錬金術師とチョコレート 2

「これがチョコレートなのか? 俺はてっきりコーヒーハウスで奢ってもらったような、温かい飲みものとして作るものと思っていたのだが……」

「錬金術師らしからぬ言葉だね。君たちにとって固体とはもっとも安定した、いわば完全な状態ではなかったかな?」

 シンはここぞとばかりに博識ぶりを披露する。賢者の石と同じように語られると面食らうものの、作った張本人のレオナルドが錬金術師なのだから納得できるところではあるか。

 固形化したチョコレート自体は昨夜味わったものの中にもあったが、舌触りが不快で風味もよくなかった。しかし最高傑作と謳うくらいだから、二百年前に作られたものであろうと、そういった問題は克服されているに違いない。

「こういうときのために残しておいた最後の一粒だ。ぜひ味わって参考にしてほしい。なお体温で溶けてしまうくらい熱に弱いから、そこだけは注意したまえ」

 つまりアルフレッドに食べさせるために、時の流れは戻してあるわけだ。

 言われるがままにチョコレートを手に取り、間近で観察する。色は黒。わずかに赤みがかっていて、そこもまた伝承にある賢者の石を彷彿とさせる。表面はなめらかで光沢があり、芸術品めいた高貴で近寄りがたい雰囲気まで備えている。

 匂いはまさしくカカオ。バニラやミルク、嗅いだことのない香辛料の香りもかすかに漂っている。しかし塊になっているぶん芳香が強くなっている、ということはなさそうだが、だとすれば普通のチョコレートとなにが違うのか。

 答えは――口に入れた瞬間にわかった。

「なんだこれ!? めちゃくちゃ甘くて美味いぞ!」

「情緒もへったくれもない感想だけど、チョコレートの本質を端的に示しているとも言える。そう、これは極限まで突き詰めた甘美という『快楽』なのだよ」

 参考にするための試食だというのに……あまりに複雑な味わいに恍惚としてしまい、気がついたときには口の中から消えていた。あとに残ったのは夢から覚めたような感覚と、チョコレートに対する強い渇望だけだった。

「本当にこれが最後なのか? 実はまだ隠しているとか……」

「私の気持ちをようやく理解してくれたみたいだね。もはやこの世のどこにもないのだから、どうしても食べたいのなら君が作るしかない」

 アルフレッドは膝から崩れ落ちた。自分で作れと言われても、圧倒的すぎてろくに分析できない。今までに味わったことのない、異次元の感覚だ。

 記憶にあるのは舌にまとわりつくようなとろりとした食感と、頭を真っ白にするほどの蠱惑的な甘さのみ。ただ甘くすればいいわけではない。上質なカカオの苦み、香辛料の風味があってこそ、うちに秘められた甘さが際立つ。液体ではない理由もよくわかった。口の中で消えてしまうから、儚くも愛しいのだ。

 しばらくは余韻に浸っていた。とはいえ冷静になってくると、じわじわと恐怖と焦りがやってくる。これと同じものが作れなけば、人生が終わる。

「私はレオナルドに満足できなかった。君はこれを超える最高を作れ」

「はあ!? 無理難題はごめんだって言ったよな!?」

「期限は次の満月までにしておこうか。もちろん断ることも、逃げることも許さない。吸血鬼のモットーは――価値なきものは、火に焚べるのみ」

 そう告げられた狼男たちがどうなったかを思いだし、身震いしてしまう。

 シンはチョコレートのように甘くはなく、愛しいと評したアルフレッドにさえ容赦がなかった。いっそ家畜同然の身分でいたほうが楽だったかもしれない……と弱気になりかけるが、錬金術師としての矜持が前に進めと発破をかけてくる。

「上等だ。最高と言わず、俺が究極のチョコレートを作ってやるよ」


 ◇


 しかし当然、チョコレート作りは当初から難航を極めた。

「せめてレシピだけでも手に入れないと、間に合いそうにないな」

 そもそも初心者なのだから、先人の知恵を借りずに追いつけるわけがない。

 今いるところは、レオナルドが滞在していたときに使っていた屋敷内の工房。白基調の質素な空間だが設備は充実していて、彼がチョコレートを作っていた当時の材料も揃えてあるという。だから必要なのは、創意工夫だけ。

 すでに工房に篭もりはじめて三日が経過している。といっても進展がまったくなかったわけではなく、シンに用意させた一般的なレシピはあらかた習得し、今からコーヒーハウスで働いても腕前を披露できるくらいにはなっていた。基本的な技術は錬金術の実験とそう変わらないし、ただ覚えるだけなら簡単だ。

 しかしレオナルドのチョコレートは、画期的なアイディアをいくつも積み重ねたうえで成立している気がしてならない。そのすべてを自力で編みだしていくのは、時間がかぎられていることからしても現実的ではないだろう。

