第11話 少女の想い

 最初にその違和感を覚えたのは、模擬戦を開始してから五分程度経った時だった。


(何なの、これ……)


 竜宮寺蓮華は内心で呟く。

 戦況は現在、こちらが圧倒的に優勢だ。

 八色雷公やくさのいかづちによって舞台上を完全に支配し、相手は反撃に転ずることもできず逃げ回るだけ。

 勝利は目前。

 もはや時間の問題だと、蓮華はつい今しがたまでそう確信していた。なのに……


(どうして攻撃が当たらないの!?)


 黒野切臣は依然、全ての攻撃を回避し続けていた。

 近距離での武術も、遠距離からの雷撃も、まるで掠りもしない。

 どれだけ猛攻を仕掛けても、あと一歩のところで避けられてしまう。


 最初はまぐれが続いているものと思っていた。

 だけど、こうも避けられていてはさすがにそうとも思えなくなってくる。

 決着のブザーはまだ鳴らない。

 追い詰めているのはこちらのはずなのに、蓮華は何故か自分が追い詰められているような気になった。


「この……ッ!」


 その不安を払拭すべく、蓮華は切臣の死角に回り込んだ。

 お遊びはこれまで。ここで全て終わりにする。そんな決意を胸に秘めた覚悟の一撃はしかし、


「そこか!!」


「なっ!?」


 察知した切臣が振り向き様に振るった腕によって妨害された。

 蓮華は慌てて踏み止まり、再び距離を取る。

 もう一歩踏み込みが進んでいたら身体に切臣の腕が当たり、勝負が決していただろう。


 プラチナブロンドの魔女は悔しげに歯噛みする。

 今ので確信した。切臣はもう、完全にこちらの動きについて来ている。

 攻撃を避けられ続けているのもまぐれなんかじゃなく、理解した上での回避行動だったのだ。


「上等じゃん。だったら、こっちにも考えがあるんだから……!」


 蓮華は薄く口許を歪めた。

 そうして意識を集中させ、魔力を練り始める。

 次なる一手を打つために。




(蓮華の動きが、見える……)


 一方、切臣もまた自身に生じつつある変化に戸惑っていた。

 全身に紫電を纏い、残光で線を描きながら、結界内を跳び回る蓮華。

 先ほどまではただ闇雲に勘だけを頼りに躱していたその動きが、今ははっきりと目で追えるようになっていた。


 それに伴い、身体の動きもかなりスムーズになって来ているような気がする。

 不格好に転がっていたさっきまでが嘘のように、最小限の動作で無駄なく避けられるようになっている。


ってことなのか?)


 蓮華の速度。そして何より、魔剣士の力そのものに。

 肉体が本来有しているスペックに、ようやく精神が追いついてきたのだ。


 これなら勝てる。

 切臣はそう確信し、まっすぐ前を見据えた。

 視線の先にはこちらから距離を取った蓮華が、ゆらゆらと頼りなく佇んでいる。


「……どうした、もう跳び回らねえのか?」


 問いを投げかけつつ、摺り足で一歩進む。

 決して迂闊に距離は詰めない。

 最初にそれをやろうとして手痛い反撃を受けたのだから、同じ轍は踏まないように注意を払う。


「うん。どうもあんたにはもう私の動きは見切られてるっぽいし、これ以上やっても体力を消耗するだけで無意味だもん」


 半ば挑発めいた切臣の言葉に、蓮華は拍子抜けするほど素直に頷いた。

 切臣は不審げに眉を顰めながら、


「じゃあ降参するか?」


「まさか。攻め方を変えるだけだよ。━━いかずちよ」


 蓮華は今度は右手を頭上に掲げる。

 するとどうしたことか、彼女の身体から漏れ出た魔力がばちばちと音を立て、次々と形を成していくではないか。

 たちまちのうちにプラチナブロンドの少女の周囲には、無数の帯電する光球が、まるで彼女を守るように出現した。

 十やそこらでは利かない。数え切れないほどの量が一度に、である。


「何だ、それ……」


 ここに来て繰り出される次の一手に、切臣は茫然と呟きを漏らす。

 まさかまだこんな隠し玉を持っているとは思わなかった。


「別に驚くほどのものじゃないよ。こんなのただの雷撃魔術の応用だし」


 驚愕する切臣とは対照的に、蓮華の声は冷ややかだった。

 実際、彼女が今展開している雷球は八色雷公やくさのいかづちに比べれば遥かに習得難易度が低く、雷撃魔術に適性のある者ならばほとんどが習得している基礎的な技術だ。

 しかしこれだけの数を一気に展開できる者はそういない。

 これも竜宮寺蓮華という少女が持つ、優れた資質によるものだろうか。


「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってね。この量を相手にどこまで粘れるか……試してあげる!!」


