12.感謝なんてしない

「……シックくんに、無視シッカトされて、しくしく……」


「まだ言うんだ……いや、苦しくない?」

 エウルの言葉で、時は動き出す。

 呆れたシックと、ウソ泣きから顔を上げたエウル。視線が交差すると、おかしさがこみあげてきて、二人とも表情が緩んだ、その時だ。


「何事だ、これは!」

 その初老の男がずかずかと病室に入ってきた。ずり落ちた布団に血に汚れた枷を見れば、何事かと言葉に出ても仕方がなかった。

 続けて、シックの身柄を任されている医師が入ってきて、エウルの姿を見つける。

「セプテムくんか。ここは立ち入り禁止となっていたはずだよ?」

「あぁー、すみません、すみません!」

 慌てて医師にペコペコと頭を下げる。が。

「……僕が」

 シックがそれを、声で制した。

「僕が抜け出そうとして、その音で駆けつけてきただけだ、その子は」

「……ほう」

 初老の男、ボア・ソルダートは内心驚いていた。何日も彼に聞き取りを行い、聞き出せたのは名前程度。これだけ何かを主張する少年の姿は、彼をここに連れてきてから初めて目にする。

「それに、その子、この部屋の鍵、持ってたみたいだ。そっちの手違いで渡したんじゃないの?」

「何? そうか、担当職員に注意しなくてはいけないね……」

 頭を下げるエウルと、手違いを責める事でそれを擁護するシックの姿を見て、医師は溜息を吐いた。エウルなりの使命感は理解していたから、医師もそれ以上責める気にはならなかった。

「どうした、ボア・ソルダート。例の少年の病室はここなのだろう?」

 その二人の男性の後から、続けて入ってきた人物に、エウルは、あっと声を上げた。昨日会ったばかりの、忘れようのない人物だ。

「おや、エウル・セプテム。……なるほど救命班志望として、勉強しに来ているという事だな。感心、感心」

 ツンドラ・グラキエースはそこにエウルが居ることなど問題にしていないようで、エウルにはそれだけ告げると、シックの前に立ち、その顔を覗き込んだ。

 シックは言葉に詰まる。なぜならその瞳が、とよく似ていたからだ。

「ぁ、う……」

「私が分かるか? 私はツンドラ・グラキエース。お前たちが良いように遊んでくれた、白槍隊ホワイトランサーズの隊長で、この島を護るべき領主の妻。そして」

 そこで言葉を切り、少年の額は目の前の女性の手の指で弾かれる。

「ぁ、つっっ……!」

「お前が杖を向けた娘の母親でもある。つまりお前は、最低でも三つの意味で私に敵対した。本来なら厳罰に処するところだが……被害は結局皆無だったし、お前の身体の事もある。だから今は、これで勘弁してやる。感謝したまえ」

「……僕は早く、今の世界を終わらせたいんだ。感謝なんてしない」

 シックは額を抑えながら、見下ろすツンドラを睨み返す。

「分かった、それは好きにしろ。お前の身体に同情もしてやる。だが我が領民を道連れに差し出す理由にはならん。特に自分の命の使い道も判らん小僧にはな」

 そうツンドラは言い捨てるとシックに背を向ける。

「ボア・ソルダート。エウル・セプテム。二人に話がある。少し付き合え」


「ほう、あの少年がそんな風に話したのか」

 ボア・ソルダートはエウルからの聞き取りを行い、エウルは事の顛末を素直すぎるほどに洗いざらい話していた。

 ボアは少し考え、「ツンドラ様」と声をかけると、ツンドラは頷いて告げた。

「エウル・セプテム。君に頼みがある」

「は、はい!」

「一つは、都合の良い時だけで良い。あの少年の話し相手になって貰えないか」

「ぇ、いいん、ですか?」

 エウルはきょと、と目を丸くする。それに対し、ツンドラはニヤリと口の端を上げた。

「ああ、白槍隊のとして、あの病室に入るのを許可しよう」

「み、見習いですかっ!」

「シックも、老骨相手より、君のような年の近い相手の方が話しやすそうでな」

 ボアもそう言って表情を緩める。

「無理に何かを聞き出そうとしなくてもいい。ただ、話した内容は君が話して良いと思う範囲内で、我々に報告して欲しい」

「わかりましたっ!」

「それと、もう一つなんだが……これは今後気をつけて貰いたい事でな」

 そう切り出すボアだが、なにやら言いづらそうに、続けた。

「君は彼の怪我に、治癒の魔法を使ったと言ったな。……今後は可能な限りやらんでくれ。怪我の時は止血して、自然回復に任せるように」

「ぇ、それって……もしかして……」


「……あの少年は、華紋病を患っておる」


 ボアの口からその病名を聞いて、エウルの表情がみるみる青ざめていく。

「……そんな……私、その……ごめんなさい!」

 この魔法世界マナリアに存在する、恐らく神秘マナ由来の疾患と思われる華紋病。罹患すると胸のあたりに黒っぽい痣が現れる。華紋と呼ばれる痣は次第に大きく花のような形となり、蔓のような痣が四肢まで伸びていく。