 時が経つにつれ煤泥の中に埋まっていく記憶を掘りおこしつつ、レオナルドのチョコレートが形成していた香りの種類をひとつひとつ分析し、万年筆で紙に図を描いていく。

 舌で味を感じるというのが通説だが、人間が美味しいと感じるときに強い影響を与えるのはむしろ香りや食感のほうだ。中でもレオナルドのチョコレートは触覚、つまり舌ざわりのよさがずば抜けていた。香りについては手当たり次第……というと聞こえが悪いものの、今やっているように分析と実践を繰り返していけば的を絞ることができる。

 問題はやはり、あのとろけるような食感の実現だ。焙煎して焼きあがったカカオの粒を極限まで細かくすればいいのはわかる。熱をかけながらすり潰していくと中から油脂分が溶けだし、とろとろのペースト状になっていくのである。

 ペースト状になったカカオは常温では固形に、熱を加えると溶けて液状になる。しかしレオナルドが作ったチョコレートとは比べようもないほど苦く、そのままでは食べられたものではない。なので砂糖やミルクを混ぜるわけだが油脂分が邪魔してうまく溶けず、中でダマになってしまう。結果、ボソボソした泥の塊の出来あがりだ。

 アルフレッドは失敗作の泥を湯に溶かし、一心不乱に泡立てる。液状であればメレンゲ状にすることで舌ざわりはマシになる。古の時代からチョコレートを飲むときの工夫はこれ。まったくもって原始的で、錬金術師らしくない。

 失敗続きでイライラしていると、シンがにこにこしながらやってきた。吸血鬼の嗅覚は凄まじい。とくに、カカオの香りにかぎっては。

「やあ、今日も基本から学び直しているようだね。これはこれで悪くないが、そろそろ革命を起こす時期ではないかな。文明の夜明けは近いぞ、学生くん」

「いっそ中に火薬を混ぜてお前を粉砕できないもんかな。チョコレート味ならなんでも口に入れそうだし。……ていうかその格好はなんだ、ふざけてるのか」

「エプロンのことかい? 私も君にあやかって料理を作ってみたのさ!」

 シンはスーツのうえに可愛らしいふりふりのエプロンをつけ、ピクニックに行くときのようなバスケットを抱えていた。没頭していると食事を忘れがちなアルフレッドのために毎度差し入れに来るのだが、今日は清楚なご令嬢気分らしい。

「ルヴィリアの領主なら給仕くらい雇えよ。それか使い魔とか」

「私は人付き合いが苦手でね。親しいものしか手元に置きたくない」

 だとしたら、なまじ気に入られるほうが災難である。

 アルフレッドも失敗作を処理するついでに、バスケットの中身に手をつける。パンにレタスとローストしたチキンを挟んだ簡単な代物だったが、思いのほか美味だった。創意工夫は苦手と言っていたものの、レシピに倣うだけなら吸血鬼にだって料理はできるのだろう。

 シンは生き血とチョコレートしか口にしないため、今まではアルフレッドのためだけに町からわざわざ取り寄せていた。しかし今後は自分で料理を作るという。勝手にすれば、とぞんざいに流したところ「そのほうが夫婦みたいだろ?」だとか「こんな時間がずっと続けばいいのに……」と絡んでくるので殴りたくなるほどうっとおしかった。

 それはさておき、

「外出許可をくれ。アカデミーで資料を漁りたい」

「いいね。じゃあ明日にでも行こう」

「ひとりで行くよ。調べものしている最中に絶対ちょっかいかけてくるだろ」

「私が君の嫌がることを、我慢できると思うかい?」

 無言でにらみつける。飼い犬が本気で殺意を抱いているのを察してか、シンは渋々ながら了承してくれた。こういうやりとりをしているとき、アルフレッドは相手が吸血鬼であることをつい忘れそうになってしまう。

「しかし外は危険がいっぱいだからね。君はただでさえ命を狙われたことがあったし、護身用の銃は持っていったほうがいい。ほら、これを」

「前に借りた回転式拳銃だな。おまけに弾は純銀製か」

「そのあたりは抜かりない。私以外の化け物ならだいたい殺せるさ」

「試し撃ちしてみても?」

 シンがうなずいたので、相手の眉間を迷わず撃ち抜くことにした。手近な壁に狙いをつけると勘違いしていたのか吸血鬼はきょとんとしたまま後ろ向きに倒れたが、アルフレッドはみすみすチャンスを逃すような男ではない。

 これで死んでくれたら大団円、と期待したもののそんなことはなく――シンはすぐさま立ちあがり、眉間の風穴をいじりながらチョコレートが入ったカップに口をつける。

「君から貰った最初のプレゼントだ。大事にするよ」

 吸血鬼はそう言って、純銀製の弾丸をごくりと飲みこんだ。

 やはり究極のチョコレートを作る以外に、逃げ道は残されていないらしい。

 

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