第13話 木津うづき
九月下旬。
本日の天気は昨夜遅くに降った雨が嘘のような、雲一つない快晴だった。
もうそろそろ秋だというのに、まるでぶり返してきたような暑さがむしむしと立ち上っている。
「……あっつ」
そんな灼熱の通学路を、黒野切臣はのろのろとした足取りで歩いていた。
絶え間なく襲いかかってくる残暑にうんざりとした面持ちで、手のひらを必死に扇いで僅かな風を作りながら、少年はか細い呻き声を上げる。
汗だくの身体にシャツが貼り付いて非常に気持ち悪いが、今の自分にそれを解決できる手段はどこにもないので、甘んじて受け入れるほかなかった。
「何でもう十月近いのにこんな暑いんだよ。吸血鬼じゃなくても灰になるわこんなん……」
いくらぼやいたところで涼しくなるはずもなく。
切臣は諦めたように息を吐くと、額から滴り落ちてきた汗を手で拭った。
(いっそ魔剣士の姿になったらちっとは涼しくなるかな。いや、あんな格好だと余計暑くなるか……)
あまりの暑さのせいか、そんな取り留めもないことを考える切臣。
ちなみに魔剣士の肉体は人間とは比べ物にならないほど頑丈なので、暑さや寒さへの耐性もすこぶる高い。日本の猛暑日程度の気温ならば、たとえ真っ黒い軍服を着込んでいようが余裕で凌ぐことができる。
無論、魔剣士の力を不用意に解放するのは厳志郎から固く禁じられているので、もしそのことを知っていたとしても本気で魔剣士化するつもりは切臣にはないが。
(それにしても……俺が竜宮寺家の魔術師見習いか。まさかこんなことになるなんて、昨日の今頃は想像すらしなかったよなあ)
身を焦がす熱気から少しでも気を逸らすべく、切臣は思考の方向性をそちらへと寄せた。
蓮華を助けるために魔剣の欠片を食べ、魔剣士へと転生し、紆余曲折を経て魔術師見習いとなったのは、つい昨日の夜の出来事。
時間にしておよそ12時間ほど前、まだ丸一日どころかようやく半日が過ぎたくらいだ。
昨日は色々なことが一度に起きたせいで感覚が麻痺していたが、まだたったそれだけの時間しか経っていないと思うと、何だか不思議な気持ちになってくる。
人生というのは本当に何が起きるのか分からないものだと、中学生らしからぬことを考えてしまうほどに。
と、そこで。
「おっ」
切臣は数メートル先の曲がり角から出てきた、見覚えのある後ろ姿に気付いた。
赤い組紐で結んだプラチナブロンドのポニーテールと、自分と同じ中学校の女子制服。
遠目からでも一際目立つその姿は、間違いなく竜宮寺蓮華のものだった。
切臣は小走りで彼女へと近づいていく。
「おーい、蓮華ー!」
切臣が呼びかけると、蓮華も足を止めてこちらへと振り返る。
煌やかな髪がまさしく尻尾みたいに揺れ動くと同時、少女は追いついてきた少年を、華やいだように可憐な笑顔で出迎えた。
「よっす」
「おはよう切臣。今日はいつもよりゆっくりなんだね」
「まあな。もう部活の朝練もねえし、これからは卒業までずっとこんな感じだと思う」
「そういえば昨日、そんなこと言ってたね。色んなことがあり過ぎてすっかり忘れちゃってたかも」
そう言って、蓮華はくすくすと笑い声を溢した。
この暑さのせいだろうか。
妙に熱っぽく上気している頬は仄かに赤く染まっていて、こちらを見つめるエメラルドグリーンの瞳にはうっとりとした揺らめきが宿っている気がする。
そんな蓮華の様子に僅かな違和感を覚え、切臣は首を捻る。
しかしそれを余所にプラチナブロンドの少女は、滑り込むように少年の隣に移動した。
「……何か距離近くねえ?」
「えー、そう? 気のせいじゃない?」
明らかに近い。
そんなに狭い道でもないのに、肩が当たるくらいに密着している。
蓮華の柔らかい感触や、女の子特有の良い匂いが伝わってきて、何だか胸がドキドキしてくる。
あと普通に暑いので出来れば離れてほしい。
「いややっぱ
「まあまあ細かいことはいいじゃん。それよりもさ、昨日あれからどうだった? 体調とか平気?」
「え?」
どうにか離れてもらおうと口を開きかけた切臣に、蓮華はすかさず口を挟んだ。
唐突に予想外のことを尋ねられ、思わず聞き返してしまう。
「だって人間が魔剣士に転生するなんて、今まで全く前例がない現象だからさ。何か変な後遺症みたいなのが出てないか心配だったんだよね」
蓮華は極めて真面目なトーンで話す。
それを受け、切臣もまた表情を真剣に正した。巧妙に話を逸らされていることには一切気付いていない。
「いや、特にそういうのはねえな。至って健康そのものって感じだよ」
「そっか、良かった。うっかり全身の穴という穴から体液が流れ出したりとかしてたらどうしようって思ってたんだ」
「急に怖いこと言うのやめてくんない?」