 その進行とともに循環系や呼吸器系に負荷がかかるようになり、心臓の痛みや呼吸時の痛みを伴う事となる。

 やがて胸全体が花に覆われた頃には、花は患者の生命の全てを吸い付くし、その命を終わらせてしまう。

 この病は、腫瘍のように切除するのも難しく、表皮だけ剥いでも変質した組織は内部にまで及び、現状では有効な治療法が確立されていない。

 魔法でどうにかしようとしても、華紋は罹患者の体から生命力を吸い取り、華を咲かせていくのだ。神秘マナを生命力に変換し、それを注ぎ込んで傷や病を癒やす従来の治癒魔法では、却って進行を早めてしまう事になる。

 エウルは治癒の魔導書を取り出したときの、シックの怯えたような表情を思い出していた。

「まあ、救命班の見習いとしては大失点と言わざるを得ない。知らなかったとは言え、病室に居る患者だ。出血量も少なく、止血の道具も持っていたはず。慌てて魔法を使う前に、先に医師に確認すべきだろう」

「……はい」

 ツンドラからの指摘に、エウルは肩を落として小さくなる。自分のしでかしてしまったこと。無思慮に人の命に触れてしまった恐ろしさに、心臓が早鐘のように鳴り、指先が震え、吐き気がした。

「しかし拙速であっても、その懸命さを私は買いたい。だから君に、あの少年を任せるのだ」

 そのツンドラの言葉に、エウルは唇を引き結び、頬を両手でぱん、と張って。

「はい」

 その確りとした答えに、いつもの緩い感じはなかった。その顔に満足気に、ツンドラは頷いた。

魔法使い協会ユニオンには君への指名依頼として出しておく。だからいつもの仕事の延長上で、好きなときに受けておいてくれ」



『歓迎 ロサノアール魔法学園御一行様』


 そんな事がごちゃっと書かれたボードを掲げ、黒木真織は空港で待機していた。

 アイラと合流した時、エウルは今日も病院だと告げると、知っているという反応だった。どうやら、アイラの母ツンドラがエウルに仕事を任せたという事のようだ。

「お花が好きだからって緑化委員もやってるし、あれで忙しそうなんだよね、エウル」

「マオも何かやりたい事があったら、どんどんやっていいのよ?」

「……お手本にしてる人が暇そうだから、それでいいやってなっちゃって」

「お手本て、誰の事よ?」

 全く心当たりがない様子で興味津々なアイラの質問に、まさか目の前にいる人物だと答えるわけにもいかず、真織は目を泳がせた。

 その逸らした目の先に、見上げる瞳があった。

 真織より小柄なエウルよりも、さらに低い位置からその瞳は見上げていた。クリーム色のふわふわな短髪と、こめかみの辺りにくるりと巻いた角。銀の縁取りの入った黒い制服を着ていなければ、その少女は同じ中等部生とは思えないほど幼い印象を受けた。

「ぁの、グラキエース魔法学園の方ですかぁ?」

 その声と口調は見た目通りにふわふわだ。

 苦手なタイプだ、と真織は直感したが、逃げ出したくなるのをどうにか堪えていた。その隣で、仕方ない、とアイラは肩をすくめて、少女に対応する。

「ええ、ごきげんよう。チャーム・ティアドロップさんに……ルイズ・ココさんね。グラキエース魔法学園から迎えに来ました」

 そう、アイラはチャームの後ろで唖然として立ち尽くしている、同じ制服のピンク髪の少女にも声をかけた。

(あいつ……あの時の……!)

 アイラの銀の髪を見て、先日、この島を訪れた時の忌まわしい記憶が蘇る。あの時とは違う白い制服を纏っているが、あの少女に間違いない。けれど、それを声に出すわけにもいかず、首を傾げるアイラに何とか取り繕ってみる。

「ぁ、ご、ごきげんようっ! ルイズ・ココです。わざわざお迎え、ありがとうございます!」

「いえいえ、領主一族として当然のことです。私は、アイラ・グラキエース。こちらは……助手の黒木真織よ」

「助手だったんだ、私」

「そしたらマオ。他に何て言ったらいいか教えてくれる?」

「…………ごめん、私が悪かった。ココさんも、話の腰折ってごめんね」

 黒木真織は言いながら、持っていたボードをごそごそと大きな鞄にしまい込む。

 先日の記憶を思い出していたため、ルイズはその黒髪の少女黒木真織のやる気のない声にも思い当ってしまい、ますます混乱する事になった。

「だだだだ大丈夫大丈夫、クロキさんもよろしくっ!」

「……ルイズちゃん、なに猫かぶってるのぉ?」

「う、うるさいチビ羊!」

 そのやり取りに、その少女の素が伺えて、アイラと真織は顔を見合わせる。

「……猫も羊も、かわいいよね」

「そうだけど、そうじゃないでしょ」

 アイラはそうは言ったものの、言われるとのんびり仔羊と猫がじゃれ合っているようにも見えて、つい吹き出してしまった。

 が、このままでは収拾がつかないので、ぽん、と一つ手を打ち鳴らす。

「と、おしゃべりは歩きながらでも。二人とも、グラキエース島、そしてグラキエース魔法学園にようこそ。先ずは寮まで案内するわね」

「はぁい、おねがいしまぁす!」

「う、うん、お願いします!」

 ギクシャクしながらも、ルイズは三人の後ろをついて歩く。

(……あの時の銀髪が領主の娘で、ディモス乗ってたのがあの黒髪だって? 着いて早々、何なのこの状況は!)

 ただでさえ同行者が頭痛の種なのに、と、ルイズは巡り合わせというものを呪い、これは運が良いのか悪いのかと、測りかねていた。

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