第3話 魔剣の欠片

 蓮華が中学校にたどり着いた頃には、完全に夜の帳が下りきっていた。


 校舎の明かりも全て消えていて、人の気配もまるで感じない。教員も生徒も皆、帰路に着いたのだろう。

そんな夜の校庭を、蓮華は黙々として突っ切っていく。


 昼間はあんなに人で溢れ返っていて騒がしいくらいなのに、陽が落ちればまるで死んだように静まり返っている。

 そのあまりの様相の変化に、不思議な気分に浸りながら、ゆっくり歩を進める。


 校舎をぐるりと回り込んで、体育館裏へとやって来た。

 誰かが置き捨てていった菓子袋や空き缶、タバコの吸い殻などに渋面を作りつつも、蓮華は更に踏み込んでいく。


 やがて植え込みの木々に紛れるみたいにして、古ぼけた小さな祠が半ば忘れ去られたように佇んでいるのが目に止まった。これこそ蓮華が目当てにしていた、魔除けが祀られた祠である。


「いくら結界が張ってあるって言っても、こんな不良の溜まり場に魔除けを置いておくのって、何か嫌な感じ……」


 蓮華はぼやくように言った。


 この町を守護する上で重要な魔除けが納めてあるこの祠には、複数の高度な結界が張り巡らせてある。

 直接的な接触を禁じる物理障壁はもちろん、人の目に止まりにくくなる認識阻害や魔術による攻撃を防ぐ術式遮断など、複数の術式が複雑に絡み合って構成されたこの結界は、たとえブラック級魔術師のような達人であろうとも、正規の解除方法以外での強引な破壊は極めて困難である。


