第9話 模擬戦

 暗い。


『魔力の練り込みが甘い! そのようなお粗末な術式では蝿も殺せませんよ!』


『そこは前にもお教えしたはずですが。何度同じ間違いをすれば気が済むのです?』


『貴女はもう竜宮寺家の跡取りなのですから、それに相応しい振る舞いや心構えというものを身に付けねばなりません。徹底的に教育させて頂きます』


 暗い。


『大旦那様も酔狂な真似をなさる。いくらご子息に不幸があったとはいえ、あのようなどこの馬の骨とも分からぬ小娘を後継に据えるなど……』


『全く理解できんよ。案の定、宗像の教育も難航しているようではないか。魔術の何たるかを知りもせん下賎の輩が、竜宮寺一門の神聖なる本邸を我が物顔で練り歩くなど虫酸が走るわ』


『しかし見たところあの娘、容姿だけは幼いながらも整っておりますな。大旦那様も奥方を亡くされて久しい。もしかすると、なのやもしれませんぞ』


 暗い。


『蓮華ちゃん、最近付き合い悪いよねえ』


『竜宮寺のお屋敷に貰われてから誘っても全然来なくなったしね。良いとこのお嬢様になったからって、私らのこと見下してんじゃないの?』


『何それムカつくぅ。ねね、もうみんなであいつ無視してやろうよ。根性ひん曲がったお嬢様なんてこっちからお断りですってさ』


 暗くて冷たくて、とても寒い。

 竜宮寺の屋敷に引き取られてから、私の世界は変わってしまった。


 毎日毎日、知りたくもないことを無理やり教え込まれ、拒めば強烈な叱責が飛ぶ。

 周りからは白い目で見られて好き放題言われて、仲の良かった友達は、家での勉強のせいで付き合いの悪くなった私に愛想を尽かし、みんな去っていった。


 手を引いてくれる人は誰もいない。

 もう死んでしまったから。


 優しく抱き締めてくれる人も誰もいない。

 全て灰になったから。


 私が本当に帰りたかった家は、もうどこにもなくなってしまった。

 あるのは装飾だけは立派だけど、私にとっては何の価値もない、大きくて空っぽなお屋敷だけ。でも……




『おーい、蓮華! 一緒に帰ろうぜー!!』




 それでもあの人だけは、ずっと隣にいてくれた。

 昔とちっとも変わらない笑顔で、凍えそうだった私の心を、日溜まりみたいに暖かく照らしてくれた。

 どこまでも優しくて綺麗な、私のたったひとつ残った大切な居場所。

 あの人と━━切臣と一緒にいる時だけが、私が心の底から安らぐことのできる唯一の時間だったのだ。




 魔術とは力なき者を守るためのすべである。

 宗像さんはいつも口癖のように、そんなことを言っていた。


 だから思った。

 もしどうしても魔術師にならなければいけないというのなら、私は切臣を、切臣だけを守れる魔術師になりたい。

 魔術の修行や勉強はとても苦しくて辛いけれど、切臣のためなら頑張れる。

 あの暖かい日溜まりをこの手で守ることができるのなら、竜宮寺に引き取られた意味も、少しは見出だせるかもしれない。

 

 いつの間にか私はそう考えるようになり。

 目を背けていた現実にも少しずつ向き合って、魔術師になる決意を固めたのだ。

 全ては世界で一番大切な少年の、穏やかな笑顔を守るために。




 だけど。


 なのに。




***




「蓮華……お前、何でここに? 部屋で休んでたんじゃなかったのかよ?」


 竜宮寺厳志郎の書斎にて。

 唐突に姿を現した竜宮寺蓮華に、黒野切臣はそう問いを投げかけた。

 一体どうして、自室で休息を取っているはずの蓮華が、こんなところにいるのか。


「そんなのどうでもいいでしょ」


 切臣からの質問を、蓮華はピシャリと切り捨てる。

 その口調は普段の彼女からは想像もつかないほど冷淡で、こちらを突き放そうとする意思に満ちていた。

 今まで聞いたこともないような蓮華の声に、切臣は思わずたじろぐ。

 そんな彼を余所に、蓮華は俯いていた顔を上げて更に言葉を続けた。


「さっきから黙って聞いてたら勝手なことばっか言ってたけどさ……魔術師になりたい? ふざけるのもいい加減にしなよ」


「ふ、ふざけてなんかねえ! 俺は本気で、蓮華の力になりたくて……」


「それがふざけてるって言ってんの。何? 私の力になるって。そんなこと誰がいつ頼んだのさ? 私はそんなこと頼んだ覚えなんてこれっぽっちもないんだけど。……ああ、それとも最初から私を出汁にして魔術師になるのが目的だったり? あんた昔はよく魔術師になりたいって騒いでたもんね」


