最終話

 羽田空港の中国四国以西方面の出発ロビーは、秋の行楽シーズン最後の連休とあって、家族連れやグループ客を中心にカオスのごとくごった返している。

 傍若無人に走る回る子供たちや、床に広げたスーツケースの中身を引っ掻き回す年配の旅行客を避けながら、政雄は待ち合わせ場所に指定された時計台を目指した。

 数人の待ち合わせ客に交じって、マットなシルバー色のスーツケースを横に、落ち着いたグレーのジャケットを身にまとった優子がスマホをに視線を落として佇んでいた。

「早いんだな。待ったか?」

 政雄は手に提げていたボストンバッグを足元に置いて、優子に声をかけた。

「ううん、今さっき着いたとこ。でも、凄い人ね。歩くのが大変で、モノレールの駅からここに来るだけで疲れちゃったわ」

 スマホを小型のショルダーバッグに仕舞いながら優子は明るい声で応えた。

「確かにな。世の中景気が悪いようなことばかりニュースになるけど、飛行機で旅行する人がこれだけいるんだから、そんなことないのかもな……。出発までまだ時間があるから、先ずは搭乗手続きをしてからラウンジでゆっくりするか?……そのスーツケースは預けるのか?」

「うん。持ち込むの面倒だから預けるわ。……ちゃんとジャケットを着てきたのね、感心感心。ネクタイは?」

 優子は中学校の先生が出来の悪い生徒の制服をチェックするように、視線を上下させた。

「ちゃんと持ってきてるよ。久しぶりに革靴を履いてるから足が痛むけどな」

 口を尖らせて抗議するように政雄は言い、スニーカーに慣れてしまった足の甲の痛みに顔を顰めた。

「でもジャケットを着てると少しはましに見えるわね。普段着のあなたって目も当てられないから……一緒に歩くのに気後れしちゃうもの」

「ふん!一緒に歩いてくれなんて頼んだことなんかないぜ。それより昼飯はどうする?食べてきたのか?俺は搭乗手続きをしたらコンビニでサンドウィッチでも買って、ラウンジで食べようかと思ってるんだけど」

 久しぶりに履いたウイングチップの革靴を早く脱いで楽になりたいこともあって、政雄は早口で言った。

「私も空港で軽く済まそうと思ってたからラウンジで構わないわよ……。あ、あそこでおにぎり売ってるから、そこで何か買わない?」

「そうだな、俺も付き合っておにぎりにするか」

 十二時を少し回った時計台の針と、おにぎりを販売している店舗を交互に見ながら政雄は頷き、足元のボストンバッグを持ち上げた。

 それから、自然な動作で優子のスーツケースの把手を持って、航空会社のカウンターに足を運んだ。 

 

 一般客用よりは少しだけ搭乗手続き待ちの列が短い上級会員・・・・用のカウンターでチェックインを済ませ、おにぎりを購入してから手荷物検査場を抜けて航空会社のラウンジに入った。

 昼時のラウンジには多くの上級会員・・・・がいて、空席は一番奥まったところしかなかった。

 窓から離れた席に腰を下ろし、おにぎりをテーブルに置いてから政雄は直ぐにビールサーバに足を向けた。

 優子はそんな政雄に呆れた表情を一瞬見せたが、自分もお茶を取りに立ち上がった。

「一杯だけにしてよ。七時にはあちらのご両親との顔合わせなんだから。酔ってたらまずいでしょ」

「一杯だけだよ。それにまだ六時間以上あるからこんなのあっという間に醒めちゃうって……そうだ、ホテルは何処にした?まさか顔合わせ場所のホテルじゃないだろうな?」

 鮭のおにぎりを頬張り、ビールで流し込んでから政雄は訊いた。

「違うわよ、誰かさんと違ってそんなズボラなことしないって。顔合わせのホテルから歩いて行けるところを予約したわ。繁忙期とあって宿泊費は少し高いけど、久しぶりだからちょっと贅沢をしても罰は当たらないでしょ?」

 優子が揶揄うように言った。

「ば、ばか!何が久しぶりだ!こっちは年金生活者なんだからビジネスホテルで十分だ」

「やっぱり!あなたに任せたら場末のビジネスホテルに泊まる羽目になると思ったから、面倒だけど私が探すことにしたのよ。でも、正解だったわ」

 人目があるからか、普段とは違って上品な仕草でお茶を飲みなが優子が言った。

「大体、何でお前と同じホテルに泊まらなきゃいけないんだよ!」

 残りのおにぎりを乱暴に口に突っ込み、ビールと共に咀嚼してから政雄は言った。

「また同じこと言ってる。認知症でも始まった?怒りっぽくもなったし。何回も説明したでしょ、あちらのご両親に顔合わせの後にホテルまで送りましょうと言われたり、どちらにお泊りですかって訊かれたりした時に、別々のホテルだと不都合でしょ。送ってもらうことはないかもしれないけど、ホテルを訊かれたりしたらあなたって馬鹿正直に表情に出ちゃって、あちらのご両親が一緒のホテルに宿泊していないのはおかしいって、不審に思うこと間違いなしよ」

