第14話

 三月にしては風もなく穏やかな空の下、元同僚四人と政雄は、年末の飲み会で話をしていた高畑の墓参に行くために、東横線の反町駅で待ち合わせをしていた。

 例によって島田が遅刻をし、先に来ていたメンバーから糾弾されたが、島田は悪びれることなく、出戻り娘と孫のせいで出かけるタイミングがずれたので、自分に非はないと言い張った。

 その反省の色が見られない態度に、先に来ていた四人の不満が爆発し、島田を除くメンバーで協議の結果、お清め・・・の会計は島田が半分負担し、残りを四人で分けることで話はまとまった。

 島田も自分を除くメンバー全員の怒りのボルテージが高いのを感じ取り、素直に白旗を上げるしかなかった。

 

 駅からダラダラと二十分程歩き、高畑家の墓がある霊園に着いた。

 霊園前の店で買った線香と花、事務所で借りた手桶を持って、五人は墓の下で静かに眠っているであろうザビエルこと高畑に会いに行った。

 彼岸にはまだ間があるが、墓は綺麗になっていた。

 高畑の姉が元同僚達の墓参の前に、丁寧に清掃をしたのかもしれない。

 それでも一応手桶の水で墓を綺麗にし、花と線香を手向けた。

 それぞれがどんな思いで手を合わせたのかは知る由もないが、政雄は女房を寝取られた者同士として、泉下では貞操観念の強い女性と幸せになれよと、胸の内で話しかけた。

 交代で合掌し、軽くなった手桶を亀和田が持って事務所に戻り、春の陽光を眩しく感じながら、反町駅に向けてのんびりと歩く。

 反町駅から横浜駅に出て、島田が予約している鶴町の大手チェーンの居酒屋に、歩き疲れた五人は入った。

 

 まだ夕方の四時前だが、客席は六割方は埋まっている。

 五人は若い女性店員の案内で、テーブル席に腰を落ち着け、渡された温かいおしぼりで顔や手を拭った。

 注文した生ビールがテーブルに並ぶと、五人は無言で掲げ、ジョッキに口をつけた。

「ぷはーっ。今日は島田の奢りだから遠慮なく飲むぞ!」

 ジョッキを半分程空けて、塩田が努めて明るい声で言う。

「奢るなんて誰が言った!半分持つよって言っただけだろ」

 軽くジョッキに口をつけただけの島田が、口を尖らせた。

「でも、負担は軽くなるから今日は安い酒は飲まないからな!」

 佐藤も半分空けたジョッキをテーブルに勢いよく置いた。

「ふざけんな!俺だってお前らと同じ年金生活者なんだからな。少しは遠慮しろ!」

「毎回遅刻するお前が悪い!……生ビールのお代わりお願いしまーす」

 二口でジョッキを飲み干した政雄が店員に声をかけると、島田が恨めし気に政雄を睨む。

「今日、お墓が綺麗だったよな?高畑のお姉さんが掃除をしたのかな。まだお彼岸まで日にちがあるけど」

 勢いよくジョッキを飲み干した塩田が、亀和田に訊いた。

「多分そうだろうな。バカ娘が反省して父親の墓に来たっていうのは考えられないからな」

 亀和田は苦い口調で応える。

「遺産ががっぽり入ったので、バカ娘がお礼を言いに来たのかもよ」

 佐藤が皮肉交じりに言う。

「そんなタマかよ!あの母娘の話を聞くとムカつくから止めろ!」

 島田は四人が遠慮することなく、次々に生ビールを追加注文することに対する不満を交えて憤慨した。

「バカ娘がごねてた生命保険の方はどうなった?高畑のお姉さんに訊いたか?」

「そんなの訊けるわけないだろ!」

 佐藤の質問に亀和田は不快感丸出しに応えた。

「年末の時と同じになっちゃうけど、ホント、なんで自分勝手なのが無尽蔵に増殖してるんだ?それも年齢性別関係なく」

 島田は値段の安い酎ハイを注文しながら嘆いた。

「ある意味、絶対的な権威がないっていうか、崩壊しちゃってるからだろうな。政治家しかり、先生や医者、それに弁護士や警察官なんかの不祥事が山ほどあるだろ?本来なら尊敬されるべき立場なのに、くだらないことで捕まったりして、世の中の秩序が壊れちゃってんだよ。だから、これをしたらいけないという線引きが出来なくなって、だったら自分だけ損をするのは堪らないってんで、ルールやマナーなんか糞くらえってなってんだよ」

