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《第1章 鳴と玲の出会い~契約を結ぶまで》 


 学校にスマートフォンを忘れた。別にどうしても取りに戻らなければいけないほどの執着もなかったけれど、それこそ戻らない理由もなかった。十九時前、ちょうど日が沈み込んだ頃。遠目に職員室がぼうっと光を帯びるのが見えた。校舎内には生徒どころか先生の姿も少ないくらい。グラウンドでは照明塔の明かりを受けて熱心にボールを追いかけるサッカー部の姿があった。

 しんと静まり返った廊下には一種の非日常感を覚えた。よく冷えたもののように廊下はどこまでも続いて不気味だ。でも、昼間の学校よりよほど好きだ。違うな、俺は昼間の学校が嫌いなんだ。学校は騒がしい方が寂しい。

 多分、スマートフォンは俺の机の中にあるだろう。二年B組。二階。手前から三つ目の教室。ドアに手を掛け、扉を引くと――。


「――――旭日、玲」


 窓際の一番奥の席にたった一人彼女は居た。

 真っ暗な教室のその端で、旭日は窓の方を向いて突っ伏している。それでも、全てが抜け落ちたような白色の長髪の持ち主なんて彼女しかいないから、わかった。

 まるで有名な絵画の一枚。窓から漏れる僅かな淡い光に当てられて、それはもう幻想的だった。教室の窓からもよく見える。今日は満月だ。彼女には夜がよく似合う、と思ってしまうのは、友達のいない俺でも耳に入って来るあの噂のせいだろうか。

 旭日玲は――吸血鬼である、と。


「バカらしい」


 何が吸血鬼だ。陽の光に当たったら消えてしまうから、こんな時間まで残っているとでも? 血なんて吸ってみればいい。ニンニクでも投げてやろうか。

 屈んで自分の机の中を覗くと、スマートフォンは手前の方にあった。


「犬を殺すとすっきりする」


 スマートフォンをポケットしまうと、後ろから声がかかる。薄氷のように薄く、触れれば壊れそうで、しかし、この静かな教室ではよく通る綺麗な声音だった。平坦な物言い。言葉尻が上がらなかったが、きっとこれは俺への質問だ。


「――は?」


 起きていたことに驚いた。そして、あの旭日玲が俺に対して毛ほどでも興味があったことにも驚いた。彼女を見ると、その白い髪の隙間から彼女も俺を覗いていた。


「別にしねえ」

「あの噂、本当だったの」


 旭日は顔を上げて、じっとこちらを見る。白髪が払われ彼女の無表情があらわになる。作り物のように端正な顔立ち。その肌は陶器のように白く、その瞳は濁った水晶のようだった。絹のような髪が綺麗に通った鼻筋にかかる。目の下のクマが酷いことを除けば、人形の用だという比喩も適切かもしれなかった。

 ああ、たしかに、吸血鬼みたいだ。


「旭日もくだらないゴシップに興味があるとは思わなかったな。じゃあ、吸血鬼の噂はほんとなのか?」

「さあ。どっちだろうね」

「……………………」


 吸血鬼にどっちもクソもないだろ。そんなわけないんだから。

 と、旭日は椅子が音を立てて転がるほどに思いきり立ち上がる。


「そ、れ…………」


 俺を指さして、驚いたように声を発す。心なしか彼女の瞳に光が灯ったような気がする。

 そう、まるで獲物を見つけた吸血鬼のように。


「あ?」

「血…………」

「あ、ああ。まあ、いつものことだから」


 旭日の視線を追った先、俺の右腕からは僅かに血が滴っていた。思い当たることはない。自転車置き場でひっかけたのかもしれないし、どこかの柵に刺さったのかもしれない。

 これが先天性無通症のやっかいなところで、どうしても自分の怪我に無頓着になってしまう。この程度の擦り傷や切り傷なら日常茶飯事なのだが、旭日にとってはそうではなかったらしい。

 旭日は血相を変えてゆっくりとこちらに近づいて来る。


「別に気にしないでいいぞ。ほんとにわざわざ騒ぐようなもんでもないし」


 最初は血を見て驚いた旭日に心配されているのだと思った。

 でも、そうではなかったのだとすぐに気づくことになる。


「いい色」


 旭日はゆらゆらと体を揺らして俺の前までやってくる。まるで、俺のことなど見えていないようで、爛々と輝く瞳は腕から流れる赤色を写していた。


「おい、旭日?」


 取り憑かれたような様子の旭日は、俺の腕を掴み押し倒す。ゴツ、と重たい音が響き、頭が床に叩きつけられるが、痛みは感じない。背中の圧迫感。帳が掛かるように旭日の白髪が視界の端に降りる。


