二章-2 友達という引紐(リード)

 7.お友達になってくれる?

 諸々の書類が積まれた机を前に、上等な椅子に背を凭れて、この学園長室の主である銀髪の青年は天を仰いだ。

 黒木真織が学園に編入されてから、一週間ほど経つ。

 アイラと真織が、魔導書グリモアタイガの管理下に置くのを容認することと引き換えに、提示した条件は主に二つ。

 一つは、真織を学園に編入し、学業及び学園生活を全面バックアップすること。彼女をこの世界、この島に繋ぎ留めるなら、それくらいは必要経費だろう。

 二つ目は、物質世界マテリアに居る真織の家族・交友関係のフォローをする事であった。

 その際には、もし真織が居なくなったことで彼女の家族の生活に支障が出るようであれば記憶操作・文書偽造等もやむなしだが、生命財産に危害を加える事の無いように、という事だった。

 アイラがこちらに戻ってくる時には、勿論そうした処理をする予定であったので、その為の人員は既に向こうに潜伏しているから問題なく実施可能である。アイラはその範囲を最小限にする為あえて交友関係を広げない対応をとっていたし、真織はそうでなくとも目立たないように生活していたので、そこまでの負担はないだろう。

 とはいえ、二人分の不在をフォローするとなれば単純計算で仕事量は当初の倍である。それを実施する人員の人件費も見直さねばならない、と、そう思っていた。

 ところが、それを実施する前に、その人員からが上がってきていた。日付は、黒木真織が入寮した翌日、向こうの曜日にして月曜日。その報告書には、が何枚か添付されていた。

「……彼女は、何かを味方につけているのか、または何者かの陰謀か……御家族も関わる以上、下手に手出しできないのがなぁ」

 これを真織本人に問うべきか、否か。まずはアイラに……それはそれで、彼女の暴走を招く気もする。

 ディモス出現から始まるこの一連の事態に、本来対応すべき領主である父、ノース・グラキエースは、白槍隊隊長である母、ツンドラ・グラキエースを連れて王都の式典に参加した後、せっかく自領の島の外に出たのだから、と他島観光しながらのんびり帰還するつもりだという。

「学園の仕事にやりたい魔導書グリモア研究だって山積みなのに……父様、母様、早く帰ってきてくれ……」

 タイガ・グラキエースのその嘆きが、誰かに届く事は無かった。



 真織が中庭のベンチに腰掛け、学食で購入したパンの袋を開けて、小さくちぎるように食べながら、ぼんやり空の雲を眺めていると、その視界が美麗な顔で遮られた。

「ごきげんよう、黒木さん。学園生活、うまくいってる?」

「あ、氷川さん、久しぶり。……おかげさまで、多分?」

 アイラ・グラキエースの問いに、黒木真織の何とも歯切れの悪い応答。

 真織の希望で、彼女はアイラとは違うクラスに編入されていた。アイラと同じクラスだと、やはり頼ってしまいそうで、との事らしい。

 アイラはアイラで居ない間の学園の状況を把握する必要があったため、そんなこんなで、ここ一週間は顔を合わせても挨拶を交わす程度になっていた。

「あ、そうだ。実力証明取れば、中等部でも魔法使い協会ユニオンの仕事受けられるって聞いたけど。あとで取り方教えて」

「それは構わないけど、お金が必要なら提供できるわよ?」

「授業関係なら条件の範囲内だけどさ、空飛ぶ箒フライング・ブルーム、面白そうで調べてたら自分用マイカスタム、欲しくなって」

「趣味の範疇だから借りは作りたくない、って事ね」

「授業用ので、乗り方の練習が先だけど。皆、検定A級だっていうのに、C級が遠いよ」

「他の子は初等部から練習と調整してるから、馴染んでるだけよ。先生に調整の相談はしてみた?」

 ベンチに座って食べながら二人でそんな話をしていると、中庭を訪れる生徒が数人、近寄ってくる。そちらはそちらで談笑していたようだが、ベンチの近くに来ると、足を止めた。

