入国のち怒り


「身分証を提示して下さい

それと、入国の目的は?」


壁の空いた隙間から

入国の理由を尋ねる門番

その目はギラついている


嘘を見抜く人間の目だ

この仕事を長いこと

続けているのだろう


嘘は通じない

さすがは大国と言ったところか


「仕事関係

詳しくは身分証見て」


ぶっきらぼうにそう答えたのは

ボクではなくアルヴィナだった。


彼はボクの背中で

一晩中眠り続けたおかげで

すっかり調子を取り戻していた。


「——これは」


門番の人間は

提示された身分証を見て

ハッと驚いた顔をした。


アルヴィナには身分がある

吸血殺しは役職が高いのだ

ある程度の無茶が効く


入国ぐらいなら

顔パスで通れると言う


だから問題は


「……分かりました

では隣の女性は?」


そう


問題はボクの方だ


正式な身分証を所有してはいるが

あまり質問を突っ込んでされると

ボロが出る可能性がある。


身分証があるとはいえ

こんなのあくまで形だけで

実態は、ほとんど無いのだ。


どこで暮らしていたとか

なんの目的があってとか


親族はとか

そういう質問をされるだけで

途端に立場が危うくなる


特に


今は吸血種に対する

警戒網が貼られている


だからボクは

彼の連れということで

国に入る計画だったのだが


「極秘」


二文字


たったの二文字


確かに

`入国は任せてくれ`

と事前に言われてはいたけれど


流石にこれは


「——」


ボクはあまりの衝撃に

隣に居る彼の顔を盗み見た


綺麗な顔だ

綺麗な真顔


`これで納得してくれ`

と言わんばかりの顔だった。


力押しすぎないか

と思ったりもしたが


「……分かりました

我が国へようこそ」


なんと


入国はすんなり出来た

出来てしまった。


コツコツと

靴の踵が床を叩き

長い門を歩いていく


足音は2つ

この短いトンネルに響いている


ボクはイマイチ信じられなくて

入国審査を抜けた後もしばらく

振り返って背後を見ていた。


人間ってやつは

あんな風に大雑把な感じで

何とかなるモノだったろうか?


確かに

身分があるかもしれない


けど、だからと言って

あんなたった二文字で

片付けられる話だろうか?


