錬金術師とチョコレート 1

「ご機嫌はいかがかな。愛しいアル」

「悪い魔法使いに囚われたお姫様の気分だよ、くそったれ」 

 アルフレッドがそう返すと、シンはクスクスと笑った。この吸血鬼には皮肉が通用しないらしい。ついでに言えば、日の光も。

 窓の外は明るく、室内はぽかぽかとした朝の陽気に満ちている。シンが所有する屋敷にいるのだろう。寝ている間に眼鏡が外されたらしく視界はぼやけているが、それこそお姫様の寝室にあるような天蓋付きのベッドに寝かされていることがわかった。

 起きあがると眩暈がした。昨夜しこたま血を吸われたからだ。首筋がずきりと痛み手を当てたところで、自分が服を着ていないことに気づく。

 シンは昨夜と同じ服装で椅子に座り、あられもない姿のアルフレッドをねっとりと眺めている。官能小説のヒロインにされた気分、と告げたほうが正確だったかもしれない。

「いくつか訊ねたい。俺はまだ人間か?」

「今のところは。しかし何度か吸われたら、君の身体にも変化が現れるよ」

 安堵するべきか、それとも悲観に暮れるべきか。

 いずれにせよ、とんでもなく厄介な問題を抱えていることは理解できた。

「俺は今どういう立場なんだ。血を吸われるだけの家畜か?」

「可愛いペットであり、お気に入りの玩具であり、欲望の捌け口でもある。ただもしかすると、恋人同士にもなれるのではないかと期待しているよ。あくまで君のほうにその気があればだけど」

「平然と無茶苦茶なことを言うな。できれば自由の身にしてもらいたいのだが」

「なぜだい。不老不死の実現は錬金術師の命題だろうに。いっそ私の伴侶になってしまえば、難しい顔をして実験を繰り返す必要もなくなるんじゃないかな」

「そりゃ興味はあるが、だからといって自分がなりたいわけじゃねえ。俺は偉大な錬金術師として名を残し、世界中の美女を集めてハーレムを作って、誰もが羨む優雅な人生を謳歌する予定なんだ。なにが悲しくて性根のねじ曲がった吸血鬼のペットにならなきゃならんのか」

「傷つくからそんなふうに言わないでくれ。昨夜はあんなに素直だったのに」

「だからそういうところ! 本気でむかつくからいっぺんぶん殴らせろ!」

 寝起きなせいもあり、つい感情的になってわめきちらす。しかしすぐに貧血がたたってベッドに倒れふす。引きこもってばかりの錬金術師はもともとそんなに体力はないのだ。全裸だから余計にみじめである。

 アルフレッドとしてはだめもとで提案してみただけで、てっきり難色を示されると思っていた。ところがシンは意外ほどあっさりと、

「どうしてもいやだ、というなら考えてあげてもいい」

「……本当か?」

「ただし相応の対価は要求するけどね」

 さすがに今度は「命以外ならなんでもやる」とは言わなかった。

「望みはなんだ。無理難題を要求されるのはごめんだぞ」

「わがままなやつだな。君より価値があるものがあるとすれば、ひとつしかない」

 アルフレッドは答えを待った。

 そして、なるほどそう来たか、と納得してしまった。

「チョコレートだ。私のために、最高のチョコレートを作っておくれ」


 ◇


「要求を受け入れる前に確認しておきたい。最高のチョコレートと言うが、なにをもってそれを判断するつもりだ? やるならやるで明確な審査基準を設けろ」

「すべては私の好み次第、と言ってしまえばそれまでだけど、君の立場からするとフェアじゃないか。しかし第三者に評価を委ねるつもりはないし、まずはお互いの共通認識としての『最高のチョコレート』を定める必要がありそうだね」

「うんちくを披露したくてウズウズしているような顔だな」

「それもまた楽しみのひとつさ。では話がまとまったところで、めくるめくチョコレートの世界にご案内しよう。知ればきっと、君も納得してくれるはずだ」

 というわけでシンに先導され、コレクションルームまで向かうことになった。

 ルヴィリアの領主が所有する屋敷だけに廊下は広々としていて、柱や天井のあちこちに微細で華やかな模様が施されている。ほとんど宮殿。飾りの一片を削って質に流すだけで、工房の家賃半年ぶんのツケを支払えるかもしれない。

 華やかといえば、シンから渡された衣服や眼鏡もそうだ。血を吸っている最中に昂りすぎてボロクズにしてしまった、というおぞましい真相はさておき、アルフレッドが以前身につけたものとは比べようもないほど上等になっている。

