12
「お帰り、ジャクロ。今日はどうだった?」
二人分の紅茶を注ぎ終わる頃、奥の部屋からのっそりと父さんが現れた。
「そうだね、まずまずってとこかな?」
ジャクロはお茶菓子のクッキーを皿に並べながら答えた。
アデリーズさんが誤解していたことがひとつある。
父さんは、家族との約束を果たしてちゃんと生きて帰ってきたということだ。
獅子勲章とともに届けられたのは、父さんの戦死通知ではなかった。父さんが部下と一緒に、軍から脱走したという報せだった。
父さんはあの後、部下たちとともに地元の人に助けられて、軍に戻ることを拒んだ。部下たちを守るため、家族との約束を守るために下した判断だったが、重大な軍規違反なので、逮捕されたら銃殺刑に処されるはずだった。だから母さんは、報せを受けたとき泣き崩れたのだ。
戦争が終わってから五年後に
ジャクロは喜んだが、父さんの心情はそう単純ではなかったろう。帰ることのできなかった仲間たちも大勢いるのだから。
父さんは軍を辞め、近所の小学校で用務員として週に三日だけ働いている。幼い頃の息子と過ごせなかったぶん、いま子どもたちに囲まれている。
「ようし、音楽でも聴こう」
休日の父さんは、お茶をするとき決まってレコードをかける。相変わらず、エディ・アースの古い歌がお気に入りだ。
いまはどんなにつらくても
しあわせはかならずやってくる……
「思い出すなあ、昔エディ・アースと一緒に軍用車の修理したこと」
「その話、もう何回も聞いたよ」
ジャクロは苦笑するが、父さんの好きなようにさせておく。
父さんは一度もエディ・アースのことを悪く言ったことがない。むしろ気のいいやつだったと回想している。身を挺してスター歌手を守ったことは、生涯忘れられない誇りだとさえ語る。
思い出が過剰に美化されているのか、それとも父さんが大らかすぎて何も気にしていなかったのか。いずれにせよ、アデリーズさんが気に病むことはなかったのだ。
「エディはずっと新曲を出してないんだよな。引退したって噂も聞かないし、休んでるのかな」
「さあ……」
「せっかく生きて帰ったんだから、エディの新しい歌が聴きたいもんだなあ」
父さんは知らないが、ジャクロは知っている。エディ・アースがもう歌わないことを。
「きっと、いつか聴けると思うよ」
それでもそう答えたのは、父さんを慰めたいからではない。
「見て、父さん」
ジャクロは工房から持ち帰ったトランクを開けた。
中には父さんの知らない箱形の機械が入っている。ちょうどタイプライターの文字盤とピアノの鍵盤が上下二段に重なったような形状だ。
「何だい、そりゃあ?」
「僕たちがいま作ってる試作品だよ。見てて」
ジャクロは一旦レコードを止めて、文字盤を使ってエディ・アースの歌詞を入力した。その後、ピアノの鍵盤でメロディーを弾く。
側面に赤いスイッチがあった。
「押してみて」
言われた通りに父さんがスイッチを押す。
あしタ、をシンジて、生ギ、てイコウ
手ヲ取リ、合ッテ生きてイ、ゴう……
箱が歌った歌は、エディ・アースの歌声とはほど遠かった。
「……まだまだ調整が必要だけどね」
「すごいじゃないか! ロボットが歌を歌えるようになる日も、そう遠くなさそうだな!」
父さんが目を輝かせた。
エディ・アース――アデリーズさんの消息は、
もし叶うなら、アデリーズさんに伝えたい。
父さんが元気だということ、ジャクロが元気だということ、そして、エディ・アースが新しい歌を歌える日が来るかもしれないということ。
もしかしたら、もうこの世の人ではないのかもしれない。歌うロボットを実用化できたとしても、彼がそれを知ることはないのかもしれない。
それでも。
「イキテイコウ! イキテイコウ! アシタアシタ!」
だしぬけにブリギットが騒ぎ出す。ジャクロは父さんと顔を見合わせて笑った。
再びジャクロはレコードに針を落とす。
明日を信じて生きていこう
手を取り合って生きていこう
たとえ手と手が離れても
心はきみのそばにある
父さんとふたりで暮らす小さな家に満ちる歌声は、未来への美しい祈りだった。(了)
エディ・アースはもう歌わない 泡野瑤子 @yokoawano
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