アンデルセンはヤバい奴

山田とり

深海のミウ


 沈む大きな月を背にして、深海ミウが欄干の上に立っている。五条大橋の牛若丸以外でそんなことをする奴がいるとは思わなかった。

 そんな奴が自分の彼女だということが、僕の人生最大の誤算かもしれない。


 白々しらじらと明けめる空。

 月は西に、日は東に。

 夜中にレンタカーを走らせて故郷まで駆けつけてみればこれだ。ミウは昂然と頭を上げて、昇ろうとする朝日をめつけた。


 ああ知ってるよ。その強さ。

 だから僕はおまえに惚れたんだ。




「人魚姫ってヤバくない?」


 小さな町の児童館で本を読みながら幼なじみのミウが言ったのは、もう十五年も前。


「これストーカーだよ。それで、さつ人みすい? 人魚姫は犯人だから死けいになったんでしょ」


 種族を超えて押し掛け女房になろうとする人魚姫は確かにヤバいが、童話の絵本をそんな風に読む六歳児のおまえの方が遥かにヤバい。

 でもその頭の回るところ。天邪鬼なところ。物事を斜めに見るところ。全部僕のツボだった。そんな僕はけっこうヤバい。


 頓狂なミウは町で有名な問題児だった。それを面白がって可愛がる彼女の叔父さんも相当ヤバい。

 でもやっぱり、その叔父さんが初恋の、ミウのヤバさには敵わない。


 大学生の僕達より十幾つ歳上の叔父さんの、今日はやっと結婚式だ。都会から移住してきた若い女性と、なんやかやで結ばれたそうだ。おめでとう。


 式に出席するために昨日町に戻ったはずなのに、ミウと連絡がとれなくなった。スマホの電源が落ちているのかなんなのか。仕方ないからミウの実家に電話してみると、


「車で明日送ってくれるんだって? ありがとねえ」


と呑気に言われた。マジか。あいつどこ行った。

 適当に相槌を打って誤魔化して、僕は急いで飛び出したんだ。




「やっと来たのね」


 僕を見下ろすミウが言う。古びた石の欄干に立って偉そうにする女ってどうよ。でもそんな奴を追っちゃうのが僕で。


「遅めだったけど、まあ許してあげる。危うく川に落ちて泡と消えるところだった」

「泡になるのは海だろう?」

「だってこの町、海ないし」


 ここは町の子どもらの遊び場だ。度胸試しで川に飛び込む、定番のあれ。ここから格好よく飛び込んでみせた叔父さんの話、聞かされたよなあ。

 でも叔父さんとの他の思い出スポットも探しまくってから来たんでね。遅いと言われても、おまえと叔父さんゆかりの場所が多いのが悪いんだ。


「私が飛び込みを見た時の叔父さんて、今の私達ぐらいの歳だったはずなの。子どもに混じって、ただのヤバい人じゃない?」

「今さら?」


 お転婆な姪っ子を増長させてた叔父さんのヤバさなんて一目瞭然。超のつく自由人。

 だから僕は不思議だった。なんでミウは僕と付き合ってるのか。僕は堅実な男だと思うんだ。


 高校までは一緒に通った。大学は別だけど同じ街にあったから独り暮らししてもご近所だった。しょっちゅう僕の家に押しかけて来ては無駄話をしてご飯を食べて。

 そのうちイロイロ致したのは、ミウの方から。拒みはしないけどね。ミウは僕のツボなんだから。

 これ初恋を実らせたことになるのかなあ。すっげえ情けない感じだけどさ。


 なあミウ。

 おまえは僕の誤算だけど、僕は結局おまえを選ぶよ。

 僕の家でゴロゴロしたり、テーブルに突っ伏してクダ巻いたり、挙げ句に人の襟元つかんで唇奪ったりする奴だけど、ミウみたいに鮮烈な女、見たことないよ。

 飛んでく心をもて余して世間に苛々して、その内本当に泡になって深い海の底に消えていくんじゃないかと深海ミウを抱きしめてると不安になるよ。


 人魚姫だけじゃない。死んでやっと救われる話をアンデルセンはたくさん書いてるけど、ミウには生きて救われてほしいんだ。

 ミウを泡にはさせない。


 欄干の上に向かって差し出した僕の手をミウは取らなかった。じゃあ仕方ない。

 僕はミウの隣の石の上に登って立った。欄干の上で見つめ合う僕ら。半端なくヤバい二人だろ。


 だけどさ、ミウが魔法にかかってるなら解かなくちゃ。それで新しい魔法をかけるんだ。僕が一番格好よく見える魔法。


「三、二、一」


 数えて僕は、飛び込んだ。




 ザバアッと僕は岸に上がった。夜明けの川で着衣水泳なんてやるもんじゃない。こっちが泡と消えそうだ。

 水を絞っていると道路からミウが下りてきた。駆けつけるでもなく悠々と。

 薄情なもんだと思ったら、僕の襟元をグイとつかんでキスをする。深く深く、絡めるキス。脚で僕の膝を割って腿を押しつけてくる。こら、やめろ。


「格好よかったよ」


 僕を放したミウは、自分もすっかり濡れていた。


「私、昔を懐かしんで来ただけなのに。初恋なんかとうに忘れたし」


 それは嘘か本当か。

 でも真っ直ぐなその強い瞳――そうだね、今のミウは、僕しか見てない。

 ミウは晴々として笑った。


「ありがとう。あんたは初恋を捨てないでいてくれて」


 もう泡にはならないミウに、僕はキスした。


 一番ヤバいのは、きっと僕。







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アンデルセンはヤバい奴 山田とり @yamadatori

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