後編

反復されるポップアートの特徴は表現抽象主義が見落としたものを拾い上げることも行うと同時に、大量の人間が同じものを同じように反復することで展開される、価値の均質化というディストピア性をも浮き彫りにするだろう。価値の均質化は転じて、私たちの認識を狭めることになると同時に、コンセプチュアルアートが展開するような新たな世界への扉をある意味で閉ざしてしまい、そして反復と再生産の快楽のなかで、私たちは永遠に狭い世界に幽閉されることを意味する。東浩紀による「データベース型消費」が提唱されてもはや20年以上が経過したが、今日の私たちは今でも不気味なほど同じ生活を行い、そしてそのことに対して違和感を抱かなくなっている。データベースに登録されたものを消費し、そしてそれを繰り返し、その外部にあるものには触れることはない——というより、外部にアクセスする方法を、もはや知らないのかもしれない。かくして、私たちは巨大なデジタルアーカイブとデータベースの海に飲まれ、何者でも無くなっていく。QRコードからアクセスする作品ガイドや音声ガイドは、私たちはみな等しくスマートフォンを持っていることを当然の前提として設置されている。均質化と大量消費に対して鋭い目線を向けた私たちは今、その作品を手元のスマートフォン経由で入手した作品ガイドのpdfファイルを見ながら、手元のスマートフォン経由でアクセスした音声ガイドを聞きながら鑑賞し、そして手元のスマートフォンのカメラ機能で撮影し、Instagramにハッシュタグ付きで投稿するのだ。反復を均質化に対する鋭い目を向けたウォーホルの作品を、私たちは均質化されたデバイスとアーキテクチャで楽しむ。1990年代にニコラ・ブリオーが『関係性の美学』という言葉を提唱して以降、ソーシャリー・エンゲイジドアートと称されるようなは鑑賞者を巻き込んだインスタレーションが数多く注目されているが、ウォーホルの作品を前にしてまるで掌の上で踊るように写真を撮影する私たちを客観的にみると、もはやこの展示そのものが巨大なインスタレーションではないだろうかという疑問すら湧いてくる。作品を見る私の隣で楽しそうにインスタ映え写真を撮影するカップルたちの様相は、そんな感想を私に抱かせてきた。


均質化する社会を客観視した作品に対し、それを均質化された方法で受容する私たち。まるでジョークのようだと思いながらも実際に展開されたそれらがあったからこそ、私は有名なマリリンでもブリロでもなく、彼がポップアートに傾倒する以前の作品が印象に残った。比較的前半に展示されたモノクロの映像作品エンパイア(1964)は、ウォーホルの映像作品としてはかなり有名ではあるが、数多く展示されたポップアートの鮮やかできらびやかな作品群を前にすると、何とも地味さを帯びていた。午後8時から深夜2時まで、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングをひたすら撮影しただけという本作品は定点観測である故の動きのなさと、モノクロ作品ゆえの地味さがただひたすら流れている。全6時間の映像のうち50分を抜粋して上映された本作品は、やや首を上にあげてその全景が見られるようになっており、その姿勢で50分間も一見して変わらないエンパイア・ステート・ビルディングを除き続けるのは流石に厳しいものがある。だが、だからこそ、この作品はいわゆる「インスタ映え」によって均質化された現代を生きる私たちに大きなメッセージを提供してくるように思えるのだ。閉館時間の都合上で50分間はいられなかったのだが、少なくとも30分は首を上にあげて《エンパイア》を見てみると、映像がぼやけたり、変な線が入っていたり、ふとしたタイミングでビルがライトアップされたりなど、一見同じような映像はどんどん変化していくことが分かる。音声ガイドでは、本作品が龍安寺の石庭をモチーフにしていることが述べられていたが、なんでもインスタントに消費する今の時代において、龍安寺の石庭ほどじっくり見られないものもないんじゃないかとも思う。昔はどうだったのだろうか。龍安寺の石庭をじっくり眺め、そこから見えてくるわずかな変化に思いをはせる精神的余裕が、インスタントな作品消費に慣れきってしまった今の私たちにあるのだろうか。そんな思いを抱きながら、光り輝くエンパイア・ステート・ビルディングを眺めながら思うばかりであった。


徐々に変化しているエンパイアの映像は、まるで都市が呼吸していることを示しているように微妙な変化を重ねている。インスタントな消費は都市の呼吸をどこまで鮮明化できるのだろう。そう思いながらも、私はSNSを使って文字をうつ。やはり、これもインスタントな消費活動なのだろうか。だとしたら、もはやインターネットから脱却するしかないだろう。そう思いながら美術館を出ると、突如見知らぬ女性に声を掛けられ、魔女の宅急便の歌を歌われた。たまたま今日まで開催のイベント「KYOTO EXPERIMET」の一環で、出会った人の第一印象をもとに自由連想で思いついた歌を歌うというインスタレーションだったそうだ。かなり突然だったため動揺してしまったが、こうした都市の中での偶然的な出来事は、必然に縛られてQRコードをかざしたウォーホルの展示とはまるで対照的だとも感じた。やはり都市は呼吸している。そういう確信を偶然の出会いと素敵な歌より抱いて、私は203系統で家に帰った。

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