第13話

 大多数の日本人が、この時期だけは平穏でいたいと願う正月。

 着物姿の演者たちが楽しそうに馬鹿騒ぎをしている番組に疲れたので、政雄はテレビを消して、タバコとライターに手を伸ばした。

 年が明けたら禁煙する、と年末に浩之と相田に誓ったばかりだが、元旦の夜には酔いに任せてコンビニでタバコとライターを買ってしまった。

 立ち上がりながら横を見ると、相田が炬燵に足を突っ込んで、クッションを枕代わりにして軽い鼾をかいている。

 明日から仕事始めだというのに、だらしなく開けた口から涎を垂らしているので、絶対に新しいクッションを相田に買わせてやろうと、政雄は思った。

 離婚の原因が両親をはじめとした親戚に胸を張って言えることではないので、相田は年末年始は岩手の実家に帰らず、亀戸水神のマンションで過ごしている。

 政雄も単身赴任時代を別にすれば、十数年振りに年末年始を独りで過ごすことになり、多少の寂しさと戸惑いはあった。

 だが、浩之や相田という独身の仲間と時間を潰すことが出来たので、そういう意味では退屈することはなかった。ただし、確実に不健康になっているという実感はあるが……。

 

 アルミサッシを開け、冷たく澄んだ正月の空気にタバコの煙を燻らせながら、明日は初詣に富岡八幡宮辺りに行こうかと考えていると、部屋でスマホが鳴っている音が窓越しに聞こえた。

「綿貫さん、電話鳴ってますよ」

 涎の痕を拭きながら政雄のスマホを差し出す相田から、もぎ取るようにスマホを受け取った。

 着信表示に浩之の名前を確認してから、スマホを耳に当てて「もしもし」と、政雄は応えた。

「綿貫、大変だ!」

「どうした、何があった?」

 いつもと違う慌てた様子の浩之に向けて、政雄も早口で訊いた。

「梅沢が逮捕された!」

「えっ!何?どういうこと?」

「クスリで捕まったんだよ!さっき、警察から連絡があった」

「な、なんだって!お前、今どこだ?こっちに来て詳しく説明しろ!」

 全く予期しない事態に、政雄は酔いが吹っ飛んだ。

 横にいる相田も周章狼狽した政雄を、口を真一文字にして見守っている。

「いや、警察が梅沢の部屋の家宅捜索をしたあとに、少し話を訊きたいって言うから家で待機してるんだ。何時に終わるのかは分からんが、お前、後で……夕方になったら俺ん家に来てくれるか?もしかしたら外で話を訊かれるかもしれないけど、その時は俺ん家の合鍵は持ってるだろ?頼んだぞ」

