第23話 舞い上がる炎

「それじゃあこの模擬戦で私が勝ったら、もう二度と絡んでこないって約束してくれるわね? 樋上ひがみセンパイ?」


 フレインガルド魔術学園・地下闘技場。

 古代ローマのコロシアムを思わせるその場所の中央で、久留須くるすアイリは気怠げに告げた。


 腰まで伸びた藍色の髪と、服の上からでも分かる豊満な胸。精緻に整えられた極上の美貌。だらしなく着崩した制服すらも、彼女にかかれば煽情的な色気を醸し出す。

 優雅さの中に妖艶さも併せ持った、まさしく絶世の美女というべきアイリだが、その表情はどこか物憂げだった。

 その視線の先には神経質そうな青年が立っている。


「ああ、もちろんだ。それより君の方こそ忘れるなよ久留須。この模擬戦で僕が勝った場合は、潔く風紀委員を辞めてその座を僕に譲るんだ」


「はいはーい。分かってますよー」


 気の無い返事をするアイリに、樋上と呼ばれた男子生徒は苛立たしげに眉を吊り上げた。


「その無礼で軽薄な態度、全く度し難い。やはり君は伝統ある我が校の風紀委員には断じて相応しくないな。本来そこにいるべきは誰なのかということを、今日はじっくりと教育してやろう」


「一度負けたくせによく言うわねえ」


「……ッ! ついでに、目上に対する口の利き方というものも叩き込んでやる……!」


 そう言って、樋上は懐から短杖ワンドを取り出した。




「なあ、これどっちが勝つと思う?」


「やっぱ久留須だろ。まだ一年のくせに風紀委員に選ばれた実力は伊達じゃねえって。この前だって完勝してたし」


「でも樋上くんもあれからかなり鍛えてきたみたいだし、もしかしてってこともあるんじゃない?」


 既に放課後だというのに、観覧席には多くの生徒たちの姿があった。

 一年生にして風紀委員に在籍している天才児と、着実に力を蓄えた二年生との模擬戦を観戦しようと、押し寄せているのだろう。




 それにしても、彼女たちは一体どういうわけで、わざわざ放課後に模擬戦など行おうとしているのか。


 発端は今から数週間前、各学期の中間に行われる学内戦において、アイリが樋上を完膚なきまでに打ち負かしたことを起因とする。

 前々から年下の女子であるアイリが自分を差し置いて風紀委員にいるのが気に食わなかった樋上だが、直接対決からの敗北を受けて、その不満が一気に爆発したのだ。


 以来毎日のようにアイリにしつこく付き纏い、模擬戦を持ちかけ、ついには教室にまで押しかけるようになったのである。

 もはや悪質なストーカーと言っても差し支えない樋上の行動にうんざりし、いよいよ限界を迎えたアイリは、今日ついに先ほど言及した通りの条件で彼からの模擬戦の申し出を受諾したのだった。




「両者共、準備は良いか!」


 この模擬戦の立会人たる実技担当教師・猫沢美弥子ねこざわみやこが、いつも通りの強い口調で言い放った。


「今回の模擬戦は最もポピュラーな一撃決着ルールで行う! 互いに魔術及びマジックアイテムを用いて戦闘を行い、先に相手に一撃を与えた者が勝者だ! 無論、仮に両者の生命に関わる事態に発展した場合は、即刻中断するからそのつもりでな! 何か異論はあるか!?」


「ありません」


「私もー」


「よろしい!」


 アイリと樋上の返事を聞き、猫沢は鷹揚に頷いた。

 そうして、右手を頭上に振り上げる。


「それでは……」


 短杖ワンドを前に突き出し、真剣な顔付きで構える樋上。

 一方、アイリは呑気に欠伸をしていた。

 ざわめいていた観客たちもピタリと静まって、固唾を飲んで見守っている。そして、




「始め!」




 猫沢の手が振り下ろされたと同時、樋上が動いた。


「━━枯れ落ちよ、狂い咲け!」


 呪文を唱えつつ横薙ぎに短杖ワンドを振るうと、地面のあちこちに亀裂が走り、次いで何やら奇妙なものたちが這い出してきたではないか。

 まるで触手の如く不気味に蠕動するそれらは、太く成長した植物の蔓である。それも一本ではなく複数。


「へえ、植物魔術。それも前より操れる数が増えてるわね。鍛えてきたっていうのは本当だったわけ」


「当然だ。才に胡座をかいた怠惰な君と違い、僕は常に努力を重ねている。この前と同じように行くとは思わないことだ」


 不敵な笑みを浮かべて、樋上は告げる。


「それでどうする? 僕がほんの少し杖を振るえば、それだけでこいつらは君に殺到する。悲鳴を上げる暇などないぞ。あっという間に絡め取られて、それで終わりだ。降参するというのなら聞き入れるが?」