 言い切って、蓮華は掲げた右手を振り下ろす。

 すると瞬間、滞空していた雷球が一斉に切臣に向かって射出された。

 もはやガトリングという形容すら生温い掃射攻撃が、凄まじい轟音と共に魔剣士の少年を餌食にせんと襲い掛かる。


「おいおいおい嘘だろッ!?」


 切臣は悲鳴じみた声を上げた。

 だが心とは裏腹に身体はほとんど本能のまま動き、迫り来る雷光の群れをギリギリで躱し続ける。


 とはいえこんなものは急場凌ぎだ。

 いずれ限界が来て捉えられるに決まっている。

 そうならないようにするには、どうにか蓮華に接近して一撃を入れる必要があるのだが、この状況では近寄ることすら困難である。

 どうにかしなければと思考を回すものの、そう都合よく妙案など思いつくはずもなく、虚しく空回りするのみ。


 次第にジリ貧になりつつある戦局に、切臣は焦りを覚えていた。




 しかし果たして、焦りを覚えているのは切臣だけではなかった。


「ああもう、悪足掻きしてないでさっさと当たりなよ! 往生際が悪いにもほどがあるでしょ!」


 蓮華は苛立ったように声を荒げて叫ぶ。

 矢継ぎ早に繰り出される攻撃をいなしながらも、切臣はすかさず反論する。


「嫌だね! お前の方こそ、いい加減に諦めたらどうなんだよ!?」


「うるさいうるさいうるさい! あんたが魔術師になるなんて、私は絶対認めない! 認めてたまるか!」


「あのなぁ……ッ!」


 更に攻撃は勢いを増していく。

 だけどまだ、ブザーは鳴り響かない。


「記憶消去されたら、全部最初から無かったことになるの! 私のことなんて綺麗さっぱり忘れて、安全で幸せな普通の暮らしに戻れるんだよ!? それの何が嫌なの!? 別にいいじゃん!! 何もかも忘れるなら、失うものなんて何もないのと一緒でしょ!!?」


「それが嫌だっつってんだよ! 蓮華のことを忘れて、そのことすらも忘れるなんて、そんなの死んでもごめんだ!!」


「うるさぁああああああいっ!! いいからさっさと当たれぇえええええええええっっ!!!!」


 まるで子供の癇癪。

 もはや支離滅裂な言動になりつつある蓮華に、切臣はもう一度問う。


「お前こそ、何でそんなに俺が魔術師になるのに反対するんだ!? どうしてそこまで必死になって、俺の記憶を消そうとするんだよ!!?」


 一体、彼女は本当は何を考えているのだろう。

 ずっと気にかかっていた疑問を改めてぶつける。

 もしかしたら本当に、自分のことが嫌いだったのか。鬱陶しいと感じていたのか。

 一度はありえないと断じた疑問が、再び首をもたげてきた。しかし……


「だって……だって……ッ」


 途端、あれほど荒れ狂っていた雷球の嵐がピタリと止んだ。

 立ちすくみ、肩を震わせる蓮華の姿を見て、切臣も思わず立ち止まる。同時に、はっと息を呑んだ。


 見てしまったからだ。

 一筋の透明な雫が、蓮華の玉のような頬を伝い、地面に流れ落ちるのを。そして、




「だって……全部、私のせいじゃんッ!!!!!!」




 言葉を失う少年に、少女は声を大にして叫んだ。

 エメラルドグリーンの瞳からは止めどなく涙が溢れ出て、蓮華の両頬を濡らしていく。


「切臣が死霊竜アンデッド・ドラゴンに殺されかけたのも! 魔剣の欠片を食べて魔剣士なんかになっちゃったのも! ぜーんぶ元はと言えば私のせいじゃん!!」


 今度こそ。切臣は呼吸が止まる思いだった。

 自分が魔剣士になったのが、蓮華のせい? 一体何がどうなって、そんな話になる?