 おい、ちょっと、と言う政雄の問いかけを無視して、電話は切られてしまった。

 政雄はスマホを持ったまま呆然と立ち尽くしていたが、相田の心配そうな視線を感じて我に返った。

「どうしたんですか?長谷川さんに何かあったんですか?」

 政雄と浩之の緊迫感のある電話を目の当たりにして、相田は落ち着きのない視線で訊いてきた。

「いや、なんか知り合いが警察のご厄介になったみたいで、浩之に連絡が来たらしい。あいつも慌てていて要領を得ないんで、詳しい内容までは分からないけど……」

「知り合いって?」

「俺たちの中学校時代の同級生だ」

 政雄と浩之は、梅沢の弱い人間に対する振る舞いを知っているので、梅沢には相田を紹介していなかった。

 内気で人の好い相田は、竹内以上に梅沢の餌食になるのは確実だ。

「警察のご厄介って、何かしたんですか?」

「よくは分からない。正月早々いい迷惑だよな、全く……俺はこれから浩之の家に行くから、あんたも今日は帰りなよ。明日から仕事始めだろ?」

「ええ……なんか正月早々大変ですね。ボクなんかなんの役に立たないかもしれませんが、お手伝い出来ることがあったら仰って下さい」

 相田はダイニングの椅子に掛けてあったダウンジャケットを手に取りながら言い、それじゃ、と頭を下げて帰って行った。


 浩之から連絡がなく、じりじりしてスマホを見ると、七時十二分の時刻表示だ。

 相田が帰った後、さっと部屋を片付け、使った食器類を洗ってから、政雄は寒風の中を徒歩で浩之邸に向かった。

 午後四時半過ぎに浩之邸に到着し、合鍵を使って家の中に入った。

 警察との話は別の場所で行っているのか、浩之の姿はない。

 浩之から電話があったのが三時半頃なので、既に四時間近い時間が経過している。

 家宅捜索の後、警察に話を訊かれると浩之は言っていたが、容疑者でもないのにそんなに時間が掛かるものなんだろうか。

 そんなことは絶対にないと信じているが、浩之も梅沢から貰ったりした怪しいクスリを遊び半分で試したのがばれて、警察に拘束されているんじゃないか……。

 主のいない部屋に独りでいると、悪い方向にしか考えが及ばない。

 こんなことだったら、相田も連れて来れば良かったなと思わずにはいられなかった。

 全く酔いは回ってこないが、することもないので三杯目の焼酎のロックをちびちびと飲んでいる時、玄関を開ける音が聞こえてきた。

「おっ、戻ったか」

 炬燵から勢いよく立ち上がって、政雄は浩之を迎えた。

「すまん、結構待たせちゃったな」

 浩之は笑おうとしたが、疲労困憊は明らかで、げっそりとした頬を引き攣らせただけだった。

「何か飲むか?」

 そう訊きながら冷蔵庫に向かう政雄に、「ビールでいいや」と浩之は応え、炬燵に足を投げ出しながら座椅子にへたり込んだ。

「時間、掛かったな」

 プルタブを開けた缶ビールを手渡しながら、政雄は労うように言った。

「ああ、梅沢の部屋の玄関で話を訊かれたんだけど……警察ってスゲーな。行った時には既に終わっていたけど、家宅捜索を部屋の隅から隅まで徹底的にやったみたいでビックリしたよ。マジでテレビの刑事物と同じだ」

 浩之は受け取った缶ビールを喉を鳴らして流し込んでから、柿の種を口に放り込んだ。

「梅沢は?」

「ああ、警察の留置所だと思う……。警察からいろいろと訊かれたけど、梅沢の部屋には行ったことがないから、なんにも応えられなかったよ」

「そうだよな。大家だからって住人のことを知ってるわけじゃないしな」

「部屋に出入りしてた人を知らないかとか、この持ち物に見覚えは、とか訊かれても……そんなの知らないよな。あと、フィリピン人らしい女の写真を見せられて、この女と梅沢が一緒にいたのを見たことはないかって。どうも、その女と一緒にいたところを逮捕されたらしい」

「フィリピン人?あいつのこれか?」

 政雄は右手の小指を立てた。

「そうらしいな。写真ではまだ若い感じだったけど、俺が、会ったことも聞いたこともこともないって言って、逆に誰なんですかって訊いたが、教えてくれなかった」

「で、どこで捕まったんだ?」

「錦糸町のラブホみたいだ。ラブホを出た時なのか、部屋にいたところなのかは分からんが、女と一緒に逮捕されたようだ」

 浩之は缶ビールを飲み干し、炬燵の上に置いてあったグラスに氷を放り込んでから焼酎を注いだ。

「だけど、警察はなんでお前に連絡をしてきたんだ?」

 政雄も自分のグラスに焼酎を注ぎ足した。

「梅沢が俺の名前と連絡先を教えたらしい……。幼馴染で、今住んでる部屋の大家だと言って」

「いい迷惑だな。まさか、お前、身元引受人とかにされちゃったのか?」

 浩之が無事に帰ってきた安心感から、無性にタバコが喫いたくなったが、政雄は我慢して浩之に話の続きを促した。

「いや、それはないよ。ただ、梅沢との関係は根掘り葉掘り訊かれたよ。でも、半世紀ぶりに偶然大家と店子として再会して、たまに飲む程度で深い付き合いはないって言ったら、そうですかって感じだった」