 青を基調にしたサテン地のジュストコルと揃いのベスト、下はシンプルな白のトラウザーズだが素材がシルクに変わっていて、全体的に古風かつ大仰がすぎるものの趣味はよい。特筆すべきは眼鏡で、しつらえたように度があっていることも驚きだが、なによりレンズが異様に軽い。ガラスではなく別の素材を使っているのか歪みや傷もなく、古のエルフが作った魔法の道具、と言われても信じてしまいそうだ。

「君はチョコレートの原料であるカカオ豆について、どの程度知っている?」

「海を挟んではるか南、大地の民が住まう土地から伝来した交易品で、向こうでは商取引する際の貨幣として用いられていたと聞く。滋養強壮に媚薬……そっちの効果はどこまで本当かわからんが、栄養価が高いことは間違いないな」

「大地の民はカカオの実を神聖なものと捉え、王族が愛飲したり、あるいは生贄が神々に捧げられる前に飲まされていたという。もっとも当時は煎ったあとでトウモロコシの粉や香辛料と混ぜて飲んだり、粥のようにして提供されていたらしいから、我々が知るチョコレートとは似ても似つかないものだったようだけど」

「なるほど。じゃあルヴィリアに来てから改良が加えられたのか」

「カカオがこの地にやってきてから三百年、か弱き人間が得意とする創意工夫によって、私のような吸血鬼をも骨抜きにする嗜好品に生まれ変わったわけさ。君が今かけている眼鏡の持ち主は、カカオに奇跡をもたらした立役者のひとりだ」

 そこでシンは目を細め、懐かしそうに言った。

「彼は自分のことを『ショコラティエ』と呼んでいた。私の知らない言葉でチョコレート作りの職人を意味するらしいが、なかなかよい響きだと思わないかい? 錬金術師が相手ならば、レオナルドのほうが伝わるかもしれないがね」

「それって……あの伝説の?」

 アルフレッドは眼鏡をずり落としそうになり、慌ててかけ直した。

 異邦人レオナルド――わずか十歳でガス灯や蒸気タービン、飛行船などの画期的な技術を発明した正真正銘の天才。不治の病に冒されたことから成人したのちは錬金術の道を志すものの、二十代のうちに志半ばで夭折した。一説によると異なる世界の記憶を持って生まれたとされているが、なにぶん二百年以上前の人物なので真偽は定かではない。

「ふん、さすがは吸血鬼。交友関係のスケールが無駄にでかいな」

 なんて軽口を叩いてみるも、動揺を隠せず声がうわずってしまう。たかがチョコレート作りと侮っていたが、伝説の錬金術師と同列に扱われるのなら悪い気がしない。家畜同然の身分から解放される、というのはもちろん、自らの才能を試す意味でもやる気が湧いてくる。

 アルフレッドの表情から内心の変化を察したのか、シンもまた少年のような笑みを浮かべる。お互い根っこのところは似ているのだろう。常に新しいものを求め、そこから得られる刺激に飢えている。

 と、シンがひときわ立派な扉の前で足をとめた。

 ここがコレクションルームなのだろう。温室のようなガラス張りで、外から見るかぎり背の高い木々が生い茂っている。屋敷の中にこんな空間を作るとは、正気の沙汰ではない。

 促されるまま扉をくぐると、今度は夢の中にいる気分になった。カカオの木と思わしき幹から伸びる白い花に手を触れたところ、凍りついたようにびくともしないのだ。

「ルヴィリアでは育たない植物だからね。時間をとめて保存している」

「平然と言わないでくれ。いっそチョコレートもお得意の魔法で作っちまえよ」

「私は生まれもった力で理を歪めているにすぎない。君たちはその真逆、理を利用し新たな価値を創造する。わかりやすく言うと、我々のような存在は創意工夫が苦手なのさ」

 だから自らで作らず、人間の手に委ねるわけか。

 最初はレオナルド、次にアルフレッド――伴侶になってほしいと言っていたが、はじめからチョコレート作りをさせるつもりでいたのではなかろうか。今のところすべてがお膳立てされていたように、話が進んでいる。

「最高のチョコレートを作ってほしいという要望は、志半ばで倒れた友に贈る手向けでもある。君にとっては偉大な先人との、矜持を賭けた勝負となるはずだ」

「いったいなんの話だ。急に」

「本題を忘れたのかな。審査基準を設けろと言ったのは君じゃないか」

 シンはいつのまにか小さな箱を抱えていた。

 材質は紙で色は赤。吸血鬼の持ち物にしてはずいぶんと質素である。

 彼は慎重な手つきで開けると、中から宝石のようなものを取りだした。

「――これはレオナルドのチョコレート。二百年前に彼が遺した、最高傑作さ」

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