第4話 少年の想い

 とても綺麗な祭壇だった。

 その中央にはやっぱり、とてもとても綺麗な女の人の写真が、色とりどりの花に囲まれて置かれている。

 日本人離れしたプラチナブロンドをした、儚げな笑顔の似合う女の人の写真が。


 切臣はその女の人を知っている。蓮華の母親だ。

 どんな時もニコニコとしていて、自分にもいつも優しくしてくれる、天使みたいな人だった。

 蓮華の家に遊びに行った時、あの人が出迎えてくれるだけで、心がポカポカ暖かくなった。


 その人が死んだ。

 昨日、突然に。もう二度と会うことはできない。


 信じられない。

 それが幼い切臣の胸中を占めている感情だった。

 当時の彼にとって、“死”とは漫画やアニメに出てくるような遠い世界の劇的な大事件であり、断じてこのような日常の延長線上で起こるような出来事ではなかったのだから。

 まさか物心ついた頃から知っているような身近な相手が、こんなにも呆気なく死んでしまうなんて、想像すらしたことがなかった。


『お母さん……お母さぁん……』


 隣に座る蓮華が、グスグスと鼻を鳴らして嗚咽を漏らしている。

 そんな彼女を見て何か言わなければと思うけれど、何一つ言葉が浮かんでこない。励ましの台詞一つ言えやしない。

 結果として黙り込むしかなく、せめて少しでも寄り添えるように、無言で彼女の隣に居続けることしかできなかった。


『ご病気だったんですって。まだお若いのに不憫ねえ』


『蓮華ちゃん、これからどうなるのかしら。確か親族もいないんでしょう?』


 どこからかそんな話し声が聞こえてくる。

 話好きのおばさん連中だろうか。

 無責任で無遠慮な物言いに腹が立ってくるが、あんなのにいちいち構っていても仕方がない。


 切臣は何も言わずに前に向き直る。

 でも同時に、今聞いた決して無視できない疑問が、頭に過って離れない。

 蓮華はこれから、一体どうなるのだろう?




 と、その時だった。


『君が、蓮華ちゃんだね?』


 その男がやってきたのは。




 胡散臭い男だった。

 短く刈り込んだロマンスグレーに、黒々としたサングラス。背筋を伸ばした筋肉隆々の身体つき。

 一応喪服には身を包んでいるが、それを差し引いても堅気の人間には思えない。


『……何だよ、おっさん』


 片腕で蓮華を庇いながら、切臣は不審の念も露に尋ねた。

 こんな見るからに怪しい奴を蓮華に近づけるわけにはいかない。強い決意で睨みつける。

 しかし男は切臣の視線など軽く受け流しつつ、言葉を続けた。


『蓮華ちゃんの友達かな。悪いけど少し席を外してくれないか? 彼女と少し話があるんだ』


『はぁっ!?』


 切臣は声を張り上げた。

 周囲で作業をしていた大人たちが何事かと振り返って来たが、そんなのはどうでも良かった。

 こいつは何を言っている?

 蓮華が今どんな状態が見えていないのか?