グロテスクな想像をしてしまい、沈痛気味な面持ちになる切臣。昨日似たような目に合ったばかりの身としては、少々笑えない冗談である。
「ごめんごめん。だけど、調子悪くなったらいつでも言ってね? お爺ちゃんなら多分何とかしてくれると思うから」
「ああ、分かった」
「今日からの修行も、絶対無理しちゃダメだよ?」
「だから分かったって。心配性だなお前も」
尚も念を押してくる蓮華に、苦笑しつつ返す切臣。
このままだと延々とこちらの身を案じる声を聞かされそうなので、とりあえず話を変えることにする。
「そういや、修行って結局何やるんだ? 詳細とか全然聞かされてねえけど」
昨日の夜、ご相伴に預かった夕食の席で、早速今日の放課後から魔術師見習いとしての修行を始めると竜宮寺厳志郎から聞かされていた。
しかし具体的なことはまだ知らされておらず、どういったことをするのか分からないのである。
だから蓮華ならもしかしたら、厳志郎から詳細を聞かされているのではないかと思ったのだが……
「私も詳しい話は聞いてないなあ。お爺ちゃんはもう何するか決めてあるっぽいけどさ」
「そうか……」
当てが外れてしまい、切臣は軽く息を吐いた。
できれば心の準備をしていたかったが仕方ない。放課後のお楽しみということにしておこう。
「でもこれでいよいよ俺も、魔術師の仲間入りなんだよな。どうせなら魔剣士の力以外にも、昨日の化物みてえなのを倒せるような強い魔術も覚えたいぜ」
一般人には扱えない超常の力である魔術に、憧れを抱く者は多い。他でもない切臣もその一人だ。
今までは蓮華の手前その辺をあまり出さないようにしていたが、いざ自分がそれを扱えるようになるかも知れないと思うと、少なからず気分が高揚してくる。
キラキラと瞳を輝かせる彼の脳内では、炎や氷、あるいは蓮華が使用していたような雷撃を自在に操り、
「うーん、それは無理だと思うよ。だって切臣って魔術の才能ないし」
果たして蓮華から返ってきたのは、あまりにも淡々とした否定の言葉だった。
「…………へ?」
「魔術を使うにはね、大きく分けて二つの前提条件が必要なの。一つは魔力を保有していること。そしてもう一つが、術式に対する適性があること。どの術式に適性があるのかは人によってそれぞれだけど、普通は魔力と一緒に生まれつき身体に備わってるものなんだよ。でも切臣の場合は、魔剣士化したことで後天的に魔力を手に入れたでしょ? 本来魔力を持ってない身体で術式適性そのものが存在しないから、どんなに練習してもほとんど上達しないってわけ」
「で、でも俺、魔術師見習いになったんだろ!? なのに……」
「一応全く使えないわけじゃなくて、どんな術式も頑張ればとりあえず使えるようにはなるよ。ただ適性が全く無いから、せいぜいゴブリンみたいな下級魔族をどうにかやっつけられるようになるのが関の山って感じかな。とてもじゃないけど、使い物にはならないと思う」
「…………」
ガラガラと、夢が崩れていく音が聞こえる。
あまりにも残酷な現実を前に、切臣はがっくりと肩を落とした。何か凄く騙された気がする。
その急変ぶりに蓮華はぎょっと目を瞬かせて、心配そうに尋ねてきた。
「ど、どうしたの切臣!? やっぱりどこか調子が……」
「いや……夢は所詮夢でしかねえんだなって、世知辛さを噛み締めてるだけだから……心配すんな……」
「そ、そう」
切臣の様子に若干引きつつ、相槌を打つ蓮華。
と、その時である。
「全く、また随分とくだらないことで落ち込んでいるのですね、この山猿は」
並んで歩く切臣と蓮華の後ろから、そんな声が飛んできた。
二人が振り返ると、小学生くらいの背丈をした黒髪のボブカット少女が、こちらを(主に切臣の方を)ジト目で睨み付けていた。
その姿に切臣は見覚えがある。
昨晩、自分を竜宮寺厳志郎の元へ案内してくれた、蓮華の侍従らしいウサミミメイドだ。
今はウサミミカチューシャの代わりに大きなリボンを付け、その上で何故か自分たちの通う中学校の制服に身を包んでいるが間違いない。確か名前は……
「あ、うづきおはよう。……ってさっきも家で会ったばっかりだけど」
「おはようございますお嬢様。お嬢様とのご挨拶は私にとって何よりの活力になりますので、何度でもして頂いて構いません。おはようからお休みまで、叶うのであれば一日に千回ほど拝聴させて頂きたく思います」
「あはは……」
少女━━木津うづきはそう言うと、改めて切臣へと視線を送ってくる。
その能面のように無機質な眼差しに、切臣は肩を震わせた。
「何だよ」
「失礼。何時になれば全身の穴という穴から体液を染み出して苦しみ悶え始めるのか気になったもので」
「何でどいつもこいつも俺の全身の穴から体液出したがるんだよ! 流行ってんのか!?」
