第10話 魔術師VS魔剣士
「すっげえ……」
目の前に広がる光景に、切臣は思わず感嘆の声を盛らした。
その隣に立つ厳志郎が、その呟きに対して自慢気な含み笑いを洩らす。
「だろう? これぞ我が竜宮寺一門の本邸が誇る地下修練場だ。これほど大規模なものを個人で所有しているのは、日本広しと言えどウチくらいのものだろうな。……少々維持費が嵩むのが難点ではあるが」
最後の方は何だか愚痴っぽくなった厳志郎の言葉も、切臣の耳にはほとんど入らない。
それほどまでに眼前の景色は、驚嘆に値するものだったからだ。
およそ学校の体育館ほどの大きさをした、壁も天井も全てが白く塗られた広大な空間。
中央にはまるで格闘リングみたいに高くなっている長方形の舞台があり、その四隅にはそれぞれ太い石柱が守るようにそそり立っている。
更にそれらの柱からは何やら青白い光が放たれており、舞台を取り囲んだ半透明の薄い膜を形成していて、さながら透明な箱のようにも見えた。
「うづき、防護結界の作動に支障は?」
「ありません。全て滞りなく正常に作動中です」
「よろしい」
切臣たちよりも先に来て準備をしていたうづきが折り目正しく答えると、厳志郎は鷹揚に頷く。
それから切臣へと向き直り、改めて説明を始めた。
「この舞台に張り巡らせた防護結界は、外側からは簡単に侵入や破壊ができる代わりに内側からの攻撃は全て遮断する仕組みになっていてな。結界内でどれほど暴れようとも外に被害が及ぶことはない優れものだ。この中でなら君の魔剣士の力も存分に振るうことができるはずだ」
「つまり、あの中で俺と蓮華は模擬戦をすると?」
「そういうことになるな」
ロマンスグレーの魔術師は肯定する。
切臣は少し離れた場所に立つ、幼なじみの少女の方を見た。
蓮華はこちらが見ていることに気付くと、一瞬だけ複雑な表情を浮かべたが、すぐにそっけない態度で目を逸らした。
プラチナブロンドのポニーテールが、その拍子にふわりと揺れる。
「さて。それではそろそろ時間も押して来ていることだし、早速始めようか」
と、厳志郎。
しかし切臣は待ったをかけるように手を上げた。
「あのー……始めるのは良いんですけど俺、魔剣士へのなり方が分からないんですけどどうすれば……」
いざ模擬戦というところで何とも締まらない話だが、事実なのだから仕方がない。
厳志郎の話では封印術式とやらがかけられているらしいが、それがどうすれば解除されるのか皆目検討がつかないのだ。
「うん? ああ、そうか。すっかり忘れていた」
言うが早いか、厳志郎は人差し指で軽く切臣の額を押した。
するとどういうことか、身体の中で何かの抑圧が外れたような不思議な感覚が生じた。
「君にかけた封印を少しだけ緩めた。胸に手を当てて“
「は、はい。分かりました」
言われるがままに、切臣は自身の胸元に手のひらを当てた。
静かに瞳を閉じて口唇を開く。
「━━
告げる。
同時に。
凄まじい黒い奔流が切臣の足元から立ち昇り、瞬く間のうちにその身体を覆い尽くした。
靄のようなそれはしばらくの間渦を巻いていたかと思いきや、やがて旋風の如くに霧散する。
そうして靄が晴れると、そこにいたのは真っ黒い軍帽と軍服、
「おおっ」
文字通り変身した自分の姿を見下ろして、切臣は歓声を上げた。
意味もなく手のひらを握ったり開いたりしてみたり、その場でピョンピョンと跳び跳ねてみる。
「ふん、はしゃいじゃってバカみたい」
そんな切臣の様子を、蓮華が冷めた目で見ていた。
「これで準備は整ったな。二人とも舞台の上に上がりなさい」
厳志郎に促され、切臣と蓮華は長方形の舞台へと上がった。
やはり先ほどの説明通り、外からならば結界は素通りできるようだ。
二人がお互いに向かい合ったのを確認すると、ロマンスグレーの魔術師が厳かに告げる。
「改めてルールを説明する。戦闘方式は一対一による決闘。攻撃手段は互いに魔術若しくはマジックアイテムによる物のみに限定し、先に相手に一撃を入れることによって勝敗を決する」
つらつらと模擬戦のルールを述べていく厳志郎。
この方式は魔術界隈において、古くから伝わる由緒ある決闘法だった。
「ちなみに勝敗の判定は全て、この修練場に設置された特殊な魔術装置によって行われる。どちらかが相手に攻撃を当てた時点で自動的にブザーが鳴り響くようになっているので、不正はまず不可能だと肝に銘じておくように」
そこで一拍おいて、
「また万が一双方の命に関わる事態へと発展した場合には、即座に模擬戦を中断させ、これを無効試合とする。━━ここまでで何か質問はあるかね?」
「ありません」
「大丈夫」
切臣と蓮華は、それぞれ合意を示す言葉を返した。
そうして互いに睨み合う。
「言っとくけどガチで行くから。痛い思いしたくなかったらさっさと降参しなよ」
「それはこっちの台詞だ。ガツーンとヘコましてやっから、負けても言い訳すんじゃねえぞ」
売り言葉に買い言葉で挑発の応酬をする二人。
されど切臣はそんなことを言いながらも、内心はかなり冷静だった。
(つっても、まさか蓮華相手に
腰に下げた刀に目を向けて、そんなことを考える。
あんな
それを思い、切臣はこの模擬戦では決して刀を抜かないことを、固く心に誓った。
(どうにか素手であいつを捕まえて、適当にデコピンでも食わせれば俺の勝ちだ。身体能力なら俺が有利だろうし、きっと行ける!)
