十年後

11

 大きな荷物を抱えて玄関のドアを開ける。いつになくやかましい足音に出迎えられた。

「ジャクロ! オカエリ! オカエリ!」

「ただいま、ブリギット」

 ジャクロはトランクを置き、自分の膝ほどの背丈のピンク色の丸頭を撫でてやった。

 ブリギットは愛玩用ブリキロボットだ。母さんにねだって買ってもらったのではなく、機械整備士の養成学校の卒業制作として作ったものだ。

 まん丸い水色の目玉にカメラは搭載されていないが、われながらかわいくデザインできたものだと自画自賛している。

 あれから十年余り、技術の発展はめざましい。

 ブリギットは最新型だから、二足歩行するだけでなく簡単な言葉を話せるのだ。だいたいオウムと同じで、人間が話す言葉を聞いて覚えることができる。――足音も、以前と比べてずっと静かになったはずなのだが。

 ジャクロは狭いキッチンに立ち、電熱線のコンロでお湯を沸かす。

 二十歳を過ぎても、酒もコーヒーも飲めない。もっぱら紅茶派だ。仕事後のささやかな楽しみだった。

 ジャクロは機械整備士の国家資格を得て、ディターニアのロボット工房へ就職した。先輩たちはみな一流の整備士ばかりだ。仕事は楽ではないが、確かなやりがいがある。

「ジャクロ、オツカレ! ハヤク、チャ、イレロ!」

「はいはい、いま淹れてるよ」

 ティーカップをふたつ並べる。ブリギットに飲ませるわけではない。

 ジャクロはふと、足下の床にピンクのねじが落ちているのに気づいた。

 ブリギットのどこかから落ちたに違いない。ブリギットがじたばたするたびにうるさいのは、きっとそのせいだ。

 拾い上げたねじを見つめて、ジャクロは少年時代のことを思い出す。

 クッキー欲しさに、目を凝らして道ばたに落ちているねじを探していたあの頃。アデリーズさんから大金と手紙の入った封筒を受け取った後、母さんはジャクロに二度とあの店に近づかないようにと約束させた。

 でも、ジャクロはその約束を守らなかった。翌日、母さんに内緒でもう一度アデリーズさんに会いに行ったのだ。

 しかし店はすでに引き払われていて、ロボットもアデリーズさんも姿を消していた。夜のうちに引っ越してしまったらしい。

 アデリーズさんのお金で学校に通えるようにはなったが、ジャクロの心にはぽっかり穴が空いてしまった。ジャクロが勉学にのめり込んだのは、その穴を埋めるためだったかもしれない。

 ジャクロが十五歳になり、機械整備士を志して養成学校へ進学するころ、母さんは家を出て行った。仕事先のカフェで知り合った人のもとへ行く旨が綴られた短い謝罪文と、アデリーズさんからの長い手紙を残して。

 とても寂しかったけれど、ジャクロは母さんを責める気にはなれなかった。

 母さんがアデリーズさんの手紙を置いていったのは、ジャクロが一人前になったと認めてくれたからだ。母さんは十分すぎるほどジャクロのために頑張った。新しい家族と、幸せになってくれたらそれでいい――そう思うことにした。

 それに――父さんも、少しも母さんを責めなかったのだ。

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