6.転入生だったんですね

 歓迎の言葉を述べたタイガ・グラキエースは、笑顔のまま、しかし射るような鋭い視線を真織に向ける。

「さて、君にも聞きたいことはあるだろうけど、先ずは僕の質問に答えて欲しい。そういう立場なのは、理解しているね?」

 真織がちらりとアイラに視線を向けてみると、彼女は大丈夫、と言うように力強く頷いた。それは、いざとなれば兄と喧嘩してでも真織を守る、と言っているようで、それが真織の支えとなって、タイガの目を見て真っ直ぐに答えることができた。

「はい、大丈夫です」

「結構だ。君の魔導書グリモアは持ってきているかい? できれば見せて欲しいんだけど」

「はい」

 鞄――これはアイラの持ち物から借りたものだ――を開けて、そこから黒い表紙の分厚い書物を取り出す。

 それを机の上に置くと、タイガはそれを手に取り、表紙、裏表紙とひっくり返して確認し、そして表紙を開いてその記述を確認した。

「……凄いな。これは確かに『虚無の魔導書グリモア』の原書オリジナルだ」

「兄様、知っているの?」

「ああ、デイヴォ・チャコールが所持して居た魔導書グリモアで、写本が存在しない。すべて解釈した魔法使いメイガスが居ないんだ。内容を全てきちんと解釈しないと、写本は作れないからね」

「デイヴォが、作ったのが」

 タイガの言葉に、真織は思わず声をあげてしまう。が、視線を向けられると、次第に声が小さくなっていく。

「……あるはず、です……」

「あれは、未完成なものだよ。僕が預かってるけど」

 探るような視線で、タイガは真織の表情を観察している。下手なことは言えない、そういう雰囲気があって、落ち着かない。

「君はデイヴォに随分拘りがあるみたいだね。これを持っていたり、写本の存在を知っていたり。何か繋がりがあるとしか思えないんだが、どうだい?」

 タイガが口にした質問に、アイラが心配そうな視線を真織に送る。

 真織はそれに対して頷いて見せると、口を開いた。

「私は、八年くらい前に、向こうの世界からこの世界に……神社の鳥居から、この島に、迷い込んだ事が、あるんです」

「八年……君の世界とこちら側の時間は、あの転移門を接点として同期してる。となると、あの事件かな」

「多分思い出してる事は、同じだと思い、ます。その時にディモスが壊されて、隠れて街に入ろうとしていた、デイヴォに会いました」

「八年前……? 白槍隊ホワイトランサーズの出撃が多かった記憶はあるけど」

 タイガと真織の間では話が通じているようだったが、アイラには話の見えない部分が多く、二人に尋ねると、タイガは当時のアイラを思い出したのか、優しい目で答えた。

「送り手たちの活動が激しかったからね。真黒のデイヴォ襲来もその一つだ」

「ディモス一体に、やむなくパラダイン五体を投入したアレね……そんな恐ろしい送り手と会って、黒木さん、よく無事だったわね」

「ぁー……何か、心境の変化があったみたい。しばらく一緒に過ごしてたんだ」

 うまく語る言葉が見つからず、しかし思い出すと懐かしくもあって、真織は苦笑いする。しかしタイガは、その言葉に反応した。

「そう、その心境の変化だ。彼はその直後に起きたグラキエース島存亡の危機の時、僕らの味方をして大きな貢献をしたんだよ」

「……!? そんな記録、見たことないわよ!?」

「当時の判断でね。その事件自体が島民を混乱させる恐れがあったし、デイヴォの罪は重すぎた。その関係で、公表も記録もされてない」

「……そんな事に、なってたんだ」

 タイガの語った事実は真織にとっても衝撃が大きかった。その後にすぐ魔導書を貰って元の世界に戻ることになったから、その後のデイヴォがどうなったのか、真織は全く知らなかった。

