第34話 それぞれの夜(後)
さて。
時間は少々巻き戻り、ここはフレインガルド魔術学園の女子寮。
今現在、東雲忍から黒野切臣との交際疑惑をかけられている少女・竜宮寺蓮華はと言えば。
「うふ、うへへ。うふへへへへへへへへへへ……」
これ以上ないほどだらしない顔をしていた。
備え付けの机に座り、一心不乱にペンを握った手を動かして何かを書き散らしている。
「『蓮華……俺、もう我慢できねえよ』」
「『ダメだよ切臣。私たち、幼なじみなんだよ?』」
「『うるさい! 大人しくしろ!』」
「『あっ……』」
「『お前は今日から俺の女だ! 分かったな!!』」
「『は、はいぃ。私は貴方のものですぅ……』」
ブツブツブツブツ。
不気味な独り言を呟きながら、ひたすらノートにペンを走らせる蓮華。
何を隠そう、これぞ彼女が小学生の頃から欠かさず執筆している、自分と切臣を題材とした恋愛小説(というか妄想日記)である。
ちなみに今書いているもので通算108冊目。ひとえに蓮華の切臣に対する、愛と欲望の深さの証左と言えよう。
(今日の切臣、カッコ良かったなぁ)
思い出すのは本日、学園で行われた模擬戦での一幕。
自分に言い寄ってきた神林の前に颯爽と立ち塞がり、堂々たる振る舞いを以て打倒してみせた、勇ましき魔剣士の姿だった(大いに語弊あり)。
あのような雄姿を間近で見せられてしまえば、こちらとしても昂りを抑えられなくなるというもの。
必然、その情念は全て文章として出力され、水を得た魚の如く蓮華は筆を進ませるのだった。
何なら買ったばかりの新品のノートを今日中に全て使い切りかねないほどの勢いだ。
(好き。切臣好き。大好き。超好き。いつになったら私の気持ちに気付いてくれるの? 私、ずうっと待ってるのに)
こちらから告白するつもりは今のところ無い。
やっぱりそういうことは切臣の方からアプローチしてほしいという願望があるのだ。
されど生憎なことに、切臣がそういう行動に出る兆しは見えない。
そのせいで蓮華は、悶々とした気持ちを持て余し気味なのである。
「はぁ……どうにかして切臣と付き合いたいなぁ」
そうなることができたのなら、それはどんなに素敵なことだろう。
切臣が私を選んでくれたなら、私は文字通り全てを捧げるつもりだ。
身も心も。何もかも。
甘美な妄想に耽り、笑みがますます深くなる。
そうしてペンを握るのとは反対の手が、またぞろ机の隅に置かれた写真立てへと伸びていき━━
「お嬢様、ただいま戻りました」
「わひゃあっ!!?」
唐突に後ろから声をかけられ、蓮華は驚いて飛び上がる。
恐る恐る振り返ると、早速制服からウサミミメイド服に着替えた木津うづきが立っていた。
「う、うううううううううううづき!? いつからそこにいたの!!?」
「たった今戻ったばかりですが。どうかなさいましたか?」
うづきはきょとんと頭に疑問符を浮かべる。
「う、ううん別に……一応聞いとくけど、さっきの聴いてたりした?」
「さっきの、と申しますと?」
「あ、いいのいいの! 聴いてないならそれで……」
そんなウサミミメイドの反応を見て、プラチナブロンドの少女はホッと一息吐いた。
どうやら執筆中の呟きなどは聴かれていなかったらしい。
蓮華は仕切り直しに咳払いをすると、折り目正しく控えるうづきに問う。
「それで、見回りはもう終わったの?」
「はい。どこにも異常はありませんでした」
「そっか、良かった。……でも、わざわざ寮の安全確認なんてしに行かなくても良かったんじゃない? それもそんな格好で」
やんわりと苦言を呈する蓮華。
そもそも彼女が一人で悠々と怪文書を作成していられたのは、同室であるうづきが『寮内の防犯状況を確認する』と言って見回りに出たからだった。
そうして一人になった時間を利用して、執筆作業に勤しんでいたのである。
とはいえ、やはりこのような目立つ格好で寮内をうろつくのは如何なものかと思い、蓮華は物申したのだった。
せめてメイド服だけでも脱いでもらいたいのだが……
「申し訳ありません。ですがお嬢様の侍従として、お嬢様の身の安全の確保は最優先事項なのです」
それに、とうづきは言葉を繋ぎ、
「この服もまたお嬢様━━ひいては竜宮寺一門に仕える者としての証。学園内ならばともかく、それ以外の場でおいそれと脱ぐわけには参りません。ご了承ください」
「ああ、そう……」
無い胸を張って力説する自らの侍従に対して、当のお嬢様は諦めたように返した。
意外と頑固なところのある彼女にこれ以上言ったところで暖簾に腕押しだと、経験則で理解しているのだ。
そうした自らの主人の心境を知ってか知らずか、 うづきは話題を切り替える。
「それと……見回りの際に食堂の前を通ったのですが、夕食の支度が整いつつあるようです。じき食堂に向かわれた方がよろしいかと」
「あ、そうなの?」
時間を確認すると、確かにもう夕食時に差し掛かっていた。
意識すると何だかお腹が空いてきた気もするし、うづきの言う通り食堂に行くことにしよう。
