幕間 こいごころ

 嬉しい。

 嬉しい嬉しい。

 嬉しい嬉しい嬉しい。


 あの人が約束をしてくれた。

 ずっと一緒だって言ってくれた。

 あの日溜まりみたいに暖かな笑顔を、また私に向けてくれた。


 決して許されてはいけないことをしてしまったのに。

 死んでも償いきれないことをしてしまったのに。


 それでもあの人はいつも通りの優しい声で、私の名前を呼んでくれた。

 真剣な色を含んだ眼差しで、包み込むようにまっすぐ見つめてくれた。

 その事実が、堪らなく嬉しくて愛おしい。


 あの人の声を、その心地好い響きを思い返すだけで、胸の奥が熱く高鳴る。

 鋭く凛々しい面立ちが、それに似合わない不器用な優しさが、まるで遅効性の毒のように私の脳髄を甘く蕩けさせ、お腹の下辺りに湿り気を帯びた切ない疼きを与えてくる。


 欲しい。足りない。もっとちょうだい。


 飢餓感にも似た暴力的な欲求と、それを慰めるために貪る破滅的な快楽。目の前がチカチカと白く明滅する。

 だけどもう、こんな手遊びじゃ物足りない。満たされない。

 瞼の裏に思い描いた都合の良い妄想なんかじゃなくて、本物のあの人と結ばれたい。あの人の心が、身体が、全てが欲しい。




 絶対に、手に入れる。

 どんな手を使ってでも、あの人は私だけのものにする。

 他の誰かになんて、死んでも渡さない。




 ふと、手の中に握ったそれを見る。

 普段は肌身離さず大切に身に着けている、あの人から貰った大切な絆の証が、今はそこにあった。

 私はそれにそっと唇を寄せて、舌を這わせるように舐めしゃぶる。

 あの人に結んでもらった運命の赤い糸は、とてもとても淫靡な味わいがした。


 名残惜しく唇を離すと、唾液の橋が電灯に照らされて、てらてらと妖しい光を放つ。

 それも残らず舐め取って、乱れた着衣もそのままに、ぼんやりと天井を眺めた。

 先ほどから降り始めた雨が、絶え間なく窓を叩いている。


「…………きり、おみ……」


 揉みくちゃになったベッドの上で。

 沈み込むような倦怠感に溺れながら、私はあの人の名前を呼ぶ。

 その残響が、さながら溶けた飴玉みたいな甘ったるさで、口の中いっぱいに広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る