『ふざけんじゃねえ! 蓮華は……』


『切臣、やめなさい』


 憤怒のまま畳み掛けようとしていた切臣を、更に別の言葉が制止する。

 声のした方を向くと、自身の両親が沈痛な面持ちで立っていた。


『父ちゃん、母ちゃん。でもよ……』


『しばらくの間、こっちに来ていなさい。邪魔をしちゃいけない』


 言われると同時に、切臣は母に手を引かれて、蓮華から離された。

 父もサングラスの男にペコリと頭を下げて謝罪すると、こちらに追い付いてくる。

 母に引っ張られながら、切臣はもう一度、蓮華に目を向ける。

 男が蓮華に何か言っているようだったが、ここからでは距離が遠くて聞き取ることができなかった。


 尤もその内容は、すぐに知るところとなるのだが。

 他ならぬ蓮華自身の口から聞くことによって。




『本当なのかよ、それ』


 そうして、滞りなくお通夜が終了した後。

 話したいことがあると蓮華に連れられてきた会場の隅で、切臣は茫然と呟いた。

 たった今、蓮華に言われた言葉が信じられなくて。


『……うん、本当だよ』


 しかし張本人たる蓮華は、俯きがちに肯定した。


『私はこれから、竜宮寺のお屋敷の子になるの。さっきのおじさんが言ってたんだ。養子縁組っていうやつで、お母さんのお葬式が終わったら、すぐに引っ越しだって……』


『で、でもよ! あそこに行くってことはお前……』


 切臣が言おうとしたことを先回りするように、蓮華はコクリと頷いて、


『私、魔術師にならなきゃいけないみたい。魔術の才能がある跡取りの人が全然いないから、代わりに私になってほしいんだって。そのための勉強もこれからたくさん教えるって……あの人、そう言ってた』


 そこまで言って、蓮華は黙り込んだ。

 切臣は未だ混乱中の頭を必死に整理する。


 彼女の言った養子縁組という言葉の意味については、切臣も理解はできる。

 唯一の肉親だった母親が亡くなったことで、天涯孤独となった蓮華を引き取り、面倒を見ようとしているのだ。


 だがそれだけならばまだ、歓迎すべきことだろう。

 問題は、蓮華のもう一つの発言にある。


『つまりあのおっさんは……蓮華を魔術師にして、あのでっけえ屋敷を継がせようとしてるってことか?』


『うん……』


『いいのかよ。お前、魔術師になるつもりはないって言ってたじゃねえか』


 渋面を作って切臣は言う。

 同世代の子供の中では唯一の魔力保有者である蓮華は、魔導管理協会から直接スカウトをもらうほど抜きん出た才能の持ち主であった。


 しかしそんな才覚に反して、彼女は魔術師になるつもりは一切ないと、以前切臣に言ったことがある。

 そんなものになるよりも、お母さんや切臣と一緒にいつも通りの毎日を送り続ける方がずっと良い、と。


 なのに今、蓮華は魔術師になろうとしている。

 だからこそ、本当にそれでいいのかと、切臣は問うているのだ。しかし……


『いいわけ、ないじゃん……』


 ぼそりと、消え入りそうな声で蓮華は言った。

 光の消えたエメラルドグリーンの瞳が揺らめいて、ポロポロと透明な液体が溢れ落ちる。


『私だって、魔術師になんかなりたくない! あんなお屋敷になんて……行きたくないよ! ……でも、無理なの。私を引き取ってくれるとこなんて、他にどこにもないし……もう引き取るための準備もしてるって言われて……』


『…………』


 切臣はそれに何も言えなかった。

 完全に、自分がどうこうできる領分を越えていた。


 できることなら蓮華の力になってやりたいと思うけれど、何の力もない小学生の子供に、一体何ができるというのか。

 仮にさっきの男に蓮華を連れていくなと吠えたところで、まともに取り合ってもらえず追い返されるだけだろう。

 切臣にもそれくらいの予想はつく。


 それに、もし万が一それが成ったところで、誰が蓮華の面倒を見る? 

 両親に蓮華を引き取ってくれと頼むのか?

 それとも、どこかの施設にでも追いやるのか?