「……まあ、大体の事情は呑み込めたよ。君はデイヴォ個人との接点はあっても送り手との繋がりはない。それどころか――」

 と、タイガは机の上の黒い魔導書を真織の方にずい、と差し出した。

「彼の変化は、君のおかげという可能性が高い。と、魔導書グリモア、どうもありがとうね」

「あ、いえ……」

 真織はおぼつかない手で魔導書を引き寄せると、鞄の中にそれをしまい込む。タイガは目を細めて小さく頷くと、すぐに腕を組んで考え込んだ。

 しばしの沈黙が学園長室に流れるが、やがて真織が小さく手を挙げて言った。

「あの、私、向こうに帰らないと……昨日の夕方には帰ると、母に伝えていて」

「……それなんだ。正直、難しい」

 深く息を吐いてから、タイガが告げる。

「あの転移門、ですっけ、使えないんですか?」

「いや、使えるよ? でも領主代理としては、その魔導書グリモアの所持者である君は、管理下に置いておきたい」

「……そうなります、よね」

「信頼のおける誰かに……例えばアイラとかに譲渡してもらえば君は解放できるけどね。魔導書グリモア譲渡のやり方、知ってるかい?」

「兄様!」

 アイラが憤慨して兄を睨みつけるが、彼は苦笑いで返すしかないようだった。

「うん、申し訳ないとは思うよ。でも、アイラの気持ちや、黒木さんの意思を尊重してもなお、そう判断せざるを得ない。魔導書グリモア原書オリジナルはそれだけ、この世界にとって重い存在なんだ」

「話にならない……黒木さん、行きましょう!」

 アイラは肩を怒らせて真織の方を向いた。そして何が起こるのかと困惑している真織のその腕を掴むと、先ほど入ってきた扉に引っ張っていくものだから、真織は「わ、え、ちょっと」等と情けない声を上げながら、学園長室の外に引きずり出さるのだった。

 二人がその部屋を去ると、タイガはわらって、頭をかく。

「また、嫌われちゃったなぁ……」



 ズカズカと職員棟の廊下を歩くアイラのその後を、引きずられるように真織は歩いていた。

 すれ違う教員たちの、何事かと振り向く視線もあったが、そこでアイラの姿を認めると、いつもの兄妹喧嘩の結果と思われたようで、すぐに興味の対象外となったようだ。

「ちょっと、氷川さん、どうする気?」

「どうもこうも無いでしょう。あなたは向こうに帰る、私はご両親に謝る、ともかく兄様の手が回る前に、転移門に向かうのよ!」

「ぇぇー……」

 当事者であるはずの真織を差し置いて、アイラが怒りを顕わにしているいるものだから、真織は却って冷静になっていた。

「でも、お兄さんの言ってることもわかるよ。そういう立場なんだと思う」

「だけど!」

「あのさ、氷川さん」

 真織がそこで立ち止まると、それがブレーキになって、アイラも立ち止まらざるを得なくなる。

 振り返るアイラに、真織は首を傾げて、こんな質問を投げてみる。

「私の為に、怒ってくれてる?」

 アイラは「そうよ」と開いた口から出かかって、しかしそれが声にならなかった。ひとたび口を閉じ、首を振ってから、改めて、その思いを言葉に変えていく。

「……違うわ。全部、私のせい……私が、黒木さんをここに連れてきたせい。だから、自分で、腹が立って」

「氷川さん、責任感強そうだもんね」

「でも兄様にも腹が立ったのは本当よ。黒木さんを魔導書グリモアのおまけ扱いして」

「そっか、ありがと」

 後付けのようでもあるが、それも本心だと解る。真織にはそれが心地よく、また自分が微かに笑っているのに気が付いた。家族以外の誰かと話していて、こんな感覚を覚えるのは、いつぶりだろうか。

