第8話 二人の出会い①

 リュドヴィックとコハリィの婚約が決まったのは、五年前だ。

 王城の薔薇園が見頃の時期で、美しく咲き乱れる薔薇を見ながら王家とポワティエ家両家の顔合わせが行われた。

 コハリィの第一印象は「小さい大人しい子」だった。正直に言って婚約者であるコハリィより、側近になるライムントとの顔合わせの方が重要だとリュドヴィックは思っていたくらいだ。


 婚約者なんて未来の王である自分の役に立つ家柄であれば何でも良かった。王妃の仕事である社交や執務だって、出来ようが出来まいが気にもならない。

 王妃という存在に辟易していたリュドヴィックにしてみれば、むしろ何の仕事もしてくれない方が都合が良い。飾り物の王妃として、黙って自分の邪魔をしなければ何でもいい。本気でそう思っていた。


 だから自分の意思など持ち合わせても無そうなコハリィは、リュドヴィックとって都合が良かった。

 国王の粋な計らいとは名ばかりの面倒を押し付けられ、コハリィに薔薇園を案内することになった時も、リュドヴィックはさっさと終わらせることしか考えていなかった。


 適当に歩きながら薔薇の説明をして振り返ると、コハリィはいなかった……。

 せっかくこの私が時間を割いて説明をしてやっているのに、歩くペースも合わせられないのかと腹が立ったリュドヴィックは、仕方なく来た道を戻った。


(あの優秀な宰相の娘でなければ、このまま置いて行ってやるところだ!)


 暫く歩くと、オレンジとピンクが混ざった色の薔薇の前でコハリィが真剣な顔で年老いた庭師の説明を聞いていた。庭師も土や肥料を用いて授業さながらに解説している。


 リュドヴィックの存在に先に気が付いたのは庭師だった。話を止めて、慌てた顔でリュドヴィックに頭を下げる。リュドヴィックはそれに、表向きのの笑顔で答えた。

 その様子を見て振り返ったコハリィが、リュドヴィックに笑顔を向ける。

 媚びていない、飾られてもいない、純粋で素朴な初めて見る笑顔だった。


「さすが王家の庭師さんは知識が豊かですね。土の成分や肥料のバランスの話など、初めて聞く話も多くて勉強になります」

 コハリィはリュドヴィックではなく、庭師を褒めちぎる。

 リュドヴィックとしては『俺の貴重な時間を割いて、お前のために説明してやっただろう!』と言いたいが、そこは穏やかな王子の仮面を被りいつも通り我慢した。


「殿下にも説明をしていただいたのですが、殿下の話は全て知っている内容でしたので物足りなくて……。その点、庭師さんの知識は膨大でわたくしの研究にも応用できることが多そうです。もう少し聞きたいことがあるので、殿下はあちらでお待ちいただいてもよろしいでしょうか? 殿下にもお伝えしたいことがあるのです」

 コハリィは悪びれもせず、あっけらかんと言ってのけた。


(俺が、この俺が、庭師に負けた? 庭師以下の知識だと? 俺の話は全て知っているだと? 大体、花なんて美しく咲いて当たり前だろう? 名前と特徴以外の何を覚えるというのだ!)


 誰よりも優秀であるための努力を、リュドヴィックはひたすら続けてきた。その努力は認められて、勉強を教えてくれる講師達は皆、リュドヴィックの優秀さに舌を巻いているほどだ。そんなリュドヴィックにとって、コハリィの態度は初めての躓きだった。

 呆然と立ち尽くすリュドヴィックは、コハリィが指示した東屋に行く気も起きず、自然と二人の話を聞く形になった。


 庭師の話は確かに初めて聞く内容だったし、コハリィの質問もリュドヴィックには聞き慣れない用語ばかりだ。土の配合や花の発色に肥料の種類や量が影響を与えるなんて話は、リュドヴィックが読んだ本には載っていなかった。

 暫く二人で話し込んでいたがコハリィは庭師にお礼を言うと、さっきと同じ打算の欠片もない笑顔を庭師に向けた。


(何だ? 良く分からないが、あの笑顔が俺以外に向けられるのが我慢ならない?)


 首を傾げるリュドヴィックへ振り返ったコハリィは驚いた顔をする。

「待っていて下さったのですか! 申し訳ございませんでした」

 申し訳なさそうに謝るコハリィの眉を八の字に寄せた表情を見て、リュドヴィックは『笑顔が見たいのに』と思っている自分に驚いていた。


 東屋でリュドヴィックが王子らしい笑顔を浮かべても、コハリィは笑顔を返してくれなかった。それどころか何かを思い悩んでいるようで、眉間に皺を寄せて顔を上げては下げてを繰り返している。


(普通の令嬢なら、頬を染めてポーッとなっているはずだが……。小動物みたいな動きだな。可愛い……)


 その様子を見ているのも面白かったが、リュドヴィックは「遠慮しないで言っていいよ」と損得なく配慮する自分にまた驚いた。

 そんなリュドヴィックの態度に勇気づけられたコハリィは、気合のこもった顔を上げる。両手をグッと握って力を込め、言い出し難い言葉を全身で押し出した。


「あのっ……、殿下に、お願いがございます……。わたくしとの婚約を、断っていただきたいのです!」


 全く予想していなかったコハリィの言葉に、リュドヴィックは頭が真っ白になった。

 王子様の王道を行く容姿に、優秀な頭脳を持つ穏やかな性格の未来の王太子。自分は誰もの憧れで、王太子妃の座に群がる令嬢は後を絶たない。

 今の今までずっとそうだと思ってきたリュドヴィックの考えを、真っ向から否定されたのだ。それも、大人しそうで扱いやすそうだと舐めてかかっていた相手に。

 予想外過ぎる展開に脳の処理が追い付かないリュドヴィックは、目を見開いて固まったまま動くこともできない。


 動揺するリュドヴィックを見てコハリィは、怒っているのだと勘違いした。

「殿下のお怒りはもっともです。このお願いはポワティエ家の総意ではありません。わたくし個人の考えで、わたくし個人の願いです。罰するのであれば、わたくしだけを罰してください。どうぞポワティエ家には累が及ばないようご配慮下さいませ」

 呆然としたままコハリィの話を聞いていたリュドヴィックは、深々と頭を下げるコハリィのフワフワと揺れるオレンジ色の髪に触れたいと思う自分に、また驚いた。

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