第33話 それぞれの夜(前)

 寮の室内は、意外なほど普通なものだった。

 およそ八畳ほどの広さのフローリングに、備え付けの机が二つ。壁際には二段ベッドが設えられている。また、簡単な収納も用意されていた。


 切臣と忍は自分が使用するベッドと机を決める(ちなみにベッドは忍が上で切臣が下となった)と、それぞれの荷物を降ろし、椅子に座って雑談に耽っていた。

 話題は互いの身の上話。専ら、どうしてこの学園にやってきたのかという理由について喋っていた。


 どうやら今は切臣が話している最中らしく、弁舌を振るう切臣に忍が相槌を打っている。


「へえ、そんなことがあったんだねえ」


 と、一通り聞き終えた忍が、感嘆の声を上げた。


「魔剣士の力を手に入れるなんて並大抵のことじゃないと思ってたけど、確かにそんな綱渡りしたなら納得かも」


「ああ。本当に運が良かったよ。ちょっとでも歯車がズレてたら、俺は今頃もうとっくにあの世行きだったからな」


 去年、自分の身に起きたことを思い返しながら、切臣はしみじみと呟く。

 蓮華を助けるために魔剣の欠片を喰って魔剣士となり、気がつけばこんなところまで来てしまった。

 全く人生というのはどうなるか分からないものだ。


「━━さ、俺は大体話したぜ。次はそっちの番だ。教えろよ、何でお前はこの学園に来たんだ?」


 ひとしきり話し終えた切臣が、今度は忍にそう促す。

 忍はどう切り出すべきか迷った様子で考えあぐねていたが、


「うーん……僕は黒野くんの話に比べたら、めちゃくちゃ普通で退屈な理由なんだけど……」


 そう前置きして、訥々と話し始めた。


「僕の家はさ、黒野くんと同じ一般家庭なんだけど……さっきも言ったように凄く貧乏なんだよね。僕の下に弟と妹がそれぞれいるんだけど、お父さんが事故で早くに死んじゃって……お母さんが女手一つで僕たち三人を育ててくれているんだ」


「それは……」


 予想だにしていなかった重い背景に、切臣は思わず口を挟みそうになる。

 本当は辛いのに無理に喋らせてしまったのならば、謝罪して止めるべきではないだろうかと。

 しかし、忍はそんな彼の考えを見透かしたかの如く手で制した。


「気にしなくていいよ。僕は別に、自分のこの境遇を辛いとか思ったことないから。それに、黒野くんにだけ喋らせておいて、僕は言わないっていうのもフェアじゃないしね」


 きっぱりとした口調で告げる忍に、切臣は出かかっていた言葉を飲み込んだ。

 忍は話を続ける。


「だけど、やっぱり生活は苦しくてさ。母さんは朝から晩まで働き詰めで、それでも僕たち三人をどうにか養ってくれるので精いっぱいで……だから僕、最初は就職するつもりだったんだけど、お母さんから大反対されたんだ。『お金のことは心配しなくていいから、ちゃんと高校に行きなさい』って」


「立派な母ちゃんなんだな」


 切臣はしみじみと呟く。

 幸いなことに自分の両親は健在で、お金にもあまり苦労していないくらいには裕福である。

 そのため、忍の母親がどれほどの苦労をしてきたのかは想像することしかできないが、少なくとも並大抵のことではないのは理解できた。


「うん、本当に。……それで、僕はこの学園に入学することにしたのさ。魔術の素養はあったし、ここなら普通の学校に通うより学費が遥かに安上がりになるしね」


それに、と忍は付け加えて、


「ここでいっぱい勉強して、強い魔術師になれば、それだけたくさんのお金が貰えるようになる。そうすればお母さんに楽させてあげられる。だったらやらない手はないでしょ?」


「でもよ、それって反対とかされなかったのか?」


 切臣は問う。


 魔術師という仕事は、常に死と隣合わせの危険なものだ。魔剣士の力という強力無比な能力を持っている切臣でも死にかけたことがあるし、両親の説得にはそれなりに苦労した。

 当然だ。自分の子供がそのような目に遭うことを見過ごせる親などそうはいないのだから。


 だから忍の母親も、同じく反対したものと思ったのだが……


「もちろんされたよ。めっちゃくちゃにね。でも、どうしても魔術師になりたいって本気で頼み込んだら、最終的には許してくれた。もし死んだりしたら許さないって泣かれちゃったけど」


 困ったように笑いながら、忍は告げる。

 されどその柔和な面持ちに反して、双眸には確かに、揺るぎなく力強い炎が灯っていた。


「だから、僕はもう後には退けない。必ず強い魔術師になって、お金をいっぱい稼いで、お母さんたちを幸せにしてあげるんだ」


「…………」


「━━なーんて、偉そうなこと言ってるけど、現実じゃ神林にいいようにやられて何もできない弱虫なんだけどね。でも、一応これが僕がこの学園に来た理由。普通過ぎてがっかりしたでしょ?」


「いや、そんなことねえよ……」


 切臣は呻くように呟きを返した。

 低めのトーン。しかしそれは決して、忍の話にがっかりしたとか、そんな理由ではなかった。


 むしろ逆だ。

 彼は強く感銘を受けていた。東雲忍という少年の、背負っているものに対して。




 自分がこの学園にやってきた理由は、言ってしまえば結局のところ、単なる自己満足である。

 蓮華を守るためと言えば聞こえは良いが、自分の我が儘を強引に貫き通しただけに過ぎないのだ。

 しかもそれも、自身に宿る魔剣士の力があってこその話。

 仮にこの力が無くて、ただの一魔術師としての魔力しか持たなかった場合、果たして自分は今と同じように、この道を進む決意をすることができただろうか?