ボクがあの門番なら

絶対に納得しないが


「——彼は関わりたくないんだ」


そんなボクの内心を

読み切ったようなタイミングで

アルヴィナがそう言った


「僕らの活動内容は

得体がしれない


吸血種なんてバケモノと

戦うための部隊なんだから


そんな怪しさ満点僕が

極秘とまで言うモノに

誰が進んで首を突っ込む


それに


彼はベテランの門番だけど

仕事に誇りを持ってる訳じゃない

お金が欲しいだけだ


生きるために」


「もし問題が起きたなら?」


「上が揉み消す

彼の責任が追求される事は無い


吸血殺しの連中は

力を持ってる


活発に暴れてくれる

誰かさん達のおかげでね


だからさっきの門番は

余計な事に関わりたくなかったんだ」


「……なるほど」


そうか


そうだった


うっかり失念していた

人間の社会の仕組みについて


やっぱり長いこと

一人旅を続けていた弊害が

こういう所に出てくるね


元々が違う生き物で

違う考え方なんだから


どれだけ過去に

人の中で暮らしていたからって


人間の考え方を完璧に理解して

実践出来るわけでは無いのだ。


ボクらは万能じゃない

期間が空けば空くほど

感覚も忘れていく


「あなたの生き方とは

縁が遠い話だろう」


「そうだねぇ


責任は常に自分が負う

庇ってくれる誰かもいない


そんなボクじゃ

出ない発想だったよ


てっきり無能なのかと思った」


そう言うと彼は

フッと自嘲気味に笑い


「無能なくらいが生きやすいんだ

人間の世界は、実に肩身が狭い


それが分かってない奴は

早々に破滅する


だから

彼は頭が良い人間だよ

部を弁えていると言って良い


ひとりの人間が

守れる範囲を知っている」


そう言った彼の姿はどこか

後ろ向きな印象を受けて


これまで見てきたアルヴィナの

どの姿とも似つかわしくなくて


だから


その自嘲気味な笑みの裏側に

潜んでいる何かが気になって

つい、聞いてみたくなったんだ。


「キミはどうなんだ

極めて優秀な部類だろう

生きにくくはないのかい?」


そう聞いた直後

薄暗かった空間が

いきなり光の世界に変わった


そうか、門を抜けたのか

無事入国を果たしたらしい


でもボクは


街並みに目が行くよりも先に

さっきの問の答えが知りたくて

彼の顔の方を見上げていた。


アルヴィナはこう答えた


「全然、まったく

これっぽっちも」


それは

彼のまっすぐな嘘だった


一点の曇りもない

正々堂々とした大嘘


アルヴィナの顔に

先程見た影は


もうどこにも

かかっていなかった。


「……そう」


「そうだ」


会話はそこで終わった

宿に到着するまでの間


ボクらは、それから

ひと言も話さないのだった。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


美しく清潔な部屋

内装は豪華で実用的


適度に広い部屋


「いい部屋だ」


人間社会に疎いボクでも

これが良い部屋である事は分かる


美しい物と

そうでない物の差は

これでも分かるつもりだ


こう言っちゃ悪いが

かつてリニャに提供された


結局一度も利用しなかった

あの部屋とは比べ物にならない


それはいい

そこをとやかくと

言うつもりは無いんだ


ただ


ベッドが、ふたつ

衣装棚も、ふたつ

それが意味する所はつまり


「同じ部屋とはねぇ」


宿に着くなり彼が

受付の人に向かって


`部屋ひとつ`

と言った時は驚いた


「合理的でしょ?」


「そうだね」


ここまできて

ボクが裏切る可能性を恐れ

距離を取るなんて無意味だ


この方が

意思疎通も取りやすいし

纏まった方が動きやすい


それに

アルヴィナにとっても

ボクから目を離すより


ずっと近くに居て

監視していた方が良いはずだ


ボクだって


この国では出来るだけ

彼の近くに居た方が安全だ


両者に得がある

異論を挟む余地は無い


合理的、合理的だ

感情を排除した考え方

その思考回路は、やはり


種族の違い

環境の違いから来る

価値観の差はあれども


ボクと似ている。


ただ


気になることはある

それはボクではなく


彼の方から

この状況を作ったからこそ

浮かんできた疑問なのだが


「キミは男だろう

そしてボクは女だ


そこについては

どう考えているのかな?」


自分と相手の性別の差など

さして気にしたことは無かったが


あまりにも

向こうが無頓着なので

少しだけ気になったのだ


すると


「……性別とか気にするの」


微妙に噛み合っていない答えが

アルヴィナから返ってきた。


質問をしたのはボクの方だ

そっちに答えて欲しいんだけど


ボクが、ではなく

キミが、の話をしているのだから


そんな不満を

心に飼っていると


「あ、怒った」


どうやら

顔が怒っていたらしい


珍しいものを見た

という顔を向けられた


そして自分でも

怒ることが珍しいと思った


「……」


自分の顔を触ってみる


なるほど

不機嫌な時の口角は

こんな風になるのか


「負けず嫌い」


なるほど

行動の裏を読まれて

言い当てられるのは


こういう気持ちになるのか

とても、とてもよく分かった。


彼の言う通り

ボクが自分の顔を

触ったのは負けず嫌いからだ


怒った時の顔とやらを

自分より他人の方が


把握しているのが

少し気に入らなかったのだ

だから理解しようとしたんだ。


……なるほどね


「なら、ボクもひとつ

お返しをしようじゃないか」


「要らない」


「さっき性別の話をしたね

意図的に話を逸らしたろう


わざと怒らせて

そっちに話を持っていった

通りたくない道を避けるように」


「……性悪」


「つまり意識していると」


「性別が違うものは違う

それだけのことだ」


「それを踏まえた上で聞くけれど

……本当に、同じ部屋で、良いのかい?」


顔を傾けながら

ゆっくりと嬲るように

ボクはそう言ってやった


「——」


「それがキミの怒った顔か」


「余計なことを覚えて……」


教えたのはキミだ

意趣返しというやり口を

ボクに与えたのは、キミだ


これはいい

今後とも利用していこう


揺さぶるのに最適だ

なにより気分が良い


「とりあえずボクは

お湯でも浴びてくるよ」


「僕は情報収集に行く」


「ああそう」


アルヴィナは

川を流れる水のように


留まることなく

部屋から出て行ってしまった


それは一瞬のことで

非常に洗練されていた。


「都合が悪いから逃げたな」


なんとも

分かりやすい事だ

これでこそ人間だね。


「……さて、と」


ボクも


ボクのやるべきことを

するとしようか——。

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