 前者は現実的ではないし、後者はまだ現実的かも知れないが、それで蓮華が幸せになれるのかは疑問だった。


『もうやだぁ……お母さん、お母さん……会いたいよぉ……家に、帰りたい……ひとりぼっちにしないでぇ……おかあさぁん……!!』


 幼なじみの少女が泣きじゃくる。

 切臣はただ無力感に打ちひしがれていた。

 大切な友達が泣いているのに、力になりたいのに、何もできない自分が嫌で仕方なかった。

 普段大口を叩いているくせに、肝心な時に何もできない自分に、どうしようもなく腹が立つ。


 そうして、唇を噛み締めながら俯いたと同時に。


『……………………あ』


 それが、目に飛び込んできた。

 いつも手首に巻いている、父から譲ってもらった赤いミサンガが。

 お通夜の間は母に取り上げられていたけど、さっき返してもらったのだ。


 切臣はそっと、自身の手首にあるそれを外す。

 それから、泣いている蓮華に差し出した。


『蓮華、これやるよ!』


 蓮華は顔を上げて、おずおずと組紐を受け取る。


『これって……あんたの宝物じゃないの。貰えないよこんなの。どうして……』


『俺たちの友情の証だ! それを持ってる限り、お前はひとりぼっちじゃねえ!』


 自分は一体、何をしてるんだろう。

 切臣は内心でそんな気持ちになった。

 こんなものを渡したところで、それが何になるというのか。蓮華の寂しさや辛さが、こんなガラクタで紛れるわけがないのに。

 全く、無意味なことだ。


 だけど、それでも何かせずにはいられなかった。

 ひとりぼっちにしないでと泣く少女に、お前はひとりぼっちなんかじゃないと教えてやりたかった。

 頼りないけれど、君の味方は確かにここにいるんだって、どうにか伝えてあげたかったのだ。


『約束する! 蓮華がこれから先、どこに行ったとしても、俺はずっとお前の傍にいる! 絶対に、お前をひとりになんかさせねえ! たとえ何があっても、俺たちはずっと友達だ! だから、だから……!』