「あまり大きな鳴き声を上げないで頂けますか、山猿さん? 貴方も仮にも栄えある竜宮寺一門の末席に加わったのですから、今後はそれに相応しい振る舞いを心掛けてください」
「お前が先に喧嘩売ってきたんだろうが!」
あまりにも理不尽な物言いをしてくるうづきに、切臣は苛立ちを隠せず言い返す。
しかしながらうづきは暖簾に腕押しとばかりに、相も変わらず無表情のまま鼻を鳴らして、
「堪え性のない男ですね。そのような有り様で、よくもまあお嬢様をお守りするなどと大言壮語を吐けたものです。先ほども何やら醜態を晒しておりましたし」
「うづき、いい加減にして! 何だってそう切臣に突っかかるの!」
尚も慇懃無礼な態度を取り続けるうづきを、蓮華がいよいよ堪忍袋の緒が切れたという風に叱りつけた。
そこでようやくうづきは(あくまで切臣にではなく蓮華に)、恭しく頭を垂れる。
「申し訳ありませんお嬢様。ですが私はまだ、その男を竜宮寺一門の魔術師見習いだと完全に認めたわけではありませんので、どうかご容赦ください」
「そんな……」
「それでは失礼致します。その男の見苦しい様を見かねてつい声をかけてしまいましたが、お嬢様と私の関係を周囲に悟られるわけには参りませんので」
言うが早いか、うづきはもう一度深々と頭を下げると、足早に歩き去っていく。
その後ろ姿を見ながら、切臣はぼやくように呟きを漏らす。
「何なんだよあいつ。急に出てきたかと思えば暴言吐くだけ吐いて消えやがった」
「ごめんね。いつもはあんな子じゃないんだけど、今日はちょっと気が立ってるみたい」
申し訳なさそうに身を縮こまらせる蓮華。
それを見て、切臣は慌てて言葉を繋いだ。
「いや、別に蓮華に怒ってるわけじゃねえから。それにあんなチビガキの言葉なんていちいち真に受けねえよ。小学生相手にガチギレするヤバい奴になっちまうしな」
「あー……、見た目だと分かりにくいけど、うづきは中学生だよ。一応」
「…………え、ガチで?」
さりげなく明かされた、今日一番の衝撃の真実だった。蓮華は事も無げに首肯して、
「ガチ。ちなみに言うと、私たちと同じ三年生」
「嘘だろ!? あんな奴今まで見たことねえぞ!」
「学校では基本的に気配消してるからね、あの子。ていうか思いっきりうちの制服着てたじゃん」
「それはそうだけど……てっきりコスプレか何かかと」
「コスプレで学校通うとかいくら小学生でも勇者過ぎるでしょ」
蓮華は呆れたような突っ込みを入れた。
それを尻目に、切臣は改めてうづきの立ち去った方へと目を向ける。
「ってことは、あいつも来年は俺たちと同じように魔術学校に入学するってことだよな?」
「そうだね。きっとそうなると思うよ」
「マジかー。やだよ俺、魔術使えないことでいちいちあいつにマウント取られるの」
あの嫌味ったらしい口振りで事ある毎にネチネチと小言を言われるかと思うと、それだけで暗澹たる気分になってくる。
蓮華もうづきはそんなこと言わないと言い切れないのか、細長く形の整った眉を頼りなげに下げた。
「まあ確かにあの子はそういうこと言うか言わないかで考えたらめちゃくちゃ言いそうではあるけど……でも、切臣だって魔剣士の力があるから大丈夫だよ! 魔剣士が持ってる魔剣の威力は普通の魔術とは比べ物にならないくらい強いって聞くし、それを見せればうづきもきっと見直してくれるって!」
「魔剣かぁ……」
魔剣士が持つ唯一にして最強の切り札、魔剣。
勝手に使用するのを禁止されているとはいえ、遠い伝承の中だけの代物だと思っていたそれが、今や自分の手の内にあるのだ。
その秘めたる能力を振るってやれば、確かにあの鉄面皮の鼻を明かしてやることもできるかも知れないが……
(……あれ?)
切臣はふと首を捻る。
そういえば魔剣の能力というのは、どうやって発動すればいいのだろう。
隣を歩くプラチナブロンドの少女に、魔剣士の少年はそれを尋ねようと口を開きかけて、
「あぁ~~~~ッッ!!!!」
それよりも先に、蓮華がすっとんきょうな声を上げた。
「ど、どうした!?」
「やっばい、もうこんな時間! 急がないと遅刻しちゃう!!」
焦った様子の蓮華がスマホの画面をこちらに突きつけてくる。
その指し示す時刻を見て、切臣も目を丸くした。
「ゲッ、マジじゃんやべえ! 走るぞ!」
「もう、うづきも言ってくれれば良かったのにぃ~!!」
言い合いながら、二人で学校に向かって猛ダッシュする。
その甲斐あってどうにか始業には滑り込めたものの、切臣の中に生じた疑問は完全に吹き飛んでしまっていた。
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続きは明日の20時に投稿します。
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