「お前も尿検査とかされなかったのか?」

「俺が?そんなことはねーよ。なんで俺まで疑われるんだよ!……まあ、別に検査を受けても構わないけど、尿酸値が高いですね、で終わるだけだから」

 浩之は少し落ち着いたのか冗談を言って小さく笑い、眼鏡を炬燵の天板に置いて目の辺りを軽く揉んだ。

「正月からとんだ災難だったな。今日はゆっくりしろよ。何か食いたい物あれば買ってくるよ。商店街は早仕舞いだろうから、コンビニになっちゃうけどな」

「食欲はそんなにないから大丈夫だ。後で餅でも焼いて食うよ。しかし、世間では明日から仕事始めだっていうのに、警察は正月もなくて大変だな。感心しちゃったよ」

 浩之は深いため息と共に、呟くように言った。

「だけど、梅沢は大馬鹿野郎だな。なんでクスリなんかに手を出したんだ?警察からは何か聞けなかったのか?……そういえば、あいつの家族とか親戚はどうなってんだ?お前に連絡が来るのって変じゃねーか」

 政雄はアイスペールの氷が少なくなったので、補充のために立ち上がって冷蔵庫に向かいながら訊いた。

「警察はあまり詳しい話はしてくれなかったよ。後日、また話を訊くことがあるかもしれないって言ってたから、その時、逆に訊いてみるけどな。……あいつの家族は、以前聞いた話では、別れた奥さんとの間には子供はいなかったみたいだ。それと親は二人とも他界していて歳の離れた妹がいるようだが、もう数年会ってもいないし、連絡も取っていないって言ってたな。親戚との付き合いもないので天涯孤独みたいなもんだって、自嘲気味に話してたよ」

「あいつ、妹なんかいたんだ。歳が離れているんだったら俺たちが中学生の頃はまだ小学生か……。じゃあ、俺たちが知らないのも当然だな。だけど、数少ない肉親なんだから、警察から連絡は行くだろ?」

 アイスペールを置きながら政雄は浩之に訊いた。

「そりゃあ連絡は行くんじゃないか。でも、事がことだけに、妹さんだって身元引受人になってくれるのかは疑問だな。仲が良かったっていうのなら別だけど、そうじゃなかったみたいだし」

「じゃあ、あいつは今後どうなるんだ?弁護士を雇う金もないだろうし。着替えや差し入れなんかは誰がするんだろう……」

「そんなの分かんねーよ。店のオーナーとかいるし、俺たち以外にも友達や知り合いはいるだろう」

「あいつの性格で親しい友達や、困ったときに助けてくれる知り合いなんているのかね」

 グラスに氷を落しながら、政雄は少し湿った声で言った。

「どうかな……。でも、誰もいないようだったら差し入れくらいはしてあげてもいいかもな」

「お前も人のことは言えないな」

 焼酎のグラス越しに政雄は笑った。

「なんだよ?」

「お人好しってことだよ」


 正月のドタバタ騒ぎから数日後、部屋でYouTubeを観ていると、浩之からラインが届いた。

 梅沢の拘留は一か月くらいになりそうだと、いった内容だ。

 梅沢が働いていた店のオーナーが身元引受人になったようで、午後に警察署に行って、詳しい話をオーナーから聞いてから政雄の部屋に寄る、とコメントが続いた。

 今日は金曜日なので、夜には相田が飲みに来ると思うが、話を聞きたいから寄り道せずに部屋に来るようにと、政雄は浩之に返信をした。

 

