《エンパイア》は呼吸する——『アンディ・ウォーホル・キョウト』展感想

前編

 いつもは図書館での仕事がある日曜日。今日はキャンパス全域での電気工事の都合で臨時休館であり、久しく休みとなった。仕事がなくとも図書館に行くことも最近では増えた気がするが、今日は臨時休館だ。実のところ、大学図書館の利用証は他に2枚ほど持っており、勤務先以外の2つの大学図書館を利用する資格も持っているのだが、どうやら一方は毎週日曜日に閉館しており、もう一方は17時までの開館だそうだ。時刻は13時すぎ、せっかくの休みなのでゆっくり寝ようと思ったら、いつの間にか午前も終了している。大学図書館はどっちも長時間入れそうにないなと判断した私は、せっかく司書過程を終えて図書館についていろいろ知ることもできたことだし、公共図書館に行ってみようと画策した。そういえば、学生になってからほぼ毎日訪れているにも関わらず、そして何度も岡崎周辺の美術館を訪問したにも関わらず、私は京都府立図書館の利用者カードを持っていない。何も予定もないので、せっかくなら作りにいって、そのついでに京セラ美術館に立ち寄ろう。


かくして、私はいつも乗る市バス203系統に乗り込み、岡崎公園の京都府立美術館、そして京セラ美術館に向かうのだった。京都京セラ美術館では今、文化庁の京都移転記念事業として、東山キューブにて「アンディ・ウォーホル・キョウト展」が開催されている。チケットは原則的にオンライン販売であり、向かう途中の市バスにて時間を指定し、スマートフォンに表示されるQRコードを機械にかざすことで、自動ドアが開いて展示へと足を踏み入れた。土日一般で2,200円という値段は、今月の収入が60,000円の自分にとっては厳しい支出だが、その予算はどうやら音声ガイド付きのようだ。ほんの半年前まではA3サイズの紙に印刷された展示作品一覧が入口にあり、そしてその付近でスタッフが音声ガイドつきレコーダーを1,000円くらいで貸出していた気がするのだが、今やなんでもQRコードである。幸い、イヤホンはカーディガンのポケットにあったので、QRコードでサイトにアクセスし、音声ガイドを担当する乃木坂46のアイドルの語りに半分くらいは意識を傾ける。


アンディ・ウォーホルは1928年生まれの、ポップアートの旗手だろう。反復されたマリリン・モンローの笑顔の作品や、全く同じ見た目をしたブリロ・ボックスの箱たちは、もはや日本人であろうと見たことが無い人は少ないはずだ。本展においてもマリリンは笑顔を反復しているし、ブリロ・ボックスは3つほど展示空間に設置されていた。同じものの反復を一つのテーマとする彼の作品、もといポップアートのテーマは、同じものをひたすら反復して消費するアメリカの大量消費社会に対する鋭い視線と、当時のコンセプチュアルアートの有する抽象的思考が、その発展のなかでそぎ落としてきたものに対する反動が背景にあるという。デュシャンの《泉》(1917)をおそらくその起点の一つとして認識されるだろう現代アートの文脈は、その歴史上で作品とは何かという哲学的な、存在論的な批判から進化を進めていき、60年代においてはとうとう物質的性質さえも超えた何かへと変貌しようとしていた。ジョセフ・コスースの《一つおっよび三つの椅子》(1965)は実際の椅子と椅子の写真、そして「椅子」の説明書きを作品として展示することで、作品がもはや現実の物質的性質を超えた、高度に抽象的なものとして認識されるようになっている。そうした抽象的思考は研ぎ澄まされるほど、現実社会において消費され続ける大量のコンテンツたちと大きく方向性を違えていく。ウォーホルのポップアートはそうした表現抽象主義がある意味で捨象したものに対して目を向けることで、大量かつ反復して消費されるコンテンツをアートの文脈に取り入れるだけでなく、アーティストとしての自身を社会的にブランド化する実践も行った。実際、ウォーホルに自画像を描いてもらうことは非常に名誉なことであると同時に、数多くのセレブがウォーホルに自画像を描いてもらうことを希望したというエピソードがある。

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