 拙い語彙力で、精いっぱいその気持ちを伝える。

 ほんの少しだけでも、蓮華の心の傷を和らげることができるように。

 そして、その言葉を受けて蓮華は……


『………………うぇ』


 更にポロポロと涙を流し始めた。

 切臣はぎょっと目を剥いて、


『わ、悪い! やっぱいらねえよなそんなの! すぐに……』


『違うの!』


 切臣の言葉を遮って、蓮華は大声を張り上げた。

 それから、手にした赤い組紐を、そっと胸元に抱き締める。


『ありがとう、切臣……ありがとう……』


 嗚咽を漏らしつつ、蓮華は譫言のように繰り返す。

 先ほどまでとは少しだけ違う種類の涙を流す少女を、少年はただ黙って見つめていた。

 やがて、切臣の両親が探しにやってくるまで、二人はずっとそこにいた。




***




「懐かしいな」


 記憶の海から戻り、切臣はぼそりと呟いた。

 煌々と輝く美しい満月を眺めながら、ブラブラと見慣れた町並みを歩く。

 辺りは人っこ一人の姿すら見えず、まるで町中にたった一人取り残された錯覚に陥りそうなほど静まり返っている。


 あの出来事があってから、自分はとにかく蓮華が寂しくならないよう、できるだけ彼女の傍にいるようにした。

 毎日の登下校や学校にいる時はもちろん、休日も予定が合う日はいつも一緒に遊んでいた。

 そのお陰かどうかは分からないけど、当初は塞ぎ込んでいた蓮華も少しずつ元気になっていき、今のように本来の快活な性格を取り戻したのだ。


「ほんと、一時はどうなることかと思ったぜ」


 一時期の彼女は、本当にもう見ていられないくらいに酷い有様だった。

 表情にまるで生気がなく、淡々と日常の動作を行うだけの人形のようで、そのまま消えてしまうんじゃないかとよく心配したものである。


 でも今の彼女には、そんな危うさなど微塵も感じられない。

 きっと蓮華はもう大丈夫だ。たとえ、自分が傍にいなくても。

 彼女にはもう、自分は必要ない……。


「……それにしても魔術学校かあ。あいつ、本当に魔術師になるんだな」


 今日の帰り道で、蓮華が言っていた言葉を思い出す。

 途端、それまで見ないように心の隅に追いやっていた感情が、またぞろぶり返して胸の内側を占拠した。

 あんなに魔術師になるのを嫌がっていた蓮華が、今はもうすっかり覚悟を決めている。

 彼女が半年後にはもうこの町からいなくなっているという事実が、じわりじわりと精神を蝕んでいく。


「案外、マジで嫌になって速攻帰ってきたりして」


 そう言って、次の瞬間には激しく自己嫌悪した。

 自分が半ば本気でそれを望んでいることに、気がついてしまったからだ。




 両手でピシャリと顔を叩く。

 豆だらけのゴツゴツとした手の感触が、ダイレクトに伝わってくる。

 改めて手のひらに目を落とすと、よくもまあ涙ぐましくここまで鍛えたものだと、切臣は自嘲めいた笑みを浮かべた。


 剣道を始めた理由など、何てことはない。

 単に魔術師になる蓮華の隣にいるのに相応しくなりたくて、少しでも鍛えて強くなろうと思っただけだ。

 それで色々と回ってみた結果、一番性に合ったのが剣道部だったというだけの話である。


 とはいえ、きっかけはそんな不純なものだったけれど、決していい加減な気持ちでやってきたわけではなかった。

 色んな技術を習得して、自分が少しずつ上手くなってきているのを実感するのは楽しかったし、試合に出て強い相手と勝負して、勝利した時の達成感などは、なかなか他には変えがたいものだった。

 全国大会で優勝を成し遂げた時なんて、それはもう言葉に言い表せないくらい嬉しかった。


 だけど、今日に限ってはそれらが何故か、非常に虚しいものに思えてならない。

 どれほど竹刀を振って鍛えても、どれほど剣道が強くなっても、自分では決して、竜宮寺蓮華のいる場所にはたどり着けないのだから。


 その事実が、決して抜けることのない棘のように、切臣の心をじくじくと突き刺していくのだ。


「くそっ、女々しいにもほどがあんだろ」


 舌打ち混じりに吐き捨てる。

 いくら悩んだところで、魔力など持たないただの一般人である自分には、どうすることもできない。ならばさっさと諦めてしまえ。


 だがいくら払拭しようとしても、頭と心にこびりついた思いは、そう簡単に取れるものではなく。

 むしろ遠ざけようとすればするほどに、ますます大きくなって近づいてくるのだった。

 彼女に置いていかれたくない、という思いが。


「…………」


 ちょうどその時だった。

 まるで雷でも落ちたかのような凄まじい轟音が、すぐ近くで鳴り響いたのは。




「な、何だッ!?」


 突然の事態に狼狽し、切臣は咄嗟にその場に屈む。

 それから、辺りをキョロキョロと見渡して、やがてそれを目にした。


「何だ、あれ……」


 知らず呻く。

 夜の中において尚、はっきりと分かるほど黒々とした大きな穴が、星一つ見えない空にぽっかりと口を開けていた。


 一目ではっきりと分かるほどに、異常且つおぞましい怪現象。

 しかしやがて、切臣はある事実に気がついた。


「あれって……うちの中学の方じゃ……」


 声に出した途端、強烈な怖気が背筋を駆け抜けた。

 あの不気味な事象は、明らかに普通の常識から外れている。決して単なる自然現象などではないと断言できるほどに。

 そして、切臣は知っている。このような異常事態が起きた時、一体誰が解決を図るのかを。


「……蓮華!」


 気がついたら、切臣は中学校に向かって走り出していた。


 もしかしたらただの取り越し苦労かも知れない。

 そもそも自分が駆け付けたところで、何の役にも立たない可能性が高いだろう。


 それでも、もし彼女の━━竜宮寺蓮華の身に何かあったらと思うと、居ても立ってもいられなくなったのだ。

 ただただ足を動かして、切臣は全速力で町中を駆ける。内側から噴き出す衝動に、駆り立てられるがまま━━。






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