「何、偉そうに講釈垂れてんだよ!どうせ、どっかからの受け売りだろ?お前はいつもそうやって知ったかぶりするけど、自分の意見っていうのがないんだよ」

 塩田の長広舌に佐藤が噛みついた。

「お前こそ文句ばかり垂れてるだけの、ただのクレーマーじゃないか!言うだけで、自分では何一つ行動しないだろ!部下が陰でブーたれてたの知ってんのか?無茶苦茶な命令はするけど、フォローがないってよ!」

「何!誰がいつ何曜日、何時何分に言ってたんだよ!自分の考えを、さも他人が言ったようにすり替えんな!」

 政雄を含めた他の三人はまた始まったよと、うんざりした表情で鍋をつつきだした。

 塩田と佐藤は揉めてもお互いに手を出すことは絶対にないので、放置することにする。

「ところで綿貫のところは喪中だったのか?年賀状が来なかったような気がして喪中葉書を探したが見つからなかったけど……何しろ年々喪中葉書の数が増えて、そのうち年賀状より多くなるんだろうな」

 島田が両隣で口汚く罵り合っている塩田と佐藤の間から訊いてきた。

「すまんすまん。今年から年賀状を出すのを止めたんだ。年末に会った時に言えば良かったんだが、すっかり言い忘れちゃって……。亀和田と佐藤からは年賀状が来たし、塩田のところはおふくろさんが亡くなったって喪中葉書が来てたので、皆に面倒掛けちゃったって反省してるところだ。悪かったな、もう、来年からはいらないからな」

「なんで止めたんだ?俺の周りでも何人かが止めたって言ってるのがいるけど」

 亀和田が興味深そうな表情になっている。

「ホントは会社を辞めた時からそうしようと思ってたんだが、退職して直ぐにそうするのもドライ過ぎる感じがしてな。こうやって、年に何回か会う友達もいるし。でも、もう義理でやり取りする必要もないだろうって……今はラインやメールで消息を確認出来るんで、面倒なことは止めようと思ってさ。こういうことはスパッとやらないと、いつまで経ってもズルズルしちゃうからな」

 政雄は島田と亀和田に頭を下げた。

 本当のところは、別居して住所が変わったことを知られて、あれこれ詮索されるのが鬱陶しいからだ。

 今年の正月に政雄宛てに届いた年賀状は、優子が他の郵便物と一緒に大判の封筒に入れて大島のマンションに送ってくれたが、優子からのコメントはなかった……。

 基本的には、転居して一年は郵便局の方で新住所に郵便物を転送してくれるし、申請をすれば転送の延長も可能だが、その手続きが煩わしい。

 そこで、今年から年賀状のやり取りを止めれば、来年からは政雄に年賀状を送ってくる人数は減るし、親しく会ってる友人知人にはこうして直接言えば、送ってくれた人に宛先不明で年賀状が戻ることはなくなる。

 

 今日会ってる仲間のように、親しい友人知人には別居のことを話そうかと考えていたが、年末に高畑の離婚の経緯を聞いてしまってから躊躇してしまった。

 年末に会った時はまだ時期尚早かなと思い、今年どこかで会った時に面白おかしく砕けた感じで言おうと考えていた。

 だが、高畑の件を聞いてからは、自分の身に起こったことを話せば、皆から嘲笑されるか、不甲斐なさを罵倒されるか、あるいは誰も笑わずに深刻な顔で心配されるかのどれかになりそうだ。

 いずれにしても政雄にとっては生きた心地がしない状況には変わりはない。

 自分の卑小さを恥じ入るばかりだが、この件に関しては正式に離婚が決まってから事後報告の形で話すことに決めていた。

「俺も年賀状は止めようかと考えていたんだ。でも女房が離れた友達や知り合い、親戚との接点がなくなるからってブーブー言うもんで、仕方なく続けてるよ。何しろ数年前から経費削減で夫婦の連名だからな。女房にはお前の名前で続ければいいだろうって言ったら、急に俺の名前がなくなったら、離婚したか死んだか間違われて、説明が面倒だなんてぬかしやがってさ」

