第9話 軍事演習−2
そして演習の日が来た。
天文局のレーゲンが転倒により足首を捻挫して歩けなくなったと、リアリナが聞いたのは、演習に行く前日のことだった。
「で、こうなるわけか」
神妙な面持ちでグラーツが幕屋に座り、リアリナもいる。彼女見たさに、隊長やら兵士やらが詰めかけ、大混雑だった。
「いいから軍議に必要ない奴は出てけ!叩っ切るぞ!!」
グラーツの一喝で野次馬たちは渋々ひきさがり、秩序が取り戻された。リアリナを交えた軍議が始まる。
「リアリナ殿」
軍議が終わり、幕屋を出るとグラーツに呼び止められた。
「紹介する。俺の副官のハインツだ」
笑顔が優しい細身の青年である。兵士の荒々しい感じはなく、優美な貴族のような佇まいだ。
「ここでは、できる限りハインツか俺の側を離れないでくれ。アホな男がリアリナ殿に馬鹿な真似したら困る」
「さ、どうぞ。リアリナ様の幕屋へご案内します」
ハインツが荷物を持ち案内する。草が刈られた平野に幕屋が立ち並ぶ。ハインツは物腰の柔らかい人だった。男の人だと、弱々しい老人か子供以外はどうしても身構えてしまうのだが、このハインツは何だか安心できる。
「隊長は貴女が心配なんですよ。男だらけの中、妙齢の美しい女性がたった1人で、何かあってはならないと」
ハインツは建てられた幕屋の一つの入り口をあけ、荷物を置いた。
「どうぞ、こちらです。隣はグラーツ隊長なので、まぁよほどの命知らずじゃなきゃ忍んできたりはしないと思いますが。どうぞお気をつけて」
「は、はい」
機材の荷解きをする。リアリナは自分でも驚いていた。足を挫いたレーゲンに、代わりに行きますと言ったのは自分だったから。何より、ワクワクとした期待の方が高まっていた。
ハインツともう1人兵士がお供をしてくれる中、リアリナは気候を計測し始める。水銀計で気圧を測り、風速を記録する。過去の記録も参考にしつつ、本部へ報告した。それを元に、グラーツを始めとした隊長以上の軍人たちは何やら会議をしている様だった。
夜更け、もう寝てもおかしくない時間だが、辺りは騒がしい。酒盛りをしているのだろうか。笑い声が聞こえてくる。
寝付けなかったリアリナはそっと幕屋の外へ顔を出す。少し冷たいが、心地よい夜風が顔を撫でる。すぐそばの焚き火に、グラーツが1人いるのを見て近づいた。グラーツもすぐリアリナに気がつく。
「眠れないか?すまんな、リアリナ殿が来るとわかっていたら、ベッドでも用意しておくんだった」
リアリナはグラーツの隣に腰掛けた。
「いえ、十分です。でも、あの皆さんよろしいんですか?お酒……」
「ああ、これか。演習だから緊張感がない、と思うだろ?」
「違うんですか?」
曰く、演習は実戦を想定している。夜襲がかかる時もあるし、当然酒を飲んでいる次の日の早朝から動かねばならない時もある。なので、あえて実戦に近い形で過ごしているという。
「ま、流石に酔っ払うほど飲むわけにはいかんがな」
と、グラーツも杯を煽った。火にかけたヤカンがカタカタ震える。
「おっと、沸いたか」
グラーツはカップにお茶を注ぐと、リアリナに渡した。
「ホットミルクとかの方がよかったか?」
「子供じゃないんですから……ありがとうございます」
少しずつ口をつける。冷えた風に当たった体が芯から温まる。
「そう言えば、グラーツ様は小隊長と伺ってましたけど、軍議に参加なさるんですね」
「普通は下っ端は参加しないよなぁ。まぁ自慢でもないんだが、俺は別格でね」
グラーツは都に戻ってくる前までは軍団長だった。東方の国境沿いの紛争に対処していたという。敵国と何とか交渉は上手く行った。だが、その地方を治める領主と意見が合わず、グラーツの交渉をいつも妨害してきた。最後、腹いせに不正に蓄財していた金をこっそりと被災した住民たちに配ったら、有る事無い事を都に報告されて小隊長まで降格されたと言う。
「まぁ、昔は……兵学校出立てなんてもっと酷いヘマやったりもしてたからな。降格なんてまだマシな方さ」
と笑い飛ばす。軍団長なら、軍議に参加するものである。降格されても顔を出すもんだから、周りも何も言わなくなったと言う。
風が出てきた。グラーツはリアリナの頭に手をポンとやると、
「さ、もう寝とくんだな。明日も早いぞ」
「そうでした」
「何かあったらすぐに俺を呼べ。大声を出しても隣だから聞こえるからな」
「はい。ありがとうございます。おやすみなさい、グラーツ様」
「ああ、おやすみ」
リアリナが幕屋に入ると、グラーツは焚き火を前にして深く嘆息した。なかなかどうして、氷姫も随分と人慣れしてきたもんだ。まさか演習に着いてくるとは。知的好奇心の前には引きこもりも引っ込むと見える。後は無事に演習が終わることを祈るばかりだった。
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