「ペラペラとよく口の回るひとねえ」


 アイリは思わず苦笑した。


 とはいえ、あの蔓の出来自体は認めざるを得ない。

 捕まってしまえば最後、脱出どころか満足に身動きすら取ることができず、好き放題に弄ばれてしまうことだろう。

 そうなればもはや、戦闘になどならない。一方的ななぶり殺し。

 まさしく彼の言う通り、一巻の終わりというやつだ。


「ま、捕まればの話だけど」


 口の中で呟きながら、アイリは静かに右手を前に突き出した。

 あくまで降参の意思を見せない彼女に辟易したように、樋上はわざとらしく首を振った。


「やれやれ。僕としては、女性に手を上げるのは些か不本意なのだがな。……まあ仕方がない。こうなったら少しばかり、痛い目を見てもらおうか!」


 言い放つと、樋上はアイリに向けて短杖ワンドを突きつけた。

 すると、それまで不規則に蠢くのみであった蔓の群れが、四方八方から彼女に向かって襲いかかる。


 樋上は口角を吊り上げる。

 己の勝利を確信した笑みだ。

 徹底的に鍛え上げた自らの術式が、才能だけで乗り切ってきたような自堕落な女に遅れを取るはずがないと高を括っているのだろう。


 だが次の瞬間、彼の表情は一転して驚愕へと塗り替えられることになる。




「━━ほのおよ」




 アイリが短く唱えた。

 途端、凄まじい炎の渦が彼女を中心に巻き起こる。

 さながら竜巻の如く唸りを上げるそれは、迫り来る蔓の群れを瞬く間に焼きつくし、原型を止めぬ塵へと還してみせた。


「ば、馬鹿な! 僕の術式を全て燃やし尽くしただと!?」


 思わず瞠目する樋上。目の前で起きたことが信じられないという顔だ。

 操っていた短杖ワンドの動きが止まる。

 果たしてその一瞬の隙を、アイリは見逃さなかった。


「━━偉大なる簒奪者に鉄条網の花束を」


「がはぁっ!」


 呻き声を上げて、樋上はその場に倒れ伏す。

 不自然に硬直したその姿勢は、アイリが発動した捕縛術式によるものであった。


 芋虫みたいに這いつくばった樋上に、アイリは悠然と髪を靡かせて近づく。

 手前までやって来ると、屈み込んでピシャリと軽く頬を叩いた。


「はい、これで私の勝ちね。お疲れ様」


「そ、そんな……」


 ニッコリと意地悪く微笑んで言う巨乳美女に、樋上は愕然と嘆く声を上げる。

 尚も諦め悪く足掻こうとするも、どうやっても拘束が解けないことを悟ると、やがて観念したように大人しくなった。


「そこまで! 勝者、久留須アイリ!」



 しんと静まり返った闘技場内に、猫沢のよく通る声が響き渡る。

 あまりに速過ぎた決着に呆気に取られていた観客たちが、一瞬遅れて大歓声を上げた。




***




 危なげなく模擬戦を勝利で飾り、アイリは踵を返して修練場を後にする。

 そうして通路を歩いていると、見覚えのある人物がこちらを待ち構えるように佇んでいるのが見えた。


「久留須」


「あら聖司、見に来てたの」


「風紀委員長として、生徒間の模擬戦は見届ける義務がある。それが同じ風紀委員に属する者による試合であれば尚更だ」


 折り目正しく背筋を伸ばした、長身でメガネをかけた黒髪黒目の男子生徒。

 四角四面という言葉が何よりも相応しいその青年は、名を十条聖司じゅうじょうせいじといい、このフレインガルド魔術学園の風紀委員長を勤める才子である。


「相変わらずお堅いわねえ。もうちょっと肩の力抜いた方がいいんじゃない?」


 真面目が服を着て歩いているような十条に、不真面目代表そのものな出で立ちのアイリが言う。

 並ぶととても同じ風紀委員のメンバーとは思えないが、本人たちはまるで気にしていなかった。


「気遣い感謝する。だが無用な心配だ、これが性分なものでな。……それより」


「?」


「どうだった、今日の模擬戦は。少しは楽しめたのか?」


 十条は率直に問うた。

 強者との戦いを渇望しているアイリのさがを、彼は深く熟知しているのだ。

 何しろその好戦的な性分も、彼女を風紀委員に引き入れた要因の一つなのだから。


「全然。むしろ、消化不良もいいところよ。鍛えてきたっていうから一応ほんのちょっとは期待したのに、まさかあんなに弱っちいままなんてねえ」