「美味しそう、どうして君はこんなにも美味しそうなの」


 旭日の視線がぐるんと動き、俺の首筋をロックオンする。どうにも様子がおかしい。とても正気だとは思えない。目の前の彼女と俺の中の旭日玲が重ならない。いつも教室の隅で本を読んでいる。大人しくて、しかし冷たい。運が良ければ一日に数回は聞ける透き通った声。冷たい。冷たい冷たい。冷たくて少し寂しそうな彼女。

 ゆっくりと口を開く。しっとりと湿った唇。八重歯が目に留まる。唾液が糸を引いて扇情的だ。口端からつうと零れた唾液に頬を濡らされた。

 抵抗はしなかった。動けなかった。それは、きっとあまりにもここから見る彼女が幻想的に思えたからだろう。不覚にもこの状況で、一番の感情は美しいだった。

 嗚呼、なんだ、本当に吸血鬼だったのか。


「あ…………さひ」


 歯が首筋に突き立てられる。首筋に血が伝う。多分そうなんだろうなという感触がぎりぎり感じられる。痛みは感じないのだが、何か魂とか大事なものが体から抜けていくような感覚があった。不思議と不快感はなかった。

 俺は今食べられている、そんな実感があった。

 しばらくして満足したのか、旭日はゆっくりと体を起こす。

 彼女の喉がごくりと鳴る。口端からはさっきと違って赤の液体が漏れていた。俺の血だ。

 彼女が口元を拭い、妖しくわらったのは一瞬だった――。


「あ…………あ、ああ、ごめんなさ――っ!?」


 旭日は洗脳から解けたかのように表情を崩し、目を回していた。俺の顔と、首筋と、腕の傷を見て口元に手をやって、取り返しのつかないことをしたと言わんばかりに、後退り距離を取る。ガタガタと椅子や机が押しのけられ、旭日は机の脚に引っかかって転倒した。


「痛…………っ」


 彼女の腕には俺と同じように切り傷が刻まれ、ぽたり、と赤が床を濡らした。

 しかし、旭日は腕を抑えるより前に、俺の方を見て訝しげに眉を顰めた。


「おい、旭日。平気か?」

「どうして普通にしてるの?」

「はあ? いや、驚いてるよ。お前のリアクションが大げさだから、その分――」

「違う! なんで意識があるの? 苦痛に悶えて泡吹いて倒れて意識を失ってって…………それが普通でしょ?」

「お前の普通怖いな。意味わからな――うっ」


 突然、どくん、と心臓が熱を帯びる。

 これが恋の始まりだと言うのならロマンチックだと思うが、残念ながらそうではない。いつものやつだ。他人の血を見たからだろうか。こいつはいつも突然やってくる。


 そういうものだと半ば諦めているが、どこかに行っててほしい時に限ってこいつは現れる。這い出て来る。


 身体が熱い。意識が曖昧になる。ぼうっとする。だるい。吐きそうだ。そして取り憑かれたようにそのことしか考えられなくなる――ヒトを殺したい、と。

 人を害したい。血を見たい。血を流して、そしたら痛いって、痛いってどんな気持ち? それを知りたい。ちょっとした好奇心。嗜虐心とかはなくてさ、ちょっと中身を見たいって思うんだよ。


 でも、ダメだ。今はよくない。この状況ではすごくよくない。

 そう考えれば考えるほど、心臓の鐘の音は早く、体は熱を増していく。


 気づけば、俺は旭日に馬乗りになっていた。そうして彼女の細い首に手を掛ける。心の中の必死の抵抗は虚しく、首を絞める力は徐々に増していく。

 旭日は空気を取り込もうと必死に喘ぐ。


「う、ぐ…………ご、めんなさい」


 しかし、俺の腕を振りほどこうとはせず、悲しそうに瞳を細めて謝罪の言葉を口にする。このまま殺されても仕方ない、とでも言うように、ふと力を緩めた。

 その瞬間、ふと手綱を手繰り寄せることに成功した。思いきり脳天を鈍器で殴られたような衝撃を以って正気を取り戻す。衝動に抗い、それを抱え込んで…………彼女の下から勢いよく飛び退いた。


