錬金術師と甘美の探究

「ごく一般的な、というと奇妙に聞こえるかもしれないが、真っ当な吸血鬼であればチョコレートごときで滅びたりはしない。しかし完全な不死者はかぎりなく理に反する存在であり、その性質が強すぎるがためにある一点においてひどく脆い。グリンデンとマーリゥがなぜ滅びたか、君は正しく理解しているか?」

「グリンデンは身を焦がすほど聖女を愛した。マーリゥは絵画に圧倒的な美を感じた。そしてお前はチョコレートに究極の甘美を感じ、魂が満たされることで滅びようとしている」

「素晴らしい! 君は本当に、物事の本質を見抜くことができるのだね!」

 シンは称賛するように拍手する。しかし人を食ったような笑みの中に一抹の翳りが潜んでいることに気づき、アルフレッドははじめてこの男を憐れに思った。

「幸福、愛情、感動――生の実感は、我々にとって唯一の弱点だ。大抵の場合はちょっとした刺激くらいで済むけど、あまりにも強烈な実感を得ると不死性を維持できなくなる。生と死はふたつでひとつだから、片方と親しくなればもう片方からも肩を叩かれるわけさ」

「難儀な体質だな。今後は不老不死の探究にかぎっては手をつけないことにするよ。死なないかわりに生を楽しめないなんて、詐欺にしたってタチが悪い」

「血を吐きながら酒を飲む人間だっているだろ。楽しもうと思えば楽しめる」

「死にたがっているやつに言われても説得力がないぞ……」

 アルフレッドが呆れ半分でそう言うと、シンは意味がわからないというように首を傾げた。なぜこのタイミングで、そんな反応をするのか。

「さては君、生を実感できない体質を呪って、だとか、終わりなき苦痛に疲弊して、といった感傷的な理由で私が終わりを望んでいると勘違いしているのかい」

「普通に考えたらそうなるだろ。前向きに死にたがるやつなんているわけねえ」

「冗談じゃないぞ。あれだけ語ってみせたのに、貴重な最後の一粒だって分けてあげたのに、君はまだチョコレートの魅力を理解してくれないというのか!?」

 いきなり食ってかかられたので、アルフレッドはぎゃっと猫のような悲鳴をあげた。血を吸われるかと身構えたが、ただ気が昂っているだけらしい。

「待て待て待て。怒りの理由がわからん。ちゃんと説明しろ」

「私は死ぬほど甘くて美味しいチョコレートが食べたいだけであって、チョコレートを食べて死にたいわけじゃない! このふたつは全然違うからな!」

「あー……。なるほど?」

 今度はアルフレッドが首を傾げる番だった。

 酒を浴びるほど飲んで死にたい。この世で一番の美女の腹のうえで死にたい。なんて夢を冗談めかして語る手合いはいるが、よもや不老不死の吸血鬼がそういった願望を抱えているとは考えもしていなかった。

 シンの本質の本質を理解して、そのあとで心の底から感心してしまった。

「お前、本当にチョコレートが大好きなんだな」

「そうだよ。私は死ぬほどチョコレートを求めている」

 見上げた根性だ。自分はそこまで錬金術を愛しているだろうか? あらためて問いかけてみると、アルフレッドはますます敗北感を抱いてしまう。

 シンは積みあげできた長い長い年月と、ほんの一瞬の甘美を天秤にかけて――そのうえで究極のチョコレートを味わいたいと願っているのだ。とてもじゃないが真似できない。

 気がついたら笑っていた。この男と恋人になるのはごめんだが、馬鹿騒ぎする友人にはなれるかもしれない。たとえそれが、たった一度きりであっても。

「任せておけ。俺がお前を、チョコレートで殺してやる」


 ◇


 アルフレッドは決意を新たにチョコレート作りを再開した。

 吸血鬼から逃れるためによりも、吸血鬼を殺すために探究するほうがよっぽど性に合う。しかもそれは、ほかでもないシンが望んでいることなのだ。

 誰かをあっと言わせたい。感動させてみたい――アルフレッドが錬金術師を志した理由は、今にして思うと実に素朴で気恥ずかしいものだった。

 だからシンが死ぬためにチョコレートを求めていると知ったときは、そんな非生産的かつ破滅的な願望に加担させられることが、自分の志に対する侮辱のようにも感じられた。

 しかし実際は、シンはただ甘美に浸りたいがためにチョコレートを求めていた。それを理解したからこそ、アルフレッドも今は彼の夢を叶えてやりたいと思っている。

 伝承によると、あの吸血鬼は千年以上生きている。そんな正真正銘の超常者を死ぬほどあっと言わせて、死ぬほど感動させて、途方もない年月をかけて編まれた叙事詩に終止符を打ってやるのだ。これほど痛快で、やりがいのある挑戦があるだろうか?

