を振り切るのは、真織には容易だった。

 それでも地上から打ち出され追いすがる怨恨の魔弾は振り切れないので、それは虚無の魔弾で撃ち落とす。死なないにしたって集中が大きく乱されるし、あの痛みは出来れば二回目は避けたいと、真織も必死だ。

 真織の現状の目標は、生命の魔導書グリモアを渡さないこと。それをアイラ達が確保してくれるなら、無理に敵を排除する必要はない。

 対して相手にしてみれば、ディモスがここで存在を示し続ける限り、タイタニアの運び出しが困難だ。魔装グリモローブ一機の妨害を無視してそれが出来るほどの大戦力ではないのだ。

「このまま逃げ回ってれば、私達の勝ち……って」

 ちらと地上を見ると、弓杖ボウロッドにつがえた魔弾の鏃が、巨木の根元に向いているのが見えた。

「それは、だめだ」

 そこに、アイラ達が居るのに気づかれてしまったらしい。真織の背筋に冷たいものが這い登る。

 黒い翼が、地へ墜ちるように、そしてそれよりも疾く、翔んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢幻のグリモローブ ―魔法機械と少女の明日― 空 幾歳 @ikutose03

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