錬金術師とアカデミー

 翌日の昼。アルフレッドは数日ぶりに王立アカデミーに足を運んだ。

 ルヴィリアのシンボルになっている時計塔がある以外は、よくある赤煉瓦作りの建屋で見るべきところはない。ただ、セーブル王国の最高学府だけあって規模がほかと段違いだ。

 未来の国政を担う政治学や経済学はもちろん、歴史学や数学、錬金術から細分化した科学と呼ばれる各種学科の校舎が、お互いに寄りそったりにらみあったりするように並んでいる。目当ての錬金術科は入り口からもっとも離れたところ、長方形の敷地の左端にある。なぜその位置かというと、実験で校舎が爆発しても他学科の生徒は被害を免れる、という錬金術師の無秩序性を象徴するような理由からだ。

 世界中から才人が集うため、留学生が多く人種も様々だ。前開きのぴらぴらした衣服をまとう東洋顔の男子学生や、冬でも半裸に近い格好で歩いている南の島国から来た女子学生もいて、大抵はアルフレッドと顔見知りである。

 立ちどまって挨拶ついでに世間話をかわすのだが、日ごろの行いが悪いせいかゴルドック商会の仕業か知らぬ間に死亡説が流れていたらしい。誰もが驚いた顔で「生きてる?」とたずねてくる。こんな会話が平然と成り立つのは、幽霊のルームメイトがいることも珍しくないルヴィリアならではかもしれない。

 今は吸血鬼の家畜さ、と自虐気味に返すことに慣れてきたころ、アルフレッドは校舎の奥にある資料室にたどり着いた。司書であり名高い錬金術師でもあるライオール教授はアルフレッドの顔を見ても驚いた顔をせず、老齢にさしかかっていることを微塵も感じさせない新緑のような笑みを浮かべて出迎えてくれた。

「そろそろ顔を見せるころだと思っていた。コーヒーはいるかい?」

「毒入りでなければ、ぜひ」

「錬金術師らしい返しだね。君はやはり面白い」

 アルフレッドは椅子に座り、対面のライオール教授を眺めた。この男はシンとよく似ている。髪は白く目は翡翠色、美しさではさすがに大差で負けるので、容姿というよりは全体の雰囲気が近い。優しげに見えて、出来の悪い生徒にとことん辛辣なところも。

「チョコレートについて、それと異邦人レオナルドについて調べたくて」

「ああ、そうか。君は御前に会ったのだな」

 アルフレッドは驚いた。奇妙な取り合わせに戸惑うことなく、しかもすぐさま核心を言い当てたからだ。やはりライオール教授は、油断ならない。

 ひとまず経緯を説明する。教授は途中まで白々しい顔で聞いていたが、シンから出された要望、というより勝負に近い条件を話す段になると膝に手を打った。

「羨ましい! ルヴィリアの王にそこまで認められるとは!」

「俺としては、代わってもらえるならぜひそうしてもらいたいのですが」

「ははは。火事は対岸から眺めるものだよ、君」

 ライオール教授は悪びれもせずにそう言ったあと、資料室の奥にある扉の鍵を渡してくれた。留学生ごときでは閲覧できない、門外不出の書物が保管されているところだ。

「ありがとうございます。いつもそうやって学生のために尽力していただけると、俺としても素直に尊敬できそうな気がするんですけどね」

「狼男に襲われても平然としているような若者は、早めに潰しておくべきだよ」

 ライオール・ゴルドック教授は吸血鬼と同じくらい、皮肉が通じないらしい。

 ともあれ命を狙っているのが知らない人間よりは、まだやりやすいか。アルフレッドが礼をして去ろうとすると、蛇のような男は付け足すように言った。

「君には期待しているよ。首尾よくいけば、ルヴィリアは我々のものだ」

「……どういう意味です?」

「真に完全なるものは、この世に存在しないということさ」

 そのときのアルフレッドは言葉の意味がわからなかった。しかし資料室の奥で書物を漁ったあと、自分がなにをやろうとしていたのかを理解した。

 ただの、チョコレート作りではない。

 これは錬金術師の命題とは対極にある――悪い冗談のような、探究だ。


 ◇


 夜が更けてアルフレッドが屋敷の工房に戻ると、シンがまたもや料理を作って待っていた。ルヴィリア産の魚介類をふんだんに使ったトマトスープと焼きたてのパンで、創意工夫がいらず美味しく作れるという意味では実に合理的だ。