「――――っ、あ、はあはあ…………わるい、ほんとに何やってんだ、俺」


 両手で頭を抱えて、額を打ち付けるようにうずくまる。衝動を押し込めるように丸くなる。いや、謝ってどうこうという問題でないのはわかってる。


「ごほっ、がは――っ、あ、ふぅ、はあはあ」


 旭日が咳き込むのが聞こえる。

 彼女の安否を確認しようと視線を上げて――俺はありえないものを目にした。

 旭日の腕の傷が治っていくのだ。まるで時間が戻されているように、細胞が傷を紡ぎ合って舐め取るように傷が溶けていく。そう、それこそ不死身の吸血鬼のように。


「な、それ…………怪我が…………は?」


 特に体に問題はなかったのか、息を整えた旭日はすっと立ち上がる。俺を見下ろして息を吐き、ついさっきまで切り傷があった腕をそっと撫でた。


「痛くないの」

「いや、痛かったのは旭日の方じゃ…………」

「そう」


 旭日は見定めるように、髪先からつま先までじっくり俺を見回す。冷淡な視線。のはずなのに、そこには確かな熱が籠っているように思えた。

 やがて、彼女は意を決したように口を開く。


「――ねえ、君は私が吸血鬼だって言ったら信じる」


 これが旭日玲との始まりだった。


 運命が歪むほどの出会いをした――俺は妖しく笑う吸血鬼の少女にどうしようもなく魅入られてしまったのだ。


    ◇


「――つまり、旭日はほんとに吸血鬼だってことか?」


 気まずい、と思っているのは俺だけのなのか、旭日の態度は実に淡々としていた。

 旭日はさっきまで座っていた自分の椅子に腰掛け、俺はその正面の席を借りた。

 そして、今の状況を整理し、互いの事情を説明する。

 少なくとも俺には旭日のことを詳しく知りたいと思う事情があったから、自分のことは包み隠さず話そうと思った。


「それは正確じゃない。ヴァンパイア症候群…………って、勝手に私が呼んでる」

「病気ってことか?」

「一つの病気じゃないの。いろんな症状、病が重なって本当に吸血鬼みたいな体質になってた」


 吸血鬼なんて本当にいるわけない、と旭日は白けた視線を向けて来る。


「例えば、紫外線に弱くて太陽光に当たると肌が爛れちゃう。肌が白いのはそのせい。傷もすぐに治っちゃう。それと――人の血を飲まないと生きていけない」


 旭日は指折りしながら自分の症状を数えていく。そして、最後に妖しく笑った、というのは勝手な俺の妄想だろうか。


「だから、さっき…………」

「ごめんなさい。我慢できなかった。血を見ると特に…………疼く」


 だとしたら、旭日とよく目がある気がすると思っていたのもあながち間違いではなかったのかもしれない。俺はよくけがをするから。ヴァンパイア症候群の旭日にとっては、俺の存在は目に毒だったのだろう。


「普段は輸血パックで誤魔化している。でも、やはりパックだと全てを補えるわけじゃないみたいというか……直接吸うことでしか得られないものがあるみたいで、パックだけだととても頭が痛くなる。慢性的に頭痛が酷い」

「じゃあ、今は体調よかったり?」


 俺は血を吸われた首元を撫でて言った。


「そう、ね。本当に久しぶりに直接飲んだから。ごちそうさま。美味しかったです」

「………………そうかよ」

「言い忘れていた。私が普段直接血を吸わないのことにはしっかりと理由があって――私に血を吸われると激痛が走る、らしい」

「らしいって」

「私は吸われたことないから」

「そりゃ、そうだ」

「泣き叫ぶほど痛い、らしい。吸われた後は気絶する」


 なるほど、だから旭日は驚いていたのか。

 血を吸われても俺が痛がる素振りをみせなかったから。

 だから旭日は酷く狼狽して謝ったのか。

 気絶してしまうほどの激痛を与えてしまったと思ったから。


「でも、君は痛みを感じていなかった」

「ああ、俺は何も感じない」


 感じることができない。どんな激痛だろうと感じられるならほしいものだ。きっと、それがもう一つの症状を治すことにもつながるだろうから。


「なぜなら、先天性無痛症だからだ」

「先天性………無痛症」

「俺は生まれつき痛みを感じないんだ。だから、気絶するほどの激痛? ってのもよくわかんなかったよ」

「それはよかったわ」

「よかった、ね」


 激痛の正体が何かわからないのが怖いところだが、それを気にする段階はとっくに過ぎてしまった。痛みとは体の異常を知らせる最たるサインだ。それがぶっ壊れちまってるんだから、本当にどうしようもない。痛みなんて感じた方がいいに決まってるのだ。