 アイリはその問いに対して、実につまらなそうに答えた。

 彼女にとって先ほどの模擬戦は、何の実りもないくだらない些事に過ぎなかったらしい。


 しかし、樋上の名誉のため補足すると、決して彼が弱いわけではない。むしろ二年生の中では有数の実力者である。

 そんな樋上ですら霞んでしまうほどに、アイリの才覚が突出しているというだけの話なのだ。


 何しろ魔術の世界は才能が全て。

 スタート地点から魔力の有無で震いにかけられ、そこから更に個々の術式適性によって進むべき道を強制的に振り分けられる。

 そしてその適性の限界も、個人の資質によって大きく差があるのだ。

 『魔術とは99%の才能と、1%の努力である』という言葉があるほどに、魔術師とはかくも不平等な業界なのである。




「そうか。それは残念だったな」


 十条はアイリの返答に、相変わらず抑揚のない口調で合いの手を打つ。


「本当よぉ。ね、聖司。これからちょっと口直しに付き合ってくれない? 一戦やりましょうよ」


「悪いがまだ仕事が残っている。次の機会にしてくれ」


「ええー、いいじゃないケチ」


「ケチではない」


 並の男ならばそれだけで骨抜きにされるアイリの上目遣い攻撃も、堅物の十条には暖簾に腕押しだ。

 そのまま踵を返して歩き去ろうとする。




 が、数歩足を進めたところで立ち止まって、


「……だが、替わりと言っては何だが、お前好みの噂話をひとつ耳にしたぞ」


 あからさまに気落ちしているアイリを見かねたのか、そんな呟きを漏らした。 

 途端、つまらなそうにしょげていた巨乳美女が、がばっと顔を上げる。


「え、何何なになに?」


「まだ気の早い話ではあるが……」


「もったいぶらないで早く言いなさいってば!」


 間怠っこく前置きをする十条に焦れたように、アイリが身を乗り出して続きを促す。

 そうして急かされるがままに、十条は引き結ばれた口を再度開いた。


「来年この学園に入学する新入生の中に、とんでもない怪物がいるらしい」


「怪物?」


「ああ」


 首肯して、


「何でも竜宮寺学園長の肝煎りで、あの破滅のジュリアスと互角に渡り合ったという話だ」


「破滅のジュリアスって……まさか十三貴族の!?」


 アイリが珍しく驚愕の声を上げる。


 破滅のジュリアス。

 魔界に君臨する十三貴族の中で最も年若い、あまねくアンデッドを統べる暴君。

 序列は十三位と年相応に一番低いが、それでもブラック級以外の魔術師では到底太刀打ちすることのできない、非常に強大な力を持った『魔王』候補の一角である。


 そんな相手と互角に渡り合うなど、とても魔術学校入学前の中学生にできる芸当ではない。

 確かにそれが真実ならば怪物と呼ばれて然るべきだが……


「校長センセの肝煎りって……もしかして例の天才跡取り娘ちゃんのこと?」


「いや、どうやら違うらしい。聞くところによると一般家庭の出身だそうだ。にわかには信じがたいが」


「へえ……」


 十条が告げると、アイリの瞳にはますます危険な輝きが宿った。

 それは見る者が見れば、獲物を狙う獰猛な肉食獣のそれと、同質に見えたことだろう。


「早まった真似はするなよ」


 十条もまたその気配を敏感に感じ取ったようで、抜け目なく釘を刺した。


「あくまで噂は噂だ。事実かどうかはまだ分からんし、単に尾ひれが付いているだけやも知れん。くれぐれも、学園長にご迷惑をおかけするような行動は慎むようにな」


「言われなくても分かってるわよ。貴方、私を何だと思ってるの?」


 大真面目に言ってくる十条に、アイリは頬を膨らませた。


「でもその噂が本当なら、来年が楽しみね。一体どんな子が入ってくることやら……」


 そう呟きを漏らしつつ、巨乳美女は藍色の髪をさらりと流して、先を行く風紀委員長を追いかける。




 これより数ヶ月後。

 物語の歯車は、再び動き始める。






************************


続きは来週頃に投稿します。


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