 だけど、目の前の少年は違う。

 彼は家族のため、死地に赴く覚悟ができている。真に自らの力だけを頼りに。

 それと比べると、自分が酷く小さい存在に思えてならなかった。




「すげえよお前。めっちゃすげえ。俺なんかじゃ比べ物にならねえくらいに」


 だから切臣は、素直にそう賛辞を述べた。

 ただただ見上げんばかりの気持ちである。

 一方、そう言われた忍はというと、鳩が豆鉄砲を食らった様子で両目を瞬かせる。


「な、何を言ってるんだ。僕の話なんて、全然大したものじゃないでしょ」


「大したことあるって。俺と同い年なのに、そんな風に家族のこと真剣に考えてさ。そのために危険な魔術師の仕事に就こうなんて、考えはしてもなかなかできることじゃねえよ」


「そう、かな……?」


 忍は所在なさげに頬を掻く。

 まさかそんなにまで褒められるとは思ってもみなかったのだろう。

 気恥ずかしそうにはにかんでいた。


「だ、だけどそういう黒野くんの方がよっぽど凄いと思うよ。僕はまだ魔術師の現実を知らないから言えてるところあるけど、黒野くんは一度死にかけても尚飛び込むことを決めたんでしょ?」


 と、負けじと忍もそう言い放つ。

 今度は切臣が面食らう番だった。


「や、俺は単に自分がやりたいようにやってるだけっつーか……」


「それなら僕だって同じだよ。それに、いくら恋人を助けるためだとしても、身体一つで魔族に挑むなんて僕には到底真似できそうにないし」


「だからそれは……って、今何て言った?」


 ピタリと、そこで切臣は動きを止める。

 何やらとんでもない言葉がさりげなく飛び出したような気がした。

 忍がきょとんとした面持ちで問いに応じる。


「何って……身体一つで魔族に挑むなんて僕には無理だって……」


「違う! そのすぐ前!」


「ええと……恋人を助けるためってところ?」


 聞き間違いではなかった。

 彼が紡いだ言葉の意味を正しく理解してしまい、自身の顔に熱が集まるのを切臣は実感する。

 きっと、今の自分の顔色は茹で蛸のようになっているに違いない。

 一方、忍はますます不思議そうに首を傾げて、


「僕、そんなに変なこと言った? 黒野くんって竜宮寺さんと付き合ってるんでしょ?」


「いやいやいや! 付き合ってねえよ! 何でそう思った!?」


「だって、距離感とか明らかにそれっぽかったし。てっきりもう経験済みなのかと」


 残念ながら(?)、自分はまだ清い身体チェリーボーイのままである。


 閑話休題。

 切臣は改めて、幼なじみの美しい少女との関係について思案を巡らせた。

 確かに蓮華とは昔から仲が良いし、中学の頃はよく付き合っていると噂されたものだ。


 しかしながら、自分と蓮華が本当にそういった関係になったことは一度たりともない。

 きっとこれからも無いのだろうと、切臣は最初から淡い期待はしないようにしている。


「……俺と蓮華がそんな関係になるなんて、ありえねえよ。そもそもあいつは俺のこと、そんな風には見てねえだろうしな」


「そうなの?」


「ああ。いいとこ腐れ縁の親友とか、せいぜいそんなとこだ」


 切臣はそう断言する。

 そうも言い切られては忍も取り付く島もないようで、その話はこれ以上続くことはなかった。

 間の空いた沈黙がしばし満ちる。

 果たしてそれを破ったのは、部屋に飛び込んできたノックの音だった。


「おーい、一年。もうそろそろ晩飯の時間だぞ。早く食堂まで来い」


 同時に、自分たちと同じくらいの年頃の少年の声がドア越しに聞こえてくる。

 二年生か三年生か。とにかく上級生が、夕食に呼びに来てくれたようだ。

 壁に掛けられた時計を見ると、既に時刻は六時を回っている。


「あ、はい! 今行きます!」


「やっべ、もうこんな時間か。すっかり話し込んでた」


 切臣たちは慌てて腰を上げる。

 すっかり話に夢中になってしまっていたらしい。

 急いで部屋を出て、二人で連れ立って食堂を目指した。場所はここに訪れた際に把握済みだ。


(俺と蓮華が、恋人同士ね……)


 廊下を歩きながら、切臣は先ほど忍に言われた言葉を思い出す。

 同時に、自分と蓮華が本当にそういう仲になった時のことを想像してみた。

 手を繋いでデートしたり、肩を抱き寄せて愛を囁き合ったり、静かに互いの唇を重ねたり。

 もっと、それ以上のことも。


(いや、無い無い)


 小さく頭を振って、即座に否定する。

 やはり自分と蓮華がそのような関係になることなどありえないと、切臣は再確認した。

 しかし、一度脳裏に浮かんだその妄想は、なかなか頭から消えてはくれなかった。






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長いので前後編に分割しました。




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