「あらあら、いつもの場所ベンチ、空いてませんわ」

「あ、お嬢様と、隣のクラスの転校生っスね。ちーっス」

 そこには豪奢な金髪を縦ロールにした派手な印象の少女と、短い赤髪をくるくるとカールさせた、ノリの軽そうな少女と――そしてもう一人が、立っていた。

「ごきげんよう。確かあなたは、マリィさんに、パティさん――それに、エウルさんじゃないの」

「ご、ごきげんよう、お嬢様」

 二人の後ろに隠れるように居た眼鏡の少女エウル・セプテムだったが、声をかけられては挨拶を返さないわけにはいかなかった。しかし、どこか挙動不審な気がする。

 もしやと思って真織の方を見ると、あからさまに目が泳いでいた。

「お嬢様が使ってらっしゃるなら、こちらを使うわけにはまいりませんわね」

「お嬢様って、マリィさん。貴方だって、豪商ゴールド家のご息女でしょう? 皆にも言ってるけど、アイラで構わないわよ」

「いえ、グラキエース家に比べたら、わたくしの家など……」

「それと、いつもの場所って知らなくて、本当にごめんなさい。」

「しょうがないっスよ。大体、エウルっちが、場所取り忘れてたみたいなんで」

「ご、ごめん、なさい……」

 消え入るような声でエウルが、マリィとパティの二人にぺこぺこと頭を下げたところで、やにわに真織が立ち上がった。

「座るといいよ。私、食べ終わったから」

 言いながら空になったパンの袋を握りつぶし、傍らの屑籠に放り込む。視線は、その三人から――いや、エウルから逸らしたままで。

 そして、そのままそそくさと歩き出す真織を、アイラが慌てて追いかける。

「ちょっと……待ちなさい、黒木さん!」

 アイラは呼びかけるけれど、後ろめたい者が待てと言われて待つはずもなく、二人は中等部校舎一階の廊下を、速足で歩きながら話すことになった。

「あなた、エウルさんと何かあったの?」

「……あった。私が大体悪い」

「いつ?」

「……入寮した後、氷川さんが帰ってから」

「それって、一週間ずっとこんな感じなの? 何があったの!」

 氷川さんに詰められると弱いな、と観念して、真織は足を止めた。手招きして、階段下の倉庫の前で話そう、とジェスチャーで伝える。

 二人でその狭い空間に立ったところで、真織はその時のことを、ぼそぼそと、話し始めた。


――


「それじゃ、黒木さん、エウルさん、二人とも仲良くね」

 真織が入寮したその日。アイラが調達した布団や衣類等、最低限の物を運び込むと、アイラはそんなことを言って部屋を後にする。

 そこに「お嬢様」の背中を重ねて見るように、エウルは感涙の目で閉じられた扉を暫し眺めていた。

「お嬢様って本当に、素敵だよねー! 綺麗だし、優しいし」

「そうだね。氷川さん、ちょっと強引なとこもあるけど」

 アイラの事を褒められて、何故か真織もにやにやしてしまう。アイラとまともに話すようになって、その時点ではまだ三日だというのに、とても気持ちが浮ついている気もした。

 エウルはと言えば、真織が口にした呼び方が気になったようだ。

「ヒカワさん?」

「あの人、向こうで、そう名乗ってたから。……ぁー、これ話していいのかな」

「向こうって、物質世界マテリアの事? クロキさん、物質世界マテリアから来たの?」

 眼鏡越しにうるうるキラキラした視線が、今度は真織を標的にとらえたものだから、真織は腰が引けてしまいながらも「た、多分、そう。」と答えていた。

「氷川さんに、魔法使いに向いてそうだって、連れてきてもらった」

「それじゃ、お嬢様に気に入られたんだ! 凄いなぁ、クロキさんは……」

「でも、魔法もまだ、あんまり使えないし」

 真織はそう謙遜したが、エウルがそれを聞いている様子は無かった。

「この学園ね、本当に凄い人たちばっかりなんだ。クラスのお友達のマリィちゃんは商家のご令嬢で、土の魔導書グリモアの最上位まで使えるし、パティちゃんは身体強化の天才で、お話してて面白いし。二人とも私なんかと友達なのがおかしいくらい」