拳を固く握りしめて、まっすぐ蓮華を見据える。
蓮華もまた、無言で右手を前に翳した。
「それでは」
厳志郎が手を振り上げ、
「始め!」
勢いよく振り下ろした。戦闘開始の合図だ。
「行くぞ!」
瞬間。
切臣は足に力を込めて踏み込み、一息に蓮華へと詰め寄ろうとする。
とにかく速攻で、蓮華を無力化して勝負をつけるために。
なるほど確かに狙いとしては悪くはないだろう。━━だが、あまりにも遅過ぎた。
「━━
蓮華が呪文を紡ぐ。
伸ばした右手の指先から紫電が迸った。
轟音と共に顕れ出でしそれらは、標的たる魔剣士を焼き焦がさんと殺到する。
「うわっ!?」
切臣は堪らず、これを真横に跳び避ける。
踏み込んだ先から無理な方向転換をしたにも拘わらず、難なくついてくるとは何という肉体能力か。
一瞬の後に雷撃が地面に着弾して焼き焦げ、ぶすぶすと黒煙が立ち昇る。これで終わりではない。
「せいっ!」
切臣がはっと向き直った時には、蓮華がすぐ間近まで距離を詰めていた。
追撃の掌底が弾頭さながらの勢いをつけて射貫く。
切臣は間一髪で身を捩り躱した。
「何ッ……だお前っ!?」
「まだまだ!」
拳。手刀。肘鉄。膝蹴り。回し蹴り。
雷電を全身に纏わせながら、様々な武技を織り交ぜて猛攻を仕掛ける蓮華。
切臣は避けるので精いっぱいだ。一発でも食らえば即座に勝負が決してしまう。
「ハァッ!」
蓮華の上段蹴りを大きく後ろに跳んで退いた。
勢いを殺しきれずにたたらを踏むも、どうにか立ち止まる。プラチナブロンドの魔女は深追いせず、敢えてそれを見送った。
最初の小競り合いを終えて、両者は再び睨み合いの体勢に入る。
されどその面持ちは対照的。
片や冷静そのもの。片や困惑の相を如実に表情に浮かび上がらせていた。
「まあ、さすがにこれくらいは避けるか。仮にも魔剣士だもんね」
「蓮華、お前一体……今のは何なんだ?」
「竜宮寺一門秘伝・
この女は一体誰だ?
思わず一瞬、そんな疑問を抱いてしまいそうになるほどに、底冷えのする声色で蓮華は言った。
身構える魔剣士の少年に、魔術師の少女は言葉を続ける。
「それで、あんたは刀使わないの?」
「……は?」
「最初に仕掛けてきた時も全く使う気配なかったしさ、どうせ身体能力じゃ自分が勝ってるから使う必要はないとか考えてたんでしょ? 言っとくけど、そんな甘い考え方じゃ魔術師なんて絶対に務まらないよ」
「…………」
図星を突かれ、切臣は何も言い返せず黙り込んだ。
そんな彼を余所に、蓮華は更に身に纏う電力を上げていく。
「まあ別に舐めプしたいならそれはそれで良いけどね。その方が私も楽だし、さっさと畳んで終わりにしてあげる」
言い残し、蓮華はまたしても猛突を仕掛けてきた。
雷を纏いし跳び蹴り。
切臣は紙一重すれすれで身を翻す。
プラチナブロンドは勢いそのまま、舞台上を縦横無尽に駆け巡る。
「黄泉八雷 霹靂轟劫 怨霊散滅 凶魔調伏
呪文を唱え、更に加速。
張り巡らせた結界すらも足場にして、立体的な起動で四方八方から切臣へと襲いかかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」
息吐く暇もない攻撃の雨あられを、切臣は無様に転げ回りながら必死に回避する。
煌めく残光は躱したと思った次の瞬間にはまた目の前に迫っていて、少しでも気を抜けば一瞬で狩り取られてしまうだろう。
魔剣士の少年は苦しげに顔を顰めた。
(くそっ……蓮華の奴、こんなに強かったのかよ! 聞いてねえぞ!)
完全に甘く見ていた。油断していた。
いくら魔術の修行をしているとはいえ、普段は絡んできたチンピラを追い払うことすら難儀している蓮華が、まさかここまでやるなんて。
これでは彼女の言った通りではないか。
(このままじゃ負ける……早くどうにかしねえと!)
とはいえ、具体的な打開策など思い浮かばない。
ただ
「降参するなら今のうちだよ」
小馬鹿にしたような蓮華の言葉も、もうどこから聞こえてきたのか分からなかった。
そんな模擬戦の様子を、厳志郎とうづきはじっと観戦していた。
「終わりですね。お嬢様の勝ちです」
うづきが淡々とした口調でそう告げる。
それに対して、厳志郎は顎を擦りながら尋ねた。
「何故そう思う?」
「ご覧の通りかと。あの山ざ……失礼、黒野様は魔剣士の力を全く引き出せておらず、お嬢様の術式に完全に翻弄されています。今はどうにか凌いでいるようですが、このままでは早晩破綻するのは目に見えています」
「ふむ……」
相槌を打ちながら、厳志郎は再び戦闘が行われている舞台へと目を向けた。
そこでは相変わらず、切臣が蓮華からの攻撃を躱し続けている。躱し続けることができている。
速度だけならば獣人種にすら引けを取らない、蓮華の
一撃でも食らえば、掠り傷一つでも負わされればその時点で敗北が確定するルールのこの模擬戦において、果たしてそれがどれほど異常なことか。
厳志郎は薄く笑みを作って、
「そう決めつけるのは、まだ早いと思うぞ」
囁くような声は、蓮華の操る雷鳴の轟音に書き消された。
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続きは20時に投稿します。
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