 まだ正月気分が抜けきらず、なんとなく中途半端な品揃えのスーパーで、夕方前で忙しそうな主婦たちに交じって買い物をし、部屋に戻ると浩之のスニーカーがあった。

「なんだ、もう来てたのか」

 相田に貰った雑誌の付録のエコバックから買ってきた物を取り出し、収納棚と冷蔵庫に仕舞いながら、政雄は炬燵に入ってテレビを観ている浩之に声をかけた。

「警察署から直接タクシーで来たからな」

 缶ビールを注いだグラスを前に、背を丸めて座っている浩之が応えた。

「で、どうなんだ梅沢は?その店のオーナーとかには会ったのか」

 午後五時を少し回った壁時計を見ながら、政雄も缶ビールを持って炬燵に入った。

「ああ、差し入れに何がいいのか担当の警察官に訊こうとしたら、店のオーナーの方が俺に気付いて、声を掛けてきてくれたんで助かったよ」

「どんな感じの爺さんだ?」

「全然胡散臭さもないし、逆に品があるっていうか知的な感じだよ。物腰も柔らかいし」 

「へー、盛り場で朝までやっている飲み屋のおやじだから、長い髪の毛を結わいて髭を生やした癖のある人物かと思ってた」

「髪の毛は少し長めの銀髪で髭は生やしていたけどな。落ち着いた雰囲気の人だけど、サラリーマンをしてたようには見えなかったな」

「自営業とか、なんかの会社を経営してたって感じか?」

 缶ビールを飲み干して、浩之は頷いた。

「で、あいつはどうなっちゃうんだ?」

「公判次第だが、初犯だから執行猶予付きになるのが普通らしい。あいつも逮捕されて最初はパニくってたらしいけど、尋問には素直に応えてるようだ」

「いつからやってたんだろうな」

 苦いものを飲むようにビールを呷って、政雄は訊いた。

「一昨年の夏頃からみたいだ」

「じゃあ、まだ会社に勤めている時じゃないか」

「そうなんだ。どうも一緒に逮捕された女に唆されて、手を出しちゃったようだな」

 やれやれといった風に、浩之はため息と共に言った。

「フィリピンの女か?何やってる女なんだ?」

「話せば長くなっちゃうんだけどな。そのオーナーと喫茶店に入っていろいろと聞いてきたよ……。相田は今日来るんだろ?」

 浩之は壁時計をちらっと見た。

「だから、その弟は止めろって!そんなことより早く話を続けろ」

 怒った政雄を見て、浩之は少し表情を和らげてから話を続けた。

「俺たちには言ってなかったけど、あいつ、結構苦労したみたいなんだよ。大学卒業後、大手の広告代理店に就職して、営業としてそれなりに実績を上げていたようだ。そして、あるクライアントのオーナー社長に気に入られて、その社長の一人娘と結婚したんだな」

「逆玉か?それがなんで苦労につながるんだ」

 政雄の言葉に、お前は考えが浅いといった風に浩之は苦笑したが、政雄は気が付かずに柿の種とピーナッツを咀嚼していた。

「逆玉っちゃあ逆玉なんだろうが、オーナー社長がなんの魂胆もなく、可愛い一人娘を嫁がせるわけねーだろ」

「なんだ、魂胆っていうのは?」

「その会社は江戸時代から続く老舗の和菓子屋で、日本橋に本店があって、百貨店とかショッピングモールにも出店している……」

 浩之が商品名と社名を言うと、政雄も直ぐに分かった。

「何百年も続く会社で、社長は代々その家の者が継いでるから、当然、今の社長の次の代もとなるわけだけど、生憎、娘しかいない。もちろん、女性が社長になってもいいんだろうけど、その一人娘っていうのが典型的なお嬢さんで、経営能力以前に仕事をする意思が皆無で、父親としては頭を痛めていたようなんだ。そんな時に、営業担当として出入りしていた梅沢に白羽の矢が立ったってわけさ。今回、あんなことをしでかしちゃったけど、その当時は頭の回転が速く、何事も如才なくやるし、何よりもやる気が前面に出ている好感の持てる営業マンだったみたいだな」 

「ふーん。中学時代とは違って、再会した時は、まあ弁は立つみたいだったな。なんか自信たっぷりって感じで」

「梅沢自身にどんな野心があったかは分からないけど、本人も自分ならその会社を継いでもやっていく自信はあったようで、結婚を承諾したようだ。その一人娘も美形だったようだしな」

