人間と吸血種の戦争


丘を越えた先で

ボクらが見たものは


吸血種の女が


地面から

黒い異形の怪物を

生み出している光景だった。


「——飲み込め」


吸血種の女が呟くと

その異形のバケモノは


暗くおぞましく

殺意に満ち溢れた眼で

人間の軍勢を睨み付ける。


そんなのが四体

続いてその場に生み出され

それぞれが人間の軍勢に突撃していった。


悲鳴は上がらない

彼らは勇敢にも武器を構え

迎え撃とうとする


よく訓練された兵士たちだ

あんなものを見て戦意を失わない

並の精神力ではないだろう


しかし


そのバケモノは大口を開けて

容赦なく人間達を飲み込んでいき

通り過ぎた後には、何も残らなかった。


血も肉も骨も

命の残り香も何も


凄惨だった

死体すら残らない

彼らは取り込まれてしまったのだ。


さっきまで生きていた彼らは

吸血種の血に飲まれ溶かされ

存在を消失させられたのだ。


今度こそ

恐怖の叫び声が

人間達の間から上がった。


吸血種の女は

間髪入れず追撃の構えを取る

遠距離から殲滅する気のようだ


彼女は地面に足を突き刺した

傍目にはその行動は不可解に映るが


同じ吸血種であるボクには

彼女のその行動の意味が分かる


血だ


血が地面に浸透している

ボクが霧の国で使ったみたいに

地面そのものを侵食している。


あと数秒もしないうちに

攻撃は発動するだろう


広範囲攻撃


地面から無数に突き出す血の槍

彼女の行動が引き起こす結果だ


だが


そこで彼女は

とある異変に気が付いた


視線の先に

有り得ないものを見た


バケモノに飲み込まれた後も

形を保っている人間が数人いたのだ


そんな馬鹿な!


吸血種な女の顔が

明らかに動揺に歪んだ。


運が良かったのか?

見逃されたのか?


いいや、違う


ボクはあの現象を

前に見て知っている


あれはそう

血の力に対する耐性を

防具により得た結果だ。


彼女は動揺したせいで

行動にタイムラグが生じた


全体から見れば


それはほんの僅かなモノで

誤差として切り捨てられる程の

小さな小さな綻びだった。


だが生死を賭けた戦いでは

その一瞬が勝負を分かつのだ。


異形の怪物に飲み込まれながらも

しかとこの世にあり続けた人間達は


まるで示し合わせたかのように

それぞれが、短剣を投げ打った。


合計七本が

確実に当たる軌道を描いて

一直線に飛んでいく


「チィ!」


悪態


吸血種の判断は早かった

彼女はすぐさま攻撃を中断

短剣を避ける事にシフトした。


結果


短剣はかすりもせず

遥か彼方へ消えて行った。


しかし

それだけでは終わらなかった

避けて終了では無かったのだ。


「なんだ——!?」


突然


吸血種の女が

地面に膝を着いて倒れた


なんだ!?

何が起きた!?


ボクは彼女の中の

激しい動揺を見た


どこにも傷を負っていない

そもそも負傷したとしても


一秒と経たずに

修復されるのだから


膝を着くなど有り得ない!

私はいったい何をされたのだ!


彼女の心が


大きく乱れるのを

ボクはハッキリ捉えた。



——そして当事者でないボクは

彼女が膝を着いた理由が分かった


短剣を投げた人間達

彼らに目を取られて

気が付かない所だったが


彼らの後方で人間がひとり

地面に何か`筒のようなモノ`を


突き刺しているのを

ボクは見逃さなかった。


原理は不明だが

思い当たる理由はひとつ


考えたくない可能性だが

それ以外に思い浮かばない。


——彼女は


血の力に干渉されたのではないか

地面に浸透していた血を辿って


何らかの作用が

本体に届いたのではないか?