「何言ってんだ蓮華! あれは絶対に、お前のせいなんかじゃねえ!」


 血相を変え、切臣は怒鳴りつけるように言う。

 しかし蓮華は頑なに首を横に降りながら、


「違う! 私がもっと強かったらこんなことにはならなかった! 私が最初からあの死霊竜アンデッド・ドラゴンを倒せていれば、切臣を巻き込むこともなかったんだ!!」


「そんなもん俺が勝手に首突っ込んだ結果だろうが! なのに何で、お前がその責任を背負わなきゃいけねえんだよ!!」


「だって、私は魔術師だもん!! 一般人の切臣を守らなきゃいけない義務があるの!!!!」


 そこまで言って叫び疲れたのか、蓮華は嗚咽混じりに咳き込んだ。

 肩で息をしながらも、搾り出すように続きの言葉を紡ぐ。


「……その義務を果たすために、私はこの家に引き取られてから、ずっと魔術の鍛練を続けてきた! 頭の血管が切れそうになるくらい連続で術式の構築をしたこともあるし、魔力を高めるためにわざと人体に有毒な魔界の果実を口にしたことだってある! 辛くて苦しくて何度も逃げ出したくなったけど……それでもそうすることで切臣を……守るべき人を守れるのならって、ずっと頑張ってきたんだよ!! ……なのに」


 そこで言葉を区切り、


「なのに結局、私は何もできなかった……! 何もできなかったの! 切臣が死霊竜アンデッド・ドラゴンに挑みかかってやられた時も、身動きすらできなくて、ただ指を咥えて眺めてるだけだった! 本当なら私が盾になってでも、あなたを守らなきゃいけなかったのに……!!」


 まるで懺悔のような。半ば悲鳴のような言葉が、虚しく空を揺蕩い消えていく。


「こんなことなら、私が代わりに死ぬべきだった! 無駄な悪足掻きなんかしないでさっさと踏み潰されていれば良かった! そうすれば切臣だって、私なんかのために人間をやめずに済んだんだ!!」


「…………ッ!」


「これで分かったでしょ! 私にはもう、あんたの隣にいる資格なんかないの!! だから、お願いだから魔術師になるなんて……私を守るだなんて言わないでよ!! 切臣にそんな風に言ってもらえるような価値……私には無いんだからぁッッ!!!」


 血を吐くが如き咆哮。

 それに呼応するかのように、蓮華の全身を激しい電流が迸る。

 やがてそれらは蓮華の肉体から放出され、見境なしに結界内へと撒き散らされた。

 感情の爆発をそのまま現したような雷撃の嵐は、もはや逃れる場所などどこにもないほどの苛烈さを呈していた。


「もう、これで終わりにしてよ……」


 祈るような声と共に。

 蓮華は最後の攻撃を仕掛けた。




 唸り狂う雷鳴はさながら波浪の如く切臣へと迫る。

 されど彼はどういうわけか、回避どころか身動きひとつしようとしない。

 このままでは一秒にも満たない先の未来で、彼の敗北は確定するだろう。


「馬鹿野郎……」


 果たしてそれは誰に対する言葉だったのか。

 魔剣士の少年はばさりと外套マントを翻し、左足を下げた。

 そうして自身の腰に差した、決して抜かないと一度は決めたものを、しっかりと掴む。

 彼の魔剣士としての力の象徴たる魔剣。黒塗りの鞘に納められた刀の柄を。


 そして、


「━━━━━━━━━━━━ッッッッッ!!!!」


 ゼロコンマの一瞬。

 雷撃の渦が自身に着弾する寸前、炸裂音にも等しい雄叫びと共に刃を鞘走らせ、抜き打った。


 赤黒い軌跡を描く一刀は尋常ならざる速度で閃き、迫る雷撃を易々と斬り裂く。

 更にそれに止まらず、振るった際の風圧すらも衝撃波として周囲に拡散させる。

 暴風雨という形容さえ生温いそれは、舞台上に張り巡らされた内側からの全ての攻撃を防ぐ結界にすらひびを入れ、ついには粉々に砕いてしまった。


「きゃあっ!?」


 凄まじい余波に晒され、思わず怯んでしまう蓮華。

 その一瞬の隙を彼は見逃さない。

 少女が我に返った時には、既に少年はすぐ間近まで迫っていて、


「これで終わりだ」


 無防備な蓮華の額に、優しくデコピンをした。

 同時に、決着のブザーが修練場に鳴り響く。

 切臣が蓮華に“攻撃”を与えたことで、模擬戦の勝敗が決したのだ。無論、どちらが勝者かは言うまでもないだろう。




「どうして……」


 あまりにも一瞬の出来事に、蓮華は茫然と呟く。

 そんな彼女から、切臣は刀を鞘に納めながら、数歩後ろに引いて距離を少し空けた。


「蓮華」


 ポツリと少女の名を呼んで。


「ごめん!」


 それから、深々と頭を下げた。


「……え?」


「まずは謝らせてくれ。俺は自分のことしか考えてなかった。お前がそんな風に悩んでることも知らねえで、自分の願望を叶えることしか頭に無かった大馬鹿野郎だ。本当にごめん!」