「じゃあそろそろ行こっかな」
言って、蓮華は机の上に出したままの筆記用具を片付けていく。
その様子をうづきはまじまじと見つめて、
「ところで、お嬢様は一体何をされていたのですか?」
「えっ!? な、何って、何が!!?」
「何やら書き物をされていた様子でしたので」
「え、ええと、その……」
冷や汗をダラダラとかきながら、蓮華は必死に言い訳を考える。
万が一これを見られてしまったが最後、自分は確実に死ぬ。社会的に。
頭をフル回転させて言い逃れる方法を思案し、やがてベストな答えを導き出した。
「あ、明日からの授業に備えて予習してたんだよ! やっぱり私も竜宮寺の跡取りだし、みんなに舐められたりしないようにしないと! ね!!」
念を押すように語気を強め、蓮華は言う。
完全に口から出任せで適当に吹いただけだったのだが、うづきは大仰に感嘆の息を吐いた。
「さすがですお嬢様。竜宮寺一門の次代を担う者として相応しきその意識の高さ……このうづき、誠に感服致しました」
「う、うん。ありがと……」
どうにかこうにか誤魔化すことに成功し、蓮華は再び安堵する。
詳しく聞かれないうちに有耶無耶にしてしまおう。手早く机の上のものを仕舞い込み、そのまま勢いよく立ち上がった。
「うづき、それよりご飯食べに行こう! 私お腹空いちゃった!」
「畏まりました」
うづきは恭しく頭を垂れる。
それを尻目に、蓮華は颯爽とした足取りで部屋のドアを開け放った。
先を行く主人に、ウサミミメイドは静々と追従しようとし、
「…………?」
ピタリと足を止めて、窓の外へと目を向けた。
「どうしたの?」
前を歩いていた蓮華が、そんなうづきの様子を不審に思い尋ねる。
うづきは窓の外から蓮華へと視線を戻した。
「いえ、何でもありません。気のせいだったようです」
いつも通りのポーカーフェイスで、ウサミミメイドはそう告げる。
蓮華もそれ以上追求することはなく、踵を返して歩き出した。
***
「おおっ。この距離で勘付くとはあのウサミミちゃん、バカみたいな格好してる割になかなかやるッスねえ。魔剣士クンや竜宮寺のお嬢サマは全然気付いてなかったっていうのに、凄い凄い」
同時刻。
女子寮からおよそ1kmほど離れた場所にある、とある高層ビルの屋上にて。
その女は心から感心した様子でそう呟いた。
短めに切り揃えた煤けた茶髪に、パーカーとショートパンツというラフな服装。
まだ少女の面影を色濃く残した、美人と言っても差し支えない整った容姿の女である。
されどその面貌に浮かぶ軽薄な微笑が、せっかくの素材の良さを胡散臭さで塗り潰し台無しにしていた。
「慌てて気配消しといて正解だったッス。もしバレてたら、今頃ちょーっとだけ面倒なことになってたッスからね」
「━━本当にそう思うのでしたら、こういった軽率な行動は控えて頂きたいのですがね」
と、女の独り言を拾い上げる声が、背後から聴こえてきた。
これまた年若い男の声。
女はそれに対して振り返ると、声の主の姿を確かめ、にやーっと笑みを深くする。
「おやおや、これは珍しいッスね。まさかボス自ら出てくるなんて、どういう風の吹き回しッスか?」
「私とて出るつもりはありませんでしたよ。ですが、貴女の勝手な行動を見過ごすわけには行きませんので」
「これにも一応、敵情視察っていう立派な目的があるんスけど」
「それは貴女の仕事ではありません。━━いいですか? 貴女の仕事はあくまで我々とあのお方を繋ぐメッセンジャーであり、運び屋に過ぎないのです。ならば時が来るまではその役割に徹するようにしてください。余計なリスクを犯すような真似はしないで頂きたい」
男が言い含めるように告げると、女は面白くなさそうに肩を竦めた。
「へーへー、言われなくても分かってるッスよ。心配しなくても、仕事はしっかりこなすんで安心してくださいッス」
調子の良いことを言う女に、男は言いたげな視線を向ける。
しかしやがて大仰に頭を振ると、口を開いた。
「まあいいでしょう。とにかく頼みましたよ。我が悲願の成就のためには、貴女の協力が必要なのですから。━━ラヴィさん」
名を呼ばれ、念を押された女━━ラヴィは、またしてもにやついた表情を浮かべた。
「へーい」
気の無い返事に男は眉を顰めたものの、踵を返してその場を後にする。
ラヴィもそれに追随した。
去り際にもう一度、今度は男子寮の方へと目を向けて。
「さてさて。ご主人を退けたその実力、次はウチがお手並み拝見させてもらうッスよ。魔剣士クン」
誰にも拾われない独り言を残しながら。
これより第二幕。
魔剣士の少年を巡る戦いが、再び幕を上げる。
************************
この話を一話に収めると文章量が多くなった気がしたので分割しました。
申し訳ありません。
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