ボクはそう睨んでいた




当の本人である

吸血種の女は


状況が把握出来ず

軽いパニックに陥った

おかげで復帰が少し遅れた


そのせいで

人間の軍勢の中から

新たに三人の生き残りが飛び出し


先程と同じように


短剣を投げたその瞬間を

彼女は見逃してしまった。


飛来したのは五本

先程よりも速度が出ている


とはいえ


本来であれば

いずれも驚異ではなく

避けられるはずのものだ


が、


一手遅れている彼女では

全てを捌き切る事は出来なかった


「ぐ……っ!」


短剣の一本が

脇腹を浅く切り裂いた


それでも直撃は避けている

薄皮一枚を傷付けられた程度


さすがは吸血種と言うべきか

あそこから直撃を防ぐなど

生き物に出来る真似では無い


並外れていると

評価せざるを得ない


「貴様ら……ッ!」


怒りが滲む

憎悪が溢れ出す

傷を負った事に対して


火山の火口のような

激しい怒りが噴き出し

人間達はそれを一身に浴びた。


彼らは未だに

吸血種の彼女が生んだ

異形の怪物に襲われて居たが


今の


激しい殺気により

何人かの動きが停止した


本能を脅かされたのだ

そのせいで犠牲者が出た。


それは


血の力を生き延びた

あの人間達についても

決して例外ではなかった。


完全停止には至らずとも

動きが鈍ったのは確かだ

彼女は無理やり隙を作り出したのだ。


対応を遅らされたのなら

相手の足を引っ張るのみ


中々に良い判断をするな

長い時代を生き残ってきた

吸血種なだけはある。


彼女は

生まれた僅かな隙を使い

再び地面に足を突き刺した。


さっきの攻撃の続きを

やるつもりなのだろう


確かに幾人かには

血の力が通用しないかもしれない

だが、それ以外の大勢の人間には


効くのだから

全く無意味でもない


それにさっきの時点で

攻撃に必要な準備は

全て終えているのだ


使うだけ得

というものだ。


「墜ちるがいい……!」


力が働き


地面の下に準備していた

彼女の攻撃が発動し——


「——な、に?」


何も


起こらなかった


攻撃は発動しなかったのだ

誰も死ぬ事はなかったのだ


無数に飛び出すはずだった

血の槍も、串刺しにされて絶命する

哀れな人間の兵士たちも、何ひとつ


何ひとつとして

現実にはならなかったのだ。



「な、なんだ……!?


何故、何が、何が起きた——!?」


狼狽えるのも無理は無い

アレが起きたらきっとボクでも

冷静では居られなかったろうから


だって、なぜなら

彼女の身に起きた事は


要するに


自分自身に裏切られたのと

同じことなのだから——!


「今だ!」

「続け!」


人間達が勢いづく

見るからに弱っている

動揺している目の前の敵に


勝算が見えたのだろう

希望の光を見出したのだ


殺戮の限りを尽くす

血のバケモノを


振り切る人間が

何人か出てきた


装備のおかげか

身体能力の賜物か


追いすがる怪物を引き離し

人間の軍勢が突撃してくる


士気は回復していた

絶望に塗りつぶされそうになった

人間達の戦う意思は再び燃え上がった。


一方で


吸血種の女は


「なんだ、傷が……治らない……?」


先程


脇腹に負った

ほんの僅かな切り傷が

治癒しないことに気が付いた。


「効いているぞ!

治癒力が阻害された!


吸血種に効いたのだ!」


それを見て人間たちは

さらに勢いを付けた!


「うおおおおーー!!」


雄叫び!

勝利に向かう雄叫び!


未来への咆哮!


勝てる、勝てるぞ

このまま行けば勝てるぞ!


そんな希望が

彼らの頭上では

サンサンと輝いていた


……だが


吸血種という生き物は

そんな事では折れない


「——だ、なん、なんだ


なんだ、貴様ら、いったい

私に何をしたァーーーーッ!!」


彼女は叫んだ


まるで恐怖を振り払うように

無理やりに戦意を取り戻すように


周囲の空気がビリつく

凄まじい殺気が振りまかれる


しかし人間達は学習する

今度はもう怯まなかった

彼女の殺意を正面から受け止めた。


「アアアアアアアアッ!!」


吸血種の女は

雄叫びを上げながら

踵を天高く振り上げた


そして

斜めに角度を付けながら

思いっきり地面に振り下ろした!


衝撃と同時に


途端


地揺れが発生した

そして事態は深刻に変化する


——立ってられない


人間たちは

発生した地揺れで

平衡感覚を失った


まっすぐ立っていられない

フラフラと足元がふらつき

構える所ではなくなってしまった。


人間は焦る


そして誰かが言った

とても大きな声で


「た、建て直——」


しかしその声は

最後まで続かなかった。


それも仕方の無いことだ

だって何故ならその人間にはもう


「ヒッ——」


悲鳴は

掻き消された


「ぐぁ——」


断末魔は

血の海に沈んだ


真っ赤な暴風が吹き荒れる

ソレが通った後には死が残る


彼らの目には

捉えることが出来ない


故にただの風でしかない

そしてその風に吹かれた後には


ただ


首から上がない自分を

宙に舞いながら目撃するだけだ


ゴウッ


命を連れていく

死の血風が吹き荒れる

あの世に、沢山連れていく。


血が舞う

人が死ぬ


首が飛ぶ

人が死ぬ


「——う」


ついに


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!?!?!?」


戦線は完全に崩壊した。



如何に


血の力を封じられようと

治癒力が阻害されようと


それだけでは

決して埋められない程の

圧倒的な性能差があるのだ


人間に


彼女の動きは見えない

反応することすら叶わない


吸血種最大の武器は

血の力では無いのだ


爪だ


爪なのだ


真骨頂は爪の切れ味を活かした

超高速肉弾戦闘にあるのだから。


ではなぜ彼女が

今の今までそれを

しなかったかと言うと


それは恐れがあったからだ


「もはや封印を、貴様らの

おかしな技術力も知らぬ!


