第10話 軍事演習−3

 演習当日、軍隊が陣を張るマイラ山中は霧だった。リアリナの予報が当たり、グラーツは機嫌よく楽しそうだった。


「よしよし、山中で霧なんて、絶好のコンディションじゃないか」


「どうしてですか?視界が良い方が、攻めやすいのでは……」


「視界がいいということは、敵側からも見えやすい。こういう悪天候の時は、敵方も右往左往しているからこそ、策の立て甲斐があるってもんさ」


 それに、とグラーツは付け加えた。


「どうせ演習なんだ。複雑になった方が面白いじゃないか」


 リアリナは後衛で待機し、戦況を見守る。斥候が逐一報告に来て、それに伴いグラーツたちも出陣してしまった。本陣は補給や待機の兵隊のみで、リアリナは暇になった。


 リアリナは一人、地形の地図を照らし合わせた。リアリナはマイラ山へ来るのは初めてで、霧の中にいるのも初めてだった。


 もう少し高台に行けば、少し戦況が見えるであろうか?またそこで計測をしたら変わるだろうか?滅多に経験できない天候だ。この条件のデータを取らねば、と言う気持ちがむくむくと湧いてくる。


 リアリナは計測器の道具を持ち、一人霧の中へ向かっていった。




 濃霧の中、グラーツは予定通りの行軍を行った。問題らしい問題もなく、その報告に本陣に戻ってきたところ、リアリナの姿が見当たらない。下士官に聞けば、計測に行くと言って、一人出かけたと言う。


「まずいぞ」


 グラーツは慌てて馬に飛び乗った。濃霧で10メートル先もわからない。本陣はマイラ山の開けたところに陣を張ったが、実際この山は崖や険しい場所もある。濃霧の中、女が一人でうろつくところではない。グラーツはリアリナの名を呼びながら、馬を走らせた。




 リアリナは実際、困っていた。高台は濃霧が少し薄く、気候の計測もできたのだが、下山する途中で迷ってしまったのだ。


 確かこの山は岩場や崖もあったはず。迂闊に動けない。仕方なしに計測器具を置いてほどよい岩に座り込んでいた。


 濃霧はいつ頃晴れるだろう。半日もすれば無くなるはず。グラーツの策はうまくいっただろうか。もう演習が終わり、自分がいないとわかると心配をかけるだろう。急に一人かと思うと、無性に心細くなる。


 ふと、人の話し声がする。リアリナはホッとした。グラーツじゃなくとも、兵士の誰かであるなら、本陣まで連れて行ってもらえるだろう。


 しかし、濃霧の中、視界にそれとわかる相手の出立ちはどう見ても正規の軍の物ではなかった。腰に剣を履いているものの、その格好はまるで野盗の様で。男の一人がリアリナを見つけ、値踏みする目を向ける。


「おやぁ、山ん中でえらいいい女がいるじゃないか。いい拾い物したな」


「本当だ。兵どもがうろついてる中、無理して帰ってきた甲斐あったなあ。こいつは高値で売れそうだ」


 動けないでいるリアリナに、遠慮なしに馬から降りて男たちは下品に品定めする。


「おい、こっちこい。ちっとは俺らも味見させてもらおう」


 野盗たちが近づき、リアリナはジリジリと後ずさる。ふと、その辺にあった木の枝を握って構える。


「そ、それ以上、近づかないでくださいっ!」


 震える声と枝を持つ震えた手を見て、野盗たちは嫌な笑みを浮かべる。


「威勢がいいな、大人しく来るんだ。綺麗な顔が傷つくぞ」


「来ないでっっ!」


 粗野な手がリアリナに近づいた時、後の方でうめき声が聞こえた。野盗たちは一斉に振り向く。すると、抜き身の剣に血を滴らせた馬上のグラーツが姿を表した。首を失った野盗の体が崩れ落ちた。