「だったら、めでたしめでたしじゃねーか」

「ところが世の中っていうのはそう単純じゃないんだな……」

 浩之は一呼吸入れるように、グラスに氷と焼酎を注いで、味わうように一口だけ飲んだ。

「味わってないで、早く言え!」

 政雄も自分のグラスに焼酎と氷を入れた。

「義理の父親としては梅沢に会社に入ってもらうのはかなり先の話で、自分が働けるうちは、梅沢にはアドバイザー的な役割だけを期待していたみたいだ。要するに自分の娘が生んだ子供、つまり孫だな。その子に家督を継がせたいっていうのが父親の願望で、梅沢はある意味種馬的な存在だったんだな」

「そういう義理の父の腹の内って言うか、本音を梅沢は知らなかったのか?」

「初めの頃はな……。でも、結婚して二年経っても夫婦は子供を授からないので、一度専門医に診てもらおうってことで夫婦で検査を受けたんだが……。結果は最悪で、梅沢には子供を作る能力がないっていうか、著しく低いってことが判明したんだよ」

「あいつって、そうだったのか」

 政雄は底冷えのする拘置所で項垂れている孤独な梅沢の姿を想像して、少し同情的な気持ちになった。

「診断結果が出た後、それでも最初の頃は夫婦で協力して妊活に向けて頑張っていたようなんだが、妊娠の兆候は皆無で……。それから急に、社長一家の手の平返しが始まったようだ。娘夫婦のために建てた家が社長宅と同じ敷地にあったんだが、娘は両親のいる本宅に入り浸って、新婚夫婦の新居に寄り付かなくなったそうだ。梅沢に対する社長夫妻の態度も余所余所しくなったみたいで、梅沢はかなり居づらい思いをしたらしい。特に、あっちの方は女房が新居に寄り付かなくなったので、全くのレス状態だしな。竹内も言ってたように、あいつは既にそれに対する依存症的なところがあったから、そのことが一番堪えたみたいだな」

「その娘っていうのは、梅沢のことを気に入ってたんじゃないのか?親がどう言おうと梅沢のことを好きだったら、実家の母屋に入り浸るようなことはしないだろうに」

「娘はなんでも親の言いなりだったみたいだな。完全な箱入り娘で、梅沢と結婚するまで男と付き合ったことがなかったらしい」

「えっ!それじゃあ処女か?」

「そんなの知るかよ!どうしてお前は下世話な話に持って行くんだ。最近、特にその傾向が強いから俺は心配してるんだ」

「ほっとけ!」

 政雄は焼酎を呷った。

 だが、話の続きが聞きたくて、タバコを喫いたいのを我慢して浩之の話の続きを待った。

「最終的に梅沢は追い出されるような形で離婚したみたいだ。かなりの手切れ金みたいなのを貰ったようだけど……。でも、それも独りになったら風俗店通いで、数年で使い切っちゃったらしいけどな」

「その一人娘はその後どうなったんだ?」

「梅沢の会社のクライアントだから、聞きたくない情報も入ってくるようで……二年も経たずに銀行員と再婚をしたらしい。で、直ぐに男の子も授かって、娘の父親としたら万々歳ってところだろう」

「老舗の看板を守るのが最大の目的だろうから、その社長の気持ちも分からんではないが……。なんだかなーって思っちゃうけどな」

「家ごとにいろいろな事情があるから、一概にその社長と娘を責めることも出来ないって感じだな」

 ため息とともに焼酎を飲む浩之を見て、政雄は浩之自身のことを思わずにはいられなかった。

 