「……ふーん。あなたは、どんな魔法を?」

「治癒魔法だよ。家が小さい診療所で、治癒の魔導書グリモアがあったから」

 眼鏡の少女はそう言って、机の上に置かれた緑の表紙の魔導書を手に取って、にこっと笑った。

「それって怪我とか治せる奴だよね。なんだ、私にしたら、セプテムさんだって凄いよ。お友達も多いみたいだし」

「そっかなー、えへへ……」

 照れ臭そうに笑うエウルは、何だか小動物みたいで可愛いな、と真織は思ってしまった。そこまでは、いい感じに会話できていたはずだったが。

「あのね、クロキさんも、私のお友達になってくれる?」

 それは、黒木真織に言ってはならない言葉だった。エウルはそれを知らなかった。真織も、それは完全に事故だと解っていた。解ってはいたのだが。

「……ごめん、私、そういうの、苦手で」

 ひきつった笑顔で、そう答えるしかなかった。


 それから、二人の間には気まずさが流れるようになった。真織は自分のやらかしで、エウルに嫌われたと思っていた。


――


 話を聞いたアイラは、額を抑え、「はぁ~……」とため息をついた。

「……めんどくさい黒木真織が発動したわけね」

「ごめん、自覚はしてる」

「それ言っちゃえるとこも、面白くて気に入ってるんだけど」

 肩をすくめて苦笑いするアイラに、自分を頭ごなしに否定しないその優しさに、真織はこの一週間の針のむしろが、何となく少し報われた気になった。

 そしてアイラは、一つ目の質問を真織に投げる。

「それで、『そういうの』って、どういうのか、説明できる?」

「ぇ、あ、んー……そっか、そうだよね」

 真織は感覚的に『苦手』と思い込んでいて、それを無理に他人に説明しようとは考えていなかった。アイラに言われて、少し考えて。

「友達になろう、って言って友達になるとさ。お互いに『友達』っていう引紐リードで繋いだような気になるんだよね」

引紐リード?」

「うん。それで力が強い方が……相手を思い通りに動かそうとして、だんだんそれを強く引っ張るようになっていったり……それが、私は嫌なんだと思う」

「なるほど。言いたいことは、何かわかる気がするわ」

 整理しながら言葉を繋げる真織に、アイラは腕を組んで頷いた。それはそれで納得したが、しかし二つ目の質問を投げる。

「でもそしたら、黒木さんにとって、どうなったら『友達』っていう事になるの?」

「うーん……」

 真織は再び考え込んだ。ここ数年、考えることをやめていたテーマだが、その答えが見つからないと、今の事態は変えられない気がしていた。

 真織は少しずつ、思い浮かんだことを整理して、言葉にしていった。

「なんかいいな、とか、凄いな、素敵だな、とか、応援したいなとか、お話して楽しい、とか……それが、積み重なったら『友達になりたい人』、で」

「ふんふん」

「お互いに『友達になりたい人』になって、一緒にいたり、お話したり、遊んだりするようになったら、『友達』って、言えるかも」

「確かに、そうなれたら素敵ね」

 アイラにとって及第点の答えだったようで、彼女はにっこりと笑った。そして、言葉を続ける。

「さっきの『引紐リード』、解りやすいと思ったわ。でも、私なんて立場上、引紐リードで雁字搦めじゃない?」

「……そっか、領主様の一族だと、そうなるよね」

「そんな状態でも、『自分から強く引かないこと』『強く引かれても動じないこと』『それでも強く引かれたら、切っても構わないこと』を心に留めて置けば、その中で黒木さんの言う『友達になりたい人』を見つけることは、出来るかもって、思ったわね」

「それって……ぅーん、難しくないかな」

「そう? 友達になってって言われて、その場で断ってしまえる黒木さんなら、ちょっとやり方変えるだけだと思うけど」

 アイラにしてみれば、それを断るという方が難しい。大抵の場合、表面上友好的な相手なら、後が怖くて友人付き合いを断れるものではないのである。

「大体、黒木さんは考えすぎなのよ。大抵の『友達になって』って、『友好的で居て』『敵対しないで』くらいの意味しかないものよ」

「そっか……そうかも」

 と、真織が納得したところで、昼休み終了の予鈴が鳴る。

「ありがと、何かもう、大丈夫な気がする」

「それなら良かったわ。あ、ちなみに」

 と、アイラが悪戯っぽく笑って、三つ目の質問を投げかけた。

「私は黒木さんの、『友達になりたい人』になれてるかしら?」

「……言わせないでよ、そんなの」

 真っ赤になって口をとがらせるその表情が答えと受け取って、アイラ・グラキエースは上機嫌で自分のクラスに戻って行った。

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