 口汚く佐藤と罵り合っていた塩田が緊急避難的に会話に入って来た。

「うちも話し合ったことがあるけど、塩田のところと同じだ。自分は中々会えない人たちとのやり取りをなくすわけにはいかないって首を縦に振らないんだ。連名を止めてお前の友人知人だけ出せばって言ったら、これも塩田と一緒で、突然あんたの名前がなくなったら変に思われるからって却下されたよ。綿貫のところは……お前のは最初から綿貫の名前で来てたな。だから止められるんだな。うちは結婚当初から連名にしてたのがあだになって、止められない要因になっちゃってる。これじゃあどちらかが死ぬまで年賀状と暑中見舞いは続ける羽目になっちゃうな。でも、お前の奥さんはまだ出してるんだろ?」

 亀和田が罵倒合戦を終えた塩田と佐藤を一瞥してから政雄に視線を戻した。

「あ、ああ、まだ出してるよ……」

「こいつの奥さんはまだ現役でバリバリ働いてるから当然だよ」

 先ほどまでの罵り合いなど無かったかのように、佐藤が生ビールで喉を湿らせながら言った。

「いくつ違うんだっけ?」

「えっ、うちのとか?……十歳違いだよ」

 塩田の問いに応えたが、優子の話題になりそうな雰囲気を変えないとまずいと政雄は焦った。

「まだアッチの方は現役だろ?」

 佐藤が下卑た笑いと共に言った。

「またそんなこと言って、アホかお前は!そんな奇特なことをするわけねーだろ。向こうだって更年期だろうし、大体、そんな感情になりっこねーよ」

「ふーん。まあ、確かに何十年も一緒にいる女房とそんなことをする気にならないよな。もっとも敵は俺たち以上にその気はないだろうけど」

 言下に否定した政雄に、島田も同調した。

「普通はそうだろうな。お互いに面倒だよ」

「まあな。もう男女関係なんてのは遠い過去の話だ。俺んところも会社を辞めて顔を合わせる時間は増えたけど、会話は反比例だからな。なんで一緒にいるのかね?」

 亀和田と島田が暗い声で言って、肩を落とした。

「お前んところだけじゃないよ。俺んところだって、他のやつらだって大なり小なりそんな感じだろ、還暦過ぎた年金暮らしの夫婦なんてものは。だから図書館やショッピングセンターなんて、平日の昼間は爺さんだらけじゃん。何をするわけでもなく、ボーっとして時間を潰しているのがいくらでもいるぞ」

 佐藤が消沈気味の雰囲気を盛り上げるように毒づいた。

「何、上から目線で言ってんだ!お前だってそのうちの一人だろ!」

「そう言うお前もな!」

 塩田と佐藤の子供じみた罵倒合戦が再開しそうになった時、レジの方から「お前じゃ話にならん!店長を出せ!」という怒声が聞こえてきた。

 全員がレジの方に視線を向けると、七十をいくつか超えたような男性が、レジ係に烈火のごとく怒っていた。

 

 アルバイトなのか、若い女性店員は泣き出しそうな表情で、襟もとのピンマイクに必死に話しかけてる。

「なんでこの券が使えないんだ!時間なんて聞いてないぞ!」

 男性は女性店員の目の前で、クーポン券らしきものを突き付けながら顔を紅潮させていた。

 そこへ、白いシャツに紺色のネクタイを締めた、まだ四十前の店長らしき男性が、レジ係の女性の横に並ぶように立った。

 怒りに任せて言い募る男性客に向けてひたすら低姿勢で話をしている。

 五人は暫く様子を窺っていたが、男性客は「二度と来るか!」と、捨て台詞を吐いて帰って行った。

 女性店員に何事かを話し、慰めるような仕草をしてから店長らしき男性は事務所に戻ろうとした。

 途中、政雄たちのテーブルの横を通りかかったところを島田が呼び止めた。

「どうしたの?さっきのおじさん、何を怒ってたの?」

「いえ、別に……。お騒がせして申し訳ございませんでした」

 名前と店長のネームプレートを着けた男性は深く頭を下げた。

「いや、別に迷惑なんかじゃないよ。それより、なんて文句言ってたの?ああいう言い方って、見てて不愉快になるんだ」

「いえ、なんて申しますか、お持ちになってたクーポン券はランチ限定なんですけど、夜使えないのはおかしいって……。弊社の方の説明不足と、元々注意書きの文字が小さかったんだろうと思います」

 店長はあくまで非は店にあるという態度を崩さずに言った。

「いや、そんなことはないよ。普通、クーポン券使う時は注意書きを見るし、もし文字が小さくて見えなかったら、使う前に店員さんに訊くよ。それをああいう言い方するってのはどうなんだろうな……いや、大変な仕事だね」