「一日中外出して疲れているだろうと思ってね。よき妻だろう、私は」

「ああ、そうだな。腹が減ってるしさっそくいただくか」

 素直に返すと吸血鬼は物足りなそうな顔をした。疲れているのも腹が減っているのも事実だし、これから山ほどうんざりする話をするのだから、無駄に体力を消費したくない。

 食事がいち段落したところで、アルフレッドはさっそく本題に入る。

「俺は自由の身になりたいからチョコレートを作る。レオナルドが作ったやつみたいなものをもう一度味わいたい、錬金術師として挑戦したいという気持ちもあるが、いずれにせよすべては自分のためだ」

「どうしたんだい、急に」

「お前のために作る、なんて奉仕精神はねえって話だよ。だが依頼主の要望は遵守する。矛盾しているようだが、それが錬金術師としてあるべき姿だからな」

 アルフレッドはそこで言葉を切った。なぜこうも苛つくのか、自分でもよくわからない。怒っているというより、とにかく不愉快だった。

「だからお前が本当はなにを望んでいて、自分が今なにを作っているのか、正しく理解しておく必要がある。肝心なところをぼかされたままはフェアじゃねえ」

「なるほど。では彼のレシピは無事に得られたのだね」

「ついでに、吸血鬼にまつわる伝承もな。……お前みたいなやつがほかにもいたなんて知らなかったぜ。昔のルヴィリアはずっと賑やかだったんだろうな」

「私に比肩する存在、という意味ではそのとおり。日の光にも聖水にも負けず、祝福された武器や純銀製の弾丸さえ容易に耐え抜く。血を吸わずとも飢えて死ぬことはない、特別な吸血鬼――ルヴィリアの王はかつて三人いた」

「だが、今はお前しか残っていない。これはどういう意味だ?」

 シンは椅子に座りながら優雅に足を組む。そして、続けて、と手振りで示す。

「お前は完全な不死者ではない。人間の手で殺せるってことだ」

 吸血鬼ははじめて会った日のように、次になにが起こるのか心待ちにしているような表情を浮かべている。結局のところアルフレッドがどんな行動を取ろうとも、この男にとっては娯楽にしかならないのかもしれない。

「伝承によるとグリンデンは聖女アニエラの槍に貫かれて灰になった。となると竜殺しの武器なら王たちを滅ぼせるって理屈になるが、お前にはまったく通用しなかった」

「身のほど知らずな女だったよ。グリンデンの心を理解しないまま、最後は私に首をはねられて死んだ」

「マーリゥについては俺も最初は意味がわからなかった。かの巨匠ゼクセンの描いた絵画を眺めながら、ゆっくりと灰になって消えた。死に様からすると寿命が来たのかと考えてしまいそうなところだが、どうやらそうじゃないってのはあとになってわかった。レオナルドの手稿を読んだおかげだな」

「彼はなんと?」

「たいしたことじゃない。手稿は暗号化されていたがチョコレートについて書かれていると当たりをつけておけば解読できたし、すぐに探しに行けばよかったと後悔するくらい簡単にレシピを手に入れられた。ただ一箇所だけどうにも引っかかるところがあって、それについて考えているうちに答えが見えてきた」

 アルフレッドはふうと息を吐く。

 これは二百年前の錬金術師が遺した、悪趣味でお粗末な、とっておきの冗談だ。

「あのレシピにつけられていた名前は、甘美な毒。てっきりなにかの隠喩か天才なりのユーモアだと思った。しかしどうやら、こいつはそのままの意味らしい」

 シンは観念したように両手を広げる。

 それからチョコレートを口に入れるときのようにもったいをつけて、こう言った。

「そうだよ。私はたった一粒のチョコレートで、殺すことができる」

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