第13話 国王の破滅

 暗い海の底に誘うような冷たい目を王に向けたリュドヴィックは、口元だけを持ち上げ笑顔の真似事をした。

「私は陛下の無関心に感謝していますよ。そのおかげでコハリィを手に入れ、この国を去ることができますから。それに気が触れた振りをしたのは、王妃や弟の愚かな行為の相手をするのが面倒だっただけではありません。純粋に王太子になりたくなかったのです。いや、貴方の駒になりたくなかった、という方が正しいですね。貴方にとって我々は、ただのチェスの駒の一つに過ぎない。だから、私が役に立たない人間だと分かれば、すぐに切り捨てるのは明らかだ。簡単なことで助かりましたよ」


 王は自分がリュドヴィックとフェリクスを息子と呼ばないことも、リュドヴィックが自分を父と呼ばないことも気づいていない。血の繋がった子供でさえ家族としてではなく、自分の駒としてしか扱っていないことにもまだ気が付けない。


「何を言っているのだ? お前がまともな状態であるのなら、お前の方が優秀なのだから、お前が王太子だ。これ以上混乱が長引けば、私の政治力が問題視されてしまう。オルリアン国との関係もきな臭くなってきたから、対策として別の国の王女を婚約者に据えなければ。今の何の役にも立たない地味な娘が婚約者では意味がない」


 オルリアン国から自国を守ってくれる花嫁候補の選考で頭が一杯となった王は、リュドヴィックが敵意と殺意を剥き出しにして不穏な空気を放っているのに気が付けない。


「ココを冒瀆する者は、絶対に許さない」

 穏やかな王子、まどろみ王子という作られたリュドヴィックしか知らない王には、想像すらできない毒々しい声だった。


「私は貴方の駒にはならない! 自分の評価を上げるために、人に頼ることしかできないとは、あまりにも無能。しかも既に王位継承権を放棄し王族も抜け、この国の人間でもない私に頼るなんて、愚かにも程がある!」


 リュドヴィックの言葉に、王が目を見開く。

 勝手に王位継承を放棄して王族を抜ける? この国の人間ではない? 自分の知らぬ間にそんなことができる訳がないと、王は怒りをぶつけようと立ち上がったが……。

 ハッとして宰相であるポワティエ公爵を見る。

 いつもは無表情でため息しかつかない宰相が、満面の笑みで王の視線を待っていた。


「私は常々、陛下に申し上げ続けて参りましたよ? 自分の利益が絡む案件だけでなく、全てに目を向けて欲しいと。しかし陛下は家族や国民だけではなく、国や執務にも無関心でしたからね。興味のない書類は読まずにサインをするだけでしたね?」

 そう言った宰相は、ある書類を王に向けて掲げた。

「む、無効だ。その書類は間違いだ。無効とする。王の権限で無効とする!」


 激しく取り乱し大声を上げる王の前に、今まで微動だにしなかった老人が歩み寄る。

「それは無理な話だ」

 王より背の高い老人は、宰相の持っていた書類を王の目の前に突き出した。嫌でも目に入るそれを見た王は、床に崩れ落ちた。


 書類にはアルトワ国の王位継承権を放棄し王族を抜けたリュドヴィックが、オルリアン国の前国王であるレアンドル・オルリアンの後見を受けてオルリアン国で伯爵位を授けられる旨が書かれていた。

 そこには、オルリアン国国王のサインと並んでアルトワ国国王である自分のサインが昨日の日付で並んでいる。

 もはや自分の権限でどうにかできる状況ではない事実を、突きつけられたのだ……。

 しかも、突きつけてきた相手が悪い。王ごときがどう足掻いても、元より叶う相手ではない。その上、王は相手の逆鱗に触れている。


「私もお前に落とし前をつけてもらう必要があるな?」

 老人が夜の色の瞳に憎悪を灯した。

 不安を誘う老人の低い声に、王は恐怖のあまりびくりと顔を上げた。


「お前と同じで、私もお前の命は不要だよ。お前ごときの命では、フィリーネの死を償うことはできない。手始めに、オルリアン国と隣接しているポワティエ公爵領をもらおう。もちろん土地だけではなく、領民もポワティエ家も一緒にな」

 有無を言わせない態度で王を威圧するレアンドル・オルリアンは、まるで真っ黒な闇を率いた死神のように見えた。


 ポワティエ領を奪われるのは、アルトワ国にとって死活問題だ。

 ポワティエ家は農業が盛んな上に研究熱心で、土地に合った品種改良や新たな品種の開発する能力が突出していて一歩どころか百歩先を行っている。そのために毎年のように領地を増やしており、作物を納める量と税金の額は他の領地とは比べようもなく抜きん出ているからだ。


 怒りでギラギラと光る恐ろしい目をしたポワティエ公爵が、レアンドル翁の隣に立つ。

「我がポワティエ家で行っている作物の改良や新品種の開発は全て、私の娘であるコハリィが行っております。ちなみに、昨年この大陸を襲った熱病の治療薬を研究開発したのもコハリィです。多くの者の命を救っただけでなく、他国との政治交渉にも大変貢献したのですが、陛下は覚えていますかね? 貴方が何の役にも立たないと勘違いしている我が娘は、数多の国が喉から手が出るほど欲する逸材なのですよ。ご存じなくて幸いでした」


 何も知らなかった王は縋る言葉も発せず、口をパクパクと動かすしかできない。

 ポワティエ領を取られても、あの薬の開発者がいるならどうにかなると算段していたところだったのだ……。

 あの薬や新たな薬を盾に、オルリアン国から自国を守るよう他国に交渉しようと考えていた矢先にとんでもない事実を突きつけられた。


 自分が周りに目を向けていれば、優秀な王太子と非凡な王太子妃が自分の治世を盛り上げてくれていたはずだった。そのありもしない未来が、王を暗い底へと突き落としていく。

 助けを求めて周りを見渡すも、後の祭りだ。この愚かな国王を助けようとする者は、誰もいない。全員が「いい気味だ」と言わんばかりに頬を緩めている。


「後はこの国を支える、こちらの皆さんに任せましょう。関係のない他国の人間である私達は、さっさとお暇します。もうここに居ても私達に出来ることはありませんので」

 リュドヴィックは言い終わらないうちに、コハリィを抱えてスタスタと歩き去っていく。「お前等と同じ空気など吸いたくもない」と背中が語っていた。

 せっかちなリュドヴィックの後にポワティエ公爵とライムントが続く。


 最後に部屋を出たレアンドル翁は、晴れ晴れとした笑顔を王に向けて立ち止まった。

「今まで行ってきた支援は、全て取り止める。借金の返済額については追って書面を送るから、何事もなく穏やかに返済せよ。王よ、死ぬことは許さない。フィリーネの何倍も、もがき苦しめてやるのが楽しみだよ」

 夜の瞳が、王の執務室に暗い闇を落とした。

 扉が閉まり執務室が絶望で塗りつぶされると、王の悲痛な咆哮が吹き上げていた。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

明日最終話を掲載する予定です。

明るく終わりたいと思っています。

最期まで、お付き合いいただければ嬉しいです。

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