 島田は店長を慰めるように言った。

「とんでもございません。ご不満やご不明な点があれば、しっかりと対応させていただくのは当たり前ですから。本当にお騒がせしてすみませんでした。……ごゆっくりお食事をお楽しみください」

 再び深く頭を下げて、店長は政雄たちのテーブルを離れた。

「結局、あの爺さんはごり押しで割引を受けたんだろうな。金額は小さいと思うけど、あの店長の査定は下がっちゃうかもな」

 島田が店長の後姿を目で追いながら言った。

「そうかもな。何かで読んだけど、電車やバス、駅構内で暴行をやらかすのは、六十代以上が二十代と変わらないらしいぜ。俺たちを含めて年寄りの割合が増えたってのもあるんだろうけど。」

 塩田が自分に人差し指を向けながら嘆いた。

「そんなの数字のマジックだよ。他の世代は十歳刻みなのに、六十代以上は十把一絡げだからな。七十八十も含めたら、そりゃあ多くなるに決まってんだろ」

 佐藤が塩田の意見を潰しにかかった。

「それもあるかもしれないけど、でも結構爺さん婆さんの暴走は半端ないみたいだぜ。俺の知り合いの息子が家電メーカーに勤めてるんだけど、研修というか現場を知れって言うんで、ボーナスシーズンの繁忙期に家電量販店の応販に駆り出されるらしいんだな。夏場だとエアコン売り場とかは書き入れ時で、説明要員として接客するらしいんだが、そこでの爺さん婆さんの要求が滅茶苦茶らしい」

「どんな?」

 雲行きが怪しくなり始めた塩田と佐藤を牽制するように、政雄は亀和田の話の続きを促した。

「七月とかに入ると、どの店も売れ筋の商品在庫が少なくなるから入荷待ちになるし、何よりも取り付け工事がかなり先まで一杯なんだって。ところが、我儘な客が一日でも早くしろって無理難題を吹っ掛けるらしいんだ。特に爺さん婆さんは自分を熱中症で殺す気か、年寄りを優先するのは当たり前だろって、自分の都合だけを言い募るんだな。熱中症になるのはそいつらだけじゃないのに。そして必ず、既に工事が決まってる人を後回しにして自分の家を直ぐに取り付けろって、売り場でがなり立てるらしい。先に予約した人が、そいつの代わりに熱中症になるってことや、自分が逆の立場だったら絶対に容認するはずがないのにって、その息子がこぼすらしい」

「想像力の欠如っていうか、単純に自分勝手なんだよ。自分に出来ないことを、平気で他人に強要するんだ。逆の立場だったら泡を吹いてぶっ倒れるか泣き喚くくせにさ。そういうやつらって絶対に他人より損をしたくない、ちょっとでも得をしたいってことしか考えてないからな」

 亀和田の話を、島田が引き取った。

「ノイジーマイノリティっていうか、悪質なクレーマーだな。これは年齢性別に関係ないよな。絶対に逆らえない立場の人に対して居丈高になって憂さを晴らしてるんだ。駅員や店員に対する態度が、周りから見て気持ち悪くなるくらいに横柄になるんだよ。逆に強そうな人や立場が上の人には絶対に逆らわない。よく成人式や卒業式で暴れるバカがいるけど、入社式や会社の式典でそんなことするやつっていないだろ?成人式や卒業式では怒られることはあっても、警察沙汰になるほど暴れなければ、特に損をするような事態にはならないって知ってるんだ。自分が目立って周りから一目置かれたいだけなんだよ、そういうバカ共は。でも勤めている会社に不満を持ってても、会社の入社式や式典でそんな自爆テロまがいのことはできないよな。その瞬間職を失うっていう現実を知ってるから」

 塩田が言って、佐藤をチラッと見た。

「なんで俺を見るんだよ!俺がクレーマーだって言うのか?お前こそノイジーマイノリティだろ。会社でもこういう場でも、もっともらしいことを言ってるけど、自分の立場を良くしたいだけの話ばかりだ。しかもそれがどっかからの受け入りだから始末に負えないんだよ!」

 また始まったよ、と政雄は亀和田と島田に呆れたような視線を送った。

 亀和田は小さく頷いて指でバツを作り、島田は合点したように伝票を手に取る。

 あの実直そうな店長にこれ以上迷惑をかけると、高齢者全員がこの店では要注意人物に指定されそうだと政雄は思い、罵り合いを再開しそうな二人を促して席を立った。


※最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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