「その娘から離れろ。今すぐ命を終わらせるかどうか選べ」


 唸るような低い声は静かなのに響き渡る。リアリナが見たことのないグラーツの顔。


 勢いに気押されながらも、野党たちはグラーツ一人と見ると、次々と剣を抜き払う。それを見ると、グラーツは突然馬を全力で走らせ突っ込んできた。そして、


「リアリナ殿!」


 馬上から手を伸ばす。何もわからずに夢中でリアリナはその腕にしがみついた。馬を走らせながら、リアリナを馬に引き上げ、そのまま野盗たちから逃げた。


「馬に乗ったことは!?」


「ありません!」


「よし、帰ったら練習だな!!」


 後ろの方で、何やら叫ぶ声が聞こえるが、無視して走らせている。


 しばらく霧の中、馬を走らせて、グラーツは馬を止めた。


「もう引き離したかな」


 ようやくリアリナは深く息を吐いた。強く抱き抱えていたグラーツの手も緩む。


「無事だったか?すまないな、荒っぽくて」


「……いいえ、本当にありがとうございます」


「はじめての戦で立ち向かおうとしたのは上出来だ」


 一人で山中に行ったことを咎めず、またいつもの明るいグラーツの調子に戻っていた。


 リアリナは未だに枝を握っていた事に気がついた。強く握りすぎて、手が痺れている。


 程なく本陣に着くと、先にグラーツが馬から降りて、リアリナを抱えておろした。


「……怒らないんですか?」


「怒って欲しいのか?」


 グラーツは笑った。


「俺が怒らんでも、もうわかってるだろう。山で霧の中を一人は危険」


「はい……」


「少し休んでいるといい。おおよそ今日の分の演習も終わったんだ」


 すると、リアリナはハッとして、グラーツの袖を掴んだ。


「あの男たち、おそらくこの辺りに根城があるはずです!」


 と、地図を漁り始め、指で指し示す。


「確かこの辺りは岩と洞窟のような場所が点在していたはず……!」


 グラーツはリアリナの意図をくんだ。


「なるほどな。こんだけ兵士が揃ってりゃ、野盗なんざ造作もない。わかった。ついでに野盗狩りだ」


「あと……あの場所に天候観測の器具を忘れてきてしまって……」


 グラーツはハハハと笑った。


「わかったわかった。ついでに回収しとく。とりあえず、少し横になって休め、な」


 とグラーツはリアリナの手を握る。ずっと震えているのに本人も今のいままで気づいていなかった。


「はい……」


 グラーツはリアリナの頭を撫で、新たな作戦を立てに本陣の方へ向かっていった。


 自分の幕屋で布団に包まる。まだ心臓がドキドキとうるさい。野盗に襲われた恐怖と不安、初めてみるグラーツの軍人の顔。そして助けられた安心感とで、感情がぐちゃぐちゃになってるのが自分でもよくわかった。




 幕屋の外が慌ただしくなる。気がつくと眠っていたらしい。リアリナはそっと外の様子を伺った。野盗が捕まったらしい。


 人だかりが出来ている中、そっとその様子を盗み見た。


「近頃、野盗が近隣の村々を襲っていると報告があります。こいつらの仕業ですね」


 ハインツの言上に、捕らえられている野盗たち7〜8名が口々に汚い罵りの言葉をあげる。さっき見た顔ばかりだ。


「あー、はいはい。いいさ、いくらでも言ってろ。濃霧に乗じてこの山を降りなかったのがお前らの敗因だ。残念だったな」


 グラーツの言葉に、男の一人が逆上して捕縛の縄を振り切って襲いかかる。すかさず、グラーツは剣を抜き払う。男の片腕が切り落とされ、叫び声が上がった。それを見て野盗たちが静まり返る。


「だから、都へ行ってちゃんと刑罰は受けてもらうからな。首落とすのめんどくさいから、とりあえず大人しくしててくれよ」


 口調こそ、いつも通りのグラーツだ。たった今腕を切り落とした後とは思えないほど自然な口調だ。リアリナは、そっと幕屋に戻り、毛布を頭から被った。


 そういえば、濃霧の中助けられた時も、グラーツは野盗を刺し殺していた。


 野盗の首がはねられるなんて、よく聞く話だ。しかし、実際に人が斬られる場面を見て、リアリナは自分が震えていることに気がついた。グラーツは普段は明るく、時々ふざけているように軽やかで。その人が人をこともなげに殺めている様子を見て、リアリナは混乱しているのを自覚した。


 少しして、幕屋の外から声がかかる。


「リアリナ殿?起きているか?」


「……は、はい」


「入ってもいいか?」


「はい」


 グラーツが幕屋に入ってくる。リアリナは慌てて起き上がった。どんな顔をして会えばいいんだろう。


「リアリナの言う通り、洞窟の中が寝ぐらだった。一網打尽で捕まえられたよ、ありがとう。で、これ」


 と、グラーツがリアリナの置き忘れていた計測器具を渡す。


「大丈夫か?壊れていないといいんだが」


 リアリナは受け取り、中を改める。手が、震える。


「大丈夫、だと思います」


「リアリナ殿こそ大丈夫か?顔色が悪いぞ」


 と、グラーツがリアリナの顔を心配そうに覗き込む。いつもの、優しい声色。いつも以上に笑えない自分が不甲斐なく思った。リアリナは顔をふせ、首を横に降った。


「無理せんでいい。陣を引き払うまで、もう少し横になっているんだな」


 また優しく頭を撫で、去って行った。


 頭を撫でる手の温もりは暖かく、ずっとその感触がリアリナに残っていた。自分の知らない世界が世には相当あるのだと痛感する。さまざまな感情のごちゃまぜに苛まれ、リアリナの参加した軍事演習が幕を閉じたのだった。

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