 浩之の父親も、浩之に会社を継いで欲しかったはずだ。

 だが、浩之は会社を継がずに、大学を卒業して入社した会社に五十五歳まで勤めた。

 結果的に、父親の会社は番頭格の古参社員が社長に就任することになる。

 浩之が何故会社を継がなかったのかははっきりしない。

 何度か訊いたことはあるが、いつも、経営者の器じゃないし、従業員を含めたステークホルダーの期待に応える力と気力がなかった、と自嘲気味に言うだけだった。

 会社を継がないと決めた時期は不明だが、そのことを告げられた浩之の父親の反応はどうだったのだろう。

 大きく落胆はしたことは想像に難くない。

 もちろん、父親、あるいは母親、親戚一同を裏切るような決断をせざるを得なかった浩之の自責の念も……。

 梅沢の結婚から離婚に至るまでの経緯について、浩之はどう思ってるのだろう。

 老舗の看板を守るために梅沢を受け入れたが、結局は捨てるような結果を招いた娘と、その父親に対して非難めいた気持ちがあるのだろうか。

 一方で、自身もそういう出自なので、老舗一家に対してある程度は理解できるところがあるのかもしれない。

 だが、政雄はそのことを訊くことはしなかった。

「クライアントの娘と離婚して、梅沢は会社にも居づらかっただろうな」

「そうかもな……。そんなこんなで、梅沢は離婚後は荒れた生活になっちまったようで、しばらくして今回一緒に逮捕されたフィリピンの女が働いている店で知り合い、お決まりのパターンで男女関係になったようだな」

「で、クスリは?」

 政雄は先を促した。

「そんなのはそれこそ陳腐過ぎて、かえって呆れちゃうような話だ。最初はプレイを楽しむためのドラッグ類。それからより刺激の強い違法ドラッグ。その売人から女の方が覚醒剤を手に入れてからは……最初は覚醒剤とは知らなかったって、女の方は梅沢に言ってたらしいけど、前科があるみたいだからどうかな。梅沢がこっちに引っ越して来たのも、女が錦糸町に住んでたからみたいだな」

「下町が懐かしいとか言ってたけど、砂町こっちへの引っ越しの動機は、女とクスリのためだったのか……」

 政雄ががっかりしたように言うと、浩之も無言で頷いた。

「今後、どうなっちゃうんだ?」

 浩之のグラスに焼酎を注ぎ足しながら、政雄は訊いた。

「一か月くらい拘留されて、その後公判になるみたいだ」

「あいつ金がないんだろ?保釈金とか弁護士の費用はどうするんだ?」

「店のオーナーが面倒をみるようなこと言ってたから、その点は大丈夫じゃないかと思うけど。オーナーは梅沢が駄目になった背景に同情的だったからな。梅沢って、ああ見えて年配者の受けはいいみたいだな。結果的に駄目になっちゃったけど、老舗和菓子店のオーナーもそうだったし……。まあ、保釈されたら薬物関連の更生施設に入れる予定で、今後の生活についてもじっくりと話し合ってみるって、オーナーは言ってたよ」

 話疲れたのか、浩之は仰向けになって天井を凝視した。

「薬物関連の再犯率は、年齢が上がる程に高くなるらしいから、今回でスパッと止められればいいんだけどな」

 横になった浩之を見ながら呟くように言い、政雄は止めることが出来ないタバコとライターを持って、ベランダに出た。

 

 タバコの煙が、冷たくて強い風にちぎられるように消えていくのを眺めながら、政雄は梅沢のこれからを考えて気が重くなった。

 クスリとの決別、持病とも言えるセックス依存症の治療。経済的な自立……。

 他人事ながら大変な苦労が待ち受けているが、自分には手助け出来る甲斐性はない。

 約半世紀ぶりに再会した旧友の行く末を心配するだけで、何も出来ない自分はどうなんだと思い、気持ちが大きく沈んでしまった。

 タバコの吸い殻を空き缶に捨て、暖かい部屋に戻ると、疲れていたのか浩之は軽い寝息を立てている。

 浩之を起こさないように静かに炬燵に入った時、モニターホンから来客を告げるメロディが驚くような音量で響いた。

 浩之が目を覚まし、「弟が来たようだから、湿っぽい話は終わりにしようぜ」と言って、眼鏡をかけた。

 政雄は一瞬浩之を叩くポーズをしたが、直ぐに頷き返してからモニターを見た。

 画面にニコニコと笑っている相田を確認し、政雄は少しホッとした気分で解錠のボタンを押した。


※最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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