 切臣のその行動に、蓮華は目を丸くした。

 どうして彼が自分に謝っているのか理解できないという様子で、小さな口をポカンと空けている。

 戸惑う蓮華を余所に、切臣は下げていた頭をゆっくりと上げて、


「だけどその上でどうしても、これだけは言わせてくれ。━━蓮華、お前のその考え方は間違ってる」


 断固たる口調ではっきりとそう告げた。


「確かに俺はお前を助けるために人間をやめちまった。でもそれは俺自身の意思でやったことで、蓮華が責任を感じるべきことじゃない。お前は何も悪くないんだ。だからそんな風に、自分を責める必要なんてどこにもねえんだよ」


「だ、だけど! そもそも私がちゃんとあいつを倒せていたら、切臣がそんなことしなくても良かったじゃん! 私が魔術師としての義務も果たせないような役立たずだったから……」


「それは違う。俺を守ることが魔術師としての義務だっていうんなら、お前はちゃんとそれを果たしてくれた。蓮華が最後まで逃げずに助けようとしてくれたから、俺は命を繋ぐことができたんだ。役立たずなんてことは絶対にない」


 声を荒げて反論する蓮華に、切臣はあくまでも冷静な態度で返した。


 数時間前の出来事に思いを馳せる。

 あの発狂してしまいそうな激痛の中で、それでも切臣が最後まで意識を保っていられたのはきっと、蓮華が傍にいてくれたからだろう。

 彼女が必死に救おうとしてくれたからこそ、自分もまた正気を失わずに、自らを奮い立たせることができたのだ。少なくとも切臣はそう考えている。


 それを役立たずだったと言い捨てられるのは、たとえ他ならぬ蓮華本人であろうとも、到底受け入れられるものではない。

 だからこそ少年は少女の言葉を、真っ向から否定する。彼女がこれ以上自分を責め続けなくて済むように。いつも通りの明るい笑顔を取り戻せるように。


「自分が死ねば良かったとか、そんな悲しいこと言うなよ。少なくとも俺は蓮華に死んでほしくないし、これからもずっと幸せに生きてほしいって思ってる。だからもう、そんな辛そうな顔はしないでくれ」


 蓮華は目を細めて、そんな彼を眩しげに見つめた。

 しかしそれも一瞬。すぐに視線を逸らし、先ほどと同じように再び顔を俯かせる。

 小さな肩を頼りなく揺らして、わなわなと唇を震わせるその様は、まるで何かを必死に堪えているようにも思えた。


「蓮華、俺が魔術師になるのを認めてくれねえか?」


 そんな彼女を優しく見つめながら、切臣は言う。


「お前が背負う魔術師の義務ってやつを、これからは俺も背負わせてほしい。蓮華と一緒に戦いたいんだ。頼む」


 そうして再び頭を下げる。


 少しの間があって。

 やがて蓮華は震える声で言葉を返した。


「……本当に良いの?」


 ぼそぼそと口ごもりながら。


「魔術師になったら、もう普通の人生には戻れない。これからずっと、あんな危険な魔族と戦い続けなきゃならなくなるんだよ。本当にそれでも良いの? それでもあなたはまだ……私と一緒にいてくれるの?」


「当たり前だろ」


 即答だった。

 切臣は僅かな逡巡すら見せることなく、蓮華の問いに即座に頷く。

 

「だって、ずっと前に約束したじゃねえか。そいつを渡した時によ。蓮華がこれから先、どこに行ったとしても、俺がずっと傍にいるって」


 蓮華の髪を束ねる赤い組紐を指して告げた。

 幼い頃に交わした、大切な約束の証を。


「だから、蓮華さえ良ければ、これからも俺をお前の傍にいさせてほしい」


 どうやらそれが、最後のトリガーになったらしい。

 蓮華はいよいよ堰を切ったように、嗚咽を漏らして泣き始める。

 しかしその涙の理由は、先ほどまでとはまるで違うもの。それほどまでに思い詰めていたのかと思うと、切臣はやるせない気分になった。


 しばらくの間、蓮華の啜り泣く声だけが修練場に響き渡った。






************************


続きは明日の20時に投稿します。


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