「じゃあ、どうして私の首を絞めたの? 痛みを感じてというわけでもないのでしょ? 血を吸われるのがそんなに嫌だった?」

「それは…………俺のも一つの欠陥が原因だ」


 先天性無痛症より忌むべき欠陥だ。

 なんせ、こっちの方は俺の外にまで被害が及ぶ可能性がある。


「殺人衝動。どうしようもなく、人の中身を見たくなる時がある。皮を破って、切り裂いて、血を見たい、そんな気持ち悪い衝動に支配されることがある」

「そうなのね。…………殺人衝動」


 そう呟く旭日からは嫌悪感よりも、興味深いという高揚感に近いものを感じた。


「俺も旭日と同じような感じだ。これを抑えてると日常的に気だるい、吐き気がする。体調いい時の方が珍しいくらいだよ。痛みは感じないのに笑えるよな」

「別に面白くはない」


 旭日は数ミリも表情を変えることなく淡々としていた。


「…………お前友達いないだろ」

「君にだけは言われたくない」

「たしかに…………って、そんなこと言いたいんじゃねえんだわ」


 俺と旭日は同じクラスだが、ほぼ初対面と言っていいだろう。言葉を交わすのは初めてだし、そもそもクラスメイトとまともに話したことがないというのは置いといて、とにかく親しい仲ではない。互いに互いをよく思っていないだろうと思う。俺はよく思っていなかった。

 ぼっち同士シンパシーを感じてるなんてことはない。

 ニンニクでも投げてやろうかと思っていた。過去形。


「ねえ、君は友達ほしい」

「そこ深堀するのかよ……」

「普通に学校生活を送りたいと思う? それとも卒業まで今のままでいい? 恐れられて、腫れ物のように扱われて、ずっと一人で」


 他人に興味なんてないと思っていたが、旭日もさすがに俺の現状は把握しているらしい。いや、同じクラスなんだから知らないほうがおかしいとは思うが、なんとなく彼女の口から俺のことが出たのは意外だった。


「何が言いたいんだよ」

「言葉通りの意味。答えて。必要な質問だから」

「お前はどうなんだよ」

「質問に質問で返さないで」

「そうかよ…………まあ、普通に生活できるならそれが一番だとは思ってるよ」

「友達がほしいと」

「どちらかといえば」

「普通に学校生活を楽しみたいと」

「できるなら」


 どういう意図か知らないが、いや、もしかしたらという心当たりというか期待はある――旭日は同じような質問を俺に続けた。

 そりゃ、クラスメイトから毛嫌いされていて、それで問題ないなんてとても本心ではない。好きでこの立場にいるなんてそんなわけない。


「旭日はどうなんだよ」

「私もしたいよ。普通の学校生活」

「意外だな」

「そうかな。だって私、吸血鬼じゃなくて普通の女子高生だよ」


 文化祭とか、一緒に登下校とか、友達とお昼ご飯を食べるとかできることならしたいに決まっている。もう諦めてしまったけれど。旭日も同じなのかもしれない。そう考えると、やっぱり全然旭日は自分が言うように普通の高校生だ。


「お前ほど女子高生って言葉が似合わない女子高生初めてだよ」

「君はそのまま男子高校生だね」

「バカにされてる気がするな」

「してる」


 少し視線をスライドさせれば月が見える。少し不完全な真ん丸。おそらく明日が満月だろう。気づけばグラウンドもしんと静まり返っていて、運動部の姿も見えなくなっていた。夜風が吹き込み、俺と旭日の間にくすんだ白のカーテンが揺れる。


「友達はほしいよ。イベントごとは楽しみたいし、体調のことを気にせず普通の暮らしがしたい。みんながしてるような、普通の世界を見たい。君と一緒だよ」


 旭日ももうずっと昔にそんなことは諦めていて、でも、感情と理論は別だから、普通の高校生であるみんなを羨ましいと思って生きてきたのだろう。この感情に気づかないように静かに、意識してしまわないように、でも、そう思えば思うほど孤独は鮮明だ。

 抜け出す方法など頭が茹るほど考えてきただろう。

 その答えは思わぬところに転がっていた――。


「なあ、旭日。俺たぶん旭日と同じこと考えてる」


 話を聞いてその可能性に思い立った時、柄にもなく運命なんて言葉が脳裏を過った。

 俺はできるなら普通に過ごしたいのだ。できるなら友達はほしいし、その友達と学園祭なんかも楽しみたいし、部活だって入ってみたかった。もう少し普通がよかった。

 しかし、先天性無痛症はまだしも、殺人衝動はよろしくない。他人を殺したいと、害したいという衝動がいつ湧き上がるかもわからない人間と誰が友達になりたいだろうか。少なくとも、俺はごめんだ。