 アルフレッドはまず、二百年前の錬金術師――レオナルドが遺したレシピを忠実に再現することにした。天才が編みだした技法の数々は知見に満ちていたが、それ以上に強い執念を感じさせるものだった。

 焙煎したカカオを挽いて細かい粒にする。ここまでは同じだ。しかしレオナルドはさらに圧力をかけて、中に含まれる油脂分を搾りとる工程を踏んでいる。そのあとでアルカリ塩を加え、熟成時の発酵によりできた酸味を中和することで、味を整えつつお湯やミルクに溶けやすくなるような改良を加えているのだ。

 こうして作られたパウダー状のカカオ、いわくココアパウダーと名付けられたものに砂糖やミルクを混ぜていく。ただ、この状態から冷やして固めてもまだ舌ざわりはざらざらとしていて完成品にはほど遠い。なので混合物を加えてペースト状にしたカカオにまた圧力をかけて、さらに細かくしていく。

 次は精錬だ。なんと最初に取り除いたはずの油脂分をわざわざここで少量だけ混ぜ、さらさらのパウダーを粘土状にしてまた圧力をかけていく。そのあとで熱を加えながら時間をかけて練りあげて――。

「さすがにうんざりしてきた……。こんなことぜんぶ手作業でやっていたのか」

 途中でシンに頼んで小麦製粉用のロール機を借りてきてもらったが、二百年前の時点では加工技術が追いつかず実用化されていなかった。手稿を読んでいると「親の仇だと思って念入りに」だとか「必ず息の根を止めるというつもりで」といった物騒な注釈がところどころに記されていて、歴史に名を残した錬金術師もこの工程に苦しめられていたことがうかがえる。天才のレシピにしてはあまりに地味で、非効率的に思えるほど手間がかかっている。

 アルフレッドはそこで、二百年前に行われていたチョコレート作りに思いを馳せる。不治の病におかされていたレオナルドは、シンに対して嫉妬に近い感情を抱いていたようだ。気位の高さから吸血鬼の仲間になることは望まなかったようだが、それでも目の前にある不死が眩しかったのだろう。手稿を読んで感じるのは、あの男を殺したくて殺したくてたまらないという歪んだ情熱だ。

 ただでさえ短い期限の中で数日を費やし、ようやく精錬が終わる。この時点でほぼ完成しているとも言えるのだが、冷やして固めるときにもう一工夫、やるべきことがある。

 レオナルドはそれを調温――テンパリングと名づけていた。読んで字のごとくチョコレートの温度を調節しながら冷やし、中の油脂分を安定した状態の結晶にする。すると口あたりが格段によくなり、あのとろけるような舌ざわりが実現するのだ。

 丁寧さこそ要するものの時間はかからず、技量もいらない。ただ、砕いて圧力をかけてまた圧力をかけて……といった今までの手順と比べると、穏やかで優しい。苛烈な殺意は、恋慕や情景の裏返しなのだろうか。シンの同胞が聖女の槍に貫かれて、満ちたりたように。

 アルフレッドはとろとろになった黒い液体を型に流しこみ、やがて最高のチョコレートを作りだした。一粒つまみ、うっとりとしながら味わう。

 濃厚かつ繊細なカカオの香りに、口に入れた瞬間から舌にねっとりと絡みつく極上の口当たり。しかしそれは儚く溶けていき、さながら一夜きりの情事のように、甘美な余韻だけがあとに残される。

「これでも満足できなかったなんて、贅沢なやつだな」

 期限の満月の夜まで、あと一週間かそこらだ。今から最高のレシピに新たな創意工夫を加えて、究極のレシピを生みださねばならない。

 レオナルドはチョコレートの中に、愛によく似た殺意をこめた。

 それでも足りないというなら――ほかにまだ、なにをこめろというのだろう。

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