 感情を言葉にしてみてアイラも落ち着いたのか、改めて真織に問う。

「その、黒木さんは、どうしたいと思ってるの? 居なくなったら、向こうで、結構な騒ぎになっちゃう気がするけど」

「女子中学生行方不明……確かに大事件だな。前の時は戻ってから『よく覚えてない』で通しちゃったけど、流石にめんどくさい……」

「だったら、やっぱり」

 と、気遣って帰還を勧めようとしたアイラの言葉を、真織の言葉が遮った。

「でも、そこだけ何とかすれば、魔法世界こっちにいてもいいと思ってるんだ、私」

「え、どうして……?」

「どうしてって、学園にスカウトしてくれたの氷川さんでしょ」

「それは、そうなんだけど」

「あ、氷川さんのせいって事じゃなくて……言い方悪かった、ごめん」

 申し訳なさそうなアイラの様子に、真織は両手を振って慌てて補足を入れる。

 書庫の妖精イヴは語彙力が上がっていると評してくれたが、小学校入学前後の子供と比べての話だ。言葉の足りなさを自覚していたが故にどうにか気づく事が出来た。

 その自己嫌悪にチクリと刺されながらも、真織は言葉を続けた。

「まず、デイヴォが魔導書グリモアを預けてくれたでしょ? そして、氷川さんが『向いてるんじゃないか』って言ってくれて」

「それはでも、本当に何かピンときた、感じで」

んでしょ? 何かね。『いいな』って思った人たちが、直感でもなんでも期待してくれて、気にかけてくれて」

 微笑んだまま真織が、目を瞑った。アイラには真織が何を思っているかはわからないが、それが少し、眩しく見えた。

「それなら、こっちでやってみたいなって思ったんだ。魔法使い」

 そうやって言葉足らずながら伝えられた真織の意思に、アイラは少し考えて、そして口を開いた。

「だったら、黒木さん……こんな感じで、どうかしら」




 花壇の手入れが終わって、授業が無い日のため閑散とした食堂で昼食をとり、そして学生寮の部屋に戻ったところで、エウル・セプテムはのんびりハーブティーをすすっていた。ティーカップからの湯気を浴びると、眼鏡のレンズに塗りつけたはずのくもり止めの効きが悪いのか、視界が白く覆われる。

 寮の部屋は本来二人部屋なのだが、現在はエウル一人で使っている。幾巡り数か月か前まで同室の生徒がいたのだが、王立魔法学園から声がかかり転校することになったとか。

 何も載せられていない対面のロフトベッドが視界の隅に入ると、少し寂しさも感じてしまう。二人部屋として十分な広さもあるので、なおさらだ。

 眼鏡を拭きながらエウルが物憂げに溜息を吐くと、普段は誰も訪れないこの部屋の扉が、ノックされた。

「え、何かな……はーい!」

 返事をして部屋の扉を開けると、そこには先ほど見かけた二人の人物、銀髪の少女アイラ黒髪の少女真織が並んで立っていた。

「ごきげんよう。エウルさん、また会ったわね?」

「あ、お、お嬢様! ごきげんようっ」

「ちょっと、入らせてもらっていい? お話があって」

「どど、どうぞ!」

 突然の訪問者に驚きながらも先導するエウルの、後にアイラが続き、真織も「お邪魔します」と小さく言ってそれに続いた。

「寮の部屋、一人分空きがあるって聞いてきたんだけど、エウルさんの部屋だったのね」

「あ、はい、空いてます、ね」

 部屋の入り口付近に簡易なトイレとシャワー室、お湯ぐらいは沸かせる簡易なキッチンと、奥に入ればロフトベッドが二つと、その下に収められた勉強机が二つ、それぞれ左右の壁に沿って設置されていた。ベッドの一方には綺麗に畳まれた布団が置かれていたが、もう一方は先に述べた通り何も置かれていない。

「……黒木さん、二人部屋だけど、本当に大丈夫?」

「氷川さんそれ、何回確認するの」

「不安ならまだ屋敷うちにいても」

「これも何回も言うけど、もう散々甘えてるのにそんな特別待遇は、気が引けるんだってば」

「あ、あの……」

 部屋に入るなり言い合いを始める二人に何となく話が見えた気がしたエウルは、小さく手を挙げて割り込んでみる。

「新しいルームメイトさん、ですか?」

 アイラがちらりと真織を見て、真織は頷いて、それから二人は答える。

「その通りよ。こちら黒木さん。私達と同じ、中等部二年生に編入される予定です」

「……黒木真織です。よろしくおねがいします」

 真織が名前だけの自己紹介をして、頭を下げたところで、エウルはぱあ、と顔を輝かせて、ずいと身を乗り出した。

「わあ……! やっぱり転入生だったんですね! エウル・セプテムです。よろしくね、クロキさん!」

 その喜びよう、その勢いを浴びた真織は、たじろいでしまって。

「……氷川さん、やっぱりお屋敷の部屋、使ってていい?」

「今更、何言ってるの。期限切れよ。受付は締め切りました」

 真織の申し出をあまり本気ではない、と受け取ったアイラは、冗談交じりにそれを断るのだった。

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