「…………」


 エメラルドグリーンの双眸に射竦められ、切臣は何も言えずに押し黙る。

 されど、蓮華の口は止まらない。


「魔術の世界はね、あんたが考えてるほど甘い世界じゃないの。魔剣士の力なんて大層なものを偶然手に入れちゃって、気が大きくなってんのか知らないけどさ。そんな勘違いしたイキリ野郎が入ってきたところですぐ死んじゃうのがオチだよ。さっきのあれは、本当に奇跡みたいに運が良かっただけ」


 冷笑混じりの台詞。

 歪に釣り上がった口許はまさしく魔女のようで、幼さの残る愛らしい顔立ちとはおよそ不釣り合いなほどの、妖しくも凄絶な迫力を放っていた。


 ……しかし、何故だろうか。

 まるで正反対のはずのその表情が、五年前のあの日、頼りなく泣きじゃくっていた時の彼女と重なって見えるのは。


「この際だからはっきり言ってあげよっか。切臣、あんた迷惑なのよ。今日のことだけじゃない。いつまでも保護者みたいな顔してベタベタ引っ付いてきて、正直ウザいったらなかった。本当に……嫌になる、くらいに……ッ」


 声が徐々に小さくなり、最後はほとんど絞り出すようなか細いものになっていく。

 血が滲みそうなほど拳が強く握り締められ、今にも爆発しそうな何かを必死に堪えているようだった。

 切臣は何も言わず、黙ってそれを見据えたまま。


「悪いこと言わないからさ、私のことなんてさっさと忘れて、元の普通の生活に戻りなよ。それが一番、お互いにとって良いに決まってるんだから」


 そう言って、再び顔を俯かせる蓮華。

 またしても沈黙が場を支配した。




「それがお前の本心か? 蓮華」


項垂れている彼女に、切臣は眉根を寄せながら尋ねる。


「……っ、そうだよ。これが私の本当の気持ち。私はあんたのことが、本当は嫌いで嫌いで仕方なかった。今すぐ目の前から消えてほしいくらい」


「そうか」


「分かったら早く……」


「そんなら俺の気持ちも聞かせてやるよ。━━やなこった。こうなったら俺は意地でも魔術師になってやる。お前のことも、絶対に忘れてやらねえ」


「……はぁっ!?」


 切臣の口から飛び出した言葉に、蓮華は驚愕の声を上げた。

 信じられないものを見る目を向けて、わなわなと身体を震わせながら、


「あんた、今の話聞いてた!? 私はあんたのことが嫌いって言ったんだよ!? 今すぐ目の前から消えてほしいって!! なのに何でまだそんなこと言えるわけ!!? 神経図太いにも限度があるでしょ!!」


 声を大にして叫び倒す。

 せっかくこちらは意を決して伝えたというのに、この男と来たら一体何を考えているのか。

 憤懣やる方ない蓮華を前にして、切臣は真顔で彼女を見つめ返す。

 その真剣な面持ちに、今度は蓮華が怯む番だった。


「蓮華が本気でそう思ってるんだったら、俺も潔く消えてたさ。でもよ、お前それ本気じゃねえだろ」


「な、何言って……本気に決まってんでしょ!」


「舐めんな。俺がいつからお前と一緒にいると思ってやがんだ? そんなヘッタクソな嘘なんざすぐに見抜けるんだよ」


「……ッ!」


「お前が本当は何考えてるかまでは分からん。でも、少なくともそんな上辺だけそれっぽく取り繕った言葉に騙されてやるつもりはねえぞ。俺が魔術師になるのをどうしても止めたいって言うのなら、本当のことを言えよ」