 当然、ここでたむろしているような不良たちが何かできるわけがないのだが、それでも気分的には心配になってしまうのだ。

 将来的に義父の跡を正式に継いだら、もっと別の場所に祠を移したいと考えるくらいには。


「ま、四の五の言っててもしょうがないし、早速始めよっかな」


 言いながら、蓮華は気持ちを切り替えて、まっすぐ祠の真正面に立つ。

 精神を集中させて、肉体の内側へと意識を向ける。頭に思い浮かべるのは、幽かに揺らぐ波紋のイメージ。最初は小さく。やがて少しずつ大きく。


「━━頑迷極まる荒れ地の王に黎明を司る蒼の叡知を捧ぐ」


 そうして呪文を唱える。

 すると、燦然とした輝きが蓮華の足元から立ち上ぼり始めた。同時、古ぼけた祠からも、同じような光が発せられる。


 蓮華は両手を前に突き出して、懸命に魔力を制御して術式を構築・展開していく。


 彼女が現在行っているのは、祠に張られた結界の解体作業だ。義父から教わった術式を用いることで、一つずつ手順を踏んで結界を解除しているのである。

 将来的に竜宮寺家の跡を継げば、ここの結界の解体及び再展開も、魔除けの術式を更新するのも全て彼女自身の役割となるため、そのための練習というわけであった。




 どれくらいの時間そうしていただろうか。

 蓮華の綺麗な白い肌に、玉のような汗が浮かぶ。

 少しでも魔力制御をしくじり手順を誤れば、結界からの痛烈な呪詛が跳ね返ってくるため、そうなるのも無理はない。


 やがて、ガチリ、と鍵が開いた風な音が鳴り響いたかと思うと、祠を包み込んでいた光が溶け入るように消えていき、次いで蓮華の足元から立ち上るそれも消失した。


 結界の解体が無事完了したのだ。蓮華は額の汗を拭って息を吐く。


 それからゆっくりと祠の方へと近づいて、恐る恐る戸を開ける。

 奇妙な文字が夥しく記された帯のようなものに巻かれた、親指ほどのサイズの何かが、その中に横たえられていた。


「魔剣の……欠片……」


 蓮華は固唾を飲んで、思わず呟く。

 作業が完了したにも拘わらず、尚も緊張感に満ち溢れた強張った顔つきをしているが、仕方のないことだろう。

 何故なら今、彼女の目の前にある代物は、代々竜宮寺家に受け継がれている家宝であり、国宝級と言っても過言ではないほどの逸品なのだから。




 魔剣士は数多くの魔族の中でも最凶と謳われた伝説の種族だ。

 人間と全く変わらない外見を持ちながら、人間を遥かに上回る肉体能力と魔力を併せ持つ彼らは、一五〇年前の殲滅戦争において凄まじい猛威を振るったという。

 それは魔剣士たちが大英雄フレインガルドによって絶滅させられた今となっても、魔術界隈はおろか一般人の間でも広く知られている事実である。


 とはいえ、単純な肉体のスペックならば竜に、身に秘める魔力の保有量ならば吸血鬼の真祖に一歩劣るだろうという話も、戦争当時の記録には遺されていた。

 ならば一体何が、彼らをかつて魔界の王として君臨させ、人界を恐怖の渦に叩き落としたのか。

 その答えこそが魔剣なのだった。




 魔剣まけん

 魔剣士が一人ひとり所有している極めて特殊なマジックアイテムにして、彼らの魂そのものを結晶化させた種族としての固有特性。


 所有者である魔剣士本人にしか振るうことのできないその剣は、並の魔族ならば一撃で葬り去る凶悪な切れ味と、決して折れず、欠けず、曲がらない無類の強度を備え、更に所有者がを唱えることによって、刀身に宿った特殊能力を発動することができる。


 有する能力は個々によって千差万別だが、いずれにせよ魔術師が通常に使用する魔術やアイテムとは全く比べ物にならない絶大な威力を発揮するとされており、殲滅戦争時にはたった一振りの魔剣の能力で、人界の都市が丸ごと壊滅させられたこともあるのだという。