 今回の旅は、決して優子との私的な旅行などではない。

 一人息子の政広の結婚が正式に決まったので、両家の家族の顔合わせと、結婚式の打ち合わせが目的の福岡訪問である。

 主な目的は政広の結婚に関することだが、前回二人で旅行したことを思い出すのも困難なくらいに久しぶりの宿泊を伴う遠出が決まると、何故か優子は機嫌が良くなった。

 

 政雄は夏に沖縄か福岡に転居しようと、かなり具体的に検討はしたが、結局決めきれずにずるずると東京に居座っている。

 沖縄で仮押さえをしていた物件は、内見もできていない状況下での契約を迫られたのでやむなくキャンセルをすることになったが、その後現地の不動産屋からの連絡が途絶えている状態だ。

 福岡ではサラリーマン時代に良好な関係にあった取引先の社長から、福岡に転居をした上で、仕事を手伝って欲しいという嬉しいオファーがあり、当初は気持ちが動いたが、政雄は最終的には断っていた。

 元の取引先の社長から仕事に関して過大な評価をされているが、それは全てバックに勤務していた『会社』という看板があるが故の評価で、自分の力量だけだはないことは政雄自身が良く理解している。

 だが、先方の社長からは政雄自身が驚くような好条件を提示され、却って自分にはその重責を担うだけの力量がないと辞退をしていた。

 沖縄での物件探しが白紙に戻ったことを、南国での生活を満喫している浩之に報告すると、「余所に行こうなんて不埒な考えは捨てて、素直に奥さんのところに戻れ。それが出来ないようなら、お前はずーっと東京そっち相田と一緒に暮らせ」と、揶揄いのラインが来ていた。

 前半の提案には踏ん切りが尽きかねるが、後半の提案はもしかしたらそれもありかなと、少し自虐的に考えてしまうこともある。

 どこかに移住するなどと宣言したのに、一向に東京を離れない政雄に対する優子のコンタクトは増え、あれ程反目していたお互いのわだかまりも、潮が引くように希薄になりつつある。

 相田との不測の接触を避けるため、政雄の部屋を訪ねてくることはないが、優子とは月に二・三回の頻度で夕食を兼ねて飲みに出掛けるようにもなっていた。


「で、何処のホテルにしたんだ?」

 ビールを飲み干し、未練たっぷりの視線でグラスを眺めながら政雄は訊いた。

「天神駅の近くよ。さっきも言ったように予算的には少しオーバーだけど、駅に近いし口コミも良かったから決めたわ」

 九州の私鉄系のホテルの名前を言って、優子はおにぎりを頬張り、お茶をゆっくりと飲んだ。

「旅行シーズンだから仕方ないけど、一泊いくらだ?」

「聞いたらびっくりするから教えない」

「なんだそれ!あ、立て替えた航空券の清算まだだから、ホテル代とチャラに出来るよな?まさか、足りないなんて言うなよ」

 焦らすような表情で脚を組み替えた優子を、探るような視線で見ながら政雄は訊いた。

「さっきから何セコイこと言ってんのよ。航空券がどうだ、ホテル代がどうだなんてどうでもいでしょ!」

「ど、どうでもいいだって?冗談じゃない!現役のお前とは違って、こっちはぎりぎりの生活を送ってんだ!今日の食事代だって払わなきゃならないし……もしかして、お前が奢ってくれたりして……」