一切合切全て!

この手で鏖殺してくれるわ!」


そう


人間の持つ

吸血狩りの備えを

彼女は恐れたのだ


それ故に

不利を背負うのならば

後手に回ってしまうのなら


そんなものは

いっそ無視してしまおうと

彼女はそう考えたのだろう


戦いは


既に戦いではなくなっている

アレはただの一方的な殺戮だ。


異形の怪物に襲われながら

形を保ち、生き残ったあの

勇敢な人間たちは


なりふり構わず

突撃してきた彼女の手により


なんの抵抗もする間もなく

物言わぬ肉塊に変えられた。


人間達は何も出来ない

逃げることはもちろん


戦うことも

叫ぶことも


絶望に膝を折り

打ちひしがれることも


そんな暇は無い

そんな猶予は残されていない


ものの数秒で

数百の死体が積み上がる

軍隊が軍隊でなくなっていく。



そこは


地獄だった……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱




「——愚か者どもが」


隣で


そんな軽蔑と嫌悪に満ちた

煮えたぎる憎悪の声が聞こえた


彼の言葉は

人間の軍勢に向けて

放たれたものだった。



それはボクも同意見だった

彼らは、あまりにも愚かだ


あの人間たちは言った


`勝てる`と

希望に満ちた顔で

彼らはそう言ったのだ


違う


吸血種との戦争は

そんな輝かしい顔で

勝利出来るものじゃないんだ。


吸血種と吸血種が

戦うのとは訳が違うのだ


我々が同族で戦うことを

広大な川を飛び越えるモノとするなら


人間が吸血種を打ち倒す戦いは

仲間の死体で川を埋め立てて

その上を踏みつけ対岸に渡るモノなのだ。


勝つとか負けるとか

そういう次元の話では

全くもって無いのだ。


おびただしい犠牲の上に

かろうじて成り立つ勝利


よろずを超える屍を積み重ねて

その頂上にて旗を掲げる行為


それのどこが

勝利だと言うんだ


彼らは履き違えている

軍勢の規模も足りていない

練度もまるで成っていない


優秀なのは装備と

ほんの一部の兵士だけ


全体としての完成度は

ゴミ以下に等しいだろう


「酷い戦いだ」


吸血殺しの彼は


服を食い破り

肉を抉りこむ程の力で

己の膝に爪を立てている


血が滲む

滴り落ちる


無理もない

あの作戦を立てた指揮官は

紛れもなく無能なのだから


部下を死なせる作戦だ

吸血種の脅威度を

まるで理解していない。


ひょっとしたら彼も

こんな風に無謀な戦いに駆り出され

そして敗北したのかもしれないな。


「助けに行くかい?」


ボクは彼に聞いてみる

返答はすぐに返ってきた


「……他国の、軍勢に、加勢は、出来ない

あなたと居るのを、見られるのも、マズイ


仮に助けたとしても

情報保護の観点から


生かしてはおけない

だから、それは必要ない


分析の方が

最優先事項」


不自然に

区切られた喋り方からは

彼の内心が伺い知れる


ひと言、ひと言が


何かを我慢するように

無理やり抑えつけるみたいに


とても痛々しくて

隠しきれてなくて


それでも隠そうとしていて


この吸血殺しの男が

これ程までに乱れるとは

相当、堪えているのだろうな


ボクは


何を思ったか


「——っ」


そんな彼の震える手に

そっと自分の手を重ねてやった


「……余計」


「知ったことじゃないね」


「吸血種のくせに」


いつしか震えは止まり

彼の声はいつもの調子に

戻ってきていた。


さすがに

立ち直るのも早いな

そうでもなければ吸血殺しなど


やっていられる

はずもないか


「離せ」


「喜んで」


パッと

覆っていた手を離す

もう必要なさそうだからね


「どうなの」


吸血殺しはボクに問う

言葉足らずだが、伝わる


逃げ惑う兵士たちの背中を

無慈悲に切り裂いて回るアレに


果たしておまえは

そして自分は勝てるか?


彼はそう尋ねたのだ

無論、答えは決まっている。



ボクは彼の目を

真っ直ぐ見つめ返して


こう言った。



「——あくびがでる」

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