 尤も、目の前にあるのはあくまでその欠片であり、そのような能力を発動することはできない。

 しかしやはり、魔術触媒や魔族が力を付けるための餌としては、これ以上ないほどの絶大な力を有しているため、管理するには細心の注意を払わなければならないのだ。




「よし。後はこれを持って帰れば……」


 蓮華は硝子細工を扱うよりも繊細な手つきで、祠の中にある欠片を拾い上げる。

 途轍もなく高密度な魔力を持ちながら、その重量は羽のように軽かった。


 そうして、祠の中から魔剣の欠片を取り出す。

 手のひらの中にすっぽり収まる程度のシルエットが、瞳の中に浮かび上がる。

 それを。改めて目にして。


「…………………………………………………え?」


 ぞわり、と。嫌な感覚が、伝うようにして背筋を流れていくのを感じた。

 悪寒にもよく似たそれは、まるで蛇みたいに蓮華の全身に纏わりついて、彼女の精神を蝕んでいく。


 何かがおかしい。何か、大切なことを見落としているような違和感を覚える。

 そしてその違和感の正体は、なるほど、すぐに検討がついた。


 破れている。

 魔剣の欠片を包んでいる封印が。魔除けの術式を付与された呪符が。

 縦に大きく真っ二つに、破れ裂けているのだ。


「魔除けの術式が、壊れてる?」


 突然のことで訳も分からず、蓮華は再び茫然と呟く。

 心臓の鼓動が早い。じんわりとした冷たい汗が背中に浮かんで気持ち悪かった。


 同時、生温い風が一つ、吹いた。

 呪符は風に巻き上げられ、パラパラと音を立ててゆっくりと地面に落ちる。

 それはもはや魔除けの術式ではなく、何の役にも立たないただの紙屑でしかない。

 それが一体何を意味しているのか。蓮華の理解がようやく追いついた時にはもう、手遅れだった。


 世界が揺れる。


「きゃあっ!?」


 途轍もなく大きな振動。

 ひび割れるかと思うような耳鳴り。まともに立っていられなくなり、蓮華はその場に膝を着く。

 それからほとんど直感的に背後へと振り返り……目を見開いた。


 何もないはずの空間に、穴が空いていたのだ。黒々とした大きな穴が。


 蓮華はその穴を知っている。いや、魔術師ならば誰もが知っていると言うべきか。

 あれは暗黒回廊。

 空隙を穿ち、人界と魔界を繋ぎ合わせる忌まわしき大穴。そしてその穴から出てきたのは、


「アンデッド……!?」


 正視に堪えないほど腐乱した肉体と、鼻が曲がるような異臭。知性を感じられない、混濁した瞳。人の形こそしているが、明らかに尋常ではない不気味な姿。


 アンデッド。

 死した人間や動物、魔族の亡骸に邪悪な魔力が宿ることによって誕生する、生ける屍。そう呼称される魔族が。

 まさしくたった今、唐突に人界へと出現した。




***




「九八一、九八二、九八三……」


 ただひたすらに竹刀を振る。

 摺り足。振りかぶり。振り下ろし。その単純な動作を、繰り返し繰り返し、まるでそれだけをする機械のように。

 滝のような汗が全身から噴き出して、地面に水溜まりができていた。


 竹刀の柄を握る手には薄ら血が滲んでいる。

 数えきれないほど剣を振り、鋼鉄のように硬くなった指にすら、更に血豆を作って潰しているのだ。

 果たしてどれほど鍛練を積めばそうなるのか。


 だが彼は━━黒野切臣はそれに構うことなく、黙々と素振りを続けている。蓮華と別れ、帰宅してからずっと。

 ともすれば狂気じみたものに見えるかも知れないが、彼自身としては何のことはない、ただの日課である。天才剣道少年は、たとえ部活を引退しても決して鍛練は怠らないのだ。


「九九七、九九八、九九九……せーん! よっし、今日の素振り終わり!」


 だが、永遠に続くかと思われたそれも、数が千に到達したことでようやく終わりを迎えた。


 切臣は竹刀を肩にかついで、どっと息を吐く。

 熱気がまるで茹だるかのように、彼の全身から立ち上っていた。

 それから額から流れる汗を服で脱ぐいつつ、ベランダから窓を開けて、自宅の中へと入った。すると、冷ややかな冷房の風が切臣を出迎える。


「うひー、涼しーい。地獄から天国だなこりゃ」


 熱気から解放されたことへの快感に頬を弛めつつ、勝手知ったる自宅のリビングをのしのしと横切り、シャワーを浴びるべく風呂場へ向かう切臣。

 両親が居れば汗まみれで歩き回るなとお小言を頂きそうだが、彼の両親は今日から三日間、福引きで当てた旅行に夫婦水入らずで出掛けている。

 その間、この若干古びたマンションの一室は紛れもなく彼だけの城だった。


 シャワーを浴び終え、さっぱりすると、次は台所へと赴く。

 だが冷蔵庫を開けるや否や、若干渋い顔になった。


「ゲッ、プロテインジュースがねえ。買い置きもうなかったっけか」


 念のため冷蔵庫の中を改めて確かめてみたが、やはりそれらしいものはどこにもない。


 切臣は更に眉根を寄せた。

 トレーニングの後には、低脂質高タンパクのプロテインジュースを飲むのが彼のお決まりのコースなので、それがないとなると少し落ち着かないのだ。


 ちらりと時計を見る。

 午後七時過ぎ。今ならばまだ、中学生が一人で出掛けても補導はされないだろう。


「しゃあねえ。行くか、コンビニ」


 切臣はため息混じりに呟くと、自室に財布を取りに行き、そのままTシャツとジーンズというラフな服装に着替えて出かけることにした。

 近くのコンビニまで行くだけなのだから、やたら着込む必要はない。


 靴を履いて、玄関のドアを開ける。

 そうしてマンションの廊下に出て鍵を閉めると同時、切臣はふと、隣の部屋のドアの方に目を向けた。

 更に視線を上にやると、数週間前に引っ越してきたばかりの若い夫婦の名前が、真新しいインクで表札に書かれているのが見える。


「……今度は一体、どれくらいで入れ替わるのかねえ」


 誰に言うでもなく、一人呟く。

 黒野家の隣室は何故かやたらと入れ替わりが激しく、切臣が中学に上がってからでも軽く七、八回は住人が変化している。

 自分が知っている限りここに長く住んでいたのは、とその母親だけだ。

 五年前にいなくなってしまうまで、二人は━━蓮華はずっと、ここで暮らしていた。

 自分の隣で。


「…………」


 切臣は視線を外して、エレベーターに向かって歩き始める。

 その脳裏には、蓮華が引っ越してしまう原因となった日のことが、無意識のうちに想起されていた。

 蓮華のたった一人の家族だった彼女の母親が、突然この世を去った日のことが。






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