「うん。そうだね、きっとそうだよ」


 抑え込めるのが一番。でも、そうすると俺の体は拒否反応を起こす。慢性的な倦怠感のせいで心の余裕までなくなっていく。それくらい我慢すれば…………なんていつまでも続くことではない。

 もし、定期的に発散できればそれが一番なのだ。

 きっと、それは旭日も同じで、難しいことを考えずに血を吸える相手がいた方がいい。

 そうなると必然的にこの状況で用意された答えは一つだけ。


「お前の血を見たい。代わりに俺を食ってくれ」

「君を食べさせて? 私を殺していいから」


 俺と旭日は同時に言葉を発した。驚いたとうに目を見開いて、顔を見合わせて控えめに笑った。妙に芝居がかった言葉遣いだったと思う。お互いに。

 初めてみた彼女の笑顔は想像していたよりずっと幼くて、普通に女の子だった。

 殺人衝動を発散するために人を傷つけたい俺は、傷がすぐに治る旭日を殺す。

 人の血を直接飲みたいけれど相手に激痛を与えてしまう旭日は、無痛症の俺を喰らう。


 こうして――俺と旭日の歯車は噛み合った。一度、噛み合ってしまった。


「――ルールを決めよう」


 そう言い出す旭日は相変わらずの無表情だけど、声のトーンからは僅かな高揚感が感じられた。


「ルール? 別に適当でいいだろ、そんなもん」

「だめ。これは契約。契約内容は詳しく決める必要があるわ」


 多分勘違いではない。俺の血を飲んだおかげか、顔色のいい旭日はいつもよりはきはきと喋る。普通に喋れている状態が嬉しいと言うように、俺の知っている旭日に比べてよく口が回る。俺が考えていた旭日よりは普通に喋る。


「俺は殺したい時に殺す。お前は食べたい時に食べる。それでいいだろ」

「それもできるだけ叶えるようにはする。あとは、互いにこの秘密を絶対に他言しないこと」

「当たり前というか、頼まれてもしねえよ」

「互いに話す相手もいないものね」

「ほっとけ」

「後は……そう、契約解除について」


 旭日はこれが大事なことだと言わんばかりに、神妙な面持ちで言った。


「もし、私と君のどちらかの症状が治った場合、この契約は破棄される」


 治そうと思って治るものでもないし、こんな項目必要ないと思うけど……まあ、あって困るものでもないか。切りよく三つ設定したかったのかもしれない。


「はいよ。旭日がそれで納得するならそれで」


 これで俺と旭日の間に契約が結ばれた。

 互いに高校生活を生きやすくするためのウィンウィンの契約である。

 一つ、両者は学校内にて求められた時は契約行為になるべく応じること。

 一つ、この秘密は絶対に他言しないこと。

 一つ、もし、どちらかがの症状が完治した場合、この契約は破棄すること。


「もし破ったら…………君の血を全て吸ってやるわ」

「じゃあ、お前が破ったら死ぬほどニンニク食わせてやる」

「………………なんで?」


 本当に何を言ってるのかわからない、と旭日はきょとんとした様子だった。


「いい。やっぱ今のなし」

「どういうこと? 何でニンニクなんて…………あ、吸血鬼が苦手だからね。なるほど、気づけなくてごめんなさい」

「謝んじゃねえ。申し訳ないと思うなら絶対謝るな」


 伝わらなかった軽口を一拍遅れて納得されるの一番きちいだろ。あーあ、慣れないこと言うべきじゃなかったな。ちょっとドヤっちまったじゃねえか。


「ニンニクは普通に食べられるわ」

「わかった。わかったから。てか、わざとだろお前」

「君、面白いわね」

「だったらもっと楽しそうな顔しろ」

「だったらもっと面白いこと言って?」

「じゃあつまんねえんじゃんか、俺。絶対それで面白いとか言うなよ」


 舌打ちをして視線を逸らすと、旭日はおかしいと口元に手を当てて控えめに笑う。やはり普通の女の子みたいな笑顔だった。

 旭日は俺の方へすっと手を差しでしてくる。

 首を傾げると、「ん!」と言って協調するように手を揺らす。

 やっと意図がわかって、控えめにその手を握ると旭日は微笑を湛えて言った。


「これからよろしく。私のご飯くん」

「ああ、よろしくな。サンドバッグ」


 俺はお前を殺す、そして食べられる。

 こうして、俺は旭日と契約を結ぶ。互いの平穏な高校生活のために。

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②君を食べさせて? 私を殺していいから 十利ハレ @moon46

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