 優子の太っ腹を期待して、政雄は揉み手をせんばかりにして優子を上目遣いに見た。

「もう!どうしてそんなにセコくなっちゃったの!そんなにお金に不自由するような散財をしてるの?まさか風俗に通ってるとか。水商売の女性おんなに入れ込んでるとか!」

 優子の言葉で一瞬梅沢のことを思い出したが、政雄は体勢を立て直すように優子を睨んだ。

「何よ?そんな蚊も殺せない視線は……。まあ、合理主義者のあなたはそんなことしないのは分かってるけどね」

「俺が合理主義者だって?全く分かってねーな。俺は情で動く人間なんだ。その証拠に……」

 政雄はまくし立てるように吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。

 お前の浮気相手と仲良く交際しているのは『情』がある証左だ、と口から出そうになったが、サイドブレーキを引くように不自然に言葉を飲み込んだ。

「何?証拠ってなによ?」

「いや、なんでもない。そんなことより、いくらなんだよ?ホテル代」

 優子から詰問口調で訊かれたが、政雄は話を逸らせた。

「もう、分かったわよ。今回は飛行機代とチャラでいいわよ。今日の顔合わせの食事代も私が払うわ。年金生活者を虐めて、後で社会問題になっても困るしね」

 普段なら執拗に訊いてくるのに、優子はあっさりと引き下がった。

「へ?いいの、マジで?」

 呆けた表情で政雄は確認した。

「しつこいわねー。良いって言ってるでしょ!ただ……」

 威勢よく言った後で、珍しく優子が次の言葉を逡巡した。

「ただ、なんだよ?なんか交換条件でもあるんだな」

 猜疑心をむき出しに政雄は訊いた。

「別に換条件なんてないわよ。……ただ、何ていうか……」

 優子は次の言葉を口にするのが憚れるのか、再び言い澱んだ。

 付き合い始めはともかく、結婚してからは見たことがない態度に政雄は困惑した。

「なんだよ、そんなに言いにくいことか?まさか高級ホテルだけど、訳アリ部屋とかいうやつで、夜な夜な幽霊が出る部屋しかないとか……。ん?二部屋共訳アリ部屋って、逆に凄くねーか?」

 政雄は自分で言って、手を叩いて笑った。

 逆に優子はにこりともしない。

「なんだよ。まさか本当にヤバい部屋なのか?」

 困った表情の優子を見て、政雄は少しビビった。

 若い頃、宿泊したホテルで何度か金縛りになったことがあるので、霊にまつわる話は大の苦手だ。

「違うわよ、ちゃんとした部屋を予約したわ。でも……ツインの部屋を一部屋だけ……」

 ラウンジの大きな窓の外に視線を向け、優子は言ったが、最後の方は囁くような声量だった。

「え?何?聞こえなかった」

 優子は言いにくいことを再度訊いてきた政雄を、呪うような視線で睨んだ。

「なんだよ?なんて言ったのか分からなかったから訊いてるのに、何怒ってんだよ」

「だから、部屋はツインを一部屋予約したって言ってるの!」

 投げつけるように言って、優子は窓外の離陸しようとする機体に視線を向けた。

「ツインか。いいじゃん、広く使え……。え?一部屋だけって、どういうことだ。俺の部屋は?俺は安いシングルか……まさか、俺の部屋は予約してないとか……」

 鈍感を通り越して頓珍漢なことを口走る政雄を見て、優子は深呼吸をしてから、落ち着いた声で愚鈍なに告げた。

「ツインの部屋を予約したの。この意味分かるでしょ?今日と明日は私と同じ部屋に泊まるのよ。良いでしょ?」

「え?ツインの部屋しか取らなかったのか。そんなに混んでるのか?」

 政雄は、この期に及んでも間の抜けたことを言った。

「あなた、私を揶揄ってる?それともいびってるつもり!」

「どういう意味だよ。別に揶揄ってないし、いびる理由なんてねーだろ!」

 政雄は憤慨するように言った。

「もう、いいわ。そんなに私と一緒の部屋が嫌なら、あなたは別のホテルを取れば?」

 優子はため息と共に匙を投げた。

「いや、そんな……別に構わないけど。一応、俺も性別は男だからな……」

「もー、ホントに変な人ね!あんたが男だっていうのは百も承知で結婚したのよ!あんたが女だったら政広はどうやって生まれたのよ!」

「いや、なんか一緒にいて息が詰まったり、居心地が悪かったりしないかなって……」

 政雄はもごもごと口ごもるように言った。

「息が詰まるって、あんたが?」

「違うよ!お前が嫌なんじゃないのかなって……」

「そんな風に思ってたらツインの部屋を予約しないわよ!もう、いいわ、ホテルに連絡してもう一部屋空いてるか訊いてみるから」

 優子はバッグからスマホを取り出した。

 良く見ると、頬がうっすらと赧く染まっている。

「いいよ!そんなことしなくて。大丈夫、俺は紳士的に振舞うから心配するな。ただ、鼾がうるさいかもしれないから、それは許してくれ」

 政雄は冗談めかして言って、優子を見た。

「別に、紳士的じゃなくても良いのよ……」

「へ?いや、そんな、なんだよ、変なこと言うなよ……まあ、普通にな……」

 政雄は優子以上に顔を赧らめ、窓の外で滑走路を疾走して、晴天の空に突き刺す勢いでテイクオフした真っ白な機体に視線を逸らした。

                 〈了〉


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