「私、は……っ」


 何事かを言いかけて、蓮華はもう一度口を噤む。

 消え入りそうな声でぼそぼそと呟く。


「……とにかく、私は切臣が魔術師になるなんて認めないから。あんたは、に入ってきちゃダメなの」


 もう言うことはないとばかりに言葉を切る。

 どうやら、意地でも本心を告げるつもりはないようだ。まるで取り付く島がない。

 それでもどうにか聞き出そうと、切臣がまた口を開きかけたのと同時、




「二人とも、その辺りにしなさい」




 それまで黙りを決め込んでいたバリトンボイスが割り込んできた。


 同じようにして声のした方を向く切臣と蓮華。

 竜宮寺厳志郎が顎の指で摩りながら、興味深そうに二人を見据えている。

 それから、サングラスの向こうに隠れた瞳を切臣に向けて、


「切臣くん、君の言いたいことはとてもよく分かった。しかし悪いが、今のままでは君を魔術師にすることはできない」


「な、何でですか!?」


 その言葉を聞いて、切臣は思わず身を乗り出して食って掛かた。

 厳志郎はそれを手のひらで制して話を続ける。


「蓮華の言うように甘い世界ではないというのもあるが……やはり一番の問題は、君の存在が魔術界全体においても爆弾だということにある。先ほども言ったように、切臣くんが魔剣士の力を有していることが協会に露見すれば、君の処刑はまず避けられないだろう。そうなれば当然、我々竜宮寺一門も厳しく責任を追及されることになる。そのリスクを背負ってまで、切臣くんを弟子にするメリットが感じられない」


「…………」


「だから、切臣くんにはそれを提示してもらいたい。君という爆弾を抱え込んで尚、利用価値があると思わせられるだけのメリットをね」


 途端、切臣は弾かれたように顔を上げた。


「ど、どうすればいいんですか!? 教えてください!」


「君には今から、蓮華と模擬戦をしてもらう」


「もぎ、せん?」


 聞き慣れない単語を耳にして、切臣は首を捻る。

 一方、今度は蓮華が声を張り上げる番だった。


「お爺ちゃん、一体何言ってるの!? どうして私が切臣と模擬戦なんてしなきゃいけないのよ!!?」


「静かになさい蓮華。私は今、切臣くんと喋っている」


 厳志郎が釘を刺す。

 蓮華は尚も何か言いたげにしていたが、大人しく引き下がった。

 それを見て取って、ロマンスグレーの魔術師は再び切臣に向き直る。


「模擬戦とは読んで字の如く、魔術師同士で行われる言わば決闘のようなものだな。早い話が、切臣くんにはこれから蓮華と戦って、その力のほどを見せてもらいたい」


「蓮華と……戦う!?」


「そうだ。とはいえそう身構える心配はないぞ。あくまで模擬だから命の危険があるようならばすぐに止めるし、決して殺し合いのような事態には発展させんと約束する」


 そこで一旦言葉を区切って、


「蓮華と模擬戦をし、もし切臣くんの力がリスクを差し引いても手中に収めておく価値があると証明できたなら、君の提案も再考しよう。……だが、蓮華に敗北するようならば所詮その程度だと判断し、即座に記憶消去の処置を施させてもらう。どうだ、君にとっても悪くはない話だろう?」


 厳志郎からの話を聞いて、切臣は思案する。

 模擬とはいえ蓮華と戦うというのには抵抗があるが、どの道自分にはもう他に選択肢はない。

 価値を証明しさえすれば魔術師になれるというのであれば、乗らない手はないだろう。


「分かりました。その話、乗らせてもらいます」


 切臣はそう決断し、まっすぐ厳志郎を見て答えた。

 厳志郎は満足げに頷くと、


「結構。━━お前はどうだ、蓮華」


 続けて蓮華に問うた。

 プラチナブロンドの少女はビクリと肩を震わせる。

 一瞬だけ切臣の方に目を向けると、そのまま厳志郎に向き直って静かに頷いた。


「……分かった。どうせこのバカに言うこと聞かせるには、もうそれくらいやるしかなさそうだし。コテンパンにしてあげる」


「誰がバカだ誰が」


「あんたに決まってんじゃん。この超ド級バカ」


 ツンケンした物言いに切臣は少々苛立ちを覚えるが、深呼吸をひとつして心を落ち着ける。

 両者の合意を受け、厳志郎はゆっくりとデスクチェアから立ち上がった。


「それでは早速始めようか。うづき、地下修練場の準備を頼む」


「承知致しました」


 無言で控えていた木津うづきが、一礼して足早に退室していく。


「ここでは幾らなんでも手狭だからな。場所を移そう」


 そうして残る二人に向かって、厳志郎は告げるのだった